14. リオール・ジャネイレーラ



   †



「どうぞ、お掛け下さい」


 リオールさんに薦められて、俺とクラサは彼女と向かい合う形でソファに座った。


「お、うわっ!」


 と、俺は腰を下ろしたソファの予想外の沈み方にひっくり返りかけ、驚いてしまう。

 俺の隣ではクラサが、呆れてため息をついていた。


「なにをやっているんだい、きみは……」

「いや、面目ない」


 ホントに面目ないな、俺。

 そしてリオールさんは、そんな俺を見て面白そうに微笑んでいた。なんつーかアレですねその目は珍獣か何かを見る目ですね。


「噂には聞いていますよ、貴女がターシャ・タスクですね。姫が造ったというホムンクルスの――」

「えーっと、その通りなんですが一つだけ……ターシャではなくタスクと呼ばれる方が好みというか、そちらでお願いします」


 冒険者として活動するようになって、つまりこの女性の体で動き回るようになってそろそろ一週間。身体的な違和感はもうあまりない。激しく動くたびに揺れるおっぱいにも……遺憾ながら慣れてきた。遺憾ながら。畜生め。


 肉体的な違和感は――まぁ最初男の体で意識が覚醒した時もそうだったから、そんなもんかって思う程度だ。

 だが、名前は違う。

 ターシャさんと呼ばれるたびに違和感がたまらなくて仕方ない。

 

 篠原援――タスク。

 

 生まれ持った肉体から離れ、肉体を取り換えることのできる今の俺にとって、名前というものは恐ろしく重要だ。魂と自意識以外にこの世界に持ちこむことのできた、最後にして唯一の所有物かもしれない。


 普通、人は容姿を見て相手の名前を呼ぶ。それで問題はない――肉体と魂が一致しているから。

 でも肉体と魂が一致していない俺にとって、名前とは、肉体を呼ぶ物ではない。魂を、この俺自身を呼ぶべきものだ。


「? ターシャではなく、タスクと呼べと……」


 この世界において、ファーストネームを呼ぶのは当たり前のことで、別に親しいからそう呼ぶってことではない。むしろファミリーネームを呼ぶのは隔意を示すか、その人の家業や社会的な地位を指して呼ぶ場合らしい。

 だから俺の「タスクと呼んでほしい」というのは、下手すればなれなれしくするな、とか拒絶の意味に受け取られかねない発言なわけだ。


「えっと。別に他意はないというかなんというか。自分にとってターシャよりタスクという部分の方がより重要であるというか――俺自身を指しているから、なんですけど」

「良くわからないが……あなたがそれを望み、かつ敵意や隔意がないというのであればそう呼びましょう」

「お願いいたします」


 そんなやりとりをしたところで、俺たちが入ってきたドアがノックされた。

 リオールさんの許可を得て入って来たのは俺たちの後ろをついてきていたのとはまた別のメイドさんである。茶器を乗せたワゴンを押している。あ、ちなみにラウケさんはリオールさんの後ろに、そしてメイドさん二人は壁沿いに姿勢よく控えている。主であるリオールさんの求めに即座に応じる気構えだ。


 三人の前に、紅茶が淹れられたカップが置かれる。

 かつて元の世界で嗅いでいたのと同じ――それでいてもっと強くふくよかな香りが辺りに広がる。

 この辺りの文化とか食習慣とか、地球と比較してどうなっているんだろうな。

 味覚に関して基本的な部分であまり致命的な違いはないような気がしている。だから俺はこの世界でも普通に物が食べられる。あるいは肉体が美味いと感じている味を、処理しきれない脳なり意識なりが近い感じの味に置き換えて処理しているのかもしれないが。

 

 一口紅茶に口をつけて、「さて」という言葉でリオールさんが会話を始めた。


「姫、随分とご無沙汰でしたが――お元気そうでなによりです。最近では冒険者として活動を再開したという噂、私の耳にも入っていますわ」

「入っているというか、能動的に仕入れているのだろう」

「ふふ、その通りです」


 と、悪びれることなくリオールさんは続けた。


「我がジャネイレーラ商会はご存じの通り王国有数、あるいは大陸全土でも五指に入ると自負する大商会でございますので。当然付き合いのある冒険者も数多く」

「わかっていたことだ。別に謝罪を求めたいわけじゃない」


 俺一人頭にハテナマークを浮かべていると、クラサが補足してくれた。


「不本意ながら、私はそれなりに有名人だからな。変な二つ名もあることだし、冒険者活動を再開すれば遅かれ早かれリオールの耳には届いていたんだよ」

「噂として知るか、根拠のある情報として仕入れるかの違いはありますけどね」


 なるほど。

 流石は大商会のトップを張る人間。

 情報の価値というものを知悉していらっしゃる、と。


「それで早速本題なのですが、姫――今日は、どういったご用件でございましょうか」

「あー、その前に一つちょっと確認をしたいのですがリオールさん?」

「何でしょうか?」

「その、先ほどからクラサのことを、姫、と呼んでいらっしゃるのは……?」


 すると、リオールさんは目を丸くして驚いていた。


「えっと、それは、……本気で仰っていらっしゃる?」

「え、まぁ、はい」


 何でそんな本気で驚かれたのかがわからない。


「リオール。このタスクは、私が造った特別製だ。その分、こう、なんだ。一般常識や行動に通常のホムンクルスと大きな違いがあるんだ」

「なるほど。道理で」


 あなた方だけで納得されても。


「タスク。何度も説明したように、君は特別型だ。だからその振る舞いについてとやかく言うことはないし、著しく一般的な常識が欠けているのも仕方がないと判ってるから構わない」

「そうですね。何も知らないということでしたら――ですが、一般的なホムンクルスでしたら、つまりは人工の従者ですから、主である姫の横に並んで座るなど本来はあり得ませんわ」


 なるほど。そういうことか。

 それで俺が立ち上がろうとしたところ、クラサが俺の手を押さえた。


「座ったままで構わない」

「だが」

「言っただろう。君は特殊だと。従来のホムンクルスだったら有り得ないが、君はホムンクルスである以前にタスクだ。今のところ、暫定的な、という枕が付くにしても、今の君は私のパートナーだと思っている。だから、そのように振舞うとよい」


 その赤い瞳に真っ直ぐに見詰められてそう言われた俺は、浮かしかけた腰を下ろした。っていうかやっぱ沈み過ぎだよねこのソファ。


「リオールもそれで構わないな」

「姫がそうおっしゃるのでしたら。それでタスク様のご質問――私がクラサさまを姫と呼ぶ理由ですが」

 

 そう言いながら、リオールさんは前髪を掻きあげた。

 そこに光るのは、小さいながらもクラサと同じ物。


 真魔核である。


「わずかにではございますが、私にも真魔族の血が流れております。真魔族は本来少数民族ではありましたが――ここ数十年で数を減らし、私のような混血を除いて純血と呼べるのはこの大陸において、もはやクラサ姫ただお一人と思われます」

「そうなのか……」


 数が少ないとは聞いていたが、まさかそこまでとは。


「また、クラサ様はその純血もさることながら、血統それ自体が貴きもの。真魔族王ダークウォー家の末裔でございますれば」

「え!? お前、姫さまだったの!?」

「そうだ。言っていなかったか? というか、この身から自然と溢れ出る気品というかそういうので普通気がつかない……いや。冗談だ。忘れてくれ」


 なんかタワゴトほざいている黒髪女を、俺とリオールさんがとても冷たい目で見ると前言を翻した。そんななら最初から言わなきゃいいのに。


「っていうか! 姫さまなのにあの財政状況はどうなんだ!?」


 いくらランクC冒険者なら簡単に日銭を稼げるって言っても、ディナーのメニューに空気が載っているというのは尋常じゃないだろう!?


「それはホラ。借金があるから仕方ナイジャナイカー」


 棒読みやめろ。


「あーもう。リオールさん、いっそもう借金十億、チャラにしてくださいよ……なーんて」


 ため息交じりに呟いた冗談だったが、その場にいた二人の反応は――


「借金帳消し? 構いませんよ」

「借金帳消し? 絶対にダメだ!」


 劇的で、しかも本気。

 それでいて、債権者が帳消しを了承して、債務者がそれを断固否定するという立場だった。


「えっ? えっ?」


 普通逆じゃね?





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