5. この手を離さない



  †



 深いところに沈んでいた意識が浮上し、俺は目を開いた。


 俺は――ここは?

 

 無理に揺すり起こされた時の寝起きの様な感覚。頭がうまく回らない。

 しばらくぼんやりしていたが、やがて意識がはっきりと覚醒してくる。

 すると違和感が、俺の中に湧きおこって来た。


「…………?」


 ここは……見覚えがあるような……。


 寝惚けていた思考が次第にクリアになり、俺は違和感の正体に気が付いた。


「俺は――死んだんじゃなかったっけ……?」


 一度目は交通事故で。

 二度目は異世界でドタマカチ割られて。


 そうだ。

 ここはあの時と同じように、クラサの地下研究室だ。だからこのとっちらかった部屋に見覚えがある。

 俺が入っているこのカプセルも、カプセルを満たしている液体もあの時同様だ。


 だが、異世界に転生していたこと自体が夢でないならば、俺はクラサに騙されて嵌められた金環のせいで、物理的に頭がパーンッてなって死んだのではなかったのか?

 というか、頭が潰れた後、周りで慌てふためくクラサの声が聞えたりするものなのだろうか?


 よくわからない。

 現状について意味不明な点が多すぎる。

 ガシガシと頭を掻こうと手をやったところで、指に引っ掛かる物があった。


「まさか」


 そのまさか。

 ぴったり頭にジャストフィットしているのに不思議と手触りが金属質なそれ。

 俺の頭をトマトのようにしてくれた例の金環である。


「だあああ! くそ、脱げない……ッ!」


 引っ掻いたり押し上げたり逆に引き下ろしたり回してみたり。

 しかしどれだけ力を込めたところで、金環は僅かばかりもズレたりはしなかった。


 くそぅ。

 クラサの奴、最初俺にこの金環を勧めた時からそのつもりだったんだ。

 GPS機能付き携帯電話どころじゃない。西遊記の孫悟空が頭にハメられた緊箍児そのものじゃねぇか。

 あの女、綺麗な顔してマジ油断ならねェ。


 そんなことを考えていると、前と同じく壁にしか見えない場所の扉が開いて、その油断ならねェ美少女が入って来た。


 クラサと俺の視線が交わると、彼女は軽く驚いたような顔をした。


「……タスクか?」

「ああ。異世界からやって来たタスクさんだよ」

「なんだ。意識も記憶もはっきりしているみたいだな。どうだい、気分は?」

「お陰さまでどん底の気分だよ。ったく」

「なるほど。だったら後は這い上がるしかないってことだな」


 ポジティヴでよござんしたね、それは。


「そんなことより、これ外してくれよ。頭の輪っか」

「残念だがそれはできないな。前回も言ったと思うが、私にも事情があってキミを逃がすわけにはいかないのだよ。逃げないと約束するのなら、そのカプセルからは出してあげよう。リングは外してはやれないがな」


 俺はその言葉に、少し考えた。


「なぁ、あの時言っていたのは本当なのか? その、半年に一度調整しなきゃ死ぬっていうのは……」

「事実だよ」


 真剣な眼差しで。

 クラサは俺の事を見詰めた。


「キミを逃がさない為の方便に聞えるかも知れないが、それは掛け値なしの事実だ。ホムンクルスは身体維持のため定期的な調整が必須であり、特にキミは私が発明した技術をふんだんに盛り込んだ特殊型だ。私以外に調整することは不可能だ」


 仮に調整できるとしても手探りな状態が続くだろう、とクラサは続ける。


「故に他人による調整は完璧と言えず、半年の寿命はさらに目減りしていく。それで良ければ私の元から逃げようと挑戦するのもいい。だが、良しとしないのであれば、せめて私との交渉のテーブルに着いてくれると非常に嬉しい」


 その台詞を吐く間、クラサは俺の目から視線を逸らさなかった。

 赤い瞳に真摯な願いが込められている様な気がして、俺は結局、溜息と共に頷かざるを得なかった。



  †



 ゴポリ、と足元から泡が湧きあがる。

 クラサがカプセルを操作してくれて、内側を満たしている液体が下から排出されて行く。

 やがて液体が完全に排出されると、カプセルが開いて俺は再び、異世界の地を踏むことができた。


「ほら、身体を拭くと良い」

「おう」


 クラサが放ったタオルを引っ掴み、ガシガシと髪を拭う。

 そこで、ふと。


「あれ……髪、長くなってるな」

「なんだ、今更気が付いたのか?」


 そう。

 俺の髪が、明らかに目覚める前より伸びているのである。

 前回鏡を覘いた時は、短く刈り上げたような髪型だったはずだ。

 だが、色こそ同じ白だが、今は前髪を引っ張れば鼻先まで届く程も長い。

 背中にも纏わりついている。つまり、ロングヘアだ。

 この身体はホムンクルス。つまり、どんな姿形を造るのもクラサ次第だから、長髪なんか朝飯前だろう。

 だが、身体的には違和感無いのに、長髪っていうのは俺のイメージでは無いような気がする。


「なあ、後で切ってくれよこれ」

「そうか? その身体に似合っていると思うぞ?」

「長い髪は手入れが面倒って聞くし……」


 髪の水分をタオルで拭っていて、遅まきながら俺は気が付いた。


 胸がある。

 

 いや、オトコだって胸はある。

 だが、言いたいのはそういう意味ではない。


 胸に、谷間がある。


 胸骨のあたりに、赤い宝石。

 それは前回と同じだ。

 だが、その左右におっぱいがある。


 まっ白な白磁の様な素肌の上を、水滴がすーっと滑り落ちる。

 その水滴はしかし真っ直ぐ流れるのではなく、俺の両胸に存在する豊かなふくらみの曲線にそって脇の方へと流れ落ちて行った。

 俺の呼吸に合わせて僅かに上下するその膨らみ。見事なお椀型。その先端には桃色の突起。


 大切なことなのでもう一度言おう。

 おっぱいだ。


 俺はフリーズしかける意識をそれでも必死に保ちながら、さらに下の方を見た。

 男とは決定的に違う柔らかさと丸みを帯びた腹、その下腹部。


 なにも生えて無かった。


 第二次性徴の特徴の一つとして性器を保護するために生えてくる体毛も、男性の象徴であるアレも、そこには無かったのだ。

 

 あまりの出来事に、ギギギッと軋む音を発しそうな動きで、俺はクラサの方を見た。

 クラサは、鏡を持ってスタンバッていやがった。くそっ、はっ倒してやりてぇ。

 だがクラサをぶっ飛ばして問い詰めるのは後だ。先ずは確認しないと。


 そして鏡の中に映ったのは果たして、美少女である。

 黒髪紅瞳のクラサを、白髪金瞳にしたらこうなるだろう――一言で説明すれば、クラサの色違いとしか思えないような姿の美少女である。


「これが……俺?」

「ああ、もしかしなくてもキミだ」


 マジかガッデム。

 あまりの事に一瞬意識が遠くなり、よろけてしまった。

 拍子に、俺が入っていたものの陰にあったカプセルにぶつかってしまった。


「おっと、今調整の真っ最中なんだ。注意してくれよタスク」

「おお、悪い……って、これ……」


 クラサに窘められて謝るが、振り返ってカプセルの中を確認した俺は、途中で絶句した。


 二つ目のカプセルには、人の姿があった。

 目を閉じて無言で液体の中に浮かんでいるのは、紛れもない――俺である。

 前に鏡で確認した俺の顔。


「これは……」


 絶句する俺の背中に、クラサが声をかけてきた。


「それは前回、頭がクチャッてなったキミのボディだよ。見給え、顔に大きな傷跡が残ってしまっている。まだ調整に一日かかる見込みだから載せ換えてはあげれないよ」

「載せ……替える?」

「そう。それこそがキミの身体で最も重要で、かつ特殊な機能さ。詳しくは、上に言って話そう。先ずは服を着たまえよ、さ」


 そう言ってクラサが差しだした衣類、その一番上には、女物のショーツが乗せてあった。

 摘まんで持ち上げてみる。白の、可愛らしいレースをあしらったデザイン。思いのほか小さいんだな、とか他人事のように思ってみる。


 履けと。

 俺にこれを履けと。


 俺は静かに瞑目し、天を仰いだ。

 

 神様。俺、なんか悪い事しましたか?



  †



「つまり重要なのは、キミの魂が、一体どこに宿っているのか……という部分なんだ」


 俺が大切な何かを失い、文明に所属する者として衣類その他を着用したあと。相変わらず埃っぽいソファの向かいに座るクラサはそう説明した。

 なお、アレは意外と伸縮性に富み、キュッと包み込んでくれているというだけ述べておこう。

 

「魂って……例えば心臓とか頭とかに宿るものじゃないのか?」

「普通ならば、そうだと言われている。ただし、何事にも例外はあるものだ。私の様な真魔族と呼ばれる種族に限って、魂の在処はここだと言われている」


 そう言いながらクラサが指し示したのは、自らの額である。

 正確には、額ではなく、


「その赤い石か?」

「そう。真魔核と呼ばれているものだ。キミの胸にあるソレも、だ」

「これに、俺の魂が……」


 シャツの胸元を引っ張って、谷間に埋め込まれている赤い石に目をやる。


「魂がその真魔核に宿っているということは、肉体は文字通りの意味で魂の受け皿でさえあればいい。キミの魂に同調する肉体を用意して、真魔核と接続できる器官があれば大丈夫な訳だ」

「要するに、この真魔核とやらを取り外して、別の肉体に埋め込めば良いってことか」

「その通り」


 なんとまぁ。

 勿論これはクラサ独自の技術だからこそ可能なことであって、普通のホムンクルスの場合、真魔核ではないまた別の核に魂を憑依させ、それを肉体に埋め込むのだと。勿論取り外しなどできる筈もない。


「それって、ホムンクルス製造における大革命じゃないのか?」


 商売にするなら、借金なんてあっという間に返済できそうなものだが。


「その通り。だが、残念ながら実用化にはまだまだ遠い。改良が必要なんだ」


 例えば? と尋ねると、「真魔核さ」と答えが返って来た。


「通常のホムンクルスだと、魔物から採れる魔核を使用する場合が殆どだ。だが、一定以上の品質でないと人工魂魄が定着しない。これがホムンクルスの製造コストを引き上げる一因なんだが、私の新方式だと通常よりもっと質の良い魔核でないと、そもそも核を肉体から引っこ抜くこともできないんだよ」


 肉体と魂は密接に繋がっている。

 それをゲームのカセットのように取り外して嵌めこむんだから、魔核も、魂も最高品質でなければあっという間に劣化して死んでしまうのだという。


「真魔核を用いれば、魂の品質はある程度妥協できる。だが、真魔核は安定供給が難しい」

「そう……だろうな」


 そもそも真魔族というのは、数が少ないのだと言う。

 そして彼らの魂が宿っていた部分である真魔核は、遺品としてその家族に受け継がれて行くのが習わしなのだそうだ。

 つまり真っ当な手段で入手できる機会なんて殆ど無い。

 違法な手段だったら不可能ではないかもしれないが、リスクも高い。

 

「いずれにしても改良してコストダウンしなければ、実用化も商用化も難しいな。下手にスポンサーを探せば技術だけ盗まれて捨てられてしまうし……」

「なるほど。ある程度の目処が立つまでは、自弁で何とかしなきゃならんのか」

「そう。キミはフォーリナーであること同様、その肉体と真魔核の持つ価値も隠してもらわなければならない」


 それに、とクラサは続けた。


「その真魔核は、私の祖父のものを用いたんだ。私が生れた時には亡くなっていたが、失って良いものではない」

「そうなのか」

「まさかフォーリナーが宿るとは思ってもいなかったが」


 俺は肩をすくめた。


「別に俺だって、やろうとしてこの核に宿ったってわけじゃない。不可抗力だ」

「勿論理解しているさ。だけど、その意味でもキミには私から離れては欲しくないんだ」


 まぁ、そうだよな。

 異世界人の魂、特殊なホムンクルス、祖父の遺品。

 話聞く限りどれ一つとっても、クラサにとっては手放すわけにはいかない理由になる。


 俺はクラサの方を見て、考えた。

 クラサの話を全て信じるっていうのもアレだが、身の振り方決めるにしても情報が少なすぎる。なにせ俺、ホムンクルスになってからまだクラサとしてか会っていないし、この館から出てもいないからな。 


「仕方ねぇ。しばらくはクラサと一緒に居るしかねぇな」

「そうか! そう言ってくれるとありがたい!」


 立ち上がったクラサは、満面の笑みを浮かべて手を差し出して来た。


「この手は?」

「キミの世界に握手は無いのか? 差し出された掌を握れば合意、手の甲を握れば拒絶、両方を握れば絶対に裏切らないっていう意思表示だよ」

「なるほど、それなら俺の世界にもある」


 俺は、差し出されたクラサの掌を握った。意外な力で握り返される。

 女性の手だというのに俺の手とそれほどサイズが違わないっていうのは新鮮な違和感だ。今は俺の手も女性のものってのが原因なんだが。


「これからよろしく頼む、タスク」

「おう、こちらこそな、クラサ。差し当たってしなきゃならないのは借金の返済か?」


 七億八千五百万だっけ。

 気合入れて返して行かなきゃな。


「ああ。10億ちょうどだ。気合を入れて返して行かなきゃな!」

「おう!!                        ……おう?」


 10億?

 増えてね?


 俺が小首を傾げると、手を握るバカが察して答えてくれた。


「ああ、この前丁度今年分の利子がついて、あとタスクの女性体の作成と男性体の修復もあったからな。増えた」

「増えたじゃねーよ!! 馬鹿かてめぇ!!」


 握手していたクラサの右手、その甲を掴んで引き離そうとする。

 だが、


「くそ、離せ……ッ!!」

「ふふ、逃がさないと言っただろう……! 離してなるものか……ッ!!」


 その細い腕のどこに入っていたのかっていう握力で握り返されて、手が離れない。

 お互い両手で互いの手を引っ張ったり押さえ込んだりだ。


「離せ、俺は自由だ……!」

「ククク、逃がさないぞ。一緒に行こう……奈落の底まで!」

「絶対に嫌だあ!!」





 こうして俺の異世界生活は始まってしまったのだった。

 主に金銭的な意味で、マイナスから。






*現在のクラサの借金     10億エズ







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