3. まるがいっぱい


   †



 ゴポリ、とカプセル内にいくつもの気泡が生れる。

 同時にカプセル内を満たしていた液体が下の方から排出されて行く。

 程なくそれが完了すると、クラサがカプセルを開いた。

 俺は身を起こすと、カプセルから外に出た。裸足の足が、ひんやりとした床を踏みしめる。


「この世界に生まれた感想はどうだい、フォーリナーのタスク・シノハラくん?」

「えーっと、……おぎゃあ?」

「なんで疑問形なのさ」


 苦笑するクラサである。


「なにはともあれ、世界グランドランドにようこそ、タスク」

「グランドランド」

「神代語で、『大きな大地』を指す言葉だよ」


 クラサが説明してくれたところ、この世界には地峡部で繋がる二つの大陸と幾つもの島とで成り立っている。それぞれの地域に大小の国々があるのだが、


「私たちが居るのは、陸峡西側のサイリーフェア王国首都フェアズウィルという街のはずれだ。その辺りの世界情勢などは追々説明することにしよう。それよりも、だ」


 ズイッと真剣な顔を寄せてくるクラサに俺は気圧されて仰け反る。

 非常に美人で整った顔の彼女が真面目な顔つきをすると、綺麗とかそういうのより先に妙な迫力というか、凄みがある。


「これからキミは、この世界に所属する一人として生きていかなければならない。もしキミが元の世界に戻りたいと思っても、それが実現できたというフォーリナーの記録は少なくとも私は知らないし、例え帰還が可能だとしても、実現までの間は結局グランドランドにいなきゃならないことには変らないからな」

「お、おう」

「そこで、だ。キミには、自分がフォーリナーであることを周囲に漏らさないでいて欲しい」

「それは……」


 言われ、少し考えてその意図に気が付いた。


「狙われるから?」

「その通りだ。キミ……というかフォーリナーは、希少なんだよ」


 先ほどクラサは、フォーリナーはこの千年で十数人現れた、と言った。平均すれば五十年から八十年に1人くらいの割合ってことになるだろう。

 それだけ見ればそこそこの出現頻度のようにも思えるが、例えば地球でいうユーラシア大陸全土で、五十年に1人って考えれば何となくイメージが湧く。


「現在サイリーフェア王国は外交上積極的敵対関係にある国は周辺には存在しない。だが、過去のフォーリナーによる技術変革の価値を顧みれば、この大国と一戦交えてでも狙うに値する」

「って言っても俺、あっちの世界では元々ただの一般人だぜ。専門知識なんて全く無い」

「それでもだよ」


 無知である価値、とクラサは続ける。


「こっちの常識を持っていないことが、逆に強みになることだってあり得る。ほんの些細な知識の発露が、こっちの技術を大きく進歩させることもある。実際そういう記録が残っているからな」

「……なるほど」

「平穏無事な生き方をしたければ、まずはキミ自身の出自は隠すこと。いいね?」

「わかったよ」

「念のため、これを渡しておこう」


 そう言ってクラサが、近くにあった机の上から手繰り寄せたものを手渡してきた。

 それは少しく澄んだ感じの金色をした輪っかである。


「特殊な魔術を組み込んだ金冠だ。頭にでも嵌めて置くといい。それを身につけておけばいつでも私がキミの居場所を特定できるし、声を出さずに会話することもできる」

「へぇ、便利だな」


 児童向けのGPS機能付き携帯電話みたいなものか。

 俺は前髪を掻き上げて、金冠を頭に嵌めた。どういう仕組みか知らないが輪っか全体が締まり、良い感じでフィットする。見た目と違って感触も硬すぎないから、慣れればずっと身につけていても気にはならなくなるだろう。


 そんなことを考えていたから俺は、その時クラサがニヤリと邪悪な笑みを浮かべていたことに気が付かなかった。


「うん、似合ってるぞ」

「そうか?」

「ほら、こっちに鏡がある。見てみると良い」


 クラサに手招きされてそちらに行くと、確かに卓上鏡があった。

 そこに映る男の顔をまじまじと覗きこむ。


 白髪の男だった。

 肌も白い。色素欠乏症かのようだ。

 だから胸から見えている、紅い宝石の様な塊がとても目を引く。

 背は、170ちょっとくらい。痩せ型……というより脂肪も筋肉もついていない感じの華奢な肉体。

 

 額に金環。そして、瞳もまた金。


「……不思議だ。これが俺なのか」


 パーツの一つ一つは違うのに、どことなく以前の自分の顔に印象が似ているような気がする。

 だから髪や瞳の色が全く違うと言うのに違和感を覚えなかった。むしろ違和感が無い事に違和感を覚える始末である。


「気に入ってくれたかい?」

「気に食わないからって、替えてくれるわけでも無いだろ」


 何気なくそう返すとクラサは事もなげに答えた。


「替えれるよ。なんだったらリクエストを言いたまえ。可能な限り対応しよう」

「ゑ」


 変な声出た。


「少し時間はかかるし、多少は痛いかも知れないが不可能じゃない。なんだったら女性体にでもしてあげようか? 絶世の美女に仕上げてみせよう」

「女性って、お前………………おおおおおッ!?」


 そこで初めて俺は、自分が全裸のままだったことに思い至った。

 慌てて股間を隠す俺である。

 そうだよすっかり忘れてた! 文字通り生まれたままの姿って奴だクソ!


「なんだ、今更隠すのか。てっきりキミが元いた場所では当たり前だと思っていたのだが」

「って言われてもだな!」

「恥じらいの文化があるのは良い事かも知れないがね、そもそもキミのその身体は私がデザインしたものなんだ。キミという中身が入って目覚めるまでも期間があった。キミの生殖器などとっくに見飽きてるよ」

「そういう問題じゃねぇ!」


 クックックッ、と笑いを堪えるクラサである。


「私が良くても、確かに全裸で外に出るわけにもいかないか。少しそこで待っていてくれ。何か着る物を取ってこよう」

「あ、ああ。頼む」


 そう言ってクラサは、入って来たのと同じ場所から出て行った。

 開いたままのカプセルの縁に腰掛け、俺は顔を覆った。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

 鏡見たときは自分の変化を把握することばかりで、頭が回っていなかったのだ。


「そうか、そうだよな。そりゃ裸だろうよ……うわぁ」


 この世界の時間単位がどうなのかは知らないが、クラサがこの部屋に入って来て、俺の体感で一時間程は過ぎている様に思う。その間俺はブランブランさせていたわけだ。最悪だ。俺にそんな趣味性癖は無いというのに。

 うわー、これ顔っていうか、全身真っ赤になってないか?


 確認しようと、俺は再び鏡の前に行き……それに気が付いた。

 卓上鏡の傍。乱雑に散らかった書類やメモ書きの中にひとつ、ふと目についたものがあった。それが俺の目を引いたのは、他のと違って書式がきっちりとされたものだったからだ。


 ……後からクラサに教わることだが、フォーリナーは少なくとも今まで、訪れた直後でも例外なくグランドランドの共通言語を問題無く使用出来たらしい。

 今まで別世界に居た奴が即座に異世界会話ができる理由も彼らがやって来る原理と同じく不明だが、それに加えてどういうわけか一部には更に文字まで読めたという。

 でもって俺もまた、その数少ない一部であったらしい。


 書類が読めた。


 その書類の、冒頭にははっきりと『借用書』とあった。

 債務者の名前には、きっちりクラサの名前が記されている。当然ながら債権者の方は知らない名前だが――。


 借りている金額が、問題だった。


「……ナニコレ」



 785,000,000エズ



 エズ、というのがこの国の通貨単位だろう。


「なんか…………なんかマルが一杯あるんスけどォ!?」


「なんだ、どうしたタスク? ――タスク?」


 俺の叫びを聞いたクラサが部屋に飛び込んでくる。

 その手には待望の衣服があったが、俺はそれどころではなかった。


 七億八千五百万エズ。

 それが、俺をこの世界に産み落としてくれやがったクラサの背負う、借金の額だった。


  

 


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