2.  クラサさんとタスクくん



  †


「…………」

「…………」


 薄暗い部屋の中、黒髪の少女と俺の視線が交わる。

 だが、俺も彼女も、無言だった。


 彼女に聞きたいことは沢山ある。

 ここは一体どこなのか。

 俺はどうしてここにいるのか。

 このカプセルは? 胸の宝石みたいなのは?

 幾つもの疑問があって、彼女はその答えか、ヒントを持っている人物のハズだ。

 だというのに、言葉が出なかった。

 

 その、深く沈むような、紅い瞳に俺は見入っていた。

 

 黒髪の少女。

 見た感じ、女性にしては少し背が高い部類じゃないかと思う。175センチだった俺の肩くらいまで身長がある。

 鴉の濡れ羽色、と形容したくなる黒髪は背中まで届く長さ。それが、羽織った白いローブとの対比でとても強調されている。

 

 白い磁器のような肌。ぷっくりとした桃色の唇。つんと通った鼻筋。

 額に嵌り、異彩を放つ紅い宝石。

   

 年頃で言えば、俺と同じくらいだろうと思う。

 美しい少女だった。道を歩けば、十人が十人とも振り返るような。


 だが、俺が一番魅かれたのは容姿ではない。いや、もちろん容姿にも驚いたのだけど、何よりも、その瞳に呑まれた。

  

 紅を湛えた瞳だ。

 その奥には深い知性と強い意思を感じさせるものがある。

 恐ろしく無邪気な幼児のようで、しかし一方で多くの事柄を見て来た老成した凄みの様なものも感じる。


 知らず、俺は息を飲んでいた。

 

 喉の動きを契機とした訳ではないだろうが、彼女が一歩、歩いた。

 バサリ、と手にしていた紙の束を落として、こちらに駆け寄って来る。


「…………!」


 カプセルの傍までくると、彼女は俺の顔をじっと覗きこんできた。

 長いとは言えないが、生涯で家族以外の女性と親しい間柄に無かった俺である。こんな近くに顔を寄せられるとか初めてだ。しかもこんな美少女が!


 思わず顔を背けると、彼女はカプセルをぐるっと回ってやはり顔を覗きこんでくる。

 き、気まずい……!


 再び顔を背けると、やはり逆側に彼女はやって来た。そして顔を覗きこむ。

 いたたまれなくなって、俺はつい声を出していた。


「あ、あの。ちょっとお尋ねしたいんですが」


 薄緑色の液体の中だというのに、発声は普通に出来た。どうなってんだろ、これ。

 だがそんな疑問は後回しだ。


「俺……一体どうして、こんな所にいるんですか?」


 問い掛けに対して、彼女の反応は劇的だった。

 眼を丸くして顔中に驚きの感情を露わにしている。

 左手を口元にやって何かを考え込む仕草――ついで、手近なテーブルに散乱した紙束を引っ掴むと、ペンを取り出して何やらガリガリ書き出した。


「発生……250日目……反応……意味のある単語……」


 なにやら書きつけながらぶつぶつと呟いている。

 そしてしばらく考えて、こう言った。


「ふむ……」


 ペンの尻で額を掻きつつ、少女は俺を見ている。


「何がきっかけなんだろうな? ずっと何の反応もなかったというのに」

「ずっと?」

「しかも喋る。こちらの言葉を理解した反応を示した。意識ばかりでなく、理性と知識があるということは間違いないか」


 二人はガラス越しに、互いに小首を傾げる。

 俺は現状の何もかもが判らない。

 少女は俺の状態について、何か判らないことがあるらしい。

 ややあって、彼女はぽつりと呟いた。


「解剖してみるか」

「解剖らめぇ!」


 俺は叫んだ。


「だがしかし……判らないことがあったら、調べてみないことには始まらないだろう?」

「そうだけど! なんでいきなり最終手段に跳ぶんだよ!? 他にもこう……色々あるだろ、問診とか触診とか!」

「それで何も判らなかったら? ならかっ捌くしかないじゃないか」

「ならじゃねぇよ! 本人の許可無く捌いちゃダメだろ普通!」

「許可があればいいのか?」

「この場合はダメ!」

「君の事をかっ捌きたいんだ。頼む!」

「ダメっつってんだろう! 人の話聞けよ!」

「だったらやっぱり無断で捌くしかないだろうに。やれやれ」

「やれやれ、じゃねーよなんで捌く前提で話進めてんだよ、終いにゃ泣くぞ!」

「わかった。捌かない。かわりに開く」

「開くって、どこを?」

「主に腹、胸、頭かな。メスでスパッと」

「やるこた一緒じゃねぇか!」

「いやいや、全く違うぞ」

「どう違う!?」

「捌くは全てバラしてしまうが、開くは基本的に繋がったままだ。そこが違う」

「大して変わンねぇよ!」

「大丈夫。痛いのは一瞬だ。後は天井のシミでも数えているうちに終わるさ」

「始まったばかりの人生も終わるわァ!」

「まったく……聞きわけのない子だな、きみは。そんな子に育てた覚えは無いのだけどな」

「育てられた覚えも無い!」


 俺が叫ぶと、少女は「おや?」という顔を見せた。


「育てられた覚えは無いのかい?」

「いや、そりゃねーよ……って」


「ふーんそっか、育てられた覚えはないのか」


 呟きながら彼女は手元の書類に何やら書きつけていく。


「じゃあ、自己紹介でもしようか」


 その紅色の瞳で、彼女は俺を真っ直ぐと見た。ふと、悪戯っけのある頬笑みを浮かべ、こう続ける。


「私の名前は、クラサと言う。でもって、胎を痛めた訳ではないが、一応きみの産みの親で育ての親だよ、ホムンクルスくん?」


 ホムンクルス、と言われて俺は辺りを見回す。


「……ホムンクルスって、誰が?」

「きみ」


 クラサと名乗る女性が俺を指差す。

 指が指し示した方を追って肩越しに後ろを見た。しかし、誰もいない。


「いやいや、そういうのいらないから。キミだってば、キミ」

「……俺?」


 自分を指差すと、肯定。

 ホムンクルスって……アレだろ。

 ファンタジー系の漫画とかでたまに出てくる、魔法的人造人間。

 フラスコの中の小人ホムンクルス

 俺がホムンクルス?


「俺ホムンクルスなのォ!? なんでぇ!?」

「なんでも何も、だから、さっきからそう言ってるじゃないか……それで、尋ねたいんだが」


 うろたえる俺の入ったガラスの筒を、コンコンと指で叩いて、クラサ。


「私の造った|人造人間〈ホムンクルス〉。その中に入り込んだきみは、一体何者なんだい?」



   †



 俺の名前は、篠原援と言う。

 『援』と書いて、タスク。

 応援の援。援助の援。

 名付けてくれたのは、死んだじいちゃんだ。

 誰かを援けて支える事のできる男になれ、と言う願いを込めてのことだという。

 それを知ったのは小学生の時のことだったが、子どもながらにグッとくるものがあって、以来俺は密かにこの名前の事を誇りに思っていた。

 読み方が特殊なので、よく人に聞き返されたり読み方を再三説明したりして辟易したことのある名前ではあるが、名前に恥じない生き方をしなければ……なんて思ったりしたりもした。


 だから、クラサという、俺の産みの親と自称する彼女が、


「いや、キミの名前はホムタロスに決定していたのだが」


 などと言われれば反発するのも当然のことである。

 クラサの容姿が類稀なる美少女であることを差し引いても、流石にホムタロスは名前として受け入れ難いものがある。彼女は残念そうにしていたがこればかりは譲れないな。


 まぁ、名前の件はいい。

 とにかく俺はクラサに、現在の俺について説明を求めた。

 クラサもまた俺に質問を投げ掛けて来た。

 そうしてしばらくやり取りをした後――


「信じられない……」


 イスに腰掛けたクラサは、乱雑にメモった内容に視線を落としながら続けた。


「要点を纏めると、だ。キミはタスク・シノハラという名前を与えられた人間族の少年で、事故に遭い、そして死んだ――少なくともキミ自信が知覚した感覚においては肉体的には致命傷を負っている様に思えた。そして眼を覚ましたら、この場所にいた……ということか」

「概ねその通りだな」

「…………信じられないが、こうしてキミは名前を名乗り、会話している。話の内容の真偽を問うことはできないが、少なくともキミが社会性を有し、会話による意思疎通ができる程の理性と知識を有していることは事実だ」

 

 そしてクラサは、こう言った。


「キミはフォーリナーなのかも知れないな」

「フォーリナー?」

「極めて稀に、出自不明の人間が現れる事がある。彼ら彼女らはこちらの常識をほとんど知らないが、不思議な知識や技術を有していることがある。鍛冶・政治・経済・工学技術・武術。そう言った専門技術や専門知識だ」


 クラサの話によると、フォーリナーのもたらした新しい技術は世界を大いに変革した。時に国が興り、あるい滅び、技術が隆盛し、衛生環境が改善したり、疫病の流行を防いだり。

 そう言った知識を、フォーリナーたちは別の世界で学んだ――と言ったという。


 別の世界。


 その単語を、俺は無意識に呟いた。


「キミの言っていた……その、トラックとかいうジドウシャだが、そもそもジドウシャ自体こちらには存在しないんだよ」

「そんなバカな」


 自動車が存在しないだと?

 地球上で自動車が存在しないとか、どんな未開の地だって話だ。


「正確に言えば、似たようなものは存在している。だがそれはキミが言っていたモノとは少し違って、フォーリナーの知識からこっちの世界の技術を応用して再現されたものだ。数も多くは無い。少なくとも日常の場面で一般人が使い回せる類の物ではない」

「…………」

「フォーリナーに関する逸話をまとめたある学者が提唱した学説がある。それは、この世界とほど場所に近い異世界……『チィーキゥ』とか『ゥアース』とか彼らは呼ぶらしいが……が存在し、彼らはふとした拍子にその世界からこちらへとやって来る」


 なぜ、フォーリナーがこちらの世界にやって来るのかは分からない。原因も、過程もだ。

 彼らは自身ふとした拍子にこちらへとやって来るのだと言う。一説には存在を司るナントカという神様がふたつの世界を瞬間的に繋いでいるとかなんとか。


「キミの場合――うむむ、どうなのだろう。話を聞く限り、事故で死んだ直後世界の裂け目が近くにたまたま存在して、すり抜けてこちらにやって来てしまった……とか」

「曖昧だな」

「そりゃ曖昧さ。彼らの存在自体、この千年の間に大陸中で十数人かしか確認されていない。ま、公になっていない者もいるかもしれないが……、ともかく、彼らは世界に様々な恩恵をもたらしてはくれたが、一方で魔術や精霊術に関する知識は殆ど無知に近かった、と言われている」


 フォーリナーはみな、決まってこの世界にやって来た原因について全くわからないという。彼らは彼らの日常生活を過ごしていたところ、ふと気が付いたらこの世界にやって来ていたのだと。

 俺が日頃何気なく眺めていた新聞やニュースの行方不明事件のなかには、もしかしたらフォリナーとしてこの世界に導かれた人が居たのかもな。

 それを確認する術はないし、できたところでそれ以上のこともできないのだが。


「しかし異世界……異世界ねぇ」

「なんだい?」

「いや、実感がわかないなって思ってさ」

「当事者っていうのは得てしてそういうものかも知れないな」


 クラサが芝居がかった仕草で肩を竦めたので、俺も釣られて苦笑した。


「ま、生きていれば色々あるもんだしな」

「おや? キミはあちらの世界で死んだのでは無かったかい?」

「……そうだった!」


 とんだブラックジョークもあるもんだ。

 俺たちはカプセルのガラス越しに顔を見合わせて、笑った。



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