(注意:そういえば更新してなかった事実にたった今略)
中学三年生、十五歳。
波島伊織は表向き、クラスの男子と仲良く接していた。午後の休み時間、廊下で何気ない会話を交わしていたら、
「ところでさぁ、伊織、おまえ〝あいつ〟と話すんのやめた方が良いと思うぜ」
「え、誰のこと?」
唐突に話題が変わった。自然にとぼける。相手は力だけは強い野球部のキャプテンだ。学園での影響力はそれなりにある。
「あいつって言ったら、あのオタクしかいねーだろ」
「もしかして、安芸君かい?」
「そうそう。あのクソオタ眼鏡だよ」
チャイムの予鈴が鳴るまで、あと1分余り。男子生徒がチッと舌打ちして教室の中を見る。廊下の反対側、校庭に面した窓際の席に、妹を乙女ゲーマーに仕立てあげた元凶がいた。
「なんであんな奴がうちのクラス委員やってんだよ。ありえないよな?」
「まぁ仕事はしっかりしてるからね、彼は。この前の体育祭もさ、放送委員に口出して選曲を担当した結果、みんなが知らない、カッコイイ曲がたくさん流れたって好評だったじゃないか」
「……それ、クラス委員の権限超えてっだろ。それに曲っていうのも、ゲームとかアニメばっかりだったろ。キメェわ」
「だけど保護者にもそこそこ人気があったってさ」
――今、自分たちの間のみで流行してるもののみならず。
昔の、親の世代にも合った選曲も織り交ぜた。その結果、主犯はたいしたお咎めを受けず注意文だけを書かされて、今ものうのうと教室内でドラマCDを聞き、ついでにブックカバーを付けず、素表紙のラノベを読んでいた。
「やり口がきたねぇんだよ」
「まぁ確かにね」
表面上ではそう返す。内心ではまったく別の感想を持っていた。
――それが〝才能を持たない人間〟の正しい振舞い方だよ。
(……いや、もしかすると彼は……)
じっと、視線を注ぐ。ページをめくる指先にすら注目を払い、観察する。
(僕にとっての、あるいは〝僕ら〟にとっての、パブロ・ピカソを見つける、その共同者になりうるかもしれない)
共同者。真の才能を見出す影の存在は、そこにもまた、光と闇に類する、鏡合わせの一組がいることを、本能的に嗅ぎ分けようとしていた。
放課後。
「倫也君、待ってよ」
「うん?」
伊織はその背中に声をかけた。信号で立ち止まっている男子が振り返る。梅雨も明けはじめた時期であり、夕方とはいえ日差しは強く、伊織はうっすら汗をかいていた。はぁ、はぁ、と息を整える。
「伊織? そんなに急いでどうしたんだよ」
「ひどいな。君に追いつくために、わざわざ女子の告白を断って追いついたのに」
「いやべつに、これといった約束とかしてなくね?」
「約束なんて必要ないさ。僕たち友達だろ?」
「え、そうだっけ」
「……君、時々さらっとひどい事を言うよね」
「あー、そうじゃなくてさぁ」
さっきの休み時間、クソオタ眼鏡と揶揄されていた男子。安芸倫也は若干、気まずそうな顔をした。
「俺なんかと話してたら、そっちの立場ヤバいんじゃね?」
「意外だな。君でも空気を読むみたいな真似事はするんだね」
「悪かったな。ヘンな噂がたって、内申下がってもしらねーぞ」
「心配いらないよ。君だけに話しておくと、実は来月にはまた、父の仕事の都合で引っ越す予定なんだよね」
「え、マジで。この時期に?」
「マジだよ。両親はなんだかんだで仲が良いから、子供の立場は後回しというか、基本的に頭にない人達なんだ」
伊織が笑顔で言うと、安芸倫也もまた、自分なりの解釈をした。
「ギャルゲーとか、乙女ゲーで、幸せエンド迎えたバカップルみたいだな」
「そうそう。ギャルゲーで幸せになったバカップルが家庭と子供を持って、その後も淡々と幸せな人生を続けていくんだけど。一方で、割とナチュラルに放置された子供たちは、結果としてアダルトチルドレンになるっていう典型的なアレだよ」
「やめろよー。オタクの夢を壊すなよー」
「まぁそういうわけでさ。来月にはまったく別の土地に引っ越すんだ。だから最後ぐらいは、君と真の友情を築き上げたいんだよ」
「そういうこと言うのやめろ」
ちょうど通りがかった、別の制服を着た女子高生が、すごくそわそわした感じに二人を見ていた。
「それに、うちの妹があんな趣味を持つような人材にしたてあげ、その責任も取らずに適当にヤリ捨てて逃げる気かい?」
「だから誤解を招くようなこと言うなよ。あっ、すいませーん! 間違った情報をスマホでネットに拡散しないでくださーい!!」
鼻血を吹きはじめた残念な女子高生に注意しながら、帰り道を進んだ。
自転車通学にならない、ギリギリ『徒歩圏内』に認定されてしまった二人は、気の早いセミが鳴く夕暮れの中を歩いた。
「――で、伊織。この前に貸したゲーム、どれが一番良かったよ?」
「どきどき☆はむすたぁパラダイスかな」
「どき☆はむかよ! マジでか!」
「うん、あきらかに一発ネタの色物だと思って遊んでみたら、しっかり中身も作られてたっていうか、近年まれに見る傑作だったよ。あまりにも前評判と現実の評価が一致してなかったから、改めて分析するつもりで遊んでいたんだけど、うん、クオリティは高かった。イチオシだよ」
ギャルゲーを語り合いながら、土手沿いを歩いていく。気のせいか犬の散歩をしていたご老人が、ちょっと距離をとった。
「伊織」
「なんだい、倫也くん」
「俺らって親友だっけ?」
「十五分前に友達だったか確認してきた人のセリフとは思えないな」
「悪かった。俺はてっきり、妹の出海ちゃんに付きあって口裏を合わせてるだけの
いけ好かないシスコンイケメン野郎かと思ってたけど、そんな事はなかったぜ」
「……君が僕をどう評価していたか、今ハッキリと分かったよ」
絵になるため息。逆に倫他は、生き生き語りはじめた。
「じゃあさ、じゃあさ、今度どき☆はむのファンディスク貸してやるよ。いやぁ、やっぱ分かる奴にはわかるんだよなー。てっきり俺もネタ枠かと思ってたんだけどさ。幼馴染のジャンガリアンハム娘のルートが最高でさー」
「いや、そこはメインヒロインのゴールデンハム娘じゃないか、やっぱり」
「分かるわー、でもなー、俺的には人懐こいジャン娘がなー」
いつのまにか、周囲から人気は消えていた。偶然だろうか。
「ところで、安芸君」
「ん?」
「君はどうしてそこまで、オタクだってことを主張するんだい?」
「オタクだからだよ」
「そうじゃなくて、普通は隠そうとするだろう。僕のようにイケメンでなくて、勉強もスポーツも普通レベルの、如何にもライトノベルやギャルゲーの主人公に相応しい立場の君なら、隠そうするはずだ」
「おまえが俺のことをどう思ってるか、よく分かったわ」
「それはなによりだ。だけど実際、倫也君はいわゆる、空気のよめないバカとは違う。むしろ大人たちへ配慮ができ、状況を先回りして良く見据えている。なのに自分のデメリットに通じる立ち振る舞いだけは隠そうとしない。――何故だい?」
蒸し暑い風が吹いた。足を留めて立ち止まり、伊織は真摯に尋ねた。
イケメン、と揶揄される笑顔は浮いてない。対等な人間に対する、もしくは対象を見極めようとしているのを隠さない、選定の問いかけ。
「……隣のクラスのさ、英梨――澤村さんって知ってるだろう?」
「知らない奴の方が少ないね。金髪ハーフのお嬢様なんて、まさにゲームにしか出てこない存在じゃないか。しかも美術が趣味で、描く絵はコンクール入選の常連者」
「だよな。しかもあいつってさ、中身の性格までゲームのテンプレキャラなんだぜ。昔っからさ」
「へぇ。澤村さんと知り合いなのかい?」
「……あー、いや、その」
言葉を濁された。
「ま、君も十分に分かりやすいテンプレだけどさ」
「なにか言ったか?」
「いやなにも」
「そ、そうか……あのさ伊織、これ誰にも言わないって約束できるか?」
「できるよ。僕は目ざとく耳ざといけど、口だけは堅いのさ」
「なんだそりゃ。まぁ、それでな。英梨――澤村さんって実は、オタでさ」
「うちの出海とどっちが上だい」
「そりゃ英梨々――」
「素直だなぁ」
「う、うるせーよ!」
「倫也君、友達が少なくて好意に慣れてないのは分かるけど、誰でも信用してしまいがちな方針は制御したがいいね」
くつくつと笑って、
「で、君は彼女のためにオタク活動を布教して、居場所を作ってあげようとでもしているのかい?」
「っ!」
「本当に素直だなぁ」
もう一度、くつくつと笑った。
「……伊織、おまえさ、実はエスパーか何かかよ……」
「こればかりは経験値の差だよ。君も人波という泥に溶け込んでいたら、この手の先読みはすぐに出来るようになるさ」
「……さすがに自信ねーぞ」
「まぁいいよ。それより君は、学校にオタク文化を浸透させて、人々の根底にある普遍的な意識や認識を改めようとしている。誰もが対象の物を自由に、公に語り合える世界を目指しているわけだろう。素晴らしいじゃないか」
「そんな大げさなもんじゃねーから。てか、伊織キャラ変わってないか?」
「……」
笑みを収めるかどうするか、悩んだ。口角だけが歪むように吊りあがる。
「――なぁ、倫也君。パブロ・ピカソという人物について、どう思う?」
問いかけた。
「は? ピカソ? ピカソって、あの絵描きのピカソ?」
「そう。〝変な絵〟で有名なピカソだよ。そして、これは仮定の話なんだけどね、もしも現代にピカソと同等の、際立つ才能を持つ天才クリエイターがいたとして」
止まらない。
「そのクリエイターが、君の大好きなギャルゲーという世界で、メインイラストレーターを担当しているとする。しかし、メインビジュアルは一般には理解され難いシュールなイラストが展開されている。君はこの場合、どうする?」
「ど、どうするって、えっ、ピカソがギャルゲーの絵を担当するわけか?」
「そうだよ。そのゲームはね、シナリオも、世界観も、スクリプトも、マーケティングも、あらゆる意味で、その世のニーズをこれ以上なく捕らえた、完全完璧な、まさに神のギャルゲーなんだ。ただし、登場人物のイラストだけが、ピカソなんだよ」
「……なんでそこまで神ゲー要素そろってんのに、イラスト担当がピカソなんだよ。ありえねーだろ」
「そうかい? もしかするとピカソは、君の幼馴染で、一番大切な仲間だったのかもしれないよ。幼い時から二人三脚でやってきて、サークルを立ちあげて、そのうち会社を設立して、他所から人も噂を聞きつけて集まってきた。そうやって、段々と規模を大きくなったところで、幼馴染が急激に『覚醒』したんだ。ただしその『覚醒』は、かなり深い知識がなくては到達できない。理解されないレベルのものだ。そういう話はね、ぜんぜん珍しい話じゃないんだよ」
「ピカソに……イラストレーターを一回降板させて、様子みろって話?」
――そう。〝普通〟はそう考える。少し落胆したものが広がった矢先に、
「それか、ピカソに〝今の時代〟に最適な、他の神ゲー要素との折り合いも付けれて、さらに人々からの認識や共感も得られつつ、それでいて、新しく感じられる、誰も見た事のない神絵を【描かせる】ってことか?」
「っ!! そう!! そういうことなんだよ!!! 倫他くん!!!!」
才能を、持たない人間。
行き着く究極の可能性は、
「!!!! 持たざる者は、持つ者を利用して、然るべきなんだよッ !!!!」
――寸でのところで声には出さない。
けれど、血だまりを重ねたような空に向かって、伊織は吠えたかった。
(見つけたぞ。ここに僕の理想が、片割れが存在する……っ!)
天才は、一人では決して浮上することはない。
それを見出す、凡人の存在が必要だ。
そして同時にまた『持たざる者』を理解する、
第三の『持つ者』の存在が必要なのだ。
時にその存在を『役職』とした際には、こう呼ぶのだ。
プロデューサーと、ディレクター。
※ ※
「――へぇ、それで今、愛しの彼とはどうしてるの」
「引っ越す前にはフラれてしまいましたよ。同人界での活動を自然に晒してたところ、おまえは正しいファンじゃない! とか言われて本気でキレてました」
「でしょうね。聞く限りその子は君とは違う。純粋な消費者側の人間よ。商品を作品と呼んで崇拝し、自分の味や趣旨にこだわる意識高いオキャクサマね。君みたいなゴロの商業主義者とは相いれないでしょ」
最後の焼き鳥の串を、ぺっと放り投げて、乱暴に告げる。
「んー、ここまでだと不合格ってとこね。話は終わり?」
「一応続きますよ。僕はこう見えてもあきらめが悪いほうでして、彼の状況は独自に探偵を雇ったりなんかして、以後も観察は続けてるんですよ」
「君……ストーカー?」
「彼という人材を他に取られたくないだけですよ。一途なんで」
「ふーん。けど君ほどの交流の広さがあれば、代替品になりそうな奴はいるんじゃないの」
「いませんよ。僕の知る限りはね」
最後のカードを切る。朱音はすでに立ち上がっている。
「へぇ……なにか特別優れているところがあるわけ?」
「えぇ。ハーレムを築いているんですよ」
「ハーレム?」
「はい。潜在的なハーレム生成系男子です。昔ながらの王道をいく、難聴系テンプレート草食系ヘタレオタ男子である彼の周りには、何もしなくても勝手にとある属性持ちの女子が集まってくるんです」
「属性っていうのは?」
「クリエイターです。それもかなり良質な原石が集まってくる」
紅坂朱音はジャケットを羽織り、ふぅ、と酒臭い息をついた。部屋を出ようと、座敷の戸に手をかけた。背中で尋ねる。
「クリエイターってのは、どの
「柏木エリってご存知ですか」
「知らない」
「では、霞謡子は?」
「知らないわ」
「じゃあ、覚えておくといいですよ。来年の今ごろには間違いなく頭角を表わしてきますから。もしかしたらこの場に二人そろって現れているかもしれません。いえ、現れているはずです」
「あはは。若いっていいわねぇ。初恋の君はどうなのかしら?」
「えぇ。彼も〝上がってくる〟でしょうね」
「ただの消費豚ごときが? 正気で言ってる? 理想論は大概にしろ。殺すぞ」
「紅坂さんなら冗談抜きでできるんでしょうけど、あえて忠告させてもらいますよ」
「へぇ、忠告って、なにを?」
「僕の話を忘れない方が、あなたの身の為だ」
「あはははっははははははははぁ!!!!!!!!!!!!!」
パァン! 大きな柏手の音が、一度。
「合格。あたしについてきな。波島伊織」
「はい」
「それと、一年だけ記憶の片隅に留めておいてあげる。柏木エリ、霞詩子ね。それと、冴えないハーレム系ラノベ男子のお名前は?」
「安芸倫他です。安っぽい芸と書いてアキ、倫理感に乏しいと書いてトモ、時は一円也のなり」
「理想的な名前ね。伊織が恋に落ちる気持ちが分からないでもないわ」
「でしょう」
「んじゃ、行くわよ」
「どちらへ? もしかして二次会ですか?」
「そうそう。楽しい職場体験込みのデッドマーチへご招待してあげる」
「マルズですか。わかりました」
「いいねぇ、顔に似合わず物怖じしないところは好きよ」
振り返り、獰猛な眼差しがぶつかり合う。伊織も席を立ち、彼女の後ろに並んだ。
快活に戸が開けられる。長い廊下の向こうから、料亭の女将が表情だけで尋ねてきた。なにか失礼がございましたでしょうか。
朱音は笑顔で返す。問題ないわ。それどころか、良い気分よ。上々ね。
長い廊下を歩いていく。
「伊織」
「はい」
「合格は合格だけど、アンタもまだまだ青臭いわね。フィクサーとして名を馳せたいなら、人をブッ壊しても平然と笑っていられる覚悟を持ちなさい。まだ自分の手で、直接誰かを廃人にした経験、ないでしょ?」
「ありません。教えてもらえますか」
「いくらでも叩き込んであげるわよ。ついで来な」
「はい」
「あ、それと伊織」
「なんですか?」
「夢はある?」
――僕に才能はない。けれど、夢はある。
波島伊織は、まっすぐに応えた。
「世界征服です」
了
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