(注意:この二次創作の内容はフィクションです)

 

 ピカソ。


 パブロ・ピカソをまったく知らない、一度たりともその名前を聞いたことのない『日本人』はいないだろう。


 日本人なら彼の詳細を知らずとも、ピカソが〝世界的に有名な絵描き〟である事ぐらいは知っている。そして同時に彼の存在を初めて知った〝99.9%の男子〟はこう評価するのだ。


「ヘタ過ぎワロス。こんなんオレでも書けるわ。マジでクソ。頭おかしいからはよ筆折れやゴミカス」


 ツイッターの罵詈雑言よろしく、遠慮忌憚のない意見を放って爆笑する。そして残り0.1%の男子が、


「だよねぇ」


 笑いながら同調していた。人の輪に混じりつつ、本心だけを注意深く遠ざけて、クラスメイトの動向を静かに静かに、じぃっと観察していた。


 波島伊織は、8歳になる時点で大人達の間で良く言われる〝空気を読む〟という能力に長けていた。


 なにも特別な才能や、秀でた能力があったわけではなかった。ただ、彼の両親が俗に言う『転勤族』であった事と、彼の母親が周囲の評価を著しく気にする性格だったので、父親から口うるさいほどに言われていたのだ。


 ――お母さんを怒らせるんじゃないぞ。迷惑をかけるなよ。いいな。


 空気を読むというのは、女子を観察した方が上手くいく。中身が成熟するのは、女子のコミュニティの方が大人のそれに近いからだ。


 小学生のクラスでイジメが発生した時も女子の方が陰険だった。陰険ではあったが、もっと正確に言うなれば『高度』なのだ。自分を社会的に傷つけず、他人を蹴落とす技能は男子のそれよりも遥かに優れていたのである。

 

 波島伊織は、8歳の時点で理解していた。社会の仕組みの根幹と、それから


 ――僕には、これといった才能がない。ということを。


 頭が良くて、顔を含めたルックスも良くて、運動は水準以上にできて、転勤族だけど軽井沢に別荘があるぐらいには裕福で、女子からは死語になって久しい『ラブレター』に属する贈り物を山ほどもらったけれど、才能はない。


 〝多大かつ著しく評価が分かれる物〟を生み出す才能を持っていない。


 平凡である。


 力の限りを知った、凡人である。


 努力をしてもどうにもならない、そもそも咲かせる花をもっていない、五十歩百歩の雑草なのだ。 


 だから伊織は幼い頃から『才能』に憧れた。とりわけ世間の評価を超極端に二分割する異端クリエイター、パブロ・ピカソの熱心な隠れ信者クラスタになった。


(――どうして、ピカソの絵は〝ヘタクソ〟なんだろう?)


 確かにキュビズムだの、シュルレアリスムだのといった美術知識がなければ「なんだこれ」という第一印象を持っても仕方がないとは思う。


 平たく言えば、ピカソの絵は『第一印象が最悪』なのだと小学生の伊織は決定づけた。最初に『ヘンな絵』という印象を抱いてしまったら最後、よほど興味のある物事でない限り評価は変わらないのだ。


(――じゃあ、人間の視覚から情報が入って、脳で処理されるまでの間に、その印象が最悪だと決定づけているものはなんだろう……)


 ひとつは、実際の目で見る現実的な情報と乖離していること。しかしそれだけでは、たとえば少女マンガの絵に納得がいかない。あの大きな瞳や、やたらとスッキリした、非現実的な顔のラインに憧れる理由がよく分からない。あと鼻筋がやたらと簡略化されていたりもする。


(……じゃあ、パーツ? それぞれのパーツに美的価値の評価基準値みたいなものがあって、目、顔のライン、唇、鼻、あるいは鼻腔なんかに偏差値があって、高いものは特徴を強く捉えて、そうでない場所は簡略化した方が一般的には『上手い』って評価される?)


 才能がある人間は、その辺りをそれこそ本能で嗅ぎ分けて評価を得る。伊織はそうでなかったし、絵を描くこと自体には興味がなかったから、一人でいられる時間がある時は、ずっとずっと、気がつけばその事について考えていた。


 次第にそれは『才能』そのものに関する興味から逸れて、次第に大勢の人間たちの間に流れる〝無意識下の共通的価値観〟に想いを巡らせるようになっていった。芸術の本から、人間の精神や哲学にまつわる本も、図書館で片っ端から読みふけった。

 

 ――そうして、ある日。


 唐突に結論がでた。


 ――〝なにか〟が、歴史の影にいるのだ。決して尻尾を掴ませない存在。


 ――〝大多数の印象〟を理解し、把握し、操作した者。


 ――パブロ・ピカソのキュビズムが受け入れられたのは、それまでの圧倒的な写実主義からの逸脱的背景などは確かにあったのだろう。


 が。


 


 当時の歴史的背景を詳細から、ミクロな視点までを完膚なきまでに把握して、

 ピカソの『ヘタクソな絵』が【今なら売れる】と判断を下せた者がいる。


 

 黒幕フィクサー



 才能ある人間が光なら、それは紛れもなく、一部の隙もない闇そのものだ。



 ゾクゾクした。

 心の底から胸が躍り高鳴った。


(僕は〝そいつ〟になろう。そして――)


 小学生の波島伊織は、歳相応の子供らしく、無邪気に微笑んだ。



   い つ か こ の 世 界 を 征 服 し て や る 。

 



 中学生になってから、波島伊織はとある男子と、とあるゲームジャンルに興味を留めた。そのゲームというのはギャルゲー、乙女ゲー、いわゆる『恋愛紙芝居ゲーム』と呼ばれるものだった。


 高度に進化した電子ゲームの中で、極限まで無駄と手間を削ぎ落とし、ぬるま湯の中に芳香剤をブチ込んで、あらゆる媚び要素を混ぜ合わせて撹拌したような、一切の駆け引きもクソもない、最初から結末の知れたものだった。

 

 伊織は最初、率直に思った。


 ――これクソゲーじゃん。大人がこんなものを買うのか。大金を払うのか。


 世間ではP§5の超美麗グラフィックが、3Dホログラムの処理が、ド派手で戦略的な戦闘シーンが、一部追加課金で解放される超重厚おまけストーリーが取り沙汰されている時期だった。


 まさしく人類の英知と技術の粋というに相応しい工業製品の結晶たる最高傑作に、ピコピコ音楽を鳴らしていた時代にも技術的に可能だった、キャラクターの立ち絵にテキストボックスを重ねて『ヒロイン、君を愛しているよ。この心に偽りなし』とか、技術の進歩に恥ずかしいと思わないのバカ王子。意識高いだの低いだの関係なくてさぁ、なにか申し訳ないというか、必死こいて採算ラインに乗せて最新ハードを販売したメーカーに申しわけないというか、もったいねーことしてるって思わない? 向上心は皆無なの? クリエイターのプライドどこいった? もう捨てた?


 と思わないでもなかったが、確かに絵は萌える方向性で綺麗だし、音楽も耳に心地よいし、総じてまぁ遊べると言えばそうだけど、それだけだ。


 ハッキリ言って、マンガの方がすごいと思った。連続した静止画のコマを連動させて、アニメとは別の手法で躍動感を表示している。限られた枠内での集中線や、擬音一つ取っても、日々進化しているのが目に視え、伝わってくるのだ。


 ――それに比べて、なんなんだ、これは。


 表情差分? 一枚絵? 目がパチパチ閉じる?


 ――レベルひっくっっ!! 思考停止しすぎだろこれっ!!



 波島伊織は大人びていた。大人びた中学生だった。当時小学生ながら、熱心な上辺だけのピカソクラスタを自認し、過去の芸術オタクと化していた彼は、そのゲームに心底腹を立てていた。


「志が低すぎるだろ! なんで今の時代にこんなものが流行って、しかもそれなりに売れるんだよ。みんなバカなんじゃないか?」

「お兄ちゃんっ、リトラプのことバカにしないでっ! っていうかそんなにバカにするなら遊ばないでよっ、気分悪いっ!」

「まぁ待てよ出海。僕は今真剣にこのゲームの流行要素を分析してるんだ。おまえや彼と違って消費豚と化して遊び呆けてるわけじゃないんだよ?」

「……自前のメモリーカード買ってきて、容量いっぱいになったからって、さらにもう一本買ってきた人がなに言ってるの?」

「いや違うんだ。コレはけっしてハマっているわけじゃないんだよ。出海にはまったく理解できないと思うから説明するのも面倒なんだけどね、この世界にはユーザーのニーズというものを逐一把握して、売れる為なら何でもしますって公言して憚らない神がいるんだ。僕はそのご尊顔に向かって言ってやりたい。今履いてるパンツにサインしてください。頭に被ってWピースしてツイッターで自慢しますって」

「なんかお兄ちゃんが言った!! 途中からリトラプに関係ない上にすごく失礼なことおっしゃった上にキャラが違うっ!! ごめんなさいっ!!」

「え? 二次創作ってそういうものじゃなかったっけ……?」

「やめようよ、そろそろ消されるよ。それでお兄ちゃん、実はリトラプにどっぷりだよね」

「そんなわけないだろ」

「じゃあなんで、わざわざ自分用のメモリーカード買ってきたの? 二枚も」

「間違えて出海のデータに上書きしたらキレるだろおまえ」

「そんなことないよ。ぐーで真正面から鼻っ柱へし折る程度だよ」

「おまえもキャラ崩壊してるぞ。そしてあの時は痛かった」

「え? 二次創作ってそういうものでしょ?」

「結構ひどいな」

「お兄ちゃん」

「なんだよ」

「リトラプ、楽しいでしょ?」

「…………」


 僕はこれまで、出海にとっては、格好良いお兄ちゃんであったのは間違いない。母からは文字通りに自慢の種であるように、父からも「使える奴だな」と評価されるように振舞って生きてきた。でも、


(それは〝才能〟じゃない)


 誰にでも可能な、最低限の〝人力〟だ。顔立ちは整形すれば後天的に人を惹きつけるものに変えることはできる。極端なことを言えば性格だって、環境ひとつでどうとでも変わるのだ。しかし〝才能〟は絶対に変わらない。


 真の先天的な潜在能力値。数多の人間を惹きつけ、狂わせ、人格を捻じ曲げ、人生を破滅させるような影響を放つ、絶対的な『個性』は究極に不変だ。

 

 そしてリトル・ラプソディ。通称リトラプ、乙女ゲーやギャルゲーといわれる通称紙芝居ゲームジャンルは、その才能の対極に存在した。


 分かりやすい美。直感のみで認識される美しさ。

 普通の人々を魅了するように計算された、複数の異性。

 麻薬的に甘く、深みのない愛の言葉。

 ささやき、やさしい手で囲い込むような回廊。

 日々の生活で積み重なった疲れを癒すため。

 徹底的に、至れつくせりをはらんだ世界。


 ――安いんだよ。これは。はてしなく、安っぽいんだよ。


 だけど出海の言うように、確かに心惹かれる要素は少なからずあったのだ。それは複雑な『ゲーム』という処理を、徹底的に、極限まで排除することで、ヒトビトの感受性、これはこういう風に感じるだろうなという意識を、見えざる手で操作し、影から支配することに特化した商品であることだ。


 ――この中には確かに、黒幕フィクサーの匂いがする。僕と同じ人種がいる。


 なんの才能も持たず生まれ、その事を他の男子よりもいち早く理解し、それでも世界を変えたいという野望を秘めた、そういう存在がいる。


 ――この世界を征服したい。自分が持たざる才能を利用して、そいつをぶっ壊れるまで使い潰してボロ雑巾のように捨てても裏で頂点に立ちたい。自分は、歴史や美術の教科書に名を残すような生き様は絶対にできないから、だからこそ、べつの形で永遠に刻み付けたい。塵芥とかして終わりたくはない。


 だって、そうだろう? 


 それこそが、人間の本能なんだから。


 僕はそこから、絶対に目を逸らさない。


 最後まで、本能に従う。


 〝ただの人間らしく〟生きて死ぬ。

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