(注意:この二次創作に、カワイイ女子は出ません)

「酒のつまみになりそうな話がいいわね」

「え?」

「二度は言わない。締切は一升瓶の中身が尽きるまで。はい、よーいどん」

「……もうずいぶん飲まれてますよね?」

「こんなもん水と同じよ」

「じゃあ素直に水を飲みましょうよ。紅坂さん」

「私に説教とはたいした分際の未成年ね」

「……伊織です。波島伊織」

「名前を覚えるかどうかは私が決めるのよ。さぁ、語りなさい」


 女性が片膝を立て、快活に煽りながら一升瓶を斜めにする。琥珀色の液体が勢いよくコップの中へと流れ落ちて一部が散った。


「っとっとっとぉ~、ほらほらどしたの、頭回ってるぅ?」


 言葉の振舞い、礼節を飾らない態度、年下を無条件に軽視する妙齢の女性。装いだけはそこらのオヤジと類似していたが、場合によっては人殺しさえも躊躇わないような目付きと特有の雰囲気を放っている。

 

 その辺りにいる男よりも、女よりも、あるいは獣よりも鋭い気配。


 それはもはや怪物だった。


 【紅坂朱音】という、唯一無二の怪物である。


「緊張してんの? だったら君も一杯飲まないか? いろり君」

「伊織です、紅坂さん。それと未成年なので酒は遠慮させて頂きます」

「あっははは。若いなぁ」


 紅坂朱音はコップに注いだ日本酒を一気に飲み干した。下座に座る一回り以上も未熟な男子をねぶるように見回して笑う。


「いくつだっけ?」

「今年で十七になります」

「あははははは! 永遠の十七歳気取りかよ!」

「現役の十七歳です」

「ちっ、白けるわねオイ」


 その人物と初めて顔合わせが叶ったのは三月の末。波島伊織が高校二年になる直前だった。高級料亭の奥の座室に「暇ある? 銀座の○○一人でこれる?」と詳細を伏せたメールで呼び出され、いくつかの予定をキャンセルして赴いてみれば、当の本人は一人飲み食いして、すっかり出来上がっていたという始末だ。


 伊織はとりあえず「失礼します」と言って向かいに正座した。そこへ突然、


「で、酒のつまみになりそうな話はまだかな?」


 これである。前後の文脈を著しく欠いた、一人よがりの物言い。

 論理的な思考一つ許さない、横柄極まりない女王の文言に応える。


「……今後の業界や市場の予想を知りたいという話ではないですよね」

「ないない。そんなつまらん話でなければなんでもいいよ」


 そう返され、伊織もまた考えを放棄した。

 まともな筋の通った理論は無駄。絡め手も無駄。何もかも無駄。であれば、


「じゃあ、初恋の話でもしましょうか」

「あっははははははははははははははははは!!!!!!!」


 酒の席に相応しい、歳相応のバカになるしか無かった。


「コイバナ!! コイバナかよ君!!!」

「そのつもりです、気に障りましたら別の話をしますけど」

「あははは! いーんじゃない?」


 大口を開けて爆笑した紅坂朱音は、なにやら勝手に柏手を打って、ひーひー笑いながら評価する。評価した。たぶん。


「君、頭の回転は悪くないわね。で、初恋はいつ?」

「13から14の時でした」

「中二か。あぁ、君にとってはつい数年前の事なのね。お相手は?」

「オタクの男子でしたよ」

「へぇ~伊織クン、ホモなんだ。お姉さん喜んじゃうなぁ」

「どうも。紅坂さんが大学生の時に出した同人でもそういうのありましたよね。合同で書かされてる感ありましたけど」

「あたしの話はいいの。それより君の話を続けなさい」


 ニヤニヤしながら、コップ酒をまた一気に煽る。さりげない仕草に見落としかけたが、ほんの一瞬、自らの過去から目をそらしたのを見抜いた。


(……化け物じゃない)


 実力も立場も相手の方が上。修羅場を潜り抜けた経験も雲泥の差であるには違いないけれども。


(――紅坂朱音も人間だ)


 波島伊織は知っている。この世に化け物なんていやしない。それは心の弱い人間が産みだした妄想であり、ただの比喩表現だ。


 しかし同時にその妄想は、世間が彼女につけた最大最強の侮蔑と賛辞であるとも言えるのだ。さらに波島伊織はまだその領域に達してないという自覚があった。


(まともにやり合えば〝今は勝てない〟)


 いつか勝てるようになるべく今は手牌を集めなくてはならなかった。相手よりも強い『役』を揃えるその日が来るまで。あるいは奪うべくして挑むために。目前の相手が座す領域に登りつめ、世界を影で牛耳る存在になる日まで。


「ではお話させて頂きます、僕のコイバナを。あ、誰にも言わないでくださいよ」

 

 波島伊織は笑顔を絶やさない。


 波島伊織は〝笑わない〟。


 その日が来るまではもう二度と、他者に恋焦がれる日はやってこないだろうと知っているからだ。


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