if.加藤恵ルート 前半。


 都内から少し外れた、やや、ひなびた感のある住宅街。

 朝と夕方の通勤ラッシュを除けば、駅の利用者なんて、すっかり影を潜めてしまうような一角に、マイナーな、シナリオライター派遣会社があった。


 『blessing software』。


 まだまだ自分の実力には添わないけれど、自分の二本足で歩いているのを、薄ぼんやりと実感しはじめる日々。


 クリエイターと呼ばれる生き物になって数年。それなりに、毎日を忙しく過ごしている時期に、それは起きた。


「ねぇ、倫くん。ちょっといいかなぁ」

「ん、なんだ?」

「あのね、ほら、アレ。うちのサイトで、フリーで公開してる作品があるでしょう?」

「恵の物語がどうかしたのか?」

「うん、えーと……ね」


 彼女は、その作品を口にする時、必ず『アレ』という。まぁ、気持ちは分かる。


「自分がメインヒロインの作品なんて、思い出すと、恥ずかしくて死ねるよな。中二病のほうが、全然マシってレベルぐらいには」


「……誰のせいだと思ってるのかなぁ」


 恵は小さく吐息をこぼす。俺もつられて少し笑った。そしてもうすぐ訪れるだろう春の気配が、夕暮れが近づくと共に、学校から帰ってきた子供たちの声とともに、小さなオフィスの室内にもやってきた。


 あれは、もう、ずいぶんと。

 昔のことだったような気がする。


//


 高校生当時、ただのオタク、いわゆる『消費豚』だった俺が、黒髪の女神が与えたもうた苦難と試練――というには誇張が激しいが、確かに、なんらかの壁を乗り越えて『ぼくの理想のギャルゲー』を追求した日々が存在した。


 いわゆる、黒歴史ってやつかもしれない。だけど、それがなかったら、今の俺はこの場にいなかった。きっと今も、ただの消費豚を続けて――


「倫くん、回想シーンから戻ってきてくれるかなぁ? 私だって、まだ今日中に終わらせたい仕事が残ってるんだけどなぁ」


「あ、はい」


 加藤は、加藤恵さんは、俺のメインヒロインは、相変わらずフラットです。


「ごめん、それで、なにかあったのか?」


「うん。今はフリーで公開してるアレなんだけどね。今月もいくつかメールが来てて。一件目は海外のユーザーから。自分たちのグループで、テキスト部分を翻訳して、再配布することは可能ですかって」


「オッケー。その点については、当時のメンバーから了解もらってるからな。原作の雰囲気を損なわないようにしてくれたら、問題なし」


「了解。じゃあその旨を返信しておくね。それと問題は、もう一件のメールなんだけどね……」


 現在ではフリーソフトとして公開されている、俺がまだ高校生の時に作った、理想のギャルゲーがある。



 『 cherry blessing〜巡る恵みの物語〜 』



 それは、コミケで販売して以来、熱狂的なファンがついた。(その経緯については、本編を読んでくれよな!)翌年になってもなお「欲しい、やりたい」という声が後を立たなかった。


 そしてこれは仕方のない側面になるが、実物が何処にもねぇ。と噂が広まると、ネットで高額で転売されるわ、割った物が無料でアップロードされるわ、ソフトがXX,XXX本しか売れてないのに、何故かパッチ修正のダウンロード数が十倍……


 いや、やめておこう。ともかく、正規のルートでない、非合法にアップデートされた物に、手を出す人たちが大勢いたわけだ。


 そこで俺は、発売から数年経ったあと、当時のメンバーに連絡を取り、あのゲームをフリーソフトとして、ネットに公開することにした。


 高校当時の作品ということもあり、全員、割とあっさり了承してくれた。

 問題はただ一点『どこで公開するか』という事だったのだが、

 

 ――貴方の名刺代わりにでも、使ったらどうかしら?


 かつてのメインライターは、不敵に笑った。


 ――今時、ただの企業ホームページなんて、時代錯誤も甚だしいけれど。なにか「おまけ」があれば、悪くないでしょう? ねぇ、倫理君。


 俺も言葉を返した。


「でも、いいんですか、先輩。あのゲームのクレジットに、先輩の名前は」


 ――私は、過去を振り返らない主義なの。

 それに今になって、あんな未熟な作品を、どこかの誰かさんに褒められたところで、むしろ腹が立つだけだわ。きっと澤村さんも同じことを言うでしょうね。


 ――今の自分のベストに比べ、あの作品は〝今の私とかけ離れすぎている〟のよ。でもあの一作が、あの一年があったからこそ、あの出会いと別れが無かったら、私もまた、きっとこの場所には立ち続けていなかった。


 ――だから、私は、貴方を赦すのよ。……倫也。


 俺は理解した。あの作品はもう、過ぎ去っていった青春の思い出は、彼女たちにとって『名刺』にするには至らない。古すぎるのだ。


 ――でも、貴方には『まだ、ちょうど良い』。

 貴方は、まだまだ、まだまだまだまだ、私たちの領域には、及ばない。


 俺は、十年出遅れた。

 彼女たちが血反吐を零して進む途中、ただ目の前に出された餌を「うま、うま」と十年喰らい続けていた。俺だけがまだ『高校時代の熱意』を超えていない。


 ――急いだほうがいいわよ。時間は有限。誰も責任を与えてはくれないわ。


そう、だからこそ俺は、あの作品を、今も追いかけて、


「倫くん」

「ふあ!?」

「だから、あのね、どうしていちいち、回想シーンに入っちゃうのかなぁ」

「わ、悪かった」


 だって……唐突に変わった状況説明が、しやすいんだもの……。

 つい、多用しがちになるよね。回想シーン。


//

 

 うちのオフィス。


「いや、さすがの僕も驚いたよ、倫也君。まさか君の処女作が、ハリウッドデビューするなんてね」


 個室ですらない、ただのパーティションで区切られた一角に、相変わらずムカツクほどに爽やかなイケメンが座っていた。


「伊織さん、お茶どうぞ」

「ありがとう、加藤さん。ところで不躾なことを尋ねるけど。まだ、籍は入れてないんだったよね?」

「うん、まだ」


「この機に入れておくことを薦めるよ。彼、ヘタレだからね、ここでしっかりキープしておかないと、後から後悔すると思う」

「おい」


「おっと、そうだお土産。タカ○マヤで買ってきたういろう。君、好きだろ? ひつまぶしも買っておこうかと思ったんだけど、なんせ忙しい身だからさ。現金を持ち合わせる癖がないと、細かい買い物ができなくて不便だよね」


「ムカツク言動は今は流してやるから、要点だけ言えっ! なんで、お前がここにいるんだよ。伊織ぃ!」


 つい十分ほど前、恵から耳を疑うような報告を聞いた。その直後にうちのオフィスに、予定の無かった客人が訪れたのだ。


「なんでって。そりゃあ、君が〝ハリウッド映画の原作者〟になった事を祝って、わざわざ、名古屋の事務所から駆けつけてあげたんじゃないか」


「はえーよ! 情報源ドコだよ! 俺だって知ったばかりだよ! っていうか、どう考えてもネタだろうが!!」


「僕も最初は耳を疑ったけどね。どうも、冗談じゃないらしい」


 伊織は長い脚をくんで、不敵さと、真顔を交えたに表情に変わった。


「倫也君。少し前にさ、例のフリゲのシナリオ、とある地方劇団に名義貸ししただろう?」


「……だから、それも何で知ってんだよ」


「そっちの情報はたいしたことじゃない。君だって、SNSなんかのツールで情報発信してたじゃないか。わざわざ劇団員の裏方みたいな真似事もしてさ」


「あぁ、なんだか楽しかったよねぇ。久々に学生に戻ったみたいで」


 あぁ、それは確かに。って、いかんいかん、また安易な回想モードに入るところだった。


「でもあれは。名義貸しって言うほど、ご大層なもんじゃなかったぞ。ただ、あのゲームのシナリオを演劇に使いたいから〝原作者〟の俺が、許可しただけで……」


 正式な契約書なんかも交わしてない。ただ、熱意に押された。あの頃と同じように。一人の劇団員の熱意に押され、シナリオを使うことを了承したのだ。


「そう。劇団員も、そこいらにある、ただの素人に近い集団だったしね。君の営業力で、ゲームのコアなファンもいくらか呼び寄せたみたいだけど。それでも、お世辞にも評判はよくなかった。技術的な意味でね」


「まぁ、それは否定しないよ……後から劇団も解散したって聞いたしな」


「だいたい、世の中にありふれたシナリオだよ。その中に一人だけ、真に輝く才能があったってパターンは。これ、来週に出る芸能雑誌なんだけどさ」


「だからどうして、そういうのがさらっと出てくるんだよ、おまえは……」


「はは。人脈だけは多いからね、僕はさ」


「よく言うよ」


 伊織が差し出してきた雑誌の見本誌らしきもの。それは、あの熱意を持っていた、俺の記憶に今も残っている、劇団員の女性が写っていた。


「才能のない貧乏劇団っていう、ある意味での足かせが無くなって、彼女はその翼を広げたみたいだよ」


 煽りには『日本が生んだ才能、新生!! 海外映画マニアも絶賛!!』なんていう、派手なキャッチコピーが堂々と踊る。

 

「内容を要約すると、海外で才能が評価された、名も無き彼女はね。知り合った映画監督やインタビュアーに、自分のお気に入り作品の、ベスト1に名前を挙げたんだ。君がクリエイターの道を至った、あの、熱意だらけの〝ギャルゲー〟をね」


「……マジか」


「本当だよ、この世はもはや、高等だとか、下等だとかいう〝作品ジャンル分け〟の概念がなくなりつつある、それは時代遅れなんだと、声を大にして言える時代だよ。純粋に、人々の琴線に触れるものが、強いんだ」


「……っ!」


 ふと、先輩の声が聞こえたした。


 ――こっちに来るなら、少しでも、早い方が良いわよ。


「倫也君、君なら分かってると思うけど、これは千載一遇のチャンスだよ。だけど同時に、娯楽というのは、所詮は娯楽であって、すぐにうつろうもの。明日には消えていく定めなんだ」


「僕たちは、それを見極める為に、この世界で生きている。こだわりとプライド、現実の正当性、質の良し悪し。そんな物は二の次で良い。大事に自分の中に抱えている時間が長いほど、そいつは泥沼の中に一人、沈んでいくのさ」


「……わかってるさ」


 相変わらず、何年経っても、伊織の言葉は耳が痛い。1ミリの狂いもない、ぐうの音もでない正論だからだ。


 俺は、保障される。今は知る人ぞ知るってレベルだけど。この話を素直に受ければ、俺は『クリエイター』として、それからの人生が保障される。


「でも、さ……」

「なんだい、もしかして、納得がいかないとか言うんじゃないだろうね」

「いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくて、これ、ナマで見る演劇じゃなくて、映画なんだろ?」

「そう。映画だよ。ハリウッドだよ。倫也君」

「……伊織、映画ってことは、画面越しに、見るわけだよな……?」

「そのとおりさ。つまり『実写化』だよ」

「あぁ。『実写化』なんだよな……二次元の実写、映画化……」

「……あ」

「……あぁ……」


 気づいたようだな。

 俺と伊織は、二人して黙りこくった。伊織は相変わらず性質はゴロだが、同時に根っこの部分は、俺と同じなのだ。


「……えーと、演劇にシナリオを使ってもらって、観客席で鑑賞するのと、スクリーン越しで鑑賞するのは、なにか違うのかなぁ?」


 『『 違うだろ!! 全然違うよ!!! 』』


 珍しくハモった。久しぶりに空気になりかけていた恵が「あ、はい」と言って、また空気に戻った。


「伊織、無礼を承知で言う。爆死、しないか?」

「……大幅に改編は、覚悟したほうがいいと思うよ」

「だよなぁ。実写化って言葉を聞くだけで、オタクにとっては、戦々恐々とする言葉だもんなぁ」


「アニメ化って言葉も、大概不安な気もするね」

「そうそう。特にやたらと、不安を煽られるジャンルがあるよな。たとえば、エ○ゲが原作だったりすると、低予算なのはファンにも分かりきってるから、そりゃあもう、いつ作画が崩れやしないかと心配で、毎週ハラハラしながら徹夜して眠い目をこすって粗探しを……」

「よせ、倫也君。それ以上は、流石にマズイ」

 

 伊織がマジ顔で静止してきたので、俺も発言を自重した。

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