もしも、安芸くんが、告白したら。③
「恵ちゃんは、将来、なにになりたい?」
四つか、五つ。
まだ幼稚園に通っていた時に、先生から尋ねられた。
「恵ちゃんは〝なにが好き〟? 好きなもの、あるかなぁ?」
――大きくなったら、なりたいものを、
画用紙の上に、書いてみましょう。
私はクレヨンを握りしめ、石のように固まってたのを覚えてる。
「〝なにを描いてもいいのよ〟」
周りを見渡せば、男の子も、女の子も、みんな一心不乱になっていた。手を動かして、キラキラとした瞳で、画用紙の中に、将来の自分を埋め尽くしてた。
「……わかんない」
私だけが、その場に取り残されていた。一人、止まっていた。
その日、家に帰ったあと。
まっしろな画用紙を持った私を見て、お母さんは、心配そうに声をかけてきた。
「恵は、大人になったら、なりたいもの、ないかしら?」
当時の私は、とっさに答えた。
「わたし、-----、になりたい」
お母さんは「あら、素敵じゃない」と笑った。安心した。
私もあわせて笑った。不安をかけたくなかったから。
――きっと。私は少し〝欠けている〟。
この胸の内が見えたとすれば、きっと『空白』のようなものが満ちている。
――きっと。大人になっても、埋まることのない『空白』だ。
『特別なもの』に変身することはなく。
ありふれた『加藤恵という私』が、大人になる。
それでも、特別な不都合はなく、毎日生きていけるって思ってた。けど、
「 加藤!! 俺のメインヒロインになってくれ!! 」
とある、男の子が言った。
//SE音:カチリ。
胸の『空白』に、なにか、小さなモノが埋まる音。
自分でも気づいてなかった、ささやかな可能性に尋ねた。
「 メインヒロインって、なに? 」
「 理想だ!! 俺を、もっとトキめかせてくれ!! 」
意味がわからなかった。なにそれ。バカなの。
※
週末、安芸くんの家に来た。
なんだかもう、すっかり常連だった。
二階に続く階段を上がって、安芸くんの部屋に入る。
うん。男の子の部屋に。
「安芸くん、シナリオの進捗、どう?」
「おぉ、加藤……らっしゃっせー……」
「できたのかな」
「おー、共通とメインルート、かん、せい……」
ゾンビのような足取りで、ふらふら、作業机から離れる。
「おつかれ。デバッグは?」
「んー……テキスト周り落として、スキップ機能だけな。最低限のスクリプトは組んで、バグ出ないのは確かめた。ただ、詳しく確認してないから、誤字脱字なんかはあるかも……っつーか、絶対ある……」
「じゃあ、編集作業するね。この環境継続して使っていい?」
「いや、一応ノートの方でも動くか確かめてくれ。起動ファイル含めた予備データ、USBの中にあるからさ」
「わかったよ。じゃあ、こたつ机借りて、床に座ってやっていい?」
「頼んだ。ふあ……ごめん、マジ寝てないから、ちょっと寝るわ……」
「ずっと徹夜で作業してたの?」
「おう。不眠不休な。褒めてもいいんだぜ?」
「途中で、アニメとかゲーム休憩を挟んでなかったら、すごいね」
「……」
「安芸くん?」
「オヤスミ」
ばたん。と、ベッドの中に倒れた。
「あ……言うの忘れてた。加藤」
「なに?」
「キャラクターの名前が、まだ仮決めの段階で。だから……」
「だから?」
「………………ぐぅ」
安芸くんは、眠った。メガネをつけたまま。
「安芸くん。そこは〝来てくれてありがとう〟なんじゃないかな」
「ぐぅ、すぅ……」
私は、彼のメガネを外してあげて、風邪をひかないように毛布をかけた。
机の上のケースにメガネをしまってから、予備のノートパソコンを起動させ、ファイルを開いた。
※
「 トゥルーヒロイン 世界でたった一人の、大切な女性(ひと)へ 」
なんだか、とても古臭い。
昭和○○年代のセンスを感じさせる。
まぁ、それはともかく。読み進めていたシナリオにも、私はちょっとした、違和感を感じてた。
「……うーん。これ、ゲームのシナリオなんだよね?」
〝らしくない〟。
〝らしくない〟というのは、ゲームのシナリオという点と。
それから安芸くん――『クリエイター:安芸倫也』が手がけたシナリオらしくない気がした。
「これ、シナリオが一本道なのかな?」
ヒロインらしい女の子は、全部で三人出てくる。
でも、攻略できそうな女の子が、一人しかいない。
――夕暮れに染まった放課後の帰り道。
――俺と加藤は、二人で自転車を押しながら帰っていた。
倫也:
「なぁ、加藤」
恵:
「なに?」
倫也:
「えっとな……その」
――まだ、ハッキリとした言葉で伝えてないけれど……。
――言葉で伝えたところで、なにか、
決定的な変化は、起きないかもしれないけれど。
――言わなきゃいけないんだと、思った。言葉で、直接。
――どれだけ文明が進んでも。どれだけネットの価値観がすすんでも
リアルの必要性が薄れても、記録に残らなくても。
――君と、ずっと一緒にいたい。
それは、言葉で伝えないと〝意味がないものだ〟って、そう思った。
「……これ、共通ルートじゃなくて、もう個別ルート入ってるよね?」
なんか、読んでて恥ずかしくなってきた。
主人公とヒロインの名前が同じ。っていうのもあるけれど。
「でも、いいのかな」
安芸くんは、普段から言っている。
ギャルゲーは、女の子を複数出さないといけないんだって。
もし、ヒロインの子が、ゲームを遊んだユーザーに〝合わなかったら〟
その時点で、そのユーザーを切り捨てることになってしまうから。
『切り捨てられたユーザーにとって、それは、クソゲーなんだ』
『この世界のどこかにいる、たった一人に愛されるよりも』
『よりたくさんの人たちを、満足させる』
みんなが、どこかで集まって、その作品を評価できる。
何年経っても「あそこが良かった。ここが悪かった」と話し合える。
○○は俺の嫁。じゃあxxはもらっていきますね。
「みんなが、同じ物語を話し合える。共有できる」
そんな作品を作る。だから、
誰もが幸せになれるエンディングも用意する。媚びる。
納期までに。
――それが、安芸倫也としての矜持なんだと思ってた。
だけど今回、彼が徹夜で上げてきたシナリオは、とてもそうは見えなかった。率直に言って、
「なんていうか……正直、一人よがり?」
物語の視点がせまい。ユーザーを楽しませたい。ここで引き込みたい。そういった『駆け引き』が足りてない。
物語の起伏が必要以上に薄くって、ただ、ぼんやりとした、もやのかかった展開が続く。サブヒロインになれそうだった女の子は、自然とフェードアウトして、背景のガヤの中に溶け込んでしまう。
一抹の寂しさが、世界を必要以上に支配してる。
遊んでいて、楽しくない。そんな風に思っていたら、主人公の安芸くんが、やっと、加藤恵に告白するシーンがやってきた。
倫也:
「好きだ。俺、お前のことが好きなんだよ。加藤」
「……」
倫也:
「お前のことしか考えられない。目に映らないんだ」
「……」
倫也:
「誰に理解されなくても良い。なんなら、ドン引きされても良い。
意識高い系とか、寒すぎとか、陰で笑われてもだから何って感じで言う」
倫也:
「俺、加藤がいたら、他になにもいらない」
倫也:
「積み上げてきたもの、結んできた繋がりとか、
そういうのが、全部ダメになったとしても。ダメになるって分かってても、
俺はさ、加藤が欲しいんだよ」
「……」
倫也:
「だから、どうか、俺と付き合ってください。
俺のメインヒロイン、もとい、俺の彼女になってください。お願いします」
「……」
あぁ、そうか。そうなんだ。もしかして、これって……。
考えると、胸が高鳴る。頬が熱くなる。考えが他に回らなくなる。
「私の、勘違いなのかなぁ? ねぇ、安芸くん」
これは、ゲームのテキストじゃ、なくって。
どうしようもなく冴えない、オタクの男の子がくれた、
精一杯のラブレターなのかなぁって、思った。
「安芸くん」
「ぐぅ」
私はそっと振り返る。椅子から立ちあがって、
相変わらず、自分のベッドで眠る、彼の顔に近づいた。
「安芸くんは、ズルいよ」
高いところにあったはずの太陽が、もうすっかり沈みかけていた。
部屋もだいぶ暗くなったはずなのに、気づかなかった。
「夢中になっちゃうよ。こんなことされたら」
想いがやってくる。
懐かしいな。
「ねぇ、この前、私の子供の頃の夢を聞いたよね?」
眠り続ける彼に明かす。
『 わたし、およめさん、になりたい 』
子供の時、私はとっさにそう言った。周りにいた大人の人たちを、安心させたくて。普通の女の子なんだって、思って欲しくてそう言った。
「安芸くん」
私は『特別な人間』じゃない。昔からぼんやりと思っていた事は、この学園に通うようになって、確信した。
――安芸くん、英梨々、霞ヶ丘先輩、美智留ちゃん、出海ちゃん。
みんな『普通じゃない』。
『普通じゃない』から、誰かの魂を震えさせることができる。
自分を削って、殴って、壊して、作り出す。
私には無理だ。私には、その苦痛が『理解できない』。
『空白』が『理解する必要なんて無い』と告げてくる。
ただ、出来上がったものを食べるだけ。
最初からレシピにのったものを調理するだけだ。でも、
『 俺のメインヒロインになってくれ!! 加藤!! 』
あの日、カチリと音がした。
私みたいな子でも『特別な夢になれる』って、言ってくれた。
「本当は、ね……すごく、嬉しかったんだよ?」
「ぐぅ…………」
長い旅の果て。ひと時の安らぎを得た、彼に近づいた。
指先で頬にふれた。やわらかそうな耳に、そっと、ささやいた。
「――好きだよ、安芸くん。あなたの事が、大好きだよ」
私の気持ちは、今はまだ伝わらない。
だって、彼は私にとって、たった一人の『難聴系主人公』なのだ。
「にぶいよね、本当に」
直接「好きだ」って言ってもらえるまでは。
私だって、なんにも言わないよ。
ねぇ、そうでしょう?
ちゃんとした言葉にして伝えてもらえるのが、
『メインヒロイン』の特権だよね?
安芸くん。
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