第二章
2-1 キミの名は……
翌朝、サンディは白のシャツの袖をまくり、サムの家の二階のテラスからにわかに慌ただしい町の様子を伺っていた。
保安官補佐が殺されたのだ。それも、昨日来た謎の女を泊めた家の裏口で殺されたのである。騒がれて当然、疑われて当然、襲われて当然と言えた。
「てめぇ、このクソ
眼下で髭面の男がのたまう。胸に煌めく銀色の星からして保安官助手の一人であろう。
「お断りしますわー。それに、私アントニーなんて殺してませんよ」
「アンドレだ!」
「どちらでも良いでしょう? 私、関係ないですので~」
にこやかにそう言い、サンディは「ふむ」と頬に手を当て考える。
こうやって人が集まってくれるならば、昨日あのようなタイミングで登場する必要はなかったか……。
そう思う彼女の真意としては、昨日、彼女があのようなタイミングで仰々しく登場したのは、ひとえに注目を集め、町民に存在を知らしめると言う理由だけではない。
まず第一に、自分がこの町──つまり、ドワインに敵対するとした場合、敵となるであろう人間の数、利用できそうな人間の数、現状敵ではあるが寝返らせることのできそうな人間の数を把握したかったためだ。
騒ぎ立てる眼下を他所に、サンディは突然ホルスターから素早く銃を抜き出すと、空に向けて発砲してみせた。
銃声、喧噪、これらをサンディは自由にコントロールする。そのコントロール下にあるとも知れず人々は騒ぎ、恐れ、怒り、混沌の状態に進み行く。
黒色火薬の煙が完全に消える頃、彼方から銃声が上がる。チャコの銃だ。
これこそ彼女の策略の一つであった。手足をもいでいくとはすなわち痛みを与えるという訳ではないのだ。
ドワインの築いて来たもの、彼を構成しているもの、この町の腐りきった秩序を崩さなければならない。
その為にはこうして市民を痛めつけていくしかないわけだが……もっとも、既に痛めつけられている手前、この程度の痛みは大したことないのだろう。
第二に、敵の実力であったが、これは現状どうとでもなる。正直、ドワインを含め、雑魚しかいない。
彼らを滅ぼすのは楽な仕事ではあるが、彼らを滅ぼすだけでは飽き足らないのがエンジェル・アイとも呼ばれるサンディ・ルーヴァン・ターナーという女であった。
「あれこれ言う前に、ドワインさんを呼んでくるべきなのではなくって?」
「うるせえ! お前が殺したんだ」
と、言うのはまた先ほどとは違う保安官助手。
「ならば私を殺せばいい。アナタ方が思う正義の鉄槌を下すとよろしいのではなくて?」
「ぶっ殺してやる!」
保安官助手の一人がそう喚いてホルスターからリボルバーを抜き放ったのだ。
サンディの頬を嫌な汗が伝った。
ああ言えばしり込みするとふんでいたサンディであったが、彼女の想定していたよりもこの保安官助手たちの知能指数は低いらしい。
これだから何をしでかすか分からない馬鹿は嫌いなのだ。
脳裏をかすめるのは忌まわしき盗賊マルゲリタであった。
仕方がない。計画が少し狂うが、修正はできるだろう。そう思い、彼女がホルスターに手を伸ばそうとした時である。
「よせよ、モールズ」
銃を構える髭面の男を止めたのは、同じく髭面ではあるが比較的小奇麗でスーツを着た文明人らしい保安官助手の男であった。
「止めるなニコライ!」
「聞いていなかったのか! あの女を殺せばこの町が無くなるかもしれないんだぞ」
「それがどうした! コイツを殺して朝と晩に一発ずつ銃を撃てばいいだけじゃねえか!」
「それは……」
ニコライはそう言われしりごむ。
「ちなみによろしいですか?」
その二人の会話にサンディはぬるっと入り込んだ。
「なんだ!」
モールズが怒鳴った。
「そう怒鳴らなくても……ちなみに、私の銃声を私の部下は聞き分けることができるので、そのあたり考えておいてくださいね」
「ならお前を殺して奪えばいいじゃねえか」
「思っていたほど馬鹿じゃありませんのね……」
「何だと?」
「いえ、いい天気だなーって」
「モールズ。後生だから早まるな」
ニコライはモールズをなだめる。どうにも、あのニコライという男はこのどうしようもない町においてそれなりの観察眼を持っているらしい。
保安官補佐の間のまとめ役と言ったところか。
サンディはにこりと微笑み、人差し指をピンと立てた。
「一つよろしいかしら、モーゼルさん」
「モールズだ! お前名前覚えられないのか!」
「どうでも良い人の事は忘れるようにしているんですの……で、一つよろしいでしょうか」
「なんだ!」
「先ほど、銃声さえ響かせればいいとおっしゃっていましたけど、一つだけ誤解があります」
「なに?」
「つまり、朝と晩に銃声をあげればいいと思っているようですけれども、その実銃を撃つ時間は決まっていましてよ。ですから、私を殺して銃を奪い、それから朝と晩に鶏よろしく私から奪った銃を空に向けて撃ったところでその次の日にはアナタ方はこの町の門に吊るされるか、私の部下に引きずられて荒野をぼろ雑巾みたいに走るしかないでしょうね。そして、その撃つべき時間を知っているのはこの私だけ。誰にも教えていませんの……これがどういう意味かおわかり? つまり、アナタは私に銃を向けて粋がっているつもりなのでしょうが、実際のところ、アナタが銃口を向けているのはアナタの汚いケツの穴って訳ですわ。この意味がお分かりならば早いとこ銃を降ろした方がこれ以上馬鹿を晒さなくて済むのではなくて? それとも、アナタがピエロならばまだこの茶番を続けても構いませんけど」
「うぅ……ええい! 覚えてろ!」
モールズはそう吐き捨てかけてドワイン邸に向かった。
「わお。三文小説でしか見たことの無い捨て台詞。言う人いるんですのね」
「なぁアンタ」
騒ぎも収まり、人だかりも散り始めたところでニコライがサンディに声を投げた。
「何かしら、ニコライさん」
「……アンタ、アンドレを殺したのか?」
「仮に殺したとして、今この場で言うとお思いで?」
「だよな」
「けれども、信じてもらえないとは思いますが、言わせてもらえば答えはノーですわ。私、散々私が死ねば部下がこの町を襲うとかなんと言いましたけれども、死ぬ気はありませんの。なにせ、自分の命が大事ですから」
「……証拠はそれだけ?」
「証拠と言いますか、まあ、動機は無いという事ですわ」
「なるほどね……じゃあ、誰が殺したんだ? もしかして、アンタの部下とか? あり得るよな。そうすれば、アンタは殺してないって言えるもんな」
「……盗賊じゃないんですの? ここら辺は物騒なんでしょう? 昨日、それこそドワインさんからそう聞いたのですけれども」
「盗賊……ね。だとすれば、夜中の警備をもっと増やさないとな。だろ?」
「ええ。それが良いと思いますわ……アナタ、頭が切れるんですのね、ニコライさん」
「褒めるなよ」
「褒めてはいませんよ……ええ」
サンディはにこりと微笑み、踵を返して町の人混みに消えゆくニコライの後姿を睨むのであった。
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