第一章
1-1 天への祈り
アメリカ南部、ランドウェイ荒野の只中に、その町はあった。
町の中央の教会の塔が見事な、メキシコ国境付近の小さな町、ソンデラオだ。
その日の埃っぽい午後。町の中央広場に、多くの人間が集められていた。
中央には木製の首吊り台。上に立つのは二人の男と、一人の女だ。
「よーしみんな集まったな!」
男の一人が言った。
男は黒のスーツに、黒のビーバーの川で造られたハットを被っている。そして何より目を引くのが胸に光銀色の保安官バッヂ。
彼の名はドワイン。ドワイン・カーラソン保安官である。
北部の鉄道会社社長の息子であり、金でこの町の保安官となって好き放題やらかしていた。
親が甘やかしているかと言えばそうではなく、この男、性格に難があり、北部では何かとことを起こすもので、町一つを与えて好き放題やっていいことを条件に北部の都市から移住させられたのである。いわば体の良い追放だ。
けれども、それは元よりこの町に居た住人たちにとっては悪夢以外の何物でもなかった。
「今日は、この女だ!」
ドワインはそう言うと、怯えるドレス姿の女の首根っこを後ろからその大きな手で掴んだ。
「お前は……俺から逃げようとしたな、サラ?」
サラと呼ばれた女は首を横に振るう。
「したとも……なあ、サムそうだろう?」
ドワインは群衆に向かって叫んだ。
サムは下を見つめていた。隣には幼い娘のティナがいる。
サムとサラは夫婦であったが、このドワインが来てからはこの町の美女は全て彼の愛人……いや、奴隷となっていた。
サラもまた例外ではない。
「お前が、サラと会っていたのを見たってやつが居る」
サムは首を横に振るう。
「お前もそう言うか。ならば、それを見た奴ってのが嘘つきだって言いたいのか?」
ドワインはにこりと微笑み、サラの顔を覗き込んだ。
「どうなんだ?」
「だ……誰が見たって言ったのよ」
「それは、なあ、ティナ、お前が教えてくれたんだよなぁ?」
ドワインはサムの隣にいたティナを指差した。ティナは激しく震え、目の焦点があっていない。
「ちょーっと痛い目を見てもらったわけだが、いやなに、そうした方が信憑性があるだろう?」
「ティナに何をしたの!」
サラは涙を流しながら暴れ、ドワインに叫び散らす。
「知らない方が良いともうぜ?」
サラは泣き叫び、サムは下唇をこれでもかと噛みしめていた。
「──で、だ。泣いて喚いて叫び散らすのは構わねえが、お前ら二人が言うには、ティナが嘘をついてるって事だよな?」
サラは首を振る。この後にドワインが何を続けるか既に分かっていたからだ。
「お前らがそう言うなら仕方ない。ティナを死刑にするしかないな。保安官を騙しやがったんだからなぁ?」
「違う! 違うの、ティナは本当のことを言ってるの! 私が会いに行った。サムと、ティナに会いたかったの!」
悲痛な叫びを聞くや、ドワインはにんまりと愉快そうに笑い、口笛を吹きながらサラの訴えに耳を貸した。
「じゃあ、お前が死刑になる。それでいいな?」
サラはこくりと頷く。
「そんな! よせ!」
サムが叫びながら群衆を押して前に行こうとするが、それを周りの住人達が必死にとめる。
「縄を、かけろ!」
ドワインが大げさにそう指示をすると、ドワインの隣にいた男が縄をサラの首に引っ掛けた。
「最期に何か言う事があれば言っていいぜ?」
ドワインがサラの綺麗なブロンドの髪をやさしく、それでいて舐めるように撫でながら耳元でそう囁いた。
「サム……あなた、娘の事お願いね。愛し────」
そこで突然ドワインは絞首刑台のレバーを引き、サラを突き落したのだ。
喋りかけていた状態で急に首を絞められた彼女は、舌を噛み切ってしまい、その舌が絞首刑台の下に跳ねて落ちた。
足をバタつかせる彼女は、血による窒息と、縄が食い込む痛みでもだえ苦しんだ末、死んだ。
その様を見て泣き崩れるサム、そして眼の光を失い、ただ一人明後日の方向を見つめるティナ。
ドワインはげらげらと笑いながら、絞首刑台から軽やかに飛び降りる。二メートル五十程は有りそうな巨体でありながら、何とも軽やかに動く物であった。
ドワインは死んだサラの足元に落ちている千切れた彼女の舌を摘まんで持ち上げた。
「ほら見ろよ」
ドワインは崩れ落ちているサムの眼前でそのまだ赤い舌を指先で摘まんでぷるぷると震わせてみせた。
「お前も、随分世話になった舌だろうが。サムは舐めるのだけは上手かった……アソコのしまりは少しきつ過ぎてな、小さいのしか挿れたことが無かったんだろうよ!」
サムは怒りで震えるが攻撃はしない。それは、自分が死ねばティナが一人になってしまうと分かっていたからだ。
その場の誰もが、この男をどうにかしてほしい。
殺したい。
そう思っただろう。
けれども、彼らに彼を殺す勇気はない。
この町で銃の携帯を許されているのはこのドワインだけだ。
数では勝るので、攻撃すれば殺せないことはないかもしれないが、誰もが皆恐ろしかった。
サムとて、震えているのはなにも怒りだけではない。その半分の感情は認めたくないだろうが、恐怖によるものだ。
だからきっと、彼らは何もできない。
祈るしかないのだ。
天がこの悪鬼に裁きを下してくれるのを……。
「鳴らせ」
ドワインがそう言って手を掲げると、教会の鐘がゴーンと鳴り響いた。
この町で鐘が鳴る時、それは人が死んだ時だけだ。
鐘の音の残響の中、ティナが「あ」と声を上げた。
放心気味に明後日の方向を見ていた彼女がぼそりと呟いた言葉であったが、しかし、恐怖の静けさに黙りこくっていた住民たちを促すには十分すぎる声であった。
彼女が見つめる先。
太陽が夕陽に変わるというオレンジと黄色の間の色の中に、その影はあった。
黒の馬に跨る黒衣の女が一人。
彼女は帽子を取り、頭上に掲げ、こう言った。
「やあ、皆さん! ご機嫌いかがかしら?」
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