1-2 タイミングが大事
……四日前。雨夜の酒場。
雨は好きだ。
陽射しを気にしなくていい。
けれども、雷は嫌いだ……いや、嫌いになったというべきか。
雷と聞くと、否応なしに思い出されるのはにたりとにやつく半獣半人の忌々しい女盗賊の顔だ。
サンディ・ルーヴァンターナーは、懐から取り出したウイスキー入りの水筒を、バーテンの前で堂々と一口飲む。
「実を言いますと……」
サンディはにこりと微笑み、怯える中年のバーテンに話しかける。
そばかすに肥えた体。赤みを帯びた癖っ毛はかつてはさぞ男を惑わしたであろうと推測に容易い。
けれども、今じゃあ、形容するならただの豚。赤毛の豚だ……そこまで考えを巡らせて、サンディは自分が酷い事を思っていると少し反省する。
「別にあの男を殺しに来たわけじゃあありませんの」
バーテンは答えない。けれども別に良かった。話せれば誰だって良い。言葉というものは口に出して初めて実体が伴う……あいや、言葉なのだから実体というのは不適切だ。言うなれば、意味が生まれる、というべきだ。
ともかく、サンディとしては何か考え事があると、こうして言葉を出す。頭の中をすっきりさせるという働きも少なからずあるだろう。
踊り場で再びの休憩についたメキシコのマリアッチに話をしてもよかったが、如何せん聞いてくれるならば少なからず反応を返してくれるであろう人間に聞いてほしかったのだ。
もっとも、今となってはきっと床で死んでいる男の方がまだ反応してくれたんじゃあないかと思うほどには後悔しているのだが……。
サンディはその開いているのか閉じているのか、非常に曖昧な瞳──開いてはいるのだが客観的に見て軽く薄目をしているようにしか見えない──で、死んだ男を見やった。
「アレはたまたま。運が良かったというべきものでして……」
サンディはそこまで言って赤毛のバーテンを指差す。
「いつまでショットガンを持っているつもり? どうせ撃てないのだから、元の場所にしまっておきなさいな」
そう言うと、怪訝な顔で、女はショットガンをカウンターの下に戻した。
「けっこう」
サンディは頷き、もう一口ウイスキーをあおる。
じかじかとした熱さが喉を通って胸を押し上げる。その熱が込み上げ、喉の奥からじんわりとした刺激が広がり、舌を敏感に尖らせた。
「で、お話を戻すと、要するにここに来たのは別の用事があるからでしてね」
「またドンパチやるんじゃないだろうね」
バーテンがそう言った。
初めての回答に、にんまりと笑みを返すサンディ。
その笑みには、このバーテンの強気の口調と、言葉に混じった苛立ちがある友人に似ていたというのもある。
名もなき銀色の彼女は、今もどこかで賞金首を殺している事だろう。
「いいえ。もう撃ちませんわ」
「じゃあなんだってんだい」
「待ち合わせをしていまして」
「誰を?」
バーテンがそう言った時、酒場の外、つまりテラスの所をどたどたと駆ける音が酒場の中に響いた。
「まるで狙ったように来てくれましたわね」
サンディがそう言うと、再び蝙蝠のスイングドアが軋みをあげて両開く。
「この仕事は高くつくぜ、姐さん!」
そう言って現れたのは、ずぶ濡れで、黒のポンチョをだぼっと着こなした髭面の──だがしかし、大きな瞳に整った鼻、薄い唇と意志の強そうな黒々とした眉に、癖のある髪、とかなりの好青年であった。
下方向に尖った耳と浅黒い肌からしてメキシコ人であることは間違い。
「遅いわよ、チャコ」
サンディは男の方は見ず、カウンターに懐から取り出したシガレットを並べていた。
男の名はチャコ。チャラバ・スコモッド・ニエ・フェルナンデスというのが本名らしいが、時より順序が変わるし、まず何より本人がしっかり覚えていないので、大概の場合はチャコと呼ばれている。
本人曰く、あの──クソ忌々しい──マルゲリタ・サンチェス、通称リタと親戚らしいが、定かではない。腹違い種違いの兄弟が多すぎて自分の父親はおろか、母親すらあいまいな男なので、何処かを辿ればそうなのかもしれないが、分かった物ではないというのが現状だ。
「今度の仕事の報告だぜ……っておい、なんだこれ!」
と、床に転がる男を見て、驚くチャコ。
「アナタを待ってたらやってきた賞金首。運が良かったわ」
「おいおい。姐さんそりゃないですぜ。仕事は俺を通してやる約束だろ?」
チャコはサンディが雇っている男だ。この無法の地で金を稼ぐには何より情報が必要だ。そのため、彼女は彼を雇い、仕事や敵、同業者の情報を探らせている次第であった。
彼が仕事を見つけ、彼女が仕事をこなし、報酬の一部を彼への報酬として渡す。そういう関係である。
「これはほら、なんて言うか、そう、致し方なくよ。なにより、アナタが遅刻したのが悪くてよ」
「まあ、それもそうだな」
チャコは「ふむ」と濡れた顎鬚を擦る。
「で、見つけた仕事が二つ。楽な方と、難しいけどやりがいのある仕事、どっちが良い?」
「楽な方で」
チャコが「んなッ」と大げさにその場で転んでみせる。サンディは知っていた。これがズッコケるという奴だと!
「あ、それがズッコケるってやつね!」
「あいや、これを真面目に分析されても困るんですけど……姐さんホント、変わってますよね」
「ねえ、聞きたいんですけど、これで笑いが狙えるんですよね?」
チャコは「はあ」と溜息をつき、立ち上がると、埃を払う。
「いいや、姐さん。笑いに重要なのはタイミングだっていつも言ってるでしょ? 個々の技じゃねえんですよ。技は覚えてて当たり前。重要なのは、それらを最適なタイミングで繰り出せるかどうかという事で……っておい、これ何の話だ! 姐さん何メモ取ってんですか……」
サンディは即座に取り出したメモ帳を持ち、首を傾げる。
「いえね、わたくし、笑いのセンスがあまりないでしょう? だからこうして学ばないとと思って……」
「じゃねえですよ。問題はもうそんなとこじゃない。何だって楽な仕事選んだんで?」
「だって楽に稼ぎたいでしょう?」
「ですよねー」
「ですよ」
真面目に返すサンディ。
「じゃない!」
「あ、これがノリ突っ込みね!」
「もういいですって姐さん。聞いてくださいよ」
「はい聞いてますよ」
「楽な仕事は有りますけど、賞金はあんまりよろしくねえです」
「そのやりがいのある仕事というのは?」
「依頼人が会社の社長です」
「それを早く言いなさい」
サンディはにこりと微笑み、すくりと立ち上がると、三枚の紙幣をカウンターに置いた。
「迷惑料と、それから演奏料よ。いい歌だったわ」
二人は何も言わず、すたすたと雨の夜に消えていく。
酒場に残ったのは男の死体と、二人が通ったスイングドアの軋む音だけ……。
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