西部悪人無頼伝 ──天使の為に鐘は鳴る──
プロローグ
P スリー・オブ・ア・カインド
降りしきる雨の中を泳ぐようにして一台の幌馬車が酒場の前にとまった。
灰色の喧騒の間隙に轟きを上げる雷鳴はいやに眩しく、仄暗い店の奥にまでその青光りを貫いて見せる。
その雷光に照らし出された女が一人いた。
赤いネクタイにスーツを着込んだ黒髪の女だ。大きく足を組み、店の奥の壁に寄りかかって手持無沙汰と言った具合にテーブルに積んだトランプを片手で器用にシャッフルしては二つに分け、更にシャッフルするという意味の無い行為を繰り返している。
店の中は夕暮れ時──時計を見ればわかる──だというのに、バカに静かで、少し物足りない……というよりは正直、困っているところだ。
木の葉を隠すなら森の中、騒ぎを起こそうとしている手前、既に騒ぎが起こっている方が彼女としても動きやすいという事である。
せめて、二階につながる階段の踊り場で眠りこけている
彼女がそう思い、困り気味に眉を八の字に曲げたその時、ぎいと油不足の蝙蝠の形の洒落たスイングドアが軋みをあげて両に開いた。
雷鳴を背に、ぼたぼたと水を滴らせる濡れた黒衣の男。
手入れされていない黒々とした髭は、四方にとっ散らかって尖り、色あせた帽子はツバにいくつもの傷を刻んでまるで馬に踏みつけられた仔犬を頭に乗せているような有様だ。
無様と言えばそうだが、しかし、侮れないのが男の黒いダスターコートの下に煌めく蒼黒のリボルバーである。
いろつやからしておそらくは
かなり金を持っている様だが、そのような品位は感じられない。とすれば、と彼女はそこまで推理してにこりとする。
これはフェアな推理ではない。
何せ、答えはすでにこちらの手の内にあるのだ。それを今さらそう見えるからと挙げ連ねても、その答えを自分は一度見てしまっている。いかにその答えを忘れていたとはいえ、自分の視野の端に物が映っているのを感じられるように、この答えもまた自分の心の片隅に残っていて、自分が推理するおりにチラついていたのではという疑惑があり、とてもじゃないが楽しい気分で推理する気になれなくなった次第なのであった。
という訳で、彼女は黒衣のスーツの内ポケットから一枚の羊皮紙を取り出す。
四つに折られた紙の淵を一撫で、ざらりとさらりの中間と言った肌触りを人差し指の腹で味わいながら、丁寧に四つ折りを開いて覗いた。
その間に、男は帽子を脱ぎ、カウンターの手すりに腰を置く。
「酒を」
低くそう言うと、中年の女店主が曇ったグラスに自家製の蒸留酒を注ぎ込む。
安物の酒を更に水で薄め、そこに鼠の糞と小便の隠し味。とてもではないが飲めた代物ではない。
彼女は自分が眼前で広げた羊皮紙を見つめながらにこりと赤い唇を緩めた。
紙にかいてあることはこうだ。
『お尋ね者 アービス・タナボス 生死を問わず 500ガル』
彼女は、紙を再び四つに折りたたみ、ポケットにしまうとすくりと立ち上がる。するとどうだろう、いつ起きたのか、階段の踊り場で眠りこけていたマリアッチが歌い奏で始めたではないか。
リズムは少し悲しく、メキシコ人らしくないが、いいや、この雨、この状況、そして静にのれるメロディは、実にぴったりともいえる。
悪くない。
彼女は天使のような瞳で黒衣の男を捕えると、ゆっくりとした足取りで男の隣に佇み、カウンターにすらりとした臀部を乗せた。
「お隣良いかしら?」
「もう座ってる」
「断らないという事は、問題ないと捉えて問題ないでしょうか?」
「何の用だ」
男はなんのけない風を装ってそう言うが、ちゃっかりと右手をコートの下に潜り込ませている。
彼女の脳裏に用意された調査項目にチェックが入る。
『〇:異常なまでの警戒心』
彼女は「うふ」と男の顔を覗き込むようにして見つめた。
「何の用だ」
「いえね、アナタがどこの出身か当てようと思いまして」
「なんで」
「わたくし、旅人でして……あ、商人をしてるんですの。武器商人ですわ。まあ、今はどうでも良いですわね。で、何が言いたいかと言いますと、この町の人々には大変心苦しいことなのですが、田舎の人間との会話はつまらない物でして……ですので、こうして旅人が来たら話しかけているんですの。アナタはこの雨になれていないようだから、きっとこの街の出身じゃあないのでしょう?」
「どうしてそう思う?」
「ご存知ないのかしら? ここいらは日照も強いですけれども、雨に風に、雷も、有名でしてよ?」
「知らなかった」
「だから、この町の出身じゃない……で、その限りなく標準語に近い感じからして、北部出身ではなくて?」
「そうだ」
男は少し機嫌よく頷いた。
「けれども、少し語尾に訛りがある。その訛りは語尾が強くなること。そんな風に喋るのは水に近い町……でも、海じゃない。海にいれば必然的に多言語との交流があって面白みのない言葉になりますもの……では、考えられるのは川か湖。けれども、川も海と同じく、多言語ではないにせよいろいろな町の人々と交流があり、どこか不恰好な言葉になりますから、そう! アナタは湖の街出身ですわね」
彼女はにこりと男を指差して言った。
「ああ、そうだ。俺はエドロウィド出身だ……すごいな、アンタ」
「それ程でもありませんわ」
調査項目に加えて丸が付けられる。
『〇:出身地』
あとは名前が一致すればビンゴだ。
ここまでくれば名前を聞いても良いだろう。
そう判断した彼女は、男のほうに向きなおり、小首を傾げながら尋ねる。
「アナタ、お名前は?」
男は既に銃握からは手を離している。既に、警戒はしていないようだ。意外に、不用心な男である。
「アービスだ」
最期の項目にチェックが入った。
『〇:名前』
「ビンゴ!」
彼女は嬉しそうにその言葉を口に出して言った。
「なんだ、急に?」
アービスが少し笑いながら尋ねた。
「いえね。実はアナタの事をどれだけ当てられるかってゲームを勝手にやっていたんです」
心底嬉しそうに彼女がそういうもので、アービスもつられてにこやかな表情を取る。
「俺の事を当てられる?」
「そう。この店に入ってきたアナタを見て、どれだけ私がアナタに何も聞かずにアナタを当てられるかって言うゲームをやっていたんです」
「つまらなさそうなゲームだな」
「ええ。つまらないですわよ。でも、他にやることもありませんしねぇ?」
「違いない」
二人して、笑いあう…………が、男の表情が一瞬険しくなった。
「待て。なんで俺の名前を知ってる?」
そう言った時には遅かった。彼女は既に内ポケットからレミントンのデリンジャーを取り出し、アービスの眼前に突き付けていたのだから。
彼女は静かにため息を落とす。
「やっぱり、視野に入っちゃうものね」
短い銃声とともに、マリアッチの静かな、それでいて不意に激しくなる曲は終わりを告げるのであった。
静まり返る店内。
店主がカウンターの下から散弾銃を取り出そうと構えているが、あまりにも距離が近すぎて、取り出そうと思えば撃たれると判断して動けないのだろう。
彼女──サンディ・ルーヴァン・ターナーは店主の方を天使の如く青く透き通った瞳で見つめた。
「良い判断ですわ」
そう言う彼女はデリンジャーをスーツのポケットにしまいつつ、反対の手で抜出し、スーツの裾の部分から店主に狙いをつけていたであろう漆黒の銃身に、金色の羽の模様が銃握に刻まれたS&Wモデル3をくるりと一回転。ホルスターに滑り込ませるように戻すのであった。
「それにしても……」
愁い気に瞳を外の雷雨に向けながら彼女は上体をカウンターに下ろす。
「雷ってのは、どうしてこうも苛立つのかしらねぇ……」
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