3-3 風と共に去りぬ

 マリアは目の前の整いすぎた男に、不思議と怒りは覚えなかった。

 彼女を連れてきた連中と言えば、三ヶ月は体を洗っていないのではないかと言うほど、垢まみれで臭うし、何よりも粗暴で扱いが雑だったのだ。

 そのため、目の前の彼──ジェームズ・ハーグッドの清潔感溢れる服装に、ほのかに香る香水の匂いは、マリアにとって、好印象と言ったところであった。

 無論、それは口を開かなければという事でだ。彼の主義趣向はマリアのそれとは正反対の位置取りをしており、到底分かり合えるものではない。それでも、暴力ではなく、言葉で説得をしようと言う彼の文明人らしい行動と言うのは、評価に値する。

 マリアは、彼の礼節に敬意を表し、彼から提供された婦人用のドレスを着用したうえで、──おかしな話ではあるが──自らの身代金の値段を交渉していた。

 髪をおろし、翡翠色のドレスに身を包んだ彼女は、戦乙女と言うよりは、女神と形容すべき姿だ。ほっそりとした体に水を纏うようにして流れる緑色の曲線が、人間離れした美しさを醸し出しているのだろう。

 とはいえ、幾ら着飾ろうとも、彼女の凛とした表情は、揺るぎ無い力強さを発し、これに関して言えば女神ではなく、やはり戦乙女と呼ぶべきそれであった。


「失礼なのは重々承知だ。キミを荒っぽいことに巻き込んだのは認める。けれどもだ。我々には大義がある。我々が動かねば南部は北部の奴隷になり下がるしかないのだ。ああ、話の途中だが、ケーキはいらないかな? 昨夜の残りがあってね」

「けっこう」

「ふむ。では、私は頂こう。アレクセイ」


 ハーグッドがそう言うと、畏まった装いの老獣人が現れた。


「ケーキと……ああ、そうだ、紅茶はお飲みに?」


 マリアは首を横に振る。


「ふむ。まあ、一応は持ってこさせよう。無理にでも飲んで欲しい所なのですよ。南部で造られた紅茶は美味であると、是非とも知って欲しくてね」


 彼は得意げに、それでいてどこか子供っぽく微笑むと、弾むように指を鳴らした。


「ケーキと紅茶をそれぞれ頼む」

「かしこまりました」


 アレクセイと呼ばれた使用人は一礼の後に部屋を後にした。


「話を戻しましょうMr.ハーグッド」

「ええ、そうでしたね。アナタの身代金の話だ。いや、その言い方は少しばかり……良いものではありませんな。そう、言うなれば、投資金だ」

「南部独立のために、私の父が金を払うと? 戦争ともなれば、鉄道は双方にとって命綱。互いに奪い奪われで会社としては成り立たない」

「そうでもないでしょう。お互いが壊しては造らせ、壊しては造らせを繰り返すのですよ? 貧乏人……ああ、いや、失礼、普通の乗客が乗るよりははるかに莫大な金が動く」

「けれども、それは本来の鉄道では──」


 そこまで言いかけたところで、先ほどの使用人がケーキを片手に、やってきた。


「少し待ってくれたまえ」


 ハーグッドがそう言ってマリアの話を遮った。白色のクリームに彩られた純白のケーキだ。それは既に切られており、アレクセイがその一部を銀色の食器に移してハーグッドに差し出した。


「やはり君はいらないかね?」

「ああ」

「美味しいのに……なあ、アレクセイ?」

「ええ。ご主人様」


 続けて、アレクセイの背後から女性の使用人が紅茶を持って現れた。彼女は、ハーグッドの前に食器を持って運び、そこに赤い紅茶を注ぎ込む。


「この紅茶が実に《《イケ》》てるのだが……飲まないのだろう?」


 マリアはこくりと頷く。


「残念だ」


 そうとだけ言うと、深くソファに腰をおろし、脚を組み、皿を抱えてフォークで一口大に切り取ったケーキを食した。


「ふーふん」


 ハーグッドは鼻で唸り、「実に美味い!」と笑うと、テーブルの上に皿を投げ捨てた。

 ガシャンと皿が激しい音を立て、テーブルの上で回転し、ケーキをぶちまける。すぐさま、アレクセイともう一人の使用人がそれを片付け、その場を後にした。

 その表情は、全く笑っていなかったが、瞬く間ににこりとした表情に戻す。


「鉄道! 鉄道でしたかな? 鉄道とは何ぞやと、アナタはおっしゃっておりましたねぇ。では、わたくしの持論を、申しあげましょう! 鉄道とはすなわち物資の移動手段に他なりません。アナタは情を挟みすぎる。感情的になっては駄目だ。広い視野で物事を見て欲しい。大陸の向こうでは、既に英国が堕ち始めている。産業革命などと調子に乗り過ぎたがためだ。人間鉄の上では暮らせないものですよ。地に足を付いた生活こそ、人のあるべき姿。英国の猿真似をする北部など、いずれ廃れるに決まっている。それよりも、我々南部のしめす道にこそ未来がある」


 どの口が感情的だというかと、マリアはぼんやり思ったが、言えばこの男はさらに喚くだろうと、冷静に言葉を返すこととした。


「いったいどのような道を示すおつもりで?」

「選ばれた人間による、選ばれた人間のための道ですよ」

「それこそ、遥か昔に廃れていますよ。フランスをご存知ないと?」

「アレは違う。私の言う民とは人間の事ですよ。どんな人間であれ、人として生まれたからには人として生きねばならない。けれども、獣として生まれた者に、人として生きる資格があるか? いいえ、無いですとも。彼らは、鎖に繋がれてこそその真価を発揮できる。我々が導いてやらねば。畜生どもに、人の生きる道など分かりはしないのですから」


 ハーグッドはそう言ってから足を組みなおした。これで三度目、彼は進まぬ交渉に少し苛立っている様だ。マリアはそう感じる。


「だから、再び獣人たちを奴隷に据えると? それは立派な憲法違反だ。そんな事をすれば、確実に戦争になる」

「先ほどから言っておりますように、何も戦争がしたいわけではない。それはおそらく、北部の賢人方もそうお考えでしょう」

「貴公の考えはそうなのかもしれない。だが、私の見たところ、この町の人々は再び戦うつもりでいるようだが?」

「我々は耐えてきたのだよ。言論を振りかざし、抗議も唱えてきた。だが、奴らは我らの声に見向きもしないではないか。ならば、いずれ武力を用いることもあり得る。その為の準備だよ」


 この男は戦争をする気は無い。先ほどは戦争をする気があるなどとは言ったが、兵の士気も武器の種類──驚くべきことに町の兵士がもっていたライフルは南北戦争以前の単発銃エンフィールドライフルだ──も現在の陸軍には到底劣る。

 勝てる見込みは万が一にもあり得ないが、仮に彼らを排除するとなると、メキシコへの影響を気にしなければならない。

 ハーグッドがメキシコ国境付近で軍備を整えている間は、メキシコも被害を恐れて何もしかけないだろうが、彼らがいなくなればどうだ。南側の広大な土地は誰が見張る?

 軍が手を出せないのはそう言う訳なのだろう。

 マリアはそう思った。

 彼が本当に望むのはおそらく、奴隷制度の再開。大規模なプランテーションを一部だけでも再開させてしまえば、南部は再び活気づく。

 哀れな一部の獣人──社会的に貧しい連中──に再び奴隷に戻ってもらえれば、厄介事とはおさらばできるのだ。口うるさかった大統領も暗殺されてこの世にはいない。

 とすれば、今の議員たちがどういう行動に出るのか。おまけに北部の有力な有権者──この場合、鉄道会社の社長などだが──がハーグッドの弁を後押しすれば……答えはきっと目に見えてる。

 私は彼のエースカードというわけか。

 マリアは自分のしでかしたことの大きさに頭を抱えた。

 もはや、それは避けられないのであれば、せめてローエンとあの……青年だけでも助けたい。

 マリアは視線を上げ、ハーグッドの黒い瞳を見据えた。


「父は私が説得しよう」

「そうか。よかった」


 ハーグッドはにこりと微笑み、組んでいた足を解いて頷いた。


「ただし、条件がある」

「なにかね」

「私の従者ローエンと、あの青年を解放してほしい」


 その言葉に、ハーグッドは「ふむ」と唸り、鼻の下に整った口ひげを擦った。

 難しいといった表情なのは、眉間の険しい谷を見れば良く分かる。


「あの二人を解放しろ、さもなければこの交渉は無かったことに、つまりはそう言う事かね?」

「ああ。ご理解感謝」

「どうやら、キミは勘違いをしているようだね」


 ハーグッドは言った。

 不思議な事に、その声にはまるで凹凸が無く、のっぺりとした印象であり、彼女の白い肌をぞわりと粟立たせる。


「私はキミと対等な立場で交渉を行ってきたつもりだ、違うかな?」

「対等だと? 人質を取っておきながら?」

 ハーグッドは「そこだよ」とやさしく──いや、おもしろがった風に彼女を指差してにたりとした笑みを浮かべた。


「人質など最初からいないのだよ。故に、キミと私の対等な交渉が成り立っていたわけだ」

「どういうことだ」


 彼女の語気が強まり、ひざ頭の辺りに置いていた拳は翡翠の湖面に流砂でも作る様にしてきつく握られている。


「理解できなかったのかな? 私が君と対等に話してやっていたのは、私とキミとの間に貸し借りも何もない平等な状態があったからなのだよ。つまり、私に、キミのお仲間をどうするなどという権利はないのだ理解できたかな?」

「では……」

「彼らは反逆者だ。私に盾ついた。そして、ウルフパック強盗団の敵でもある。では、何をするか。簡単だよ。刃向うものには罰を。そして、刃向った者がどうなるのか、そのみせしめになってもらう。そうだな……」


 ハーグッドはにこりと微笑み、胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を見た。


「正午……彼らの処刑はもう始まるころだ」


 マリアはとっさに上体を前方に押しやり、ハーグッドの胸ぐらを掴み上げた。


「貴様!」


 ハーグッドはへらへらと笑い、指を鳴らした。


「武力行使は最後の手段。言ったはずだがねぇ」


 突然、マリアは羽交い絞めにされてハーグッドから引き剥がされる。

 先ほど彼が指を鳴らしたのは手下を呼びつけるためだったのだろう。


「暴力というものはね……」


 ハーグッドはそう言って羽交い絞めされた状態のマリアを見下しながら、乱れた首元のシャツを整える。


「やられたならば、やり返しても文句は言われないのだよ」


 ハーグッドの武骨な指が彼女の首筋を這うようになぞり、次第に胸元に下りて行く。

 その感触は身の毛がよだつものであり、舌筆に尽くしがたい嫌悪感がマリアの全身を駆け巡る。


「いいかね。人質はキミなのだ。そして、キミの命を握っているのはこの私だ。私の命令一つでキミはこの町中の男に犯され、豚小屋で糞を喉に詰まらせて死ぬという笑い話にもならないような死に方を迎えさせることだってできるのだ────ほぉっ!?」


 そう言ったハーグッドの顔が瞬時に醜く歪んで、勢い良く後方に飛んで行った。

 何事が起きたか理解できず、マリアはぽかんとするが、はたと自分が拘束されていないことに気づく。

 隣を見れば、そこにはマリアの後ろから上腕が伸びているではないか。

 どうにも、先ほどまで自分を拘束していた人物がハーグッドを殴り飛ばした様なのだが……。

 ゆっくりと振り向いた先、マリアは驚愕に言葉を失った。

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