3-2 自己犠牲は好きじゃない
顔中の感覚が無い。
ウィルは仰向けにほの暗い檻の中の天井を眺めていた。
なにも食えてないけど、今何か口に含んだら死ぬほど痛むだろうな。口の中血の味しかしねえし。
口の中にそっと指を突っ込んでグルンと口内をかき回すと、痛む痛む。僅かに身体を動かすことで、痛みを和らがせる。
そんなこんなで気を緩めていたからか、気がつけば隣の檻にクーロンシティで狙撃し損ねた女──ローエンが投げ込まれ、どさりと俯けに倒れて落された。
ほとんど全裸に近い状態で、体中に痣が見受けられる。おまけに全身びしょ濡れであり、どうにも檻に入れられる前に水を浴びせられたらしい。
普段ならば、女性の裸など見ればすくんでしまうウィルであったが、現状はそれどころじゃない。
ローエンを連れてきた連中はあからさまに疲れたといった表情で、部屋を後にするが、そのどの顔も満足げであり、ウィルは内心ではらわたが煮えくり返る音を感じた。
ウィルはその怒りの感情を一時的に心の隅に追いやり、視線をローエンの方に向けた。
「おい、大丈夫か?」
ウィルはそう言ったが、あまりにも声が潰れていて自分で驚いてしまう。
そう言えば、自分も派手に殴る蹴るの暴行を受けていたのであった。もっとも、自分の受けた暴行なんて言うものは、彼女が受けたものの、千分の一にも満たないほどのやさしいものであったろうが……。
「なにか……?」
ローエンはさして苦悶の声を漏らすでもなく、やおら身体の向きを変え、仰向けになると、上体を起こして首を鳴らした。
けれども、その顔は酷く腫れており、さながら祭日ので店に並ぶ林檎の砂糖漬け──この時のウィルに鏡を貸したら全く同じ形容を自分にするだろうが──のようだ。
「この件に関しては、こちらに不手際があったと認めます。申し訳ありません」
ローエンはそう言ってウィルの方に頭を下げてきた。恨み言の一つでも投げかけられるものと思っていたウィルは少し、驚くとともに、逆に彼女に対して申し訳ない気持ちになった。
たとえ敵対していたとはいえ、これは、その、女性が受けていい仕打ちじゃない。
「よしてくれよ。それより、本当に大丈夫なのか? その、えっと、酷い事されたみたいだけど……さ」
ローエンは一瞬、ウィルの方を見据え、僅かに微笑んだ。
ウィルは、何故微笑まれたのか分からず、眉間に深く皺を寄せて彼女の視線に応えるのであった。
「ご心配いただきありがとうございます。けれども、こういうのは、正直、馴れておりますので」
「馴れるって……そういう問題じゃないだろ」
ウィルはたまらず襤褸切れ同然ではあったが、上着を脱いで檻の隙間からローエンの方に滑り込ませた。
「とりあえず、それ着なよ」
ローエンは上着を掴んできょとんとしていたが、短く二度ほど頷いた後、ウィルのジャケットを羽織って裸の上半身を隠した。
「ありがとうございます」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫ではないです。こうしているうちにも、お嬢様の身に危険が……」
「オレが聞いてるのはアンタが大丈夫かって事なんだけど」
「私ですか? 私はどうでもいいのです。それよりも……」
「どうでもいいわけないじゃないか!」
突然ウィルが声を張り上げたもので、ローエンは首を傾げて訝しげな表情を浮かべていた。
「あの……どうしてでしょう? 私は、お嬢様が守れればそれでいいのです」
「アンタにとって、あの娘がどれほど大事かは分かった。だから聞くけど、そのお嬢様とやらにとって、アンタはどういう存在なんだ?」
「分かりません。彼女が、私の事をどう思っているかなんて──」
「きっと、大切に思ってるはずだ。アンタらを狙撃したオレが言うのも変だってのは百も承知だが、あの娘は、アンタを失うと、苦しいはずだ。アンタ、あの娘を失うのを想像してみろよ。できるか?」
「それは……」
彼女は、そこまで言って首を横に振った。
「きっと、生きる価値のない世界」
「覚えとけよ……大切な人に残されるってのは、そういう事なんだ。軽々しく、自分の事をどうでもいいなんて言うのはやめろ。それは、アンタだけじゃなく、あの娘の事も傷つけてると思え!」
「……アナタは、失ったのですね?」
ウィルは答えなかった。いや、正確には、
俯いたまま、檻を掴み、下唇を噛みしめた。
「アナタは、強い人ですね……私なんかよりもずっと」
「弱いさ。強ければ今頃ロナス達を皆殺しにしてる」
「違います」
やさしいその声に、ウィルは顔を上げ、彼女の方を見た。
ローエンはほがらかな表情でウィルを見つめている。薄くはあるが、初めて見る彼女の表情らしい表情であった。
「アナタは、私や、あのロナスという男よりもはるかに強い。それは、腕っぷしだとか、銃の技術の事じゃありません」
「じゃあ、何の事さ」
「それは……いえ、今更です。私が言わなくても、アナタはもう既に分かっているはず」
「分かってる? いや、分からないぞ、オレ」
「では、気付いていないだけかもしれません。ですが、既に持っているもの。だから、言わなくても、アナタは大丈夫」
「……すごい気になるんだけど」
ローエンは頷き、檻の中に置かれた簡易式のベッドの上に横になった。それを見て、ウィルもベッドに横になる。
「よろしければお名前をお聞かせくださいませんか?」
「……ウィル。ウィリアム・ウェイン・ウィンターフィールド。アンタは?」
「ローエン……長いので、ローエンと」
「ローエン……聞いてもいいかな?」
「ええ。何なりと」
「どうやって聞けばいいか分からないんだけどさ、どうして、あのお嬢様についてそこまでしてやれるんだ?」
「仕事ですから」
「そういうもんか……」
「そういうものですよ。アナタだって、リタの為にこうして一人で潜入したんでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「では、お互い似た者同士という訳ですね」
「うん……まあ、そうなのかな」
「昼ごろにはここを出るそうですよ? 少しでも休んだ方が良いのでは?」
「それ、オレたちの処刑のことだろ? よくそんなに呑気にいえるな……」
「ええ。大衆の前で首を吊るされるそうです」
「人死にがアトラクションとは、世も末だ」
「まったくです。今日は忙しいですよ」
「なんだかなぁ」
ウィルはローエンがそこはかとなくずれている様で、納得いかないと言った調子であったが、これ以上話すことも無いと、口を閉ざした。
二人はそれっきり、黙りきってしまい、檻の上の方の壁にある柵のついた窓から差し入る陽の光が牢屋の壁を照らし出す。
絶望的な状況であるというのに、ふと浮かんだのは彼女の顔。
どうしてるんだろうな……。
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