2-3 生き残った英雄

 事の始まりと言うやつは唐突に起こる。それをウィルが知ったのは十歳の誕生日を迎える三か月前のこと。


 父が戦争から帰って来たのだ。

 その日は朝から風が強く、家の戸を全部閉め切って家の中に砂が入ってこないようにしてた。そのため、帰って来た父を最初に目撃したのは家の玄関であった。

 頬は痩せこけ、肩に掛けた北軍の紺と黄色の軍服は泥で汚れて南軍の灰色と見間違いかねないほど。

 そして、何よりも驚いたのは父の左足首から先がなくなっていたことだ。

 その時の父の顔をウィルはどうしても思い出せない。怖かったのか、それとも普段と変わりなかったのか、いずれにせよ強烈な思い出の中で唯一欠落しているか所であることは間違いなかった。

 次に、母が泣きながら飛んで来たのを覚えている。妹も同様にそうやって飛んで父に駆け寄った。

 ウィルは、少し離れて、「おかえり」と呟いた事は覚えている。

 父は村で唯一の生存者であった。


 南北戦争が勃発したのはウィルがまだ六歳の夏で、その時戦火は遥か彼方であり、陽が昇れば牛の世話をし、馬で農地を駆け、陽が沈めば酒場で酒を飲んで家に帰る。多くの村人がそんな調子で、戦争なんて対岸の火事であり、のほほんと今迄通りの生活を送っていた。

 当然、当時の父は戦争なんかよりもいかに牧場を経営するかに力を注いでいたので、村の保安官事務所の前の掲示板に週一回掲示される国の情報誌の内容を見て、ああ、そう言う事が起こっているんだなと、いったぐあいで、さして相手にもしていなかったようにウィルは父の事を見ていた。


 しかし、戦争が次第に泥沼化するにつれ、戦火は否応なしに大陸全土に広がり、それは彼らの村も例外ではなく、国の役人が徴兵に訪れるようになった。

 最初、血の気の多いだけで、日がな一日酒場でぐだを巻いているような若い牛飼い崩れの連中が我先にと兵隊に志願した。

 ウィルはその時のことを覚えており、父が言うには、『ああいうだらしのない奴らだって、好きでだらしがないわけじゃなく、目的が無いから動きようがないだけなんだ。だから、目的さえ見付けてしまえば、あとは自分たちで真っ当に変わるさ』と言っていたのを強く心に刻み込んでいる。

 後に、そういう連中に軍で出会う──彼に『ウッドペッカー』なる不名誉なあだ名をつけたのが牧童崩れの連中だ──わけだが、父の言っていた事はおよそ間違っていたと身をもって知ることになる。そう言った意味で、父の不完全性を示す言葉として、ウィルはこの言葉を覚えているのであった。


 それから数か月後に、もう一度徴兵の為に役人が訪れた。ちょうどゲティスバーグを一カ月後に控えた頃である。その時、父が自ら出向いたのだ。

 志願すれば、強制されるよりも報酬金が高かったからだと、今のウィルには分かっていたが、当時の少年にはそんなことは分からず、ただ勇敢な父親だと、尊敬のまなざしでその背中を見送ったわけだ。

 そして、時は経ち、父は村に帰ってきた。戦争が終わって一カ月たったころである。


 血の気の多い若者も、父と一緒に志願した近隣の牛飼いたちも誰一人として帰ってこないまま、父だけが帰ってきたのだ。

 父は何も変わっていなかったようにその時は思えた。

 帰って来るなり、昔のように幼い妹を抱きかかえ、ウィルの頭をくしゃくしゃになるまで撫でる。


『元気にしてたか、坊主。牛は大丈夫だろうな?』


 帰って来た父が最初に発したのはその言葉だ。

 もちろんウィルは『大丈夫』と答えた。実は一頭足を折って死んだのだが、黙っていた。この時言うべきではないと察したというか……いや、たんに負い目を感じていたから言いたくなかったのだ。叱られると分かっていたから。

 もちろん、後日顔がはれ上がるまで殴られたが、まあ、当然の結果だろうとウィルは父を──今現在はという意味合いでだが──恨んでいなかった。

 それを抜きにして、父は冗談が好きだった。

 失った片足に義足をつけて、これで靴代は半額で済むと得意げにウィルに木製の義足を見せびらかしていたこともあったか。

 父の足は──父が言うには──転がって来た砲弾に巻き込まれたのだそうだ。父の後ろでしゃがんでいた男は薄っぺらい紙みたいに地面に張り付いてしまったらしく、運が良かったと酒を飲むたびに笑いながら言っていた。


 父は狙撃隊であり、隊では一番の目利きでもあった……らしい、確実な事は何一つ知らないのだが、父が言うには、そう言うことだ。

 そのため、狙撃というよりも、狙撃者の傍で戦況を見極め、どこのだれをいつ狙撃すればいいかを指示する役を担っていた。遠まわしに、射撃は下手糞だったと、そう言っていたわけだ。ウィルは今だからこそ、自分の眼と狙撃の腕前は明らかに父親譲りのそれだと確信していた。


 そんな何の変りも無いような父であったが、一つ変わっていたとすれば、それは何処か場違いな雰囲気を漂わせるときがあったことだ。

 夕食のおり、母がフォークを落としてしまった時などは、それまでのほほんと酒をあおっていた父の目つきが変わり、椅子を突き飛ばしてしゃがみ込み、テーブルの端から音のした方を慎重にうかがって見せたのだ。

 何事もないと確認すると、何でもない様子で椅子を戻し、再び酒を仰ぐといった具合。

 そう言った意味で言えば、父は既に壊れてしまっていたのかもしれないと、ウィルは今になってみればそう思えた。


 そんな父の崩壊が決定的となったのは、近隣の村が合同であつまり、ウィルの村があった地域を荒らしまわる南軍残党の討伐隊の募集を募った時だ。

 父は我先にとその討伐隊に加わると、何日も何日も家をあけて残党狩りに精を出し始めた。ライフルを持って南軍を殺すことこそが彼の生きがい──いや、居場所だとでも言わんばかりに。

 父が言ったわけではないが、もしかすれば、狙撃をしていたのは、父だったのではないだろうか。敵を見つける自分と、引き金を引く自分。その二つの人格を知らず知らずのうちに作りだし、まっとうに生活するカウボーイであった自分というものが裂けてしまったのではないだろうか。

 推測でしかないが、今にして思えばそうだったのかもしれないとも思う。


 父は家にいないが、父が戦争で稼いだ金で新たに買い入れた牛や馬の面倒をウィルが一人で見れるはずもなく、家は次第に落ちぶれ始めた。

 そんな矢先、南軍の残党をせん滅したと討伐隊が村に帰って来たのだが、そこに父の姿は見当たらず、以来、ウィルは、今に至るまで再び父の姿を見たことは無い。


 それからというものは悲惨極まりなく、家を売り、土地を売り、それでも暮らせず母は娼婦に身を落として働いたが、一年で病気をもらって寝たきりとなり、代わりにウィルが必死に働いたが、子供相手に対し多額の賃金は払ってもらえるはずもなく、母も妹も、ウィル自身でさえもやせ細っていった。


 ウィルが十五になる頃に、母は死に、妹も後を追うように飢え死にした。

 ウィルも失意のうちに死ぬかと思われた時に、軍人に拾われ、今に至るしだいだ。

 



 月明りに照らされる群青の荒野の微かな息遣いを二人は無言の中で感じ取っていた。


「ほらみろ、言ったろ。面白い話じゃないって」


 ウィルの言葉にリタは「うーん」とあごをさすってなにやら考えている様子。

 こいつが何か考え事とは、意外だな。

 そう思ったとき、不意にリタが手のひらを叩いて「そうか」と声を上げた。


「なんだ、突然……どうしたんだよ」

「いやな、お前のその眼の良さは親父さん譲りなんだなって、きっとそうだぜ」


 リタは頷いてウィルのほうに視線をよこした。


「……それだけか?」

「何がだよ」

「いや、オレの話の感想だよ」

「感想って……ん、まあ、それだけだな、うん」


 けろっとそう言うリタの表情を見て、ウィルは辛気臭くなっていた自分の心情が途端バカバカしくなってしまった。

 そりゃそうだよな。昔のことで落ち込んだってどうにもならないんだし、いつだって今を生きてることのほうが大事なんだよな。

 リタの表情にそういう前向きな言葉を読み取り、ウィルは少し笑った。

 とはいえ、リタはウィルの身の上話の半分もまともに聞いておらず、彼が話している間、荒野を駆けずり回っていた大ナメクジを狩猟する狼の群れに視線を奪われていたため、こんなけろっとした表情でいるわけなのだが、ウィルはそんな事はついぞ知らぬまま勘違いに励まされているのである。


「なあ」


 リタはひょいっと岩の上に立ち上がると、ウィルのほうを見下ろした。


「腹へらねえか?」


 月明りに見える彼女のシルエットを見上げ、ウィルは頷いた。


「そう……だな」

「何か食い物は?」

「馬車の荷台にベーコンとパンがある。火で焼いて食べるか」

「そうしようぜ、腹が減ってならねえや」


 二人は岩から飛び降りると、馬車のほうに向かって歩き出した。

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