P-2 天使の提案

 健康的な小麦色の肌に、服装と言えばボタンが一つしかないクリーム色のベストを一枚羽織っているだけで、彼女の胸は今にもこぼれてしまいそうな程。

 腕にはアームカバーを、腰には布を巻き付けてこそいるが、角度によっては下着が丸見えであり、とてもスカートとは呼べない。

 そんなみすぼらしい有様でありながら、頭の両端で二つに結んだ艶やかな薄赤色の髪に、石鹸の香りを漂わせ、そこそこの清潔感は醸し出している。そんなアンバランスな体で、リタは部屋の入り口に佇んでいた。

 その部屋は局長室だ。壁には様々なライフルがかけられており、床には赤い絨毯。そして、部屋の中央には黒檀であしらわれた執務用の机がどんと威厳ありげに置かれていた。


「衣装はそのままでしょう?」


 静かに指の間のシガレットが赤い唇に触れたかと思えば、短い接吻の後に僅かの隙間から煙がすうと伸びて上がった。

 シガレットを手に、机に頬杖をついた状態で尋ねるスーツの女性こそ、エンジェル・アイことサンディ・ルーヴァン・ターナーその人である。

 全体的に黒を基調とした出で立ちで、短い黒髪に黒いスーツといった具合だ。

 黒とは対照的な白い肌に流れるように細い瞳。開いているのか、閉じているのか、いずれにせよ、その笑った様な瞳の見えない眼は、感情を感じさせない人ならざる者の目であることに変わりはない。


「ああ」


 依然として不機嫌そうな表情で、リタはだらんと腕を垂らし、突っぱねるように言葉を返した。

 後ろには先ほどの兵士が佇んでいるが、両名とも青痣だらけで、ぐったりとやつれ果てている。


「随分と暴れてくれたみたいですわね」

「風呂は大好きだぜ。気持ちいいしな。けど、そいつは一人で入った時だけだ。アタシは動物じゃねえんだ。何だって柄付きのブラシで擦られなきゃならねえ。そりゃ、抵抗だってするわな」

「あらぁ、それならばそこの二人に素手でアナタの体を洗わせた方が良かったかしら?」

「だね。生娘じゃあるまいし、きゃあきゃあ騒いだりはしねえよ」

「ある程度アナタを女性とみての配慮だったのだけれども、まあ、分かりました。次からはそうしますわ」


 リタはこの女の歯に衣着せぬ物言いが嫌いであった。その態度は「ふん」とそっぽを向いた様子から見ても明らかだろう。


「んで、なんなんだよ。アタシに何の用だ?」

「絞首刑が早まりましたの────なーんて。ウソですわ~」


 大きく手を広げてから満面の気色悪い笑みを浮かべてリタと兵士二人の方を向いていたエンジェル・アイであったが、しばらくの静寂の後に、腕を収め、静かにシガレットを口に含み、煙を吐き出した。


「あっれーおかしいですわね。ウケるはずでしたのに……」


 エンジェル・アイは人差し指を頬に当てると、きょとんとした表情で首をかしげてみせた。


「何にも面白かねえよ、それ」

「ランドバーグシティの酒場サルーンでウケるって聞いたんですのよ。どうしてウケないのでしょう……教えていただけませんこと?」

「そこらへんが分かってねえなら死んだって笑えねえよ」

「そう。そういうものなのですね」

「ああ、そうだよ」

「では、やめます」

「それがいいぜ」

「話を戻しましょう」

「始まってねえだろうが」

「では、話を始めましょう」


 エンジェル・アイは、そう言ってから人差し指をピンと立て、愉快そうに──常にそういう表情なのだが──笑って見せた。


「時に、ウルフパック盗賊団のロナス・サンチョはご存知かしら?」


 リタはピクリと眉を動かした。

 反射的に反応したのはサンチョを知っていたからではなく、それを認知するまでも無くわき上がった怒りによるものであった。


「知らねえわけねえだろうが」


 隠しきれない怒りを孕んだ声色と共に、リタはエンジェル・アイを睨みつけた。


「でしょうねぇ……うふ」


 怒りに満ち満ちたリタの表情を他所に、涼し気な顔で、嫌味に笑みを浮かべるエンジェル・アイ。

 全てを理解したうえで喋っているのだ、この女は。

 リタは眉の間に皺を寄せてエンジェル・アイを緑色の綺麗な瞳で更に強く睨みつけた。


「ウルフパックはアタシのもんだ」

「でも、アナタは牢獄ここにいて、ウルフパックはロナスが率いていますわ~。あれ? ではでは、誰が何と言おうとも、ウルフパックはアナタのものではないのではないでしょうかぁ?」


 リタはぎりと歯ぎしりをたててみせた。その音を聞いて、エンジェル・アイは笑みから「うふふ」と嬉しそうに声をこぼした。

 ロナスとリタは昔馴染みで、ウルフパック盗賊団の先代首領であるウルフ・サンチョが生きてた頃からの知り合いだ。

 ウルフの義理の娘であるリタは彼の寵愛を受け、それに応えるように彼をも凌駕する銃の技量と義理人情の心を身に着けた。

 一方のロナスはウルフの実の息子であり、銃の扱いはリタと同程度だが、父とは違い冷酷で残忍な性格をしていた。そのため、ウルフからは邪険に扱われ、リタとは仲が悪かったのだ。

 ウルフの死後、遺言でリタが首領の座についたが、直情的で後先考えないリタの性格では、既に盗賊団の半数以上がロナスの指示に従うようになっていることに気づけなかった。

 結果として、謀反を起こされ、裏切った手下どもには散々弄ばれた挙句、ランドウェイ荒野に捨てられてしまったという訳である。

 後のことは幸か不幸か、死ぬ寸前のところで通りすがりの糞忌まわしき賞金稼ぎ『名無しの銀髪シルヴェリィ・ジェーン』に捕まり、この牢獄に縛られている次第なのであった。


「んで、あの野郎がどうかしたか?」

「ええ、もちろん。だからあなたを呼びつけた──」


 彼女はそう言い、短くなったシガレットを灰皿でもみ消し、浮かんだ煙の奥から、リタを睨んでみせた。


「殺せと言われたらそうしていただけるかしら?」

「もちろん。金払ってでも殺ってやるよ」


 にまーと口角を吊らせ、エンジェル・アイは顔の角度を動かし、そっと右目を僅かに開けて青い瞳で、リタを見据える。

 なるほど確かにその鮮やかな青色は天使のような色合いだ。天使の瞳エンジェル・アイとは言い得て妙なところ──もっとも、その瞳は死人を選ぶ瞳だ。いわば死神の眼ともいえる。


「その言葉を待ってましたの」

「何言ってやがんだ」


 悦ぶエンジェル・アイにリタは手を突き出す。


「殺りたいのは山々だけどよ、ほれ」


 その手には重たい金属の手かせが付けられている。力はあるリタであったが、流石に鋼鉄を引き裂くほどの怪力はあわせもっていない。


「この通りだもんで、文字通り手が出せねえんだ」


 今度はリタがにたりと微笑んで見せた。


「分かっていますわ。もちろん了解していただけましたら、外します。ですので、条件を提示させていただきますわ」

「条件?」

「ええ。アナタを一時的に釈放するという条件」

「アタシは絞首刑の死刑囚じゃねえのかよ」

「その通りですわ。殺人、誘拐、強盗……言い出したらきりがありませんけれども、十回首を吊るして死んでもらってもお釣りがくる換算ですわね」

「で、そんな凶悪な犯罪者を釈放するって? 冗談だろ」

「その為の条件提示ですわ~」


 リタは緩んだ表情をそっと、引き締め、エンジェル・アイの方を見た。


「ロナスにどれだけの価値がある?」

「…………」

「アイツは確かに腕の立つ盗賊だ。けどよ、あんな輩この国じゃ珍しくもねえだろうが。そんな奴をお国が殺してくれなんて、裏に何かあるに決まってやがんだ。んで、んだよ。そのってのはよぉ!」

「馬鹿に感が良いくせに、自分の手下の謀反は見抜けなかったみたいですわね」

「成長してんだ。同じ轍は踏まねえってのが重要なんだろうが」

「悪党のセリフとはとても思えませんわ。『悪党の名言集』なんて本にでも投稿すれば載せてくれるんじゃなくて?」

「悪りぃな。アタシ、文字読めねえんだ」

「それは残念」

「くだらねえこと喚いてねえで、とっとと言いやがれ!」


 エンジェル・アイは「はあ」と溜息を落とし、新たに取り出したシガレットに火を灯すと、深々と吸いこみ、疲れた様子で煙を吐いた。


「最近、メキシコとの国境付近でロナスはある町を占領しましたの……いいえ、違いましたわ。正確には、彼が支配したのではなく、彼のパトロンが支配した、と言うべきですわね」

「パトロン?」

「ええ。今のウルフパック盗賊団には強力な後ろ盾があるようで」

「そいつがお前らが殺してほしいヤツなんだろう?」

「本当に、理解力は良いんですのね……そうですわ。その人物こそ合衆国の敵パブリック・エネミーであるジェームズ・ハーグッド衆議院委員ですわ」

「しゅうい……何だって?」

「簡単に言えば政治家ですわ。それも、南部で一位二位を争うような」

「どうしたってそいつを殺さなきゃならない? そいつ、何したんだよ」

「それは簡単ですわ──」


 エンジェル・アイは両目をそっと開けて、リタの方を見た。


「邪魔だから」


 冷たい言葉であった。

 一切の温もりの感じられない冷徹な言葉。

 リタは寒気と同時にどうしようもない怒りに震えた。

 私利私欲のために力を行使するのが『悪』だとするのならば、この国は何だ?


「言ってること、アタシらと変わらねえって、気付いてるか?」

「もちろん。けれども、立場が違う。権威が違う。そも大きさが違う。いいこと? 私たちの目的は国の統制。その為に不協和音になりかねない因子は芽が出る前に摘んでおく必要があるの。これは、必要な事ですのよ」


 リタは義憤に縛りつけられていた怒りの握り手を弛緩するや、「ケッ」と吐き捨てる様に笑った。


「まるで、悪さしたガキの言い訳じゃねえかよ」

「ええ、言い得て妙ですわね。とはいえ、これに関しては我々に正義があると言っても過言ではないと思いましてよ?」

「どうしてだよ?」

「彼は連合国の復興を目指しているの。言っている意味がお分かりかしら?」

「連合国って事は……南軍ディキシーか?」

「ええ、その通り。ハーグッドはもともと南部の大農家の出身でして、南北戦争の当時から多額の援助金を南軍に寄付していた人物ですの」

「そんなやつがお国の舵取りやってんのか?」

「南部への配慮ですわ。北部だけで政を仕ってもかまいませんけれども、それではまた南が反旗を翻してくることは目に見えているでしょう? だから、餌を与えて飼いならしているということです。彼らに有効な票数など与えるものですか」

「じゃあほっとけばいいじゃねえか」

「それが、そうもいかなくなったのです。それこそ、ウルフパック盗賊団の所為でね」


 リタは強調されて言われた部分に短く舌打ちを起こした。この女のこういう嫌味を自然に連発してくるところが嫌いだ。気にいらねぇったらねえぜ。

 そんな事を思いながら、リタは彼女の話を聞く。


「現状はともかくとして、ウルフパック盗賊団は南軍の残党が上手い具合に昇華した伝説的な義賊ですわ。おまけに、お隣のメキシコでは革命の炎が大きく燻っている。この二つの要素を以て、南部の復興を謳う政治家が声色高らかに北部の侵攻──いえ、まあ、彼らに言わせれば、に対する報復アベンジを謳えば、南側が一致団結して北部と再びことを構えるのも時間の問題だと分かるでしょう? 八年経ったとは言え、未だ我が国の傷跡は癒えていないのが現状。もう一度内戦ともなれば、諸外国も黙っちゃいないでしょうからね。国防という意味合いも込めて、この件はやはり、重要なのですよ」


 リタとしては知ったことではないと言いたいところであったが、そうも言えないのがこの話の厄介なところだ。

 エンジェル・アイの手のひらの上で踊るのは嫌だ。だから、唾でも吐きかけて絞首刑を待つという選択肢も無いではない。

 けれども、彼女にそうさせないのは師であり義父でもあった先代頭領のウルフが残した義理と人情の教え故だ。

 また、彼女も先の戦争で親を失った身としては、当然戦争には反対でもあった。


「戦争をやめさせてえのか?」


 エンジェル・アイはこくりと頷く。


「当然ですわ。ハーグッドが、農業の再興を望んでいるというのであれば特になにをするでもないのですけれども……彼がやろうとしているのは、農業の再興に伴った奴隷制度の復活でして。なまじ権力を持っているものですから、南側の政治家を団結させられたら奴隷制だけでも議会で通ってしまうかもしれないのです。まあ、これが民主主義の厄介なところですわね」

「…………で、アタシの出番と」

「ええ。その通り。ロナスを殺すついでに、パトロンのハーグッドも殺してほしいのですわ」

「表向きにゃ殺せねえもんな」

「そう言う事です」

「で、条件は?」

「受けて下さるのかしら?」

「条件次第だな」


 エンジェル・アイは「ふふん」とスーツの内ポケットから羊皮紙を一枚取り出した。


「それは?」

「アナタの自由を約束する書類ですわ」

「本当に、釈放すんのかよ!?」

「いいえ。これはまだ効力を持っていませんの。アナタがこの任務に成功すれば私が印を押し、晴れてアナタの罪はちゃら、政府に追われることもなくなるというわけです」

「旨い話だけじゃねえだろ?」

「ええ。まず一つ目。時間制限を設けますわ」


 エンジェル・アイは机の上に置いてあった真鍮の懐中時計を手に取ってすうと机の端に移動させた。


「一週間後の正午にゴールドシティの駅前にロナスの死体を届けること」

「ロナス? ハーグッドじゃなくてか?」

「表向きは、『脱走した死刑囚による個人的制裁』ですから」

「……まあ、良いけどよ」

「次に──」


 そう言うと、なぜか、手招きをしてみせるエンジェル・アイ。

 リタは分からず一歩前に出ようとするが、その横を誰かが通りぬいて行った。

 それは、リタの背後にいた若い兵士の一人だ。

 少し大きめの帽子に整った顔立ちの青年といった具合だ。年齢はリタと同年代くらいといったところか。

 その若い兵士は机の前に立ち、懐中時計を手に取ると軍服のポケットに収めた。


「彼を連れて行ってもらいますわ」

「はあ?」

「自己紹介しなさいな」

「はい!」


 青年は声を張り上げて返事をする。


「ウィル・ウェイン・ウィンターフィールドで、あります!」

「どうぞ、よろしくお願いね」

「よろしくじゃねえ! 邪魔だ! 足手まといになるに決まってんじゃねえか!」

「そうでもありませんわ。彼、そこそこの腕前でしてよ。私が保証いたしますわ。それに……彼はアナタの監視役ですの」

「……監視役だぁ?」

「ええ。アナタが逃げないように」

「逃げねえよ!」

「悪人の言う事は信用しない主義でして~」

「だからってそんな全方向に『ボクは合衆国の正義を一身に背負っていまーす』ってな具合の服装の輩連れて歩けるかってんだよ!」

「ああ、その点についてはご心配なく」


 そう言うと、エンジェル・アイはウィルの腰の部分を叩いた。


「何でしょうか?」

「アナタ、クビね」

「…………は?」

「だーかーらー、クビですわ~」

「そ、そんな!?」


 ウィルは驚きのあまり、体勢を崩してこけかけた。


「まあ、飽くまで任務の間だけ軍務を離れてもらうと言うだけなのですけれどもね」

「……ああ、なるほど」


 ウィルは安堵の表情でそっと胸をなでおろしている。本当に驚いていたようだ。

 そんなウィルの姿を見て、リタはコイツ大丈夫かよ、と内心複雑なものを抱いていた。


「軍が関われないから彼女を利用するわけで、正規の軍人が付き添っては意味が無いでしょう?」

「なるほどですね。了解しました」

「では、必要だと思われる物は既に準備させていますから、今すぐ出発してくださいな。はい、鍵」


 エンジェル・アイはにこりと突然指先から鍵を弾き出した。

 それをウィルは手で掴む。


「時間がありませんわよ〜」

「アタシはまだ了解してねえんだけどー」

「では、断るんですの?」


 リタはじいとエンジェル・アイの瞳を見つめていたが、首を横に振って肩を竦めて見せた。


「…………ったく、わーったよ。行きゃ良いんだろうが、行きゃ」

「ではでは、頑張ってくださいねぇ」

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