第9話

最高の一日になるはずだった華の誕生日は、なんとも無惨な結果になってしまった。


ひとしきり泣きじゃくった華が静かになったところで、僕は、華に、家に帰ろうと声をかけた。


顔をあげた華は、突然の土砂降りにあった人のように、顔面を涙でビショビショに濡らし、黙ってコクリと頷いた。


その日の為にレンタルした車は、予約しておいた古民家を改造したフレンチレストランには走ることはなかった。


家に着いてからも、華は何を考えているのか、ぼんやりと窓の外を見てるだけだったし、僕は僕で、華にあれほどまでも拒絶されたショックが口を固く閉じさせていた。


華は僕に心を許していない。


口では好きと言っていたじゃないか。


あれは女のあざとい嘘だったのか?


それとも、この世の果てでみた夢だったのか?


華と離れた台所に近い冷たい床でタオルケットにくるまった僕は、今までにないくらい自問して過ごした。


いつもなら華と過ごす楽しい時間は、あっという間に過ぎていたが、この日の晩は、二人の気まずさも手伝って、


一秒が永遠のように感じられ、古い無声映画のような静寂と色味のない一晩を過ごした。



外が少し白みだした頃、うつらうつらとこんな夢をみた。


僕は、祭りにきていた。


鳴り止まないお囃子の音に、まっすぐと永遠に続いている幻想的な出店のライト。


川のように流れる人の波。


そこを僕は一人で流されるままに歩いている。

人々は皆、真っ白な狐のお面を被っていて表情はおろか、性別さえもわからない。


しばらく歩いていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。


そこで僕は人波をかき分けて、横にそれた。

横にそれた場所には、金魚すくいの出店があり、嶋本さんが長いパイプを口に咥え、


「金魚しょってんで~。」


と言いながら、僕に金魚すくいのポイを渡してくれた。


そこには、おびただしい数の真っ黒な金魚が泳いでいて、たった一匹だけ、真っ赤な金魚が黒い金魚の波に溺れるように頼りなさげに泳いでいた。


僕は、真っ赤な金魚に狙いを定めた。



「兄ちゃん、助けたってや~。」


と言って嶋本さんは、パイプの煙とともに消えた。


僕は黒い金魚の波に消え入りそうになっている赤い金魚を、


あたかも弱者を救うヒーローのような気分で救おうとした。

時折、黒い金魚の波に乗り上げたときがチャンスで、何度も何度もすくったのだけれど、


何故か、何度すくっても、何度すくっても、気がつけば真っ赤な金魚は、黒い金魚の波に戻るのであった。


そこで僕は、ポイを投げ捨て、両手ですくうことにした。


うごめく黒い金魚の中に、チラチラ垣間見える真っ赤な金魚。


真っ赤な金魚が、真っ黒い金魚の上に乗り上げた‥‥


今だ!


両手のひらで真っ赤な金魚をすくうと、真っ黒い金魚が一斉にこちらを向いて


「その金魚、弱ってんで~!」


と口を揃えて言った。


恐ろしくなった僕は、両手のひらに真っ赤な金魚を持ったまま、またもとの人波に戻った。


すると今度は、流れる人々の狐のお面が、散りゆく桜の花のようにはハラハラと剥がれ落ち、


そこには、僕が最後にみた姉の残酷な笑顔が、永遠に続くかのように並んで僕を見ていた。


「優ちゃん、カモメが病気なの。」


口々にそう言う姉の顔をした人々。


恐怖におののいた僕は、全身を使って姉の笑顔をかきわけ、反対側にあった真っ暗な林に入って、全速力で走り続けた。


祭囃子の音が遠く、聞こえなくなるところまでくると、清らかな清流が流れていた。


僕はそこでようやく緊張をとき、ホッとした。



そして、手の中の真っ赤な金魚を、そっと清流の中にいれてあげた。



すると、金魚は一度、ポチャンと跳ねて、僕の方を見た。



振り向いてこちらを見た真っ赤な金魚を見て僕は驚いた。


金魚と思って救ったのは、小さな小さな華だったのだ。


「華!」


僕が名前を呼ぶと、華は哀しい笑顔を浮かべた。


するとたちまち清流は、濁流に変わり、小さな小さな華は流されて見えなくなってしまった。


目が覚め、見覚えのある天井の染みをみて、僕は心底ホッとした。


まるで高熱のときに見る悪夢のようだった。


起き上がり、華の方を見ると、華はすでに起きていて、いつものとろけそうな甘い笑顔で


「おはよう、優さん。」


と言った。


「おはよう、華。」



いつもの朝のように挨拶すると、僕はごくりと唾を飲み込んで


「・・・・・昨日はごめん。華の気持ちも考えないで‥。」


と言った。


「優さん、私に何かした?」


華がいたずらっぽく笑った。


ああ、よかった。


華の笑顔をみてそう思った。


過去に生きず、今に生きるのが大切と話していた華には、一夜が過ぎた昨日のことなんて、どうってことないことなんだ。


いわば僕の失態だ。これ以上う言うのはよそう。蒸し返すのはよそう。鈍な男だと思われてしまう。


たとえ、華の取り乱し方が尋常じゃなかったとしてもだ。



「いや、もう過ぎたことはいいさ。今、華がいるここが幸せだから。」


「まあ、男らしいのね!」


と、華は感心したような顔を見せ、


「ところで、今日は私の誕生日なの。」


と言った。



「えっ?誕生日は昨日だろ?」


驚いた僕が素っ頓狂な声で聞くと、



「いいえ、今日よ。」


と真面目な顔で華が答える。


どういうことか一瞬わからなかったが、華は驚異のプラス思考で最悪だった誕生日をなかったことにして、


もう一度新たにやり直そうとしているのか?


それとも本当に忘れているのか?


どっちにもとれたが、僕は自分にとっても華にとっても都合のいい方に解釈することにした。


「そうだったね。華、お誕生日おめでとう!」



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