第6話

「優さん、金魚の様子がなんだか変だわ。」


昔ながらのガラス製の金魚鉢で、泳ぐとも浮かんでいるともとれる真っ赤な金魚をみながら華が言った。

縁日で華のすくってきた金魚の飼育を始めて二週間が経った。

最初は三匹いた金魚も、一匹目が3日目に死んでしまい、あとを追うように二匹目が死んだ。

残された金魚は、縄張り争いで勝ち残ったかのように、そのガラスの城を我が物顏で泳いでいた。昨日までは。

「死んじゃうのかしら?」

最後の金魚ともなると、華も前の二匹より物憂げである。


「どれどれ…」


僕がガラスの城を覗き込むと、その城の主は水草に隠れた。


「もしかしたら病気かもしれないな」


水草の間から見え隠れする尾びれをみて僕は言った。


小さな尾びれの先が、少し破れたようになっている。


「病気?金魚にも病気があるの?」


「うん。尾腐れっていって尾びれの先がボロボロになってきてるだろ?」


「あら、ほんと!」


「ほっておくと死んでしまうんだ。」


「やっぱり死んでしまうの…」


「いや、薬をいれたら大丈夫だよ。薬を買ってくるよ!」


「本当に?すごいわ優さん!優さんって何でも知ってるのね!」


「昔、飼ってたからだよ。」


そうだった。姉と大切に飼っていたカモメも尾腐れになったのだ。


ただ、僕たちは気がつくのが遅くて、薬をいれても手遅れになってしまったけれど。


華の不安げな表情にせかされ、すぐさまペット用品もおいてある大型スーパーに、水に溶かす粉末タイプの消毒殺菌剤メチレンブルーを買いに出かけた。


華は金魚が心配で仕方がないらしく、薄い眉を八の字にさせたまま家に残った。


きつくなった日射しの大きく濃い影を落とす大型スーパーの、一列だけのペット用品コーナーで、薬の小さな箱を手にし、なにか果物でも買って帰ろうと生鮮食品コーナーに向かおうとすると、


「優くん!」


佳菜子が満面の笑みで立っていた。


「なんだ、最近よく会うな。」


「会えて嬉しい?」


短い舌をだしながら、からかうように佳菜子がいった。


「嬉しくはないな。今急いでるんだ。」


「可愛くない!優くん、変わったよね。昔はまだ明るいほうだったのに…」


余計なお世話だよと出そうになったが、口をつぐんだ。


「このあいだの綺麗な彼女さんに嫌われちゃうわよ!」


少し険しい表情の佳菜子に違和感をおぼえながらも、よく考えてみると、華の前では僕はとにかくよく笑い、柔軟であった。というより柔軟でしかおれなかった。


それはまるで母親の前の幼子のようだった。


「あの彼女さんの名前なんていうの?どこに住んでるの?」


「なんでいちいちそんなこと聞くんだよ。」


プライバシーの侵害という言葉を匂わせながら答えると


「なんだかどこかで見たような気がして…でも、きっと美奈子さんに似てるからね。」


僕の変わらない態度に頬を膨らませた佳菜子は、自ら投げかけた疑問を自らの答えでもって解決させた。


「ほんと、気のせいだよ。彼女は大正時代からやってきたんだからさ。」


佳菜子が信じないことをわかっていて、わざと小さな笑みを交えて言ってみると


「あはは~!くだらない冗談!タイムスリップじゃあるまいし…。タイムスリップといえば、また近いうちにタイムカプセル開けにきてよね!じゃあねバイバイ!」


と、生き急ぐように去っていった。


毎回毎回突然登場し、言いたい事を言って去る佳菜子に、なんだか少し消化しきれない気持ちを残したまま、華に少し早い西瓜を買って帰った。


家に帰ると、子犬のように華が玄関で待ち構えていた。


早速、金魚のガラスの城にメチレンブルーをいれると、たちまち今まで透明だった城は青い王国の城となった。


「まるで魔法みたいね。」


華が目をまん丸くし金魚鉢を覗き込むと、向かいにいる僕の目には青い瞳の、青い顔の華が見えた。


子どもの頃に好きだったアニメ映画に出てきた魔法の粉は、妖精が持つ金色の粉で、その粉をかけると楽しいことを考えるだけで、大空を飛ぶことができた。


僕が今、金魚鉢に振りかけたメチレンブルーという名の魔法の粉に感嘆する、僕の世界を瞬く間に変えた華という魔法。


二つの魔法が重なった時、僕の心に起こったのは、この魔法のかかったような生活を失いたくないという強い感情だった。


どうか僕から華を、そしてこの華の大切にする金魚を奪わないでほしい。


姉のように、自分の大切なものを自ら奪うようなことを、僕はしたくなかった。

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