##3 神官長Xの献身(2)
トラブルと言うのは概して立て続けに起こるものであり、一つ一つの事柄は冷静に処理できればさして厄介と言う程のものではない。
逆に言えば連鎖的に起きて手に負えなくなるから、人々は翻弄され頭を抱えることになるのだ。
「おい、見つかったか!?」
「こちらにはおりません!」
「以前、隠れていた食料倉庫はどうだっ?」
「駄目ですっ。一階は全て確認しましたが、全て外れでした」
走り回る人の姿と怒号で、辺りは騒然としている。
静寂と神秘を旨とする神殿に置いて、これはかなりの非常事態であると言えるだろう。
それもそのはず。
この神殿が頂く疫病の女神が、ふらりと行方をくらましたのだ。
いや、彼女が仕事をサボってどこぞに逃げ出すのは、これまでも何度かあったことである。万が一の事があってはならないので、その都度捜索はしているが、それでも最悪、日暮れ時までには彼女は自分から姿を表し帰ってきていた。
しかし、今日ばかりは悠長に彼女の帰りを待つ訳にはいかない理由があった。
「神官長、如何致しましょう?」
年配の神官が、こちらを不安そうに窺っている。私は小さく首を振った。
「仕方あるまい。先方には何とか誤魔化すしかないだろう」
非情に気が重いが、まさかまかり間違っても正直な所を言える訳がない。
何しろ先ほど突然やってきた客はただでさえ厄介で、対応の慎重さが求められる相手なのだ。下手に弱みを見せるわけにはいかなかった。
「急病で臥せっていると申しましょうか?」
「疫病の神殿の主が、病に負けたと? そちらの方が問題だろう」
私は天を仰いで嘆息する。
「急にお越しになった先方も先方ですが、女神様はいったいどこにお隠れになってしまったのでしょう?」
それが分かれば誰も苦労しないと、怒鳴り出しそうになるのをぐっと堪える。私は冷静にと自分に言い聞かせて、目の前の神官に指示を出す。
「とにかく、彼女が見つかったら殴ってでも捕まえて、ふんじばって置いて下さい」
どうやら自分で思っているよりは、冷静になりきれていないようだ。
それでも私は覚悟を決めると、気の重い会談の場に足を向けた。
「つまり女神様はお休みになっていらっしゃると」
「ええ、昨晩夜を徹して無病息災の儀式を行い、お疲れになってしまったようでして。申し訳ありません」
私がそう頭を下げると、相手は朗らかに笑って首を振った。
「いえいえ、こちらこそ突然押し掛けてしまった訳ですから。次からはきちんと事前の連絡を入れてからお伺いするようにしますよ」
「ええ、そうして頂けるとこちらも助かります」
互いに礼儀正しく穏やかなやり取りだが、その実水面下では火花を散らさんばかりの腹の探り合いが起こっていた。
(この腹黒古狸め)
私は胸のうちでこっそり吐き捨てる。
そもそも近くまで来たついでに急に思い立って、という名目でここ疫病の神殿を訪れた相手だが、それが真っ赤な嘘であることは歴然だった。この相手にそんな思い付きで予定を変えられる程の、余裕があるはずがないのだ。
「それで、支部長殿に置かれましては、このたびはどのようなご用件で?」
魔術協会極東支部長イリヤ。
それが目の前の男の名前であり、肩書だった。
彼ともなれば、一国の大臣に比肩する権力を持ち、それに比例する過密スケジュールで動いているはずである。
魔術と科学で回るこの世界において、その片輪の代表とも言える魔術協会は、どの国にも属していない代わりに、下手をすれば大国を上回る程の影響力を持っている。
それは、過去に世界を救った女神を召喚した功績から始まるものだが、その女神を連れて出奔した神殿とはいささか折り合いが悪かった。
そんな両者の関係を前提にして、わざわざ彼のような立場の人間が訪れることに何の意味もないはずがない。
「どうぞイリヤと呼んで下さい。私としては女神様への参拝と、新しい神官長殿にご挨拶をと思いまして」
「なるほど。では私だけでもお目に掛かれて何よりでした」
にこやかにそう答えながらも、私の腹の底では沸々と、怒りの感情が渦巻いていた。
(つまりは、侮られたということか)
互いに立場があるのだ。新しい神官長に就任の挨拶に来たと言うのならば、本来なら事前に書面を取り交わしておくのが最低限の礼儀であり、常識のはずだ。
それをすべてすっ飛ばしたと言うことは、礼儀をわきまえるつもりはないと公言しているようなものだった。
見るからに若輩者であり、侮られる要素が多い自分である。彼に限らず下に見られることは多かったが、それでもこうした態度をとられるのは良い気分ではなかった。
(ようするに牽制――、)
あえて魔術協会が上から目線で来るのは、我々疫病の神殿が、明確に協会の傘下ではなくともそれに近い立場であることを知らしめようと言う意図があってのことだろう。
女神を手元に置かせているのは、飽くまで善意であり、いつでも取り返せるという示唆。
もしかすると彼は、先代、先々代の神官長の元へもその都度牽制に現れたのかも知れない。
(まったく、ご苦労な事だ)
私はため息を噛み殺す。
だが、ここで諾々と従う訳にはいかない。疫病の神殿にも立場と言うものがあり、魔術協会に易々と下されては存在意義に関わることになる。
なので、私はにこやかに笑ってこう答える。
「イリヤ様のお越しは、女神様にもしかとお伝えしておきます。女神様もきっとお喜びになられるでしょう。次の参拝時には、ぜひともお目にかかれると良いですね」
イリヤ支部長は変わらず穏やかな表情を崩さなかったけれど、一瞬鼻白む気配があった事を私は見逃さなかった。
だが、それでいいのだ。
確かに疫病の神殿は、魔術協会よりも弱い組織かも知れない。しかし、我々が祀りたてる女神はそうではない。
彼女は信仰の要であり、原点。多くの信者の崇拝を一身に受ける存在。
すなわち宗教的シンボルとして、俗世界の価値基準とは無関係に、
それは建前上の言葉遊びに過ぎないが、建前が崩れない限り、厳然たる事実としてあることになる。
彼女が疫病の女神として世界に認知されている以上、魔術協会は
「ええ、有り難うございます。神官長殿のご配慮に感謝します」
イリヤ支部長は、ふふっと笑って頷いてみせた。
私も毅然とした態度を崩さぬように、首を振る。
「いいえ、当然の事ですよ」
「ところで」
ふいに、彼は声の調子を変える。それはまるで世間話でも始めるような、気軽い物言いだった。
「このところ、女神様のお噂を耳にすることがありましてね」
組んだ指を顎の下に置き、揺らぐ事なくこちらを見据える。彼の視線には、化け物揃いと噂されるだけある魔術協会の幹部としての貫禄があった。私は気圧され、たじろぐ。
「あなたも随分やんちゃな彼女に手を焼いているようですね。もし、手に負えないようでしたら、いつでもこちらを頼って下さっても構いませんよ。我々はいつでもあなた方を歓迎しますから」
(やられた――、)
舌打ちをしたい気持ちを堪えて、ギリっと口の中を噛む。
平然と微笑むイリヤ支部長を前に、私は素知らぬ顔で平静を保ってみせることに、全力を注がなければならなかった。
イリヤ支部長を見送り戻ると、彼女が見つかったと連絡が届いた。
真っ直ぐに彼女の部屋に向かうと、部屋の中央のベッドの上に芋虫のようなものがうごめいている。それは私に気付くと声を上げた。
「おおっ。神官長、良いところに! お手数ですが、これを解いては頂けないでしょうか!」
水揚げされた魚のように、ぴょんぴょんとベッドの上で跳ねているそれは、布団で簀巻にされた女神であった。
彼女を見つけた神官たちは、自分のふん縛れという指示を殊の外きっちりこなしてくれたようである。
私は神官たちの執念の如く固く縛られた縄を解きながら、彼女に言う。
「まったく、どちらに隠れていらしたのですか?」
彼女はぷはあっと息を吐き、自由になった腕を振り回しながら答えた。
「隠れていたというか、ちょっと買い物に」
「買い物? 一体どこからそんなお金を、いえ。いいです。それは答えなくて結構です」
彼女が何かを欲した時は、側付きの神官が希望のものを入手してくる手筈になっているため、彼女自身が現金を持つことはない。そもそもこちらが、彼女に金銭を渡したことはない。その入手経路を聞けば、後悔するに決まっている。
「境内で重そうな荷物を運んでいるお年寄りを助けてお小遣いを貰ったり、見習い神官のふりをして調理場で野菜の皮剥きをしてお駄賃もらったり」
「だからいいと言っているでしょう!」
予想通りのことに、思わず頭を抱える。
善良な参拝客は元より、調理士たちも小銭と引き換えに雑用を頼んだ相手が、自分たちが崇める女神であるとは夢にも思っていない事だろう。
これまでの疲労の蓄積もあり、肩を落として黙り込んだ私に、彼女は慌てたように言い訳を始める。
「あ、あのね。本当は今日もちょっと出かけてすぐに戻ってくるつもりだったんだよ。でもシュウ神官にさりげなくリサーチして目星をつけていたお店が思ったより高くて予算オーバーで、他のお店を探してたりしたら遅くなっちゃって、それでね――、」
「そう言うことではありませんっ」
思わず荒らげた私の言葉に、彼女は驚いたように口を閉ざす。
しまったと思いながらも、それでも私は思いの丈を口にせざるを得なかった。
「私たちがどれだけ懸命に、貴女の女神としての立場を守ろうとしていても、貴女がそれでは台無しじゃないですか!」
女神の噂を耳にしたと、イリヤ支部長は言った。
それは恐らく、彼女のこうした浅はかな振る舞いや先代神官長との確執を、魔術協会が把握していると言う事に他ならない。
彼女が女神である限りは、神殿の権威は保たれる。
逆に言えば、彼女が女神足り得ない存在であると露呈すれば、それだけで神殿の体制は瓦解してしまうのだ。
イリヤ支部長はあの言葉で、我々がどれだけ虚勢を張ろうとも、拙いばかりの内情は知られているのだと嘲笑ってみせたのだ。所詮我々は、協会の掌の上なのだと。
もはや私の気負いも、牽制も何の意味もなかった。
「ご、ごめんなさい……」
彼女は、しゅんと肩を落とした。俯き、力なく唇を噛み締めている。
常の彼女らしくなく消沈した態度は、自分がそれを促したにもかかわらず、見ている事が辛かった。
「いえ、いいんです。私も言い過ぎました」
耐え切れなくなった私はそれだけを言って、背を向ける。このまま彼女と顔を合わせていることに耐えられなくなったのだ。
「あ……、神官長!」
私は彼女の呼びかけに答えず、そのまま部屋を後にした。
背後で音を立てて扉が閉まる。
波紋のように苦い気持ちが、胸の中に広がっていた。
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