#19 私とタンゴを
魔物とは見た目や生態は家畜や野生動物、そして種族によっては人間とほとんど変わらないが、その大半が人に対して積極的に敵意を持ち、そして高い知能と奇妙な能力を持つと言う。
例え大きさや見かけは似ていても、単なる寄生虫ではできないことだって、魔物だったら可能にしてしまうかも知れない。
「確か強い魔物の存在は見つけられなかったけど、微弱な魔物の気配はあったんでしょ」
思い返すも腹立たしい、誘拐事件の時にキサラギが言った言葉を繰り返すと、彼は真顔で頷いた。
「ああ。確かに寄生虫レベルに小さい魔物だったら、存在を感知できなかったことは充分に考えられる」
もっともこれに関しては、腐っても玄人なんだからこうなる前に気付いて欲しかったよ。片手間に
「あ、ではもしやキューザンの時のも……っと」
父親の名前を聞いたケント君が視線を向けたので、村長さんは慌てて口を閉じる。でも確かに、ナオミさんの魔術が失敗してキューザンさんが山の淵に落ちたのもこれで説明がつくかも知れない。
作動中の魔術に干渉できるのは、高位ランクの魔術師か魔物だけ。
キューザンさんかナオミさんかは分からないけれど、彼女の魔術に横やりを入れたのはどちらかに取り付いていた寄生虫の仕業の可能性が高い。
「よーし、俄然やる気が出てきたぞ」
だとすれば、彼女の罪はその大半が寄生虫の存在が原因となるかも知れない。
私が許す許さないの話ですらなくなるだろう。
「寄生虫の魔物は、沢蟹と人間を媒介して増えるよりも、直接人間を襲って仲間を増やす方が早いと学習したんだ。だから、現在あいつらは仲間を増やすために僕たちを狙っているんだろうな」
キサラギが考え込むようにそんなことを呟く。
つまり、トラックの中で神官長の三択に三番を選んだ私の答えは、正解だったらしい。嬉しくないけどね! 賞金も出ないし。
「ねえ、大変だよ! あっちの方からたくさんの人が!」
ケント君の言葉に視線を向けると、畑の向こうの方にまだ小さくだけれど何人もの人影がこちらに向かっているのが見える。
「あっ、忘れてた!」
私は思わず声を上げる。こっちの会話に集中していて、村人たちに注意を払うのをすっかり失念していたよ。
「お前な……」
腹黒魔術師が恨めしそうな目でこちらを見ているが、あんたの疑惑を晴らしてやったのは私でしょうが。広い心でこれくらいのミスは許してよ。
「とりあえず、急いで山の中に逃げましょう」
村長さんの一言で、私たちは山へ向かって走り出す。そんな中で、私は神官長にこっそりと話しかける。
「ねえ、神官長。本当にキサラギが真犯人だと疑っていたの?」
「そんな訳ないだろう」
当然の事のようにあっさりと答える神官長に、私は思わず目を見開く。
「じゃあ、なんであんなことを……」
「この緊急事態に、あいつがまた良からぬ事を企んだら困るだろう。皆が疑いの目で見ていると思わせる事で、奴の動きを制限するのが目的だった。それに、奴がでしゃばって統率を乱さないよう、リーダーが誰かをはっきりさせるのも理由の一つだな」
いきなりあんなことを言い出すなんて、神官長らしくないとは思っていたけれど、まさかそんな目論みが込められていたとは。神官長、あんたが味方で本当に良かったよ。
しかし腹黒の称号はこちらに贈呈するべきだったかも知れないと、山への田舎道を走りながら私はそんな事をちらりとそんなことを思ったのだった。
※ ※ ※ ※
山道は村の人たちがしっかりと手入れをしていたようで、草木を掻き分けなければ歩けない原生林という訳ではなかった。野生を感じさせるような手つかずの自然でなくて助かった。
先導を買って出てくれたのは、村長さんと、意外な事にケント少年である。
悪戯小僧を地でいく彼は、大人たちが立ち入りを禁止していたこの山もこっそり探索をしていたらしく、良く知っているとのことだった。
「いつもよりいっぱい鳥の鳴き声がする……。山に人が入ってきたんだ」
ケント少年は不安げな顔で背後を振り返る。
「そうなの?」
思わず口を次いで出た疑問に、彼は青ざめ、こわばった表情で頷く。
「うん、親父を探して山狩りをした時と同じ感じだ」
あの時は、行方不明となったキューザンさんを探していたというのに、今は文字通り我々が狩られる対象となってしまっている。
「なあ、女神サマよ。どこまで村の奴らが追ってきているのか、分からないのか?」
キサラギが落ち着かない様子で辺りを窺いながら私に声をかける。私は首を振った。
「村の中にいる人のことは分かっても、この山でのことは分からないよ」
私は一度だってこの山に足を踏み入れたことはない。キューザンさんを探していた時だって、探索に参加したのは神官長で私ではないのだ。
何度か訪れた場所ではないと様子は分からないことを言うと、キサラギは役立たずと言わんばかりに舌打ちをする。
そんな悪態をつかれたって、無理なものは無理なんだよ。私が役立たずのニート女神であることは、あんただって良く知っていることじゃないか。
むかっ腹が立ったものの、今は文句を口にするのを控える。今がそんな場合ではないことは私はちゃんと理解しているのだ。その代わりに、死角に回って思いっきり舌を出してはやったが。
山の中で私たちを捜す人間は、だいぶその数を増しているようだった。
草を踏み、枝葉を掻き分ける音や、驚いて飛び立つ鳥の羽音など、私たちは時折感じられる人の気配を避けて、山道をどんどん進んで行く。
「キサラギ、お前は転移符を持ってはいないのか?」
「この状況で使ってないとしたら、よっぽどの大間抜けだろうがよ」
神官長の問い掛けに、キサラギは呆れたように鼻を鳴らす。二人の息は、随分荒くなっていた。
やはり慣れない山道を追われながら進むのは、我々の心身にだいぶ消耗を強いている。一番体力のある二人でこうなのだから、老人と女子供である残り三人はほぼ気力のみで足を動かしているような状態だった。
「いくら魔術庁だって単なる調査員一人一人に転移符を配布できるほど、懐具合は良くないんだよ。国民の税金でやりくりしてるんだぞ、こっちは」
しかも今回は、そこまで緊急性の高い事案じゃなかったから申請も出してなかったし、と彼は唇を尖らせる。
「では、長距離移動用の転移魔術は使えるか?」
立て続けの質問に、キサラギは怪訝そうに眉を顰めた。
「僕はエリートの甲種魔術師だよ。当然使えるけれど……対価がない。手持ちの代償は公民館を脱出するのと、あんたらを助けるのであらかた使い切ったし」
そもそも長距離移動用を可能とするほどの代償なんて、転移符より持ち歩くようなものじゃないだろうよ、とキサラギは言う。確かに魔術の媒体である『価値あるもの』を持ち歩くなんて、強盗や追い剥ぎに襲ってくれと言っているようなもんだろうし。
「そう言うあんたはどうなんだ」
「疫病の神殿は、清貧を常としている」
しれっと神官長は答える。
でも、本当は転移符も緊急時用の媒体も持ってたんだよね。度重なる非常事態に使い切ってしまっただけで。
それにしてもうちが清貧をモットーにしているなんて初めて聞いたよ。お布施とかこっそり横領してるんじゃなかったっけと、私は首をかしげながら弾む息を短く吐き出した。
周囲に感じられる人の気配は、徐々にではあるが、はっきりとその数を増して行く。
なるべく人がいそうな方角へは向かわないようにしていたが、そうすると自然と足を運ぶ先は限定されて行った。
「……っ!? しまったっ!」
神官長が息を飲み、焦った声を出す。爪先がちょろちょろと水が流れる泥濘に沈む。深い碧の水を囲むのは、苔と緑の生い茂った急な斜面だ。
「ここは、蛹ヶ淵です! いつの間にこんなところに……!」
村長さんも驚いた様子で、周囲を見回す。
どうやらこの場所こそが、キューザンさんが倒れていた当の場所のようだった。そして急激に、我々を取り囲む人の気配が増えて行く。
「どうやら、我々はここに誘導されたようだな」
「まさか! 奴らにそんなことが可能なのか!?」
キサラギが逃げ場を探すように、ぐるりと回りに目を向ける。しかし、急斜面に囲まれたこの場所は袋小路と言っても過言ではない。まさに、我々は袋のネズミだった。
「可能も何も、事実そうだろう。どうやら奴らは急激に進化しているようだな」
ある者は我々が来た方向から、またある者は斜面を滑り降り、私たちを取り囲むように姿を現し始める。奇声を上げたり、我先にと襲いかかってくる様子はないものの、その目は血走り、浮き上がり、どの村人も正気の様子ではない。
「ひぃ……っ」
ケント少年が悲鳴を飲み込み片足を上げる。見れば、私たちの足下は沢蟹で埋め尽くされていた。村長さんが思わずと言ったように足下の蟹を淵へと蹴り落とすが、その数からすれば焼け石に水でしかない。
そして操られた村人たちも、その大半がこの場に集まっているかの如くどんどん姿を現す。私たちはすっかり周りを囲まれてしまっていた。
「クソっ、いったいどうすれば……!」
キサラギが頭を抱えて天を仰いだ。
逃げ道はない。抵抗しようにも多勢に無勢。
もはや、絶体絶命の状況だった。
私は思わず神官長を見る。神官長が取り乱したのは最初だけで、彼はこんな場合であるにも関わらず、冷たく冴えた美貌で周囲を冷静に見ていた。
もしかすると神官長なら、また何らかの素晴らしい解決方法を見出してくれるのではないかと、思わず期待が沸き上がる。
神官長は静かに唇を開いた。
「キサラギ、長距離転移魔術を使ってくれ」
「はあ? だから、代償がないんだって――、」
「代償なら、ある」
反論しかけたキサラギの言葉を、神官長は鋭く遮る。腹黒魔術師は驚いたように目を見開いた。
長距離転移魔術に耐え得る莫大な代償なんて、この場に一つしかない。
思い浮かんだのは、かつて人類が総力を挙げて用意した対価に釣合うだけの『代償』。
私もまた、言葉を失い、息を飲む。しかし――、
「――俺を使え」
躊躇うことなくきっぱりと、神官長は自分を指した。
※ ※ ※ ※
キサラギは再び唖然と口を開ける。そして、神官長に向けて怒鳴った。
「ば、馬っ鹿かお前は! そんなこと、できる訳がないだろうっ。人命を対価にした魔術使用は重罪だぞ!! 俺の魔術免許だって失効するんだ!」
「緊急事態だ。それ以外に方法がない。両者納得ずくであることは、第三者である村長殿が証言してくれるはずだ」
急に話を振られ、村長さんが驚いた様子で視線を左右に向ける。しかし、この場にいるのは我々以外には正気を失い操られた村人だけだ。村長さんの顔が、淵の水よりも青ざめていく。
「俺は歴史ある疫病の神殿の神官長だ。魔術の代償としての価値は充分にある。その代わり、間違いなく女神様を神殿に送り届けろ。それさえ約束するなら、俺の命を魔術に使っていい」
「駄目だよっ、神官長!」
私は思わず割入り、神官長の腕を掴む。
「何言ってるのさ、そんなの絶対に駄目だって!」
私は必死になって、神官長の考えを思い留まらせようとする。しかし、彼は容赦なく私を見下ろして言う。
「それ以外に方法がない」
「そんなの、まだ分からないじゃないか!」
「受け入れろ。疫病の女神に代わりはいない。何よりも優先すべきなのは、お前の安全だ」
優先すべきは疫病の女神。
それは、襲われる寸前のタンデンさんも口にしていた台詞。
その言葉の重みと残酷さに、私の胸は押し潰される。
「それにだ」
神官長の、薄い唇の端が吊り上がる。
「俺の代わりは他にもいるだろう」
竹の花が咲くほどに珍しい笑う神官長の目は、腹立たしい程に優しい。
「神官長に代わりなんていないよ!」
「お前は俺を神官長としか呼ばない。先代も、先々代の時も同じ。それが答えだ」
私の懸命な訴えは、皮肉な物言いによって受け流される。
「違う! そうじゃない! それに、神官長だって、私を名前で呼ばないじゃない!」
「俺の女神は、お前一人だけだからな」
知らないからでも、恐れ多いからでもなく、当然のことのように彼はそう言う。
自分にとってもまた、私は唯一の女神であると。
私たちの言い争いによって警戒するように動きを止めていた村人たちが、再びゆっくりと距離を詰めてくる。もはや二十歩も掛からずに手が届いてしまうだけの間しかない。
視界の端でそれに気付いた途端、追い詰められる恐怖にぞくりと背筋に冷たいものが這い上がる。
キサラギももはや逃げ場のない状況に覚悟を決めたのか、硬い表情でひとつ頷き、神官長の前に立った。
「いやっ! そんなの駄目だよ! 許さない!」
私は彼らに向かって手を伸ばし、体当たりせんばかりに詰め寄ろうとするけれど、それは村長さんとケント少年に寄って阻まれる。
「お願い、どいて! 神官長を見殺しにできないよ!」
「だ、駄目です! どうぞあの方のお覚悟を無駄にしないで下さいませ」
村長さんが懇願するように首を振る。私は力任せに彼らを振り切ろうとするけれど、彼らもまた必死でそれを食い止める。
「ああ、そうだ」
ふいに、神官長が私の方を振り返った。
「……イサだ」
神官長の冴えた青い瞳が、まっすぐに私を捉える。
「別に覚えておかなくていいが、今ぐらいは知っておけ」
いつもの小言のように素っ気なく名を告げて、彼は再び背を向ける。
「いや! 駄目だよ、駄目!」
私は悲鳴のように声を張り上げる。
私はちゃんと言えるのに。オンジ、タカマル、ハナ、ヨイチ、ウルウ、エンセイ。私は頭の中で歴代の神官長の名前を、余さずすべて並べ立てる。でも、この中に彼の名が、大切な思い出のひとつとして加わるには、まだ早すぎる。
そうこうしている間にも、どんどんと村人たちは接近してきていた。もはや互いに手を伸ばせば届いてしまいそうなほどに。
私が本当に女神だと言うのならば、何故この状況で打つべき手を持ち合わせていないのか。何故自分の一番側で、一番尽くしてくれた人間が失われる様を、むざむざと見過ごさなければならないのか。
薄い皮膚が破れ、血が滲むほどに唇に歯を立て、涙をこらえる。
こんな無力で無様な女神に、いったいどれほどの価値があると言うのだ。人類が総力を結した代償に値するどころか、まったくの無価値じゃないか。
しかしそれと同時に私の頭の中で、自分のものとは思えない声が喧しく騒ぎ立てる。
――嫌だいやだ、死にたくない。せっかく生き長らえたのに、命があったのに、まだしにたくない、いきていたいいきていたいのに。
キサラギは直視を避けるように視線を斜めに落としたまま、指を神官長の額に当て、何か呪文を唱え出す。
――ダメ駄目、死ぬのはダメ。せっかくここまで増えたのに。こんなにも遠くに来られた、まだしにたくない、いきていきていたい。
場違いなまでに騒ぎ立てる煩い声が、私の思考を埋め尽くそうとする。ガンガンと頭が痛む。
考えないといけないのに。今すぐに! 彼をこの場で失いたくなければ! なのに、喧しい声ががががが――嫌だいやだ、死にたくないしにたくないしにたくない――
ぶちんと、私の理性が切れた。
「いやっっかましい!! 死にたくないのはみんな一緒だ! 喚き散らしてないで、自分でなんとかしてみろ!」
私が、お前が、本当に女神だと言うのならば、疫病を司り、この世界を救った女神だと言うのならば、これくらいの危機など打ち払ってみろ。
私は喉も裂けんばかりに、怒り、そう吼え猛る。
頭の中で、誰かが答えた。
――やってみる。
その次の瞬間。
視界一面を、鮮やかなピンクが埋め尽くした。
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