#18 因は赤い殻のほとり



 バタバタと倒れている村人たちの輪の外から、私たちを呼んだのは薔薇色がかった巻き毛に灰色の目の、可愛い系美青年医師――改め、腹黒魔術師のキサラギだった。


「何であんたがここに!?」


 彼は確か、これ以上悪さをしないよう鍵を掛けて公民館に閉じ込めていたはずではなかっただろうか。


「この状況でのんきに軟禁されてるとか、阿呆だろう! そんなに長く効果が続かないんだから、とっとと逃げるぞ」


 もっともな意見で急かされて、私たちはトラックを出るとキサラギとともに慌てて移動を始める。


「ええっと、ありがとう……」


 歩きながら助けてもらったことにお礼を言うと、キサラギは顔を赤くしてそっぽを向いた。


「べ、別にお前らを助けようと思ってした訳じゃないんだからな。疫病の女神があいつらに取り込まれたら、実験データを取るときに支障が出て困るってだけの話だよ」

「みんな見て、ここにツンでれがいるよ!」

「誰がツンでれだよ! そして、注目を集めさせるな!」


 キサラギが集まる視線に必死になって何でもないとアピールしているけれど、私はちっちっと指を振る。


「もっとも、今更ツンでれたくらいで、簡単にこれまでのことを許してもらえると思ったら甘いんだからね。甘海老よりもさらに甘いよ」


 個人的には、海老は断然ロブスター派だ。食べたことないけど。

 キサラギは両手を振り回して喚いている。


「お前相手にデレるくらいなら、食えねえ海老食って死んだ方がまだマシだ!」

「それにうちには上位互換機種である最強のドメツン、神官長がいるんだから!」

「人の話を聞け!」


 まあ、どうしてもと言うのなら、デレさせてあげないこともないけれど。その場合、デレとツンの割合は、7対3だ。ちなみに神官長のドメツンは、10対10でメモリを振り切っている。

 キサラギに向かってそう主張する私の横で、神官長が呆れたように溜め息をついた。

 



「――とりあえず、ここまでくれば一先ずは安心でしょうか」


 村長さんが周囲を見回して、不安げに呟く。村の中心から少し離れたここは、あたり一面に畑ばかりが広がる畦道で、人の姿は見えない。


「うん、たぶん大丈夫だと思う」


 私はうなずく。村の中心地ではキサラギの魔術が解けて起き上がった村人たちが徘徊を始めたけれど、この周辺にはまだ誰もいない。


「え? なんでそんなこと分かるのさ」


 ケント少年が不審そうな眼差しでこちらを見ている。私はぽりぽりと頭を掻いた。


「いや、それが突然分かるようになりまして……」


 実際、そうとしか言いようがない。

 もしかすると妄想と思われる可能性もなきにしもだが、ケント君の居場所を知る事ができたという前例があるので、どうにか厨二病疑惑は払拭してもらえるのではないかと期待する。第三の目は開いてないからね! 封印された右目も悪魔の左腕も、ありませんから!

 具体的には村のそこかしこに小さな私がいて、見えるものをテレビ電話で中継してくれているような感覚だ。

 もっとも見えているのは村全域ではなく、私が実際に足を運んだ場所ばかり。なので、村長さん宅以外で一番良く見えるのは、今は無人の公共浴場だったりする。こんな場合でなければ、のんびり浸かりに行きたいものである。


「何それ、ちょっと詳しく聞かせなよ!」


 驚いたようにキサラギが私に詰め寄ってくる。やだよ、そんなこと言って私のデータを集めたいだけでしょう。

 だいたい私にだって何がなにやらさっぱりなのだ。窮地に陥ったことでついに秘められた能力がついに開花したのか、ぐらいしか原因も思いつかないよ。


「お姉ちゃんを苛めるな! この宇宙人!」


 すると元からキサラギに対して不信感を抱いていたケント少年が、私とキサラギの間に盾になるように立ち塞がってくれた。あんた、いい子や。私はほろりと涙する。

 そしていまだに宇宙人説は払拭できていないのね。ならばキサラギの正体が、ケント少年の憧れていた魔術師であることは黙っておく。若者の夢は壊してはいけないのだ。


「喧嘩は止めて、今は逃げることに専念しましょう。山を越えて、隣に集落に逃げるのはどうでしょうか」


 村長さんが間に割って入り、そんな風に提案してくれる。

 確かに一般道を下って逃げることができないのなら、裏道から逃げるのが次善の策だろう。女子供老人が大半を含むこの面子では、いささか不安な部分もない訳ではないけれど、正面切って立ち向かうよりはよっぽどマシだ。


「ああ、それがいいだろう」


 神官長も、村長さんの言葉に頷く。


「だが――、その前に不安要素を潰しておくべきだ」


 そう宣言した彼は、冷徹な眼差しでキサラギを鋭く睨みつける。


「はっ? ちょっと待ってよ! 僕はちゃんとあんたらを助けてやったじゃないか」

「神官長。いくらこいつの存在が危険だからって、この場でどうこうするのはやりすぎじゃないかな」


 慌てふためくキサラギを助けるつもりは、私にはない。殴られた上に実験動物にされかけた恨みは、きっちり七代先まで覚えておく予定だ。けれど、それとこれとは話が別である。

 江戸前寿司の恨みを長崎チャンポンで晴らすように、ドサクサに紛れ込ませるような真似はよろしくない。

 神官長の前に立ちはだかるようにして割り込んだ私を、しかし神官長は腕を引いて自分の背後に隠す。相対するのは、もちろん腹黒魔術師キサラギだ。


「別に緊急事態に託けて、報いを受けさせようとしている訳でも、後顧の憂いを絶とうとしているわけでもない」

「じゃあ、どうして」


 神官長は、キサラギを油断のない目で睨みつけている。


「この事件の黒幕が、こいつである可能性が高いからだ」

「冗談じゃない! 僕だって巻き込まれた側だ。被害者だよ!」


 キサラギは驚いたように目を見開き、神官長の言葉を否定する。しかし、ドSはその舌鋒を緩めない。


「では、何故お前がこの場にいる。村の大半の人間が病に罹患し、重症化してあの様相だ。無事だった人間は外部の人間である我々を含めてたった6人。これは村全体の数パーセントに満たない。その僅かな確率の中に含まれていると言うこと自体、疑わしさの要因になる」

「そんなの、僕だって村の住人じゃないからだろう!?」


 薔薇色がかった茶髪を乱し、首を否と振る彼を、神官長は容赦なく追い詰めていく。


「数ヶ月の間、この村で暮らしていた以上、我々よりは感染する可能は高かったはずだ。さらに、お前は村全体をカバーできるほどの、精神操作魔術の使い手だ。その技術を応用すれば、現状を生み出すことも可能ではないのか」

「そんなの無理だってば! そもそも、そんなことする理由が僕にはないよ」

「最終的にはこの国、いや世界中に同様の症状を広めるつもりだった。その為の試金石にこの村が選ばれたとしたら?」


 つまり神官長は、キサラギが世界征服を企んでいたと、そう言うのか!

 腹黒陰険魔術師は、悪の腹黒魔術師だったのね。今度から奴を名前を言ってはいけないあの人と呼んでやろうかな。


「やめてくれよ! 僕は単なる小役人でそんな大それた野望なんて抱いてないって。大体、世界中の人間すべてに掛かるような大魔術を行使できる対価なんて存在するわけが――、」


 しかし、そこでキサラギははっと顔色を変える。


「対価なら存在するさ。この世界を救うために、人類が総力を挙げて用意した『代償』に釣合うだけの――、」


 そう言って、神官長は私をちらりと振り返る。

 まさか、この展開は!?


「お前が誘拐しようとした疫病の女神がな」

「濡れ衣だっ!」


 神官長の言葉を、キサラギは泡を食って否定する。しかし神官長は、その氷のような眼差しを斬り裂けんばかりの鋭さで向けている。

 確かに、神官長の言うことは理にかなっているだろう。しかし、本当にキサラギが世界征服を目論んで、その手始めにこの村をターゲットに選んだと言うのだろうか。

 それは少し無理があるような気もする。

 何より彼の狼狽振りを見れば、本当に彼がそんな大それたことを企んでいるようには思えない。もちろん、それが演技である可能性もあるけれど。


「では、いったいお前以外の誰が、村人たちを操ることができるんだ? もし違うと言うのだったら――、」


「――ちょっと待った、神官長!」


「……っ!?」


 私は神官長を呼び止め、背後からひざかっくんをする。

 体勢を崩してよろめいた神官長は、睨み殺さんばかりの凶悪な表情で私を振り返った。


「――いったい何の用だ?」


 その顔、絶対に仕える女神に向ける表情じゃないよね!?

 私はびびりながらも、言いたいことを口に出す。


「キサラギ以外にも、村人たちを操れる存在がいればいいんだよね。それでもって、キサラギが無事なメンバーだった理由が分かればなお良しと」

「まさか、お前には分かると言うんじゃないだろうな?」


 私はにへらと曖昧な笑みを浮かべる。いや、分かると言うかなんと言うか。

 肝心な部分はまだ確かめられていないし、確証がある訳でもない。でも口に出してしまったもんは今更取り返しがつかない。

 私の笑みに般若のような表情を返す神官長から慌てて視線を逸らして、私はキサラギに声をかける。


「ええっと、キサラギ。あんた、海の幸だったらイクラ丼と海老フライと蟹雑炊と、どれが好き?」

「断然イクラ。と言うか、イクラは海の幸じゃないし。あと、僕は甲殻類アレルギーだから、誘われたって海老や蟹の類は食べられないよ」


 あれ、イクラって海で取れるもんじゃなかったっけ? 海鮮丼の定番だよね?

 思わず首を傾げるが、それはともかく私の唐突な質問に、キサラギは憮然とした顔で答えてくれる。

 別に私だって、あんたを北海道フェアにも名古屋ドームにも蟹道楽にも招待する気はないよ。それくらいだったら自分で食べるわ。私が言いたかったのは、そういう事じゃない。


「じゃあ、ほぼ確定だと思う。この村で流行った疫病の原因。それは――、」


 何故この村で、多くの人が寄生虫に感染してしまったのか。

 いったいどこから、寄生虫は人々の中に入り込んだのか。

 私は、その謎を答えを口にする。


「――蟹だと思うんだ」

「蟹、だと?」


 この村で、人死にさえ出した奇病の根本。キューザンさんの失踪事件を引き起こした要因。そして現在、村人たちの正気を失わせ、操っている大元。 

 その全てが蟹を原因としているのだと言うと、神官長を初め、他の全員が唖然とした顔でこちらを見た。

 いやぁ、そんな注目されると照れちゃうじゃないですか。


「でも、オレはカニ好きだよ」

「ワシも、北国に嫁いだ姉から毎年お歳暮に送ってもらってますぞ」


 ケント君と村長さんも、口々にそう言って首を傾げる。


「それは……何かの勘違いなんじゃないのか?」


 神官長が怪訝そうに、しかし遠慮がちに言ってくる。いやはや、面子を潰さないように気を使ってくれてありがとう。でも、今回はたぶんその必要はないと思うんだ。


「でも、あるよね。ケント君も村長さんも、ついでにタンデンさんも食べない、この村の蟹料理」


 私の言葉に、彼らは目を見開く。


「え、それって……」

「――っ、まさか!?」


 私はうなずいて、答えを口にする。


「そう。この村の名物――沢蟹の酒漬け、だね」


 私たちも一度夕飯に出され掛け、そして村で唯一の居酒屋さんの看板メニューでもあるその料理。

 元の世界にも存在した酔っぱらい蟹と同じ、蟹を酒と香辛料に漬けた珍味だ。

 プログラマー時代、私は出張で一度だけ上海に行った事があるのだけれど、その際、そこの名物である酔っぱらい蟹を食べられなかったのは、同行した先輩に寄生虫の恐怖をとことん吹き込まれてしまったからだった。

 なのでこの村の沢蟹の酒漬けは食べてみたかったのだけれど、こうなると口にする機会がなくて幸いだったといえるだろう。

 ちなみに淡水にいる蟹には、海の蟹よりも寄生虫がいることが多いという。もし酒に漬けられてもそれが死滅しなかったら、食事をする事がそのまま人の体内にまで侵入するルートになり得る。


 アルコールを受け付けない村長さん、沢蟹の酒漬けが嫌いだといったタンデンさんとケント君。甲殻類アレルギーのキサラギ。そして、この村に来てヨーグルト牛乳しか口にしていない私と、食事を自分で用意した神官長。

 この面子のみが寄生虫の影響を受けていないのは、これで説明が付くはずだ。

 恐らく、ケント少年の大叔父のドモンさんも余所の村出身という事で、沢蟹の酒漬けは食べた事はなかったのではないだろうか。ただ、多勢に無勢でタンデンさんと同じように口移しで寄生虫を入れられてしまったのだと思う。


「それに、もしこの村の状況が魔術の意識操作に依るものだったら、ナオミさんまで術に掛かってしまった理由が付かないよ」


 意識操作の魔術は、確か魔術が使える抵抗力のある人には掛からないはずだ。そしてそれは同時に、私にもそれが掛かっていない事でも証明できる。何しろ私は魔術関係に関しては、何の才能もない逆チートだしね!


「だが、ただの寄生虫が村人を操るなんてできるのか?」


 眉根を寄せた神官長が、そんな事を言ってくる。

 いや、私に聞かれたって分かりませんよ。寄生虫に相談して下さい。もっとも、


「かたつむりに取り付く寄生虫には、宿主を操ってわざと鳥に食べられやすい木の上に移動させるやつもいるらしいから、不可能ではないんじゃないかな。ただ、その可能性については、私よりもキサラギの方が詳しいと思うよ」

「へ? だから僕は何も……ああっ!!」


 話題を振られて慌てていた腹黒魔術師だったけれど、ようやく私の言いたい事を察したようだった。


「つまり、ただの寄生虫じゃなくて、寄生虫の姿をした魔物だったらどうなのかって話ね」



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