#13 その男、腹黒につき


 

 『特効薬』――そう私を呼ぶキサラギさんの目は、まるで無機物や実験動物を見るように冷たかった。


「あんたはこの世界の人間が、多大な犠牲を払って召喚した『特効薬』なんだ。だからあんたに人権なんてものを主張されても困るのさ」


 人間の価値は、転移符一枚よりもずっと重い。朝がた、キサラギさんは村長にそう言っていた。

 しかしそんな人間一人の価値も、この世界が総力を挙げて用意した途方もない『代償』には釣り合わないと、彼は言う。

 何万頭もの動物と、何キログラムもの希少金属と、何兆円相当の宝飾品や歴史的遺産、そしてもしかすると少なくない数の人間。そういったものを犠牲にして呼び出された私は、それに相応するだけの価値を示さなければならない、と。


「当時の魔術協会内の一派が、女神様なんてお題目を掲げて掻っ攫っていかなければ、今頃僕たちはあんたを使ってもっと世界に貢献ができたんだ」


 キサラギさんは忌々しそうに、舌打ちする。

 つまり魔術庁と神殿の反目は、かつて女神わたしを独り占めしたことを起因としていたらしい。

 私はごくんと唾を飲み、からからに渇いた喉を湿らせる。


「べ、別に私なんかがそっちに行ったって、世界に貢献できるとは思えないけど……」


 何しろ私は、魔術の才能がなければ無効化する事もできない、単なる一般人めがみだ。そんな私が魔術庁に行ったって、碌な仕事ができるはずがない。今だって、いわゆるニート女神なんだし。


「そうかい? でもあんたを調べたがっている奴は、魔術庁にも多いんだぜ。現代の魔術技術をもってしても、不老不死なんて成し得ない。あんたを隅から隅まで調べつくせば、人類の夢の一つに手が届くかもしれない」


 つまり、私自身の活躍にはなんら期待されてないわけですか! まあ、そらそうだ!

 ニートな女神の価値なんて、情報量に換算して40KBキロバイトもないだろうよ。きっとキノコを食ってでかくなる、某国民的髭親父の初期のゲームにも劣る。いや、40KBなんて容量で作り上げられたあのゲームが、すごいだけかも知れないが。

 けれど、1KBの女神にだって、16ビットの魂はあるのだ。

 彼が一歩近付くに合わせて、私はじりじりと尻で後退さる。


「キサラギさんも、私のことを調べたいの?」

「別に僕は不老不死には興味ないからね。でも、組織って言っても色々あってさ。あんたを引き渡せば、研究局の連中に恩が売れるのさ」


 つまり私は賄賂ですか。残念ながら、こちらと袖の下にすっぽり入るサイズじゃないですよ。

 彼はにっこりと、今までのように可愛らしく笑うが、その二面性を知った今となっては悪魔の微笑にしか見えない。

 べ、別にもう可愛い系美青年に惑わされたりしないんだからね!


「そんなことしたら、うちの神官長が黙ってないと思うけど」


 私は、神殿が誇る暴力と理不尽の権化――神官長の無駄に美麗な顔を思い出す。

 ツンでれならぬドメツンティック・バイオレンスな神官長だけれど、腐ってもニートであっても、一応祭神である女神わたしのことは見捨てないでくれる! ……はずだと信じたい。


 しかし、キサラギさんはものすごく嫌な笑みを浮かべた。


「残念だけど、頼みの神官長殿は来られないよ。今頃は、病院のベッドの上で絶対安静を申し付かっているんじゃないかな」


 私の中で、何かが音をたてて軋む。

 唐突に、周囲の雑音すべてが消えたように感じられた。

 

「……神官長に何をしたの?」


 睨み付ける私を見下ろす、彼のにやにやとした目が不快だった。


「転移符に、目的地に着いた瞬間爆発を起こす術式を加えて渡したんだ」


 私は大きく目を見開く。怒鳴りつけるために口を開いた私を制すように、彼は言葉を継ぐ。


「ああ、大丈夫。命が危なくなるような規模じゃないよ。ただ、そうだな。肋骨の二、三本は折れたかな」


 キサラギさん――いいや、もう敬称つけるの止めにする。キサラギはあっさりとそんなことを言ってのける。


「そんなこと、可能なの?」


 カレーにしょうゆを加えたかのように簡単に言ってくれるが、社会基盤の一つである魔術にそんな危険な改変ができるものなのか。もし可能であるなら、それはシステム的に色々問題があるんじゃないだろうか。

 しかし、彼は鼻を鳴らしてドヤ顔をしてみせた。


「一応僕だってエリートの甲種魔術師だぜ。転移符みたいな汎用魔術具に、あらかじめ爆発の術式を書き加えるくらいならできるさ。作動中の魔術に干渉する程になると、かなりの高位ランクの魔術師か、魔物でもないと無理だけどな」


 つまり敏腕ハッカーが企業のシステムに侵入して、ホームページを書き換えるようなものかな。まあ、パソコンの場合は、よっぽどの事じゃないと爆発なんてしないけど!

 キサラギは、私に手を差し伸べた。


「じゃあ、いい具合に望みも絶たれたところで、住まいを移して貰おうか。悪いようにはしないと思うよ。死んじゃったら、元も子もないしね」

「それって、神様待遇で大事にしてもらえるってこと?」

「せいぜい死なないように臓器取り外したり、死なないギリギリまで血を搾り取ったり、死なないように加減して投薬実験するくらいだから」

「余計悪いわ!」


 しかもなんのフォローにもなっていないし。

 そこまで生かさず殺さずの方針を貫かなくってもいいじゃないか。生きぬように死なぬようにって、家康か!

 私の背中に冷や汗が流れる。


「別に構わないだろう。どうせ神殿だって、女神だなんて調子のいいことを言っていても、所詮は特効薬扱いなんだし。薬か研究対象かの違いだけだろ」


 そんなことない、私はそう怒鳴りたくなる声を飲み込む。

 どうせこんな奴に何を言ったって、通じるとは思えない。話し合って分かり合える相手ではなさそうだし、そもそも話したいとも思わない。

 だけど、そうとなれば尚の事、これ以上打つ手がなかった。反抗する手だても、助けを求める手段も思いつかない。

 だったら、もう……仕方がないじゃないか。そう言わんばかりに俯き、消沈した私をキサラギはにやりと笑う。

 まるでエスコートを申し出るように差し出されたキサラギの手。男性にしては形の良い、水仕事なんてしたこともないような綺麗な白い手だ。

 私は怯えながらもその手を取る――振りをして、全力で引っ叩いた。


「痛ってえぇっ!」


 キサラギが赤くなった手を押さえて呻く。自分の手もかなり痛かったが、構うものか。

 私は素早く立ち上がって身を翻す。

 愚か者め! 誰がそう簡単に諦めて溜まるか!


「ふははは、残念だったな明智君! 三十六計逃げるが――ぶぎゃっ!?」


 とにかくこの場から脱出しよう。そう思って彼に背を向けた私だったが、一歩踏み出したところで何かに足を取られて顔面から素っ転んだ。

 キサラギが、足元の布団を思いっきり引っ張ったのだ。

 ズキズキ痛む鼻を押さえながら、私は振り返って怒鳴った。


「魔術師っていうなら、魔術使って足止めしなよ!」

「今から使うさ。あんまり反抗的な態度を取られると、移動も面倒だからね。予定通り気絶でもさせて運び出すさ」


 まるで散歩にでも出るような気軽さで彼は私に近付き、私はそのままずるずると、尻餅を付いたまま逃げる。彼は悠長にそれを追いかけ、やがて私の背中が襖にぶつかるけれど、このまま外に逃げるまで許してくれるとは思えなかった。

 だから私はせめてもの抵抗として顔を上げ、キサラギを強く睨みつける。キサラギは、おやっと面白そうに私を見た。


「どうしたの? なにかしてくれるの? でも、残念。調べはついているんだ。あんたは、何の力もない名前だけの女神だってね」


 そう。もし私が本物に力のある女神なら、彼にいくらでも天罰を与えて、雷でも盥でも一斗缶でも降らせることだろう。

 でも現実は、ただ無力に彼を睨みつけることしかできない。自分の情けなさに、歯がゆくなる。


 だけど。それでも。私は――疫病の女神なのだ。


 名前だけの、何の力も取り柄もない存在であっても、私を女神と呼んで大切にしてくれた神殿や信者の人たちのためにも、無様に屈することだけはできないのだ。

 視線よ、力を持て。意志よ、呪いとなれ。

 私はただ、自分にできる精一杯として強く、キサラギを睨みつけ続ける。

 彼は私の険しい眼差しに、一瞬だけたじろいだような表情を浮かべたが、すぐにそれを打ち消すように鼻で笑った。


「睨むだけの抵抗なんて、可愛いもんだね」

「キサラギ、マジぶん殴る」

「……。やれるものなら、ぜひどうぞ」


 キサラギは何か呪文を唱えながら、私に手を伸ばしてくる。私はその手から、一瞬たりとも目をそらさなかった。目をつぶることもしない。鉄の意志を持って凝視し続ける。

 そして、彼の手が私の額に触れる。その寸前――、


「――なに情けなく這いつくばってるんだ」


 小気味良い音を立てて、勢い良く襖が開く。何の遠慮もなく大股で部屋に入ってくるのは、忘れたくても忘れられないドSな毒舌。


「し、神官長うぅぅ――!!」

「泣くな。お前は腐っても女神だろう。しゃんとしてろ」


 黒く焦げボロボロになった服を着た神官長は、私にずんずんと近寄ると無造作に腕を掴んで無理矢理立たせる。ちょっ、痛い痛い、もう少し丁寧に! 腕がモゲる!


「不敬だぞ。こう見えて、こいつは疫病うちの神殿の女神だ。畏れ入り、ひれ伏せ」


 お前もいいかげん不敬だけどな! 腕、痛いからっ! 関節極まってるから!

 てか、神官長もの凄く怒っているみたいだ。このまま這いつくばって靴を舐めろとでも言い出しそうな勢いである。


「な、どうして……」


 キサラギが唖然とした顔で神官長を凝視している。神官長はにやりと非常に凶悪な笑みを向けた。


「そう言えば、随分な珍品を渡してくれたじゃないか。爆発付きの転移符なんてはじめて見たからな、うかうかと食らってしまったぞ」


 その恐ろしい笑みに、さすがのキサラギも怯えたような表情を見せる。

 私も気になって、神官長にたずねた。


「神官長には爆発は効かないの?」

「そんな訳あるか」

「サイボーグみたいに爆発を食らっても無傷なのかと」

「だれが機械人間だ」


 神官長ならあり得かねない。しかし、そうじゃないのだとしたら、どうして怪我がないように見えるのだろうか。

 神官長は呆れたように答えた。


「治したに決まっているだろう」


 彼はあっさりと理由を話す。


「神殿の前身は医療魔術に特化した白魔術師の集団だ。医師の資格の他に治癒の魔術免許ぐらい持っていて当然だ」

「いくら医療魔術を使ったと言っても、あの爆発で負う怪我の治癒に見合う『対価』をすぐに用意できるはずがない!」


 しかし、神官長の言葉にキサラギが反発する。

 確かに魔術による治癒は万能ではなかったはずだ。それをここまで完璧に癒そうとするならば、かなり大きな『代償』が必要となるのではないだろうか。


「ああ、お陰で神殿の貴重な伝統の一つが消えてしまったさ。もっともあの杖は、ああした非常事態に備えて用意されていた代物だったがな」


 そう言いながらも神官長は、どうでも良いことのように鼻を鳴らす。

 言われてみれば彼の手からは、代々神官長を務める者が持っていた265年の歴史ある杖が消えていた。

 伝統あるあの証なら、確かに大きな魔術の対価とすることも可能だろう。

 私は先の尖った折檻棒とした思っていなかったけど、まさかあの杖にはそんな目論みが込められていたとはついぞ知らなかった。

 神官長は、鋭い眼差しで貫くように、目を離さないまま彼に告げた。


「魔術庁所属、甲種魔術師キサラギ。貴様の疫病の女神誘拐の企ては失敗した。無駄な抵抗はせず、観念しろ」

「……ああ、分かってるよ。降参。僕の負けだ」


 神官長の言葉に、キサラギは深々と溜め息をつき、ゆっくりと両手を上げたのだった。




 

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