#12 進撃の女神



「――えっと、何のことでしょう? 所属、ということなら私はこの村の医師ですよ」 


 御存知でしょう、とキサラギさんは一瞬の間を空け、何事もなかったかのように困った顔で笑う。

 その様子はあまりに自然で、寂しげにも見える表情に、まるでこっちが間違っているような気にさせられてしまう。


「もしかすると女神様は、頭を打ったショックで記憶障害を起こしていらっしゃるんじゃないでしょうか?」


 一瞬そうかもと流されかけるが、私はいやいやと自分を奮い立たせた。手にしっかりと、ケント少年から返して貰った手拭いを握りしめてみる。


「えーと、それは違うんじゃないかな。と言うか、そもそもこの村に医者はいないような気がするんだけど」

「よろしければ、そう思う根拠を教えていただけますか?」


 キサラギさんはにこにこと可愛らしい笑みを崩さないまま、私から視線を逸らさずにいた。うーん、そうやって見つめられると話し辛いなぁ。私はもじもじと、布団の上で身じろぎをする。


「ケント君が言ってたんだけど、ここ最近、村の人たちは余所者に対してすごく無関心になってるらしいんだよね。知らない人間が混じっていても、ちっとも気にしないって。実際、私が村の奥様方に混ざっても、誰からも何も言われなかったんだよ」


 数少ない例外は、人を宇宙人呼ばわりしてくれたケント少年と、私を怪訝な顔でこちらを見たナオミさんだ。

 しかし私の言葉に、キサラギさんは首を振る。


「それはここ最近のことではなく、この村の人たちが昔からのん気でおおらかだってだけですよ」

「そうかな。でも、皆さん結構噂好きだし、比較的新しい住人であるナオミさんにも興味津々だよね。なのに知らない人間には無反応ってちょっと矛盾してないかな?」


 都会ならともかく、こんな田舎の人間づきあいも濃厚な村で、知らない人間に寛容って言うのは違和感がある。

 それでなくとも、まったくの見知らぬ他人が当たり前の顔で輪に加わってきたら、少なくとも名前くらいは尋ねるものじゃないだろうか。


「あと、この村の奥様方ってミーハーだよね。うちの神官長みてキャアキャア女の子みたいにはしゃいでた。きっと若くて格好よい男の人が好きなんだろうね」


 正直、若い男の人が好きって言う心理は理解できないわけじゃない。むしろ、いつまでたっても乙女心を忘れない奥様方に、私はかなり好感を抱いていたりもする。

 命短し、恋せよ乙女とは言うけれど、女性はいくつになっても乙女な部分を持ち合わせているのである。そういう意味では、私と村の奥様方は同じ穴の乙女なのだ。


「でも、そんな奥様方が医者に行くのは面倒だって言ってたんだよ。私だったらキサラギさんみたいに格好よいお医者さんがいたら、ちょっと具合が悪いだけでも喜んで通っちゃうんだけどな」


 できることなら、元気が良くても通いたいわ。

 病院の待合室なんて、そんな奥様方によるファンクラブの控え室みたいな雰囲気になるんじゃないかと想像が捗る。もちろん、顔写真の付いたハート形のうちわと、ペンライトやサイリウムも完全配備だ。


「それは僕が、まだこの村の人たちに受け入れて貰えてないから、……という答えはどうでしょう?」

「おや、昔からのん気でおおらかだった村の人たちが、受け入れてくれないの?」


 私が問い返すと、彼はくすっと笑って口を閉ざし視線で続きを促した。


「それにキサラギさんは、一昨日この村に着いたばかりの私が温泉から出てくるのを見たんだよね」

「ええ、そうですね」


 彼はいまだにニコニコとした表情を崩さない。でもあまりに変わらないその笑顔は、段々と仮面のように思えてくる。能面ならぬ、笑い仮面だ。そんなヒーロー、いたっけか?


「私の顔をキサラギさんが見たのは今日が初めてのはずなのに、なんで一昨日の時点で微笑ましく思ってくれてたの?」


 昨日、一昨日と神官長のチェックが厳しく入っていた私は、村の人と会うときには深々とローブを被っていた。

 つまり、彼が私の顔を認識したのは今日のはずなのだ。なのに何故か彼は、一昨日の時点ですでに、この顔が疫病の女神であると知っていたと言うことになる。


 キサラギさんは、にっこりと花の咲くような満面の笑みを浮かべた。


「それで、女神様は僕がいったい何者だと思うのですか?」


 動揺の欠片もない彼の問い掛けに、私は怯みながらも自分の出した結論を口にする。


 彼の正体。

 それは、式典や儀礼の類には参加しない、『女神』の顔を知っている可能性がある人間。

 村人に、部外者の存在を曖昧にさせることができる人間。


 私はいったん伏せていた瞼を、ゆっくりと開いた。


「以前に村長さんが調査を依頼した、魔術庁の調査官――かな」




  ※   ※   ※   ※




 私が自分の予想を口にしても、キサラギさんはニコニコとした可愛らしい笑みを崩さなかった。


(あれ……? もしかすると、大はずれ?)


 黙ったまま、何も言わずに笑っている彼に、私が焦り始めたその時。


「くく……うわははははははっ!」


 キサラギさんは、突然腹を抱えて大爆笑を始めた。畳みにすがりつくように両肘を突き、ひいひいと苦しそうに笑っていた彼は、ふいに顔を上げると、その薔薇色がかった前髪を後ろにかき上げた。


「ははは、いや、これはこれは参ったな。てっきり、神殿の傀儡女神様かと思っていたら、意外とやるじゃないか」

「いやいや、当てずっぽうのまぐれ当たりだよ」


 私はちいさく首を振る。

 

「村の人たちの余所者への鈍感さは、理由は分からないけど魔術でどうにかしたものじゃないかと思ったんだ」


 私とそして恐らくキサラギさんを警戒していたケント少年と、私を怪訝な顔で見たナオミさん。

 家族であっても血の繋がらない二人の共通点は、恐らく――『魔術』。

 魔術技師であるナオミさんと、魔術師になれる才能があると言われていたケント少年。二人は潜在的に、魔術に対する抵抗力を持っているのかもしれない。


「となると、キサラギさんを医師として私たちに紹介した村長さんは、協力者だったんじゃないかな。暗示みたいなものを掛けられているようには見えなかったし」

「そうだね。魔術庁と疫病の神殿の間には軋轢があるから、正体を黙っていて欲しいと僕からお願いしたんだ」


 キサラギさんはにやりと笑う。

 その笑顔は、先ほどまでの幼さの残る上品なそれではなく、どこか荒んだ印象を与える剣呑な笑みだ。まあ、それでも美形は美形だから、やっぱり顔が良いって得だよな。


「それで、村長さんに医者だって嘘を付いてもらったの?」


 魔術庁から人を派遣してもらえたのだから、もしかすると村長はそもそも魔術庁に何らかの伝手があったのかもしれない。だから彼の言うままに協力したのかと思ったが、キサラギさんは肩をすくめる。


「まるっきり嘘って訳じゃないさ。僕も多少なら医療系魔術が使えるしね。もっとも、医療系魔術は魔術庁の管轄じゃないから、かじった程度だけど」


 キサラギさんは立ち上がると、芝居がかった仕草で一礼する。


「それでは、疫病の女神様に改めて御挨拶しようか。僕は魔術庁調査局魔種調査課所属の甲種魔術師、キサラギ。以後お見知りおきを」

「あ、はい。どうも」


 東京特許許可局みたいな名乗りだなと思いつつ、私も布団の上に正座して頭を下げる。キサラギさんは、呆れたような顔で私を見た。


「何というか、緊張感ないねえ。もっと驚いたり、ショックを受けたりしてくれないの?」

「いやはや、この世界に来てからこの方驚くことばかりで、そういう時期は過ぎてしまっているのだよ」


 今はもう、たいていのことならあるがままに受け入れる心積もりがある。

 昔から、流されるままに生きるのは得意なのだ。それができなかったのは、……あ~、過去一回くらいはあったっけか。


「あ、でも確か調査って終わってたんじゃなかったっけ?」


 この村で流行っている奇病については、最初呪いや魔物の関与を疑って調査を依頼したけれど、その線は否定されたとかいう話だったような。

 それを尋ねると、キサラギさんはため息をついてうなずく。


「ああ、確かに呪術の痕跡や、魅了チャームを使えるような上級魔物の存在は確認できなかった。でも、非常に微かだけれど、薄ら魔の気配はあったんだ」


 そのため、念のため調査は継続して行われた。また、万が一伝染病だった場合に備え、感染を恐れた村人がパニックを起こして町に逃げ、無闇に病を広めてしまわないよう、危機意識を低下させる術を一帯に展開したという。

 それが余所者に対する警戒心のなさという形で、表に出てきたとのことだった。

 いささか非人道的な処置にも思えるが、かつて伝染病によって滅びかけた世界の人間にとっては、それくらいの用心深さは当然なのかもしれない。


「疫病の神殿からも人を呼んで調べてもらうとは聞いていたけど、まさか女神様自らがわざわざお越しになるとはね。こんな好期を見逃せる訳がない」


 そんなことを考えていた私に、にたり――と、彼は嬉しげに笑う。その薄ら寒さに、私は思わず腰を浮かしかけた。


魔術庁うちはずっと疫病の女神の引渡しを、神殿に訴えては断られていたんだ。それが目の前で、こんなに無防備にうろついてるんだよ。手を出さないほうが嘘だろう?」

「あれ、もしかすると私を昏倒させたのって、キサラギさん、だったり?」


 予想外の方面に進みだした展開に、私がおずおずと尋ねる。彼は呆れたように目を見開いて、ため息をついた。


「おいおい、今更気付いたのかよ。いくらなんでも危機感なさ過ぎだろ? まさかあんたも、危機意識低下の術に嵌まってんのか?」


 悪かったな! こちらと魔術の類は普通にかかる非チートなんだよ!


「そもそも、いきなり殴って気絶させるとかそんな乱暴なことするなんて、人をいったい何だと思ってるのさ!」


 私は彼の非常識さを非難する。魔術庁ってあれでしょ。一応国家権力だったりするんじゃないの。公務員とかそれ系統の。それとも、この世界では誰しも暴力ドS属性が標準装備だったりするのかい。

 しかしキサラギさんは、そんな訴えを鼻で笑うと、蔑んだ目で私を見下ろした。


「人? アハハ。違うだろ、あんたは人間じゃない。自分だって分かってるだろ、疫病の様」

「……っ」


 私は言葉を失い、息を飲む。

 一気に顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かった。

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