第三章 謎解きは朝風呂の前に
#11 大いなる惰眠
目を覚ますと、布団の上に寝かされていた。
いやはや、随分懐かしい夢を見たもんである。しかも若干悪夢寄りだ。
ふと視線を上げると、心配そうにこちらを覗き込んでいる二つの人影があった。
もはや死に態と化しているかのような村長さんと、薔薇色がかった巻き毛に灰色の目の、可愛い系美青年医師キサラギさんだ。今日も無駄にキラキラしている。
「……えっと、おはようございます」
おずおずと私が声を掛けると、村長さんは涙腺を崩壊させておいおいと泣き出した。
「ご、御無事でようございました女神様ぁっ! お世話を任せて頂いたというにもかかわらず、このような目に合わせてしまいましたこと、誠に弁明のしようもございません!! かくなる上は腹を切ってお詫びを……っ」
「いや、いいから。勝手に外に出た私が悪いんだからね、落ち着いて!」
とりあえず臓物はぶちまけないで! ホルモンは好きだが、食べられない内臓を愛でる趣味は無いんだ!
刃物を取り出し、腹を縦一文字にしようとする村長をどうにか宥めて、私は状況を確認することにした。
ちなみに関係ないことだが、私はレバ刺しも好きだ。なのに何故か、この世界でも規制されている。非常に解せない。
「女神様がこの家の前で襲われているのを、うちの村のケントが見つけました。ケントが声を上げると、犯人は逃げていったそうです」
もしかすると、キューザンを刺した犯人と同一人物ではないでしょうか、と平静を取り戻した村長は推測を付け加え、話をする。
なんと、キューザンさんのみならず、私にまで危害を加えようとは何と悪辣な!
犯人に向けて、私は不快感をあらわにする。見つけたら、ぎゃふんの一つでも言わせてやらないと気がすまないぞ。
「ケントはキサラギ先生がいらっしゃる前に慌てた様子で帰っていきましたが、女神様にお届けしたかったという忘れ物を預かっております」
そう言って差し出されたのは、私が入浴する時に使って、ケント少年の傷口に巻いてやった手拭いだった。
貸したままの皺だらけの手拭いだけれど、不器用ながらもきちんと畳もうとした痕跡が見て取れる。
まったく律儀な少年だと苦笑する一方、それによって助かったことを思うと彼の心遣いがとても得難いものに感じられた。
彼には明日しっかりお礼をしなければ。もちろん、お礼参りの方じゃない。校舎裏にも呼び出さない。
「もうだいぶ時間も遅くなっておりますが、女神様がお目覚めになられたことを神殿に伝えてまいります。キサラギ先生、後は宜しくお願いいたします」
そう言って、村長さんは深々と頭を下げて、部屋を出て行った。
どうやら日付が変わってしまうような時間だったらしい。深夜労働させて、すみませんね。
しかし村長さん、この件を神殿に伝えちゃってたのか。となると自動的に神官長にも伝わって……と私はぶるぶると震える。どうか、軽い折檻ですみますように!
「女神様、ご気分のほうは如何ですか? 気持ちが悪かったり頭痛がしたりなど、症状はございますか?」
私とともに残されたキサラギさんが、心配そうにこちらを伺う。
その顔は年の割りに幼さが残るものだけれど、よく見ればその一方で、彼の灰色の双眼には剃刀のように鋭い知性がちらりと覗いている。
そのギャップが余計に彼の魅力を引き立てているのだったが、まあ、有り体に言えば単に美形だというだけの話だ。
「ちょっと後頭部がズキズキするけど、あとは普通かな。えっと、診察の時に私の顔を見たりとかした……?」
現在はまだローブを被っているが、もしや例の神秘的ではない素顔を見られてしまったのだろうか。
うわー、だとしたら神官長にどやされる! 私は焦るが、一方でキサラギさんの方も見るからに挙動不審に慌てふためいた。
「い、いいいいいえ! 女神様の御尊顔を拝謁するとは恐れ多く! ええええっと、診察の関係でちらっと目に入ったような入らなかったような感じにはなりましたが、できる限り触診だけで済まさせて頂きましたのですがしかし!」
「そこまで慌てられるとこっちが逆に冷静になるわ」
そんな狼狽しなくても、普通にしてくれていいからさ。
と言うか、いくらなんでも焦り過ぎだろう。私はゴーゴン三姉妹か黄泉の国のイザナミか。別に顔を見られたからって何にもないわい。
……ただちょっと、お目付役が恐いだけで。万が一、折檻のとばっちりがそっちまでいってしまったら、その時は両手を合わせて御冥福を祈ることは約束しよう。なんなら饅頭の一つや二つ、供えてもいい。
ともかく私がそう言うと、キサラギさんはほっとしたようだった。
「そうですか。女神様が気さくな方で助かりました」
キサラギさんはほわんと笑った。その笑顔に釣られて、私も相好を崩す。もっともローブで見えないがな!
私はえへんと胸を張る。
「私、女神の中でも庶民派で通ってますから」
「何ですか、それ」
くすくすと互いに笑いあう。
庶民派というか、実を言うと根っからの庶民であることは、黙っておいたほうがお互いのためかもしれない。さもなければ、ただでさえ足りない神秘性とやらが、崩落の勢いで消えてなくなってしまう。
「女神様は頭部への打撃による脳震盪で、意識を失っていらっしゃったようです。後頭部にコブができてしまっておりますが、それ以外に大きな問題はなさそうです。ただ、もし今後気分が悪くなったりと状態の悪化が見られましたら、すぐに大きな病院に行って検査してもらってください」
「うん、分かった」
私は頷く。コブを手で擦ると刺すように痛むが、大事ないようで良かった。
「それと、念の為明日……いえ、日付が変わったから今日ですね。温泉に入るのは控えてください」
大事あったああぁぁ!
私はショックのあまりにがっくりと肩を落としそうになるのをどうにか堪える。
しかし私は、そこでふいに違和感に気付いてキサラギさんを見上げる。その視線にキサラギさんは、ああと一つうなずいた。
「女神様は、意外と活動的でいらっしゃるんですね。実はいらした初日に温泉から出てこられる女神様をお見かけしましてね。あの時は、女神様も温泉がお好きなのかと微笑ましく思ったんですよ。今日も温泉の後、ケント君と村を回っていらっしゃいましたよね」
「あ、あははは」
私は乾いた笑いを浮かべて、誤魔化しを試みる。
いかんな。ばれてないと思っていたけれど、実は色んなところで目撃されていたみたいだ。いやあ、悪さをしないで良かったよ。
女神様、雷親父の家の柿の実を盗み食い! とか、食堂のライスお変わりし放題新記録達成! とか広まってフライデーに載っちゃったら、神殿ではろくにご飯を食べさせてもらってないと思われるところだったよ。……ん? それって本当に勘違いなのか? 私はこの村に来て以来、ヨーグルト牛乳しか入れていないお腹をさり気無く擦る。
「疫病の神殿の女神様ということで、どれだけ恐ろしい方なのだろうと思っていたのですが、実は親しみやすくて可愛らしい方なんですね。何だか僕も、女神様に対する興味が湧いてきましたよ」
キサラギさんはその可愛らしい顔に、にっこりと親密さのこもった笑みを浮かべこちらを見る。背後に満開に咲き誇るお花畑が見えるようだった。
ふむ、もしやこれがいわゆるモテ期という奴か。これまで顔はいいけど暴力ドSな神官長ばかりと接してきたから、こういう反応はなんだか実にこそばゆい。
それともまさか召喚から二百六十五年経ってついに、逆ハーレムの法則が発動しようとしているのか! 周回遅れにも程があるぞ!
「私も、キサラギさんに興味があるかな」
ならば、とローブの奥の口元ににっこりと笑みを浮かべて、私は彼に言う。
「わっ、本当ですか。女神様にそう言っていただけるなんて、光栄だなぁ。良かったら、僕らもっとお近づきになりませんか?」
「いいともー!」
なんなら明日のお昼のテレフォンショッキングで、一緒にうきうきウォッチングしあげるのもやぶさかではない。もっとも――、
「でも、その為にはお互いを良く知っておかないと。ねえ、キサラギさん。聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか? 何でも聞いてください」
キサラギさんは間髪入れずに、にこにこと問い返す。いやはや内容も聞かないうちに、実に太っ腹である。だから私も遠慮なく尋ねることにした。
「キサラギさんは、いったいどこ所属の人間なの?」
その一瞬。空気がぴんと張り詰めた気がした。
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