第二章 一人少年探偵団(助手は永遠の20代)
#6 熊と親父の神隠し
何やら誰かが言い争っている。
きっかけは、本当にちょっとした、つまらないすれ違いだ。
普段なら、翌朝には誰もが、何事もなかったかのように笑い合える程度の。
なのに今回に限ってはそれは、取り替えしの付かないほどの激しい憎悪へと塗り替えられる。
でもそれは仕方がないかも知れない。
これほどまでにすべてが、殺伐とした空気に包まれていては。
彼等もまた、何かに操られるように強い悪意をぶつけ合っている。
そしてそれは、ついに感情の衝突の域を――越えてはいけない一線を踏み越える。
ああ、いけない。
《私》はそう考える。
だけどここから。そう、ここにいる《私》には、何の手出しもできないのだ。
そして、ついに悲劇は起こってしまった――。
※ ※ ※ ※
目が覚めると、それなりに日が高く上がっていた。
なんだか良くない夢を見たようで、気分が悪い。
とりあえず一風呂浴びて、気分を入れ換えよう。
そう思って手ぬぐいを持って部屋を出ようとしたところで、背後から声が掛かった。
「何をしている」
「うお、神官長。そういえば存在してたな」
「人を勝手に宇宙から抹消するな。どこに行くつもりだ」
すでにすっかり身嗜みを整えた彼は、仁王立ちになって私を睨みつけている。
ちなみに神官長と私は、境界線代わりになった几帳で部屋を二等分して就寝した。
私は他人の気配は気にならないほうなので、すぐに爆睡したが、それでも妙な夢を見てしまったのは、こいつの暴力ドSオーラが私の側まで染み出して来たからかもしれない。
「眠気覚ましに、温泉に行って一風呂浴びてこようかなって」
「却下だ。沐浴用の盥を持ってきているから、それに湯を張って我慢しろ」
嫌だよ! 何が悲しくて温泉地で、盥に入らなくちゃいけないんだ。
「俺は禊を終えた後、冷えた身体を温めるため温泉に入ったけどな」
「裏切り者がいる!」
信者の皆さん、ユダ級の裏切り者がここにいるよ! 自分ばっかりずるい!
グルルと獣のように唸りながら睨みつけていると、神官長は小さくため息をついて襖の向こうを顎で示す。
「いつまでも惰眠を貪っているほうが悪いんだろう。それに何だかさっきから外が騒がしい。何かあったのかも知れないから、お前は出歩かないほうがいいだろう」
「何かって、なに?」
「俺が知るか」
布団を畳みながらそんなことを言い合っていると、襖を叩く音がする。慌ててローブを被って待機すると、村長さんが入ってきた。
相変わらずの病人面であるけれど、今日はさらに拍車が掛かって突っついただけでも死にそうな様子である。
「おはようございます、女神様。神官長様。床上げも手伝わずに、申し訳ございません。村で問題が起りまして手が足りなくなっておりました」
「それは構いませんが、なにやら外が騒がしいですね。何があったのですか?」
恐縮する村長に神官長が尋ねる。彼は深々と頭を下げて、実はと事情を語りだした。
「村のキューザンという男が、昨日の夜から行方不明になっておりますのです」
「それは、例の病による失踪ですか?」
「そうかも知れませんが、違うかもしれません。少なくとも、キューザンは目に見えて分かるほど重症ではありませんでした。ですが念の為、村の男総出で山の滝や沢などを捜索しております」
村長は痛ましげな様子で首を振り、ため息をつく。
そう言えば、昨日公共温泉で奥様方が話題に出してたのも、キューザンさんだったよな。確か悪戯小僧の息子がいるんだっけ。
そんな緊急事態との情報を聞いた神官長は、ひとつうなずき、立ち上がった。
「分かりました。では、自分も捜索に参加しましょう。こういう時は、一人でも人手が増えたほうがいい」
「いえ、そんな神官長様自らなど恐れ多い!」
慌てふためく村長に、神官長は首を振る。
「有事の際、民に力を貸すのも我々神殿の役目です。それに、もしその失踪が病によるものでしたらこちらにとって無関係ではありません」
そう言って、彼は素早く支度を整える。
「では、女神様。行ってまいります。自分が不在の際に御不便をお掛けしてしまいますが、どうぞお許し下さい。留守を頼みます。どうかくれぐれも、宜しくお願いします」
彼は普段の粗雑な扱いからは180度離れた、懇切丁寧な礼をして、村長とともに部屋を出て行った。
最後の一言に随分力が入っていたが、ようするに、くれぐれも≪大人しくしていろ≫ということだろう。
なんとも信用がないものである。引き篭もり暦が十干十二支を一巡する私にとって、大人しくするなんて息をするよりも簡単なことであるというのに。
けれど、奴の言うとおり確かにこういう時には一人でも人手があった方がいいということも私は知っている。
有事の際、民に力を貸すのが神殿の役割なら、不肖私も神殿の住人の一人としてそれに参加する義務があるだろう。
そういうわけで、私は誰かが寝ているように布団を細工すると、ローブを脱ぎ捨て、さっさと部屋を出たのであった。
※ ※ ※ ※
村は昨日とは違い、さすがにどこか物々しい空気に包まれていた。
賑やかな声が聞こえる方向を目指して歩いていると、何人もの女性が炊き出しの準備をしているのが見えた。
「おはようございますー、手伝いますよー」
「おお、そうかい。じゃあ、こっちで一緒に男連中に食わせる飯を握ってくれ」
「はーい」
私はあっさりと奥様方に混じって、握り飯を作っていく。
さすがに山狩りには参加できないが、これくらいだったら私にもできる。形が多少いびつなのは見逃して欲しいが。
「しかしキューザンさんとこも災難だなぁ。実家のことやら相続のことやらで落ち着かないと思ったら」
「キューザンさん帰ってこなかったら、血ぃ繋がらない息子しか残らんじゃないかい。嫁さんどうすんべかな」
「実家帰んじゃねいかい? 嫁さんは町の人だし、他人ばかりの中じゃ暮らし難いべ」
相変わらずぺちゃくちゃとお喋りをしている奥様方だが、それでも手を動かすスピードは衰えていないのがすごい。
これが、素人と玄人との違いだろう。村の奥様方、恐るべし。
「そう言えば、お堂に安置しておいた女神像、今朝方忽然と消えちまったとか」
「本当かい? ありゃ、村長がことのほか大事にしてて、歴史的にも重要だから文化遺産に申請するとかなんとか言ってなかったかい?」
「はあー、最近妙な病が流行ってるとか言うし、なんだか呪われてるみたいだねぇ」
村長が大事にしている女神像って……まさか私の像じゃないよね?
私は偶像崇拝許可した覚えないよ! ちゃんとディテールに拘って、リアルな彩色を施してくれるなら考えるけど。
それにしても、もし本当に私の像が作られてるとしたら立像じゃなくて涅槃仏になってる気がするけど、実際のところどうなんだろう。今度神官長に聞いてみよう。
「すみません……皆様、ありがとうございます」
奥様方の話に耳を傾けながらそんな事を考えていると、ふらりと線の細い女性が近付いてきた。
ウェーブがかった薄い金髪の、腺病質の美人だが、今は顔が青褪め今にも倒れそうだ。
「まぁ、ナオミさん!」
「いいのよ、いいのよ。困ったときはお互い様でしょ、まだ辛そうじゃない寝てなさいって」
奥様方が甲斐甲斐しく世話を焼く。
どうやら話を聞くに、今回失踪したキューザンさんの奥さんらしい。何だか保護欲をそそる儚げ美人さんだなぁ。しかしそんなナオミさんは、ふとこちらに気付くと怪訝そうな目で私を凝視した。いやん、そんなまじまじと見られると癖になっちゃうじゃないですか。
「……あの、どなたかうちのケントを見ませんでしたか?」
もっともそれも数秒の事で、気を取り直したナオミさんは、おずおずと周囲に尋ねる。奥様方は途端に顔を見合わせて、やれやれとため息をついた。
「あの坊主、また家出してんのかい?」
「父親の一大事にまったく仕様のないこと。ほっときなさいって、もう」
「そう言えば、朝ごはんはもう食ったかい? ほら、良かったらこれお食べよ」
差し出された握り飯を、彼女はぎこちなく受け取る。
しかし、それに口をつける前に山のほうから誰かの声が聞こえた。
「おーい、キューザンさん見つかったぞー!」
私たちははっとして腰を浮かした。
握り飯がひとつ、コロンと地面を転がった。
※ ※ ※ ※
キューザンさんが見つかったのは、山の中の、傾斜の急な窪地の下にある蛹ヶ淵と呼ばれる場所であり、落下の際に負ったのか骨折や打撲が酷かったという。
しかし不幸中の幸いにも、意識不明の重態でありながらもまだ息があったので、大急ぎで医者の下へ運ばれて行った。
その知らせを聞いた奥さんのナオミさんは、安堵の為かそのまま気絶し家に担ぎ込まれ、現在は捜索に参加した面子が炊き出しの握り飯を頬張っている。
ちなみに、私は握り飯には手を付けていない。空腹を感じず、食事をせずとも生きていられる私が、ただ楽しみのためだけに炊き出しのご飯を頂戴するのは気が引ける。これは頑張って働いた人のための食事だ。
さあ、皆のもの、思う存分腹を満たすが良い! ……なんか私が握ったのばっかり残されてる気がするけど、気にしない!
次々と戻ってくる人に握り飯を渡していると、ふいに鋭い視線を感じて私は振り返った。
見ればそこには銀髪碧眼色黒の美男子が、私に熱心に視線を向けているではありませんか! もちろん我らが暴力ドSの神官長様だ。
彼は物凄く凶悪に顔をしかめ、もの言いたげに私を睨みつけている。
たぶん、人目がなければ思いっきり怒鳴りつけていただろう。いや、怒鳴りつけるどころの話じゃないな。きっと踏んだり蹴ったりの折檻地獄が待っている。
下手に逃げても掴まるだろうし、さてどうしようと困っていると、村の男たちが神官長を取り囲みだした。
「いやいや、神官長様。ありがとうございます」
「さすがは疫病の女神に仕えるお方だ」
「ささ、良かったら一杯どうぞ」
「阿呆。朝飯も食ってないんだ。腹減ってらっしゃるだろう。こんなものですんませんが、握り飯をどうぞ」
口々に感謝の言葉を伝える村人たちに、神官長はいつもの特大猫を被って対応しているが、徐々にエネルギッシュな田舎のおっさんパワーに圧され始めている。
こんなに困っている神官長を見るのって、初めてかも知れない。
「いやー、しかし格好良い人だべなぁ」
「さすがは洗練された都会人ってとこかいなぁ」
給仕をしていた奥様方も、遠目からなにやらキャイキャイとはしゃいでいる。きっかけさえあれば、男たちを押し退けて突撃しそうな勢いだ。
「はぁー、一度二人っきりで説教してもらいたいもんだぁ」
恰幅の良い奥様の一人が、腰をくねらせて頬を赤らめるが、それは止めた方がいいぞ。
奴から一対一で説教を受けるには、肉体的にも精神的にもかなり特殊な性癖を必要とすることになる。
囲まれもみくちゃにされている神官長を尻目に、私はそうっとその場を後にする。
それに気付いた神官長が、裏切り者と言わんばかりの目で私を見た気がするが、きっと錯覚だ。
なにしろ、私がここにいるはずがない。神官長が見たのは、幻かそっくりさんかドッペルゲンガーだ。
私はぐいっと親指を向けて彼の幸運を祈ると、そのまま部屋へと戻ったのであった。
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