#7 ドエスリアンVSプリティドクター




 結論から言うと、ドッペルゲンガー作戦は通用しませんでした。

 私はずきずき痛む頭を抱えて、畳の上に突っ伏した。


「まったく、こんな緊迫した状況下でどうしてのこのこと出歩いたりするんだ」


 一仕事終えたとばかりにパンパンと手をはたき、神官長は嘆息する。

 くそう! お前なんて田舎のおっちゃん奥様方にもみくちゃにされて、窒息してしてしまえば良かったのに!

 私は唇を尖らせて、神官長に文句を言う。

 暴力によってすべての言論を封じられると思うなよ。ペンは剣より陰険なのだ!


「緊迫って、別に危険でも何でもないでしょう。窪地の淵に倒れてたってことは、キューザンさんの失踪も例の奇病のせいだろうし」

「だったら俺だってここまで口煩く言ったりはしない」


 嘘だ! たとえどんな状況下だろうと、あんたの口煩さと凶暴さとドSっぷりは常にリミッター振り切ってるだろう!

 思わず指を突きつけたい思いを堪えて、代わりに胡乱な眼差しで神官長を見つめていると、やがて彼はやれやれとため息をついた。


「いいか、これは一部の者にしか知らされていないが、発見されたキューザン氏の腹部には刃物が刺さっていた」

「えっ、つまりそれって誰かがキューザンさんを刺した上で、斜面の上から淵に突き落としたってこと!?」

「その可能性が高い、というのが我々の総意だ」


 つまり、これは病気うんぬんではなくて紛れもない事件なのだ。

 というか、キューザンさん。それで良くもまぁ生きていたものだ。行方不明になってから、丸一晩経っているんでしょ?

 こんな奇跡を目の当たりにすると、神様って本当にいるんだなぁとしみじみと思ってしまう。って、私も女神か。


「かなり大柄で丈夫そうな人だったからな。大の大人五人がかりでも、運ぶのが一苦労だったぞ」


 神の奇跡じゃなくて、肉体の勝利だったらしい。

 むしろそんな熊のような人が、あの儚げなナオミさんの旦那さんなのか。……リアル美女と野獣だな。


「まだ理解していないようだからはっきり言うが、この村にはその犯人がいるということだ。お前はカリスマも何もない駄女神だが、それでもこの世でただ一人の疫病の女神だ。万が一何かあっては、神殿が立ち行かなくなる」


 神官長は眉間の皺をさらに深くしながら、私に向かって苦言を呈する。

 別に美容師でも料理人でもないのでカリスマは要らないが、駄女神は酷いんじゃないでしょうかね。あと、ついでに神殿の先行きだけじゃなくて、私個人の心配もしてくれや。寂しいじゃん。


「だから、犯人が捕まるまではこれまで以上に大人しくしているんだぞ」


 かなり強い調子で言われ、私はしぶしぶうなずく。


「ところで、犯人に目星ってついてないの?」


 都会なら愉快犯だとか通り魔とかで、見も知らない他人に危害を与える人間がいてもおかしくはないけれど、こんな山奥の村の中での事件なら犯人は顔見知りと考えたほうが可能性も高い。


「それが、被害者は現在いくつかトラブルを抱えていたようでな」


 神官長が山狩りの最中に否が応にも聞かされた噂によると、キューザンは養子に入ってこの村に住む養父母に育てられたのだが、最近になって生家の跡継ぎだった長男が急死してしまったそうだ。

 その為、実父はキューザンに戻ってきて貰い家を継いで欲しがっているが、それをこのままなら相続できるはずの叔父に当たる男が反対しているという。

 また養父母も、キューザンが村の外で出稼ぎをしていた時に連れ帰ってきた嫁に不満を抱いており、同じ村でありながら仲はあまり良くないという。


「それと、被害者には酒を飲むと暴れる癖があったらしくてな。体が下手にデカイせいで、うっかり人に怪我をさせてしまったということも一度や二度ではないそうだ」

「つまり、誰が犯人であってもおかしくないって状況か」

「そうなるな」


 トラブルメイカーというのはどこにでもいるものだけれど、酒を飲んで他人に迷惑を掛けるというのは頂けない。

 私はそれほど酒は強くないので嗜む程度にしか飲まないけれど、自分も回りも楽しく飲んでこその酒だろう。酒は百薬の長とも言うけれど、飲んで暴れる原因となるなら、それはもはや毒物以外の何物でもない。自分も大切な人も傷つけるだけのものになってしまう。

 私はしみじみそう考えていたが、しかし神官長はそこでぷっつりと話を打ち切った。


「もっとも我々の任務は、この村で広まっている奇病をどうにかすることだ。傷害事件の犯人を捕まえることじゃない」

「まさかこのまま放置プレイですか!?」

「部外者の我々が口出しすることじゃないと言っているんだ。薮を突っついてドラゴンを出したくないだろう」


 この世界では、藪の中にドラゴンが潜んでいるらしい。これから薮を見たら気をつけなければ。


「そもそもだ」


 と、神官長は冷たそうな青い目を眇めて、私を睥睨する。ドSの本領が存分に発揮された、見下し感満載の眼差しだ。どこぞの業界ではご褒美になりそう。


「少なくとも、この件でお前にできることなんてないだろう。そんなことないと言うなら、先に奇病の方を解決してくれ、疫病の女神サマ」


 嫌味混じりではあるものの、まったくの正論にぐうの音も出ない。

 被害者も辛うじて生きているようだし、確かに面白半分に手を出していいことじゃないのかもしれない。

 私はしぶしぶと、これ以上首を突っ込むのは止めることにした。



 しかし、残念ながら事件の方はそう簡単に、こちらを手放してはくれなかったのだ。




  ※   ※   ※   ※



 翌日の早朝、この村のイケメン医師ことキサラギさんと村長が私――というか、神官長のところに相談に来た。


「こんな朝早くにすみません。実はキューザンさんのことで至急ご相談したいことがありまして」


 酷く狼狽した様子で頭を下げる村長さんの話を、キサラギさんは引き継ぐ。


「実はですね、キューザンさんは崖を落下したときに頭を打っていたようで、脳の血管に傷ができてしまっているんです」

 

 キサラギさんはさすが医者だけあって、青褪めてはいたものの冷静に話を進める。


「血管から流れた出た血液は、頭蓋骨の中に溜まって少しずつ脳を圧迫しており、非常に危険な状態です。しかし、この村には脳外科手術をする設備はありません。すぐにでも大きな病院へ搬送する必要があります」

「つまり、キューザン氏を病院まで運んで欲しいという依頼ですか?」


 神官長が尋ねると、村長は申し訳なさそうに頭を下げる。


「まことに勝手なこととは承知しとりますが、その通りです。女神様方は、この村へトラックでお越しになっていらっしゃる。この村にある車は、キューザンを安静に保ちながら運ぶには、いささか小さいものばかりなのです」


 キューザンさん、あんたどんだけ大柄なのさ。

 思わず私は心の中で突っ込みを入れる。一方、神官長はその話を聞きながら、随分難しそうな表情を浮かべていた。


「しかし、ここから設備が整った大病院までは、少なく見積もっても三時間は掛かるでしょう。果たして間に合いますか?」

「かと言って、このままキューザンを見殺しにするわけにはいかないでしょう?」


 銀髪のドS美形の氷のような青い目と、薔薇色癖毛の可愛い系美青年の灰色の目の間にバチバチと火花が散っているような気がする。

 果たしてどちらを応援すべきか。

 ……こちらは心情的に、可愛い系医師を応援したいんだけど、駄目だろうか。


 もっとも、睨み合いはほんの短い間で終わってしまった。

 神官長はため息をつくと、今にも泡を吹いて倒れそうな村長さんに尋ねた。


「失礼ですが、都市に跳ぶ転移符はお持ちですか?」


 その言葉に村長さんははっとするが、頷く様子はどういうわけかどこか不本意そうだ。


「あるにはあるのですが、あれは村にも一枚しかない秘蔵の符で……」


 明らかに転移符を使うのを嫌がっているようだが、まあそれも仕方がないだろう。


 転移符というのは、都市と都市とを結ぶ主要な交通手段である長距離転移陣の、いわば携帯版だ。

 一方通行かつ使い捨ての移動方法ではあるけれど、いつでも好きな時に、好きな場所から、あらかじめ設定した任意の地点に移動することができる便利な魔術道具マジックアイテムなのである。


 こう聞くと、転移符はとても使い勝手の良い道具のように聞こえるけれど、現在そして今後しばらくは、転移符が日常の移動手段になることはないだろう。

 何故なら、転移符による移動はべらぼうに経費コストがかかるのだ。


 転移符本体の値段も、一枚で私のプログラマー時代の給与一ヶ月分(残業代込み)は軽く越えるというのに、この村から一番近い都市まで移動するためには、年収二、三年分全額を注ぎ込む必要があるほどの『代償』が必要となる。

 だからどこの自治体でも、非常事態の時の備えとしているところが多い。


 ちなみに『代償』とは、魔術を使う際に必要となる『対価』のことだ。

 この世界において魔術は、通常その力に見合った分の『価値あるもの』を消費し、それと引き換えに効力を発揮する。

 『代償』は”賢者の石”や”世界樹の葉”などと言った魔術的に価値を持つ物の他にも、宝石や貴金属といった純粋に高価なもの、歴史的価値の高い重要文化財、生きた動物や人間といった道徳的な意味の上での価値。そんな一般的に価値があるとされるものは、すべて魔術の『対価』に成り得るのだ。

 

 転移符などは、魔術師ではない普通の人間でも使えるようになっている魔術道具だけれど、それは購入時に移動に必要な『代償』に相当する金銭を支払うことで、『対価』を先払いしているとも言える。

 なお、蛇足ではあるけれど、転移陣を用いる場合は転移符ほどの『代償』は必要とされない。固定型の転移陣と転移符では使っている魔術の種類や難易度が違っているそうな。

 魔術は複雑なので、私には良く分からん。


「村長殿が貴重な転移符を温存したがる気持ちは分かります。しかし、今が転移符を使うべき非常事態なのです。人の命は、転移符一枚よりもずっと価値がある」


 キサラギさんも、医者らしい言葉で村長の説得に参加する。

 それでもまだ思い切れない村長に、神官長はとどめの一言を口にした。


「分かりました。それでは今回の転移符の使用で掛かった費用は、すべて神殿で負担します。女神様の前でこれ以上、人間の醜い姿を見せることはできません」


 その言葉に、村長ははっとしたように私に視線を向けた。


「確かに……女神様の御前にあるまじき態度でした。疫病の女神様、どうぞお許し下さい」


 病気の解決に来て貰っている相手の機嫌を損ねられないと思ったのか、それとも私を怒らせると疫病を蔓延させられると思ったのか。村長は慌てた様子で私に向かって頭を下げる。

 余所の神様は知らないけど、私は祟り神じゃないからそんなことで村を滅ぼしたりはしないって。そもそもそんな力もないんだし。


 ともかく、村長さんは転移符を使うことに了承し、キューザンさん移送の準備はとんとん拍子で進んで行った。

 村の男たちの手によってトラックの荷台に運ばれたキューザンさんは、確かに熊のような大男だった。ついでに顔も髭もじゃで熊に似ている。あのか細いナオミさんと並んだ所を、一回見てみたかったものである。

 てか、キューザンさん。髭の中に小さい白い花が絡まってるよ! こんな可愛らしい状態で放置してないで、誰か気付いて取ってやればいいのに。

 それともこういうミスマッチこそが、逆に男らしさを引き出すという発想の転換なのか?


「神官長様、こちらが村長より預かりました転移符です。千大市の県庁前に移動します」


 そんなことをつらつらと考えているうちに、キサラギさんが神官長に転移符を渡す。

 やはり村の人を自分で助けられないのが悔しいのか、浮かない表情で深々と頭を下げていた。

 神官長はそれにうなずき、私を振り返る。


「女神様、それでは行って参ります。キューザン氏を病院まで連れて行った後は、一度神殿に戻って様子を見てこようと考えております。そのため、戻るのは早くても明日の昼過ぎになるでしょう」


 うん、その目は大人しくしておけってことだね。

 そんな言いつけを守らなかったら火炙りの刑に処すみたいな目で、人を見なくてもいいじゃないか。ちゃんと部屋に引きこもってますよ!


 私が無言で頷いたのを確認し、彼はトラックに乗り込む。

 転移に巻き込まないように、トラックで村の外に出てから転移符を使うとのことだ。

 そして、神官長は一旦村を出て行き、私はこの世界に来て初めて、たった一人で神殿以外の場所に残されたのだった。

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