#4 照る前、お前
部屋はかなり広い畳の間を用意してくれていた。
ローブを脱いだ私は、さっそく大の字になって寝転がる。
「うはー、落ち着く」
神殿のふかふかベッドもいいが、畳でごろごろするのも捨てがたい気持ちよさだ。畳は日本人の心である。まぁ、ここは日本じゃないんだが。
このまま座布団枕にして寝てー、とか思っていると思いっきり腹を踏まれた。
「ぐふっ」
「気を抜くな。いつ誰が入ってくるかも分からないんだぞ」
だからって腹を踏むことないだろ、腹を! 中身出るかと思ったじゃないか! 暴力反対!
「そういえば、神官長って敬語使えたんだね」
仕方がないので身を起こしつつ、私は神官長に話しかける。
先ほどの村長さんとの会話では、まるで誰が話してるかとびっくりしてしまった。
私と話しているときはいつもタメ口だから、敬語が使えないのかとばかり思っていたよ。
「当たり前だろうが。これでも疫病の神殿の神官長だ。体面を整えることくらいできて当然だ」
「じゃあ、なんで私には敬語使わないの?」
「何で敬語が必要なんだ?」
真顔で聞かれちゃったよ、おいおい。いや、確かに敬語である必要性とかあったっけか……?
「これから俺は、病人の様子見がてら村を一回りしてくる。お前は大人しく、部屋で待ってるんだぞ」
思わず真剣に考えていると、神官長はそんなことを言い出した。彼は厳しい目つきで私を睨みつけている。
「だらしなく床の上でごろ寝なんてしているんじゃないぞ。そんなの論外だからな」
「はーい」
私が手を上げてうなずくのを確認して、彼は部屋を出て行った。ぴしゃりと襖が音を立てる。その後は、まさに何の音もしなくなった。
……暇である。
この部屋はテレビもなければパソコンもない。いっそコンビニで雑誌の一冊でも買って来ればよかったかもしれない。けち臭い神官長が買ってくれたとは思えないが。
こうなれば後は寝るくらいしかやることはないが、残念ながらごろ寝は禁止されてしまった。
いや、きちんと足を揃えて手を組んで寝れば、だらしなくは見えないかもしれない。後は顔に白いハンカチでも乗せておけば完璧だ。
そうやって虎視眈々と昼寝計画を立てていた私だったが、ふと思い出したことがあった。
(そういえば村長さん、温泉があるって言ってたな)
温泉。それは畳に次ぐ日本人の心である。
神殿も地下から綺麗な水が湧いているが、所詮は清水で温泉ではない。
召喚される前の仕事していた時も、忙しくてとてもじゃないが温泉なんて行くどころの話じゃなかった。
なので温泉なんて数百年ぶり、体感時間で言っても数十年ぶりの代物である。
「よし、行くっきゃないでしょ」
むしろここで行かなければ日本人ではない。
私は荷物の中から手拭いを取り出す。本当は着替えの浴衣でもあるといいんだけど、この際文句は言わない。そもそもこの国の伝統衣装って、着物じゃないし。
そうして、私は意気揚々と部屋から出て行く。
もちろん、神官長の忠告なんて、頭からすぽーんと抜けていた。
※ ※ ※ ※
村長さんの屋敷の風呂は、まだ準備ができていないそうだ。昼間だし仕方がない。
もっとも、村には公共の温泉浴場があるらしく、そこならこの時間でも空いているということだった。さっそくそっちに向かうことにする。
鬱陶しいローブを脱いで、手拭いを片手にえっちらおっちらと歩いていると、何かが後ろからぶつかってきた。
「うおっしゃいっ」
つんのめり掛けたところを、気合で踏ん張る。二三歩たたらを踏んだが、転ばずにすんだ。よし、よく耐えた自分。誉めて遣わす。
そして改めて振り返ると、私の背後には一人の少年が尻餅をついていた。
小学生くらいの年齢の金髪坊やだが、どちらかというと悪ガキというような顔つきで美少年ではない。残念である。
「どうした少年。大丈夫?」
私は引っ張り起こしてやろうと、少年に手を差し出す。だけど逆に、私はその手を思いっきり引っぱたかれた。
「あ
こりゃ痛い。手の平が赤くなっちゃったよ。
私は痛みを誤魔化そうとひらひらと手を振る。もっとも、これだけ勢いよくはたけば相手の手も相当痛かっただろう。
「酷いなぁ、少年。いきなり何すんのさ」
「うっさい、どうせお前も宇宙人の仲間なんだろ!」
私は異世界人ではあるが、宇宙人になった覚えはない。
まあ、広義の意味では地球人だって無限に広がる大宇宙の住人に当たるわけだが。
「オレは他の皆みたいに、洗脳されたりしないからな!」
彼は私に向かってそう怒鳴りつけると、怯えたように逃げていってしまった。
……私、そんなリトルグレイ的な見た目してないよね?
まぁ、彼の中では宇宙人に洗脳され入れ替わってしまった村の最後の生き残りごっこがブームなだけかもしれない。
若い頃は色々あるものだ。私にだって思い出したくない黒歴史のひとつやふたつある。
アメリカ大陸へ向かおうと、手作りボートで大海原に乗り出して三日間ほど遭難するなんて、誰しも一度は通る経験だろう。私の場合、太平洋だと思ったら琵琶湖だったのが痛い失敗だったが。
とりあえず、私は気を取り直して公共浴場へ向かうことにした。
浴場には、畑仕事を一段落させた村の奥様方が夕飯を作る前に一風呂浴びに来ていた。彼女たちは井戸端会議しかりと賑やかに話をしている。
「このところ、うちのおっとうと喧嘩続きでよう」
「うちもうちも。なに苛々しとるんかいなあ」
「あー、頭痛いわぁ」
「まったく、キューザンさんとこの坊主は困ったもんやね」
「だわなぁ。前々から大した悪戯小僧だったけど、最近のは特に目に余らぁ」
私も脱衣所で服を脱ぎながら、温泉で茹で立てホカホカ奥様達の話を立ち聞きする。
「風邪でも引いたかいな」
「おっ母が死んで、キューザンさんが連れてきた後妻が気に入らないのは分かっけど、病人に石を投げるのはやり過ぎだわさ」
「一度ガツンと叱ってやらんきゃねえ」
「医者に行くのは面倒で仕方ないし――、」
彼女たちはそれぞれ好き勝手に話し、最後に冷蔵庫の中の瓶詰め牛乳をきゅーっと飲み干して、自分の家に帰っていく。
あれいいな。後で私も飲もう。代金は神官長に立て替えてもらえばいいや。
私は湯船に浸かりながら、先ほどの少年のことや奥様方の会話を頭の中で反芻していたが、やがてただ温泉を満喫することだけに専念し始める。
観光客目当ての施設ではないので、ヒノキでも大理石でもない浴槽の作りは素朴そのもの。並んだカランもピラミッド状に積上げられた桶も、庶民の銭湯って感じで懐かしく、心和む。
無色透明なここの湯は、弱アルカリ性の単純温泉で神経痛、腰痛、眼病、リウマチ、胃腸病などに効くらしい。じんわりと暖かい温泉は、確かに身体を内側からポカポカと暖めて、身も心も癒してくれる。
いやはや、こいつは素晴らしい。寿命が延びて、どんな病も治る気がするよ。私はこの世界に来てこの方、年もとらないし病気の一つもしたことのない超・健康体だが。
「はぁー、極楽極楽」
今だけは、浮世の疲れも、神官長のことも、そして恐ろしい流行り病のことも綺麗すっかり忘れてしまえばいい。
そうして私は、しっかりとこの世界の楽園の一つを謳歌したのであった。
ちなみに、湯上りに牛乳を飲もうとした私は、口に入れた瞬間盛大にそれを噴出すこととなる。
よく見れば、ビンにはヨーグルト牛乳と書かれていた。
異世界文化とは、時に油断ならないものなのである。
※ ※ ※ ※
「ただいまぁ――でぐしゅっ!」
湯上りほこほこ玉子肌で村長の屋敷に戻った私は、襖を開けて部屋に入ったところで後頭部に衝撃を受けて畳の上に突っ伏す。
「ただいまとは随分ご機嫌な様子じゃねえか。アぁ? いったいどこをほっつき歩いていた」
見れば、酷く凶悪なご面相をした神官長がペシンペシンと握った杖を片手の手のひらに打ち付けている。
それ、確か代々引き継がれる神官長の証の飾り杖だよね。まさか、それで殴ったりしてないよね。死んじゃうもんね。
「いやあ、あまりにも暇だったんでちょっと温泉に浸かりに」
「部屋から出るなって言ったろうが! 普段あんだけ引き篭もってる癖しやがって、なんでこんな時に限ってアグレッシブなんだよ!」
「温泉の魅力の前には、そんなの瑣末事っすよ――って、痛い痛い! 杖の先で盆の窪ぐりぐりしないで!」
地味に先端尖ってて痛いです。
泣きながら許しを請う私に、彼はようやく杖をどけて舌打ちする。
「次にやったら首に縄付けて天井から足付くギリギリに吊るすぞ」
「何それ恐い」
というか、それは普通に死にませんか? さすがの神官長。安定の暴力ドSっぷりである。
「これから、村長が紹介してくれたこの村の医者が、流行り病の現状について報告に来る。お前はローブを被って、その几帳の裏で大人しくしてろ」
見れば、まるで平安時代のような几帳が部屋の一角に置かれていた。温泉に行く前はなかったので、後から運んできたのだろう。
これ以上痛い目を見たいわけでもないので、私はそそくさとローブを着込んで几帳の後ろに移動する。
「いいか、余計な口を開くな。大人しく黙ってろよ」
「あ、そうだ。温泉でヨーグルト牛乳飲んだから、後でお金払っておいて」
「だから黙ってろと言ってるだろ!」
私がぱくんと口を閉ざした直後、誰かが襖を軽く叩いた。
「失礼いたします。神官長様とお約束をさせて頂いていた者ですが……」
そうして襖が開く音が聞こえてくる。
なんか色々と、ギリギリセーフだったみたいだ。
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