失われたライムタルトを求めて(3)

 センは九号棟八十九階にある資料室に来ていた。隅にシュレッダーロボットがいたが、センを認めても挨拶もしない。センのほうでもシュレッダーロボットなんて視界にかすりもしなかったというふうをよそおった。もちろん内心はむかむかしている。


 資料室にはやたらに本が置かれている。その中から、センは「ロボットの心をつかむ――理想の上司になる方法――」とか「リーダーシップ!」とか「あなたをボスに変える97のメソッド」とかの本を借りた。これらの本は暇に飽かせて今まで山ほど読んできたのだが、それらが実地に役立ったことは一度としてなかった。しかしセンはある種の勘、もしくは根拠のない希望によって、これらの本がいつかは役に立つのではないかと考えていた。それにいずれにせよ暇つぶしは必要なのだ。


 センが本を抱えて出ていこうとしたまさにその時、資料室のスピーカーが鳴った。


「庶務課第四書類室シュレッダーマネージャー、セン・ペル! 至急二百四階役員室に来てください。繰り返します、セン・ペル、至急二百四階役員室に来てください。これは本当の至急です」


 機械音声がそう告げた。センが今まで社内放送で呼び出されたのは、入社三日目にシュレッダーを詰まらせて社屋を三メートルほど傾けたとき以来だ。そのときは直後に別のフロアで新製品のニトログリセリンを原材料に使ったコーヒーによる大規模爆発が起きたため、センの処分はうやむやになり、このコーヒーの生産は一時停止された。そして四日後に生産は再開され、その次の日にニトログリセリンコーヒーによって市議会が八割がた吹っ飛んだために、センの処分についての書類はToDoボックスの一番下に押し込まれた。


 ToDoリストの下から四分の一は人の知らない間に消滅するのが宇宙の法則だから、センはもうそのことをすっかり忘れていた。しかしなにかの奇跡――センにとっての悪夢――が起きて、その書類がついに日の目を見たのかもしれない。センはびくびくとしながらエレベーターに乗り込んだ。「こんにちは、社員番号R-30-12309番、セン・ペルさん」というエレベーターの声も上の空に聞いた。


 二百四階は、第四書類室とは段違いに豪華なつくりになっていた。床は顔がうつるほどにみがきあげられ、あちこちに花が生けられ、おそらくセンの生涯年収より高いであろう彫刻がごろごろとしている。


 バックミュージックにはクラシックが低く流れていたが、それ以外の音はしない。話し声は聞こえず、人の気配がない。センは人事部のうわさ――高層階の部屋へ人を呼び出し、解雇通知をつきつけたが早いが、有無を言わせず被解雇者を窓の外に放り出す――を思い出した。窓から下をちらと見たが、すぐに見た事を後悔した(しかしながらセンの心配は杞憂だった。なぜならこの人事部に関するうわさはまったく根も葉もないものだったからだ。人事部が解雇通知を行う際には、きちんと書面化されたマニュアルが存在する。それによると、解雇通知手順は


一、解雇通知書を作成する。その際、解雇理由欄にはありとあらゆる不行跡を連ねること。文章にはなるべくあてこすりや嫌味を多くする。読ませる相手が逆上して顔を赤くするくらいがちょうどよい。


二、被解雇者のデスクにおもむく。デスクの周りに角張ったもの、重いもの、熱いコーヒーなどがあった場合は前もって取り除いておく。


三、被解雇者に解雇通知書を突きつける。九十三パーセントの確率で相手は激怒しつかみかかってくるので、すかさず人事部流柔術で受け流し、相手をゴミ処理用ベルトコンベアに放り込む。後から私物を投げ入れておく。


 の三ステップで構成されている。このどこにも被解雇者を高層階から投げ捨てるという部分は存在しない)。


 センがおそるおそる役員室の扉を開くと、そこには一人の人間の後ろ姿があった。


「あの、セン・ペルですが。シュレッダーマネージャーの」


 そうこわごわと声をかけると、人影はくるりと振り向いた。


「ああ、あなたがセン・ペルですか」


 こちらを向いたのは、まだハイスクール入学前くらいに見える少女だった。髪をおかっぱにし、黒いジャケットとスカートを身につけた格好は、実際ハイスクールの生徒と言われてもおかしくない。しかしその胸に光っている、環のあるマスクメロンの形のバッヂは、間違いなくメロンスター社の社章だった。


「こんにちは。私は銀河B区のエリアマネージャーです」


 その言葉にセンは激しい衝撃を受けた。メロンスターホールディングスは銀河全体に広がる超巨大企業グループだが、銀河があまりにも広大なため、銀河を四分割してそれぞれのエリア内で収支をつけることになっている。四つのエリアそれぞれのトップがエリアマネージャーであり、エリアマネージャーの上にはもうグループ全体の副社長と社長しかいない。それはつまり、この目の前の少女がセンより少なくとも四百七十三は上の役職に属しているということを意味していた。


 もちろんセンはこれほどのお偉いさんの前に出た事がなかった。今まで会った中で一番偉かったのは、庶務課の課長補佐である(余談だが、彼は不運にもニトログリセリンコーヒーの犠牲になり、今では死者課に異動させられた。死者課は主に死者が集められている課だが、死者には飲食の必要がないため、給料が大幅に減額されている。そのため死者課への異動は社内では忌み嫌われている)。


「なぜエリアマネージャーたる私が、あなたのような一介の社員を呼んだか知りたいですか?」

「え、はい、それは……」

「なるほど。では最初に言っておきますが、私はあなたが疑問を持とうと持つまいと一向に気にしません」

「え」

「しかしながら」エリアマネージャーは心底面倒臭そうに言った。「社則によって標準業務外の仕事が発生した場合にはその事由を説明しなければいけないことになっているので――次の期にはこの規定は削除することにしていますが――従うことにします。さて、私はエリアマネージャーとして多忙な日々を送っています。たとえ四分割したとしても、銀河はやはり広大なのです」

「はあ」

「それで、エリアマネージャーにはその莫大な業務をサポートするため、アシスタントをつけることが認められています。先日までは私にもアシスタントがいたのですが、彼はミリダント星で住所変更手続きの最中に亡くなってしまいました。あの星の住所変更手続きは過酷なことで知られていますからね」

「住所変更手続きですか?」


 センは自分の耳がおかしくなったかと思い聞き返したが、エリアマネージャーはそんなことも知らないのかというような目つきでセンを見た。


「そうですよ。ま、それは瑣末なことです。彼は死者課に異動になり、エリアマネージャーアシスタントから退いたのです。死者には、給料が大幅に削減できるというメリットがあるのも確かですが、例えば書類のコピーを取ろうとしてもそもそも書類を持ち上げることができないという重大な欠点がありますからね。ここまではわかりますね?」

「まあ……ええ」


 エリアマネージャーは首を心持ちかしげ、センの目の前に進んだ。


「そこで、本社にアシスタントの補充申請をしました。しかしながら、アシスタントが実際に私の元へやってくるまでの間にも、仕事の締め切りは刻々と迫ってきているのです」


 そう言って、エリアマネージャーは部屋の片隅に積まれている書類の束をさした。センの背丈を軽く超える高さがあった。


「これらを全て片付けるのには、いささか時間を要しそうです。しかし私の多忙さは、アシスタントなしで仕事をするには少々度を越したところがあります。そこで」

「その書類をシュレッダーにかけたいとお考えなのですか?」

「そうですね、その案を採用した場合、とりあえずの責任者としてあなたも一緒に裁断することになるでしょうね」

「今のは単なるジョークです」

「なるほど、今後永久にジョークは言わないほうがよいと思います。あなたのジョークセンスは腐った卵並みです。さて本題に入りますが、多忙な私の持っている仕事のいくつかを、他の人間に渡すことにしました。分割して解決せよという昔ながらの言葉に従うわけです。この『他の人間』の中の一人が、すなわちあなたというわけです」


 エリアマネージャーはそう言い切った。


「えーと……事情はわかりましたが、なぜわたしが?」

「そこにはなかなか複雑な事情がありましてね。言ってもわからないでしょうし言うつもりもありません。ただ、あなたが地球人であることはその原因の一つではありますね」

「地球人?」


 この発言は見過ごしにできない。


「エリアマネージャー、わたしはバファロール人ですよ。ちゃんと住民登録もしてあります」

「戸籍上はそうかもしれませんが。遺伝上は違うでしょう」


 何を今更、とでも言いたいような口調でエリアマネージャーは言った。


 今からざっと千年ほど前、まだ地球という星に宇宙開発が及んでいなかったころ、その小さな惑星の上ではヒト型人間が多く暮らしていた。彼らの文明はひどく遅れていて、彼らの技術力では聞き取りすら満足にできない人工知能や、アルミの切り出しでおしゃれぶったコンピュータ、すぐ中身をはきだそうとする原発がせいぜいのところだった。特にめずらしい観光スポットもなく、文化も今までのカテゴリのなかにきっちり押し縮められるくらいに類型的だった。銀河の文明が一斉に地球に押し寄せたとき、彼らの技術や文化はそれに押し流されてもみくちゃにされ、ちりぢりにされ、こなごなにされた。


 しかしながら、どんな惑星にも一個くらいはいいところがあるものである。地球の場合のそれは料理だった。それまで料理という概念を持っていなかった惑星も多かったし、ごつごつとした岩をかじるのを至高の美味としていた文明すら存在していたので、地球の料理はまたたくまに銀河中に広まった。それまで「地球人」という言葉は一種の差別用語として映像放送上では使ってはいけないことになっていたのだが、地球料理が広まるにつれてその禁が解かれることとなった。おかげでコメディ番組では地球人を公に馬鹿にすることができるようになり、たくさんの視聴者が地球人を見下して楽しんだ。


 ともかく、銀河中のほとんどの星に料理を楽しむ文化が広がった今では、食は一大産業となっていた。多くの地球人(元地球人というべきかもしれない。なぜなら地球はあるゴミ処理業者にたいへんな安価で買い取られ、今では炭素型の生命体はほんの5秒しか生存できない環境に変わってしまったからだ)は、料理人として職を得ることができるようになっていた。イギリス人(これも同じく元イギリス人というべきではあるが、ともかく彼らの味覚に関するセンスは遺伝子の中にしみ込んでいるものなのだから、文脈上問題はないだろう)でさえメインシェフとして厨房に立つことができた。


 センの中にも一脈の地球人の血は流れているのだが、セン自身はそれをあまりありがたいとは思っていなかった。小学校のころにさんざん「地球人」というあだ名でいじめられたことも一因だった。幸いバファロール星では平均寿命の四分の一をバファロール星で過ごせば住民票を取得することができるので、二十歳の夏からセンはバファロール人として過ごしてきた。


 しかし戸籍上がバファロール人になったとはいえ、センの外見はまぎれもなく地球人のそれであったから、たとえばレストランやバーで、こう声をかけられることはしょっちゅうだった。

「おい、地球人、ピザでも作れよ!」

 こんな時にセンがとる行動は三ステップに分けられた。

一、ばかにしてるのか、とか何だお前、に類する言葉で勇ましく反論する。

二、相手が自分の背丈の倍もあったり、有毒なガスを体内に溜め込んでいたり、致死的痛覚銃を手でもてあそんでいるのに気づく。

三、厨房を借りてピザをつくる。


 このような経験を積み重ねたことにより、いやでもセンの料理の腕は上がっていった。唐揚げや卵焼きなら何も見ずとも作れるし、魚をおろしたりメレンゲを立てたりするのも慣れたものになっていた。ただそうなった経緯を考えると、センはこの腕前を誇る気にはなれなかった。料理人にはならず会社に就職したのもそれが動機だった。


「そこで、あなたに任せる仕事というのはですね」


 エリアマネージャーは書類の山から紙束を取り出し、センの前に突きつけた。


「『失われたライムタルトを求めて』?」


 センは表題を読み上げた。聞いたことがあるようなないような響きだ。


「ええ。詳細はその報告書に記載されています。経過など知りたければそれを読んでください。では、よろしくお願いします。私はこれから別の支局に行って作戦会議に出席しなければなりませんので」


 そう言い捨てて、エリアマネージャーは窓を開けた。風が強く吹きこみ、白いカーテンをばたばたと揺らした。小さく「きゃー」というシュレッダーロボットの声がした。部屋のどこかにいたらしい。


「ああ、一つだけ忘れていました。このプロジェクトにはいままでかなりの人数がつぎこまれていますが、いまだその結果が出ていません。歴代のプロジェクトリーダ―――つまりはあなたの先輩ということになりますが――はその責任を取ったのかどうか、私のあずかり知らぬところではありますが、なぜか皆死者課に異動となっています。そのことは覚えておいた方がよいかもわかりません。では」


 そう言うと、エリアマネージャーは開けた窓から飛び降りた。センが思わず窓際に駆け寄ると、エリアマネージャーは一人乗りの小型宙空両用機に乗りうつっていて、それを華麗に操って大気圏外へと消えていった。

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