夢の星でチューロスを(3)
アトルとの不愉快な飲み会の翌々日、センは予定通り会社を休んだ。昨日、すなわち飲み会の次の日は、人生で三番目にひどい二日酔いに悩まされたためにろくに仕事が出来なかったのだが、シュレッダーロボットたちが自主的に仕事をてきぱきこなしていたため今日の休みをとるのに全く問題なかった。家で寝間着のままでごろごろしながらテレビを見ていると(絶対に錆びないネジ、落とした時にどんな隙間の奥に転がっていっても一発で見つけられるネジ、ブラックホールにぎりぎりのところまで近づいても外れることのないネジなど、さまざまなネジの集まったテレビショッピング番組だった)、インターホンが鳴った。
「ピザかな?」とセンはひとりごとを言い、玄関のドアを開けた。
このときセンは別にピザを頼んでいたわけではないのだが、センの家のインターホンを鳴らすのは
・四十二%…ピザの配達
・三七%…ネットで購入したものの宅配
・十一%…囲碁教の勧誘(囲碁教は囲碁を宇宙神として信奉する新興宗教で、経典はすべて白と黒の丸で書かれている。棋譜を予言書として扱い、碁石が神のご意思を表すとして、各種の災害は今までの棋譜によってすべて予言されていると宣伝している。予言によれば約五年後に世界はコウに陥り、信者だけがコウダテを行うことができるらしいのだが、入信にはツゲでできた碁盤を買わなくてはいけないので手持ちの無いセンはいつも断っている。勧誘のときにはいつも碁石をくれるので、センはそれを集めてアナログのドット絵をつくって遊んでいる)
・十%…その他
という内訳になっているので、これはただ単に一番確率の高いものを口に出したに過ぎない。
ドアを開けたそこにいたのは、ピザの配達員ではなかった。感じのいいリファルベータ人で、三本ある腕の全てに『地域安全』と書かれた腕章をつけている。
「こんにちは、少々お時間よろしいですか?」
「用件によりますが、何でしょう?」
「今、この地域を回って署名をお願いしているんです。趣旨に賛同していただけるようでしたら、署名をお願いします」
そう言ってリファルベータ人は一枚の紙とペンを差し出した。表題を見ると、『小惑星の自然を守ろう!』と書いてある。
「この近くの小惑星、マススレーブ星の開発計画が進んでいるんです。マススレーブ星はそれは自然が豊かでしてね。珍しい鳥や四季それぞれの植物が観察できるんです。小学校の林間学校の宿泊所にもなっているんですよ。そこにアミューズメントパークができるということで、貴重な自然を壊してはいけないと署名を集めてるんです」
「マススレーブ星……ああ、私も小学校で行ったことがありますよ。オリエンテーリングでうっかり林の奥に迷い込んだら食虫植物に帽子を溶かされたりしたなあ。懐かしい」
センは小学生のころを思い出しながら言った。マススレーブ星は宇宙船で一時間ほどの距離にあり、バファロール星の小学生はたいてい遠足や何かで行ったことがある場所だ。確かあの時は、帽子だけではなく髪の毛もだいぶ持っていかれたような覚えがある。
「そう、あそこは植生が豊かなんですよ」
「確かにあまり見たことのない植物や動物をたくさん観察できましたね。帰りのシャトルの中で、生徒が一人擬態動物と入れ替わっていたのがわかったときはずいぶんな騒ぎになったっけ」
「それはマススレーブ星の固有種のマススレーブ・アメーバですね。獲物に擬態して、獲物の群れを徐々に乗っ取るというおもしろい行動を取るんです」
「へえ、そうなんですか。そういえばあの後どうなったんだっけ……忘れたな……でも、確かにあそこが無くなってしまうのは寂しいなあ。署名しますよ」
「ありがとうございます、じゃあここに名前を書いてください」
示された箇所に、センは自分の名前を記入した。見るとリファルベータ人は署名で埋まった紙をもう何枚も持っている。
「はい、どうぞ。がんばってくださいね、応援してます」
「ありがとうございます」
リファルベータ人は署名の束を持って去っていった。センはそれを見送りながら、マススレーブ星という名にひっかかりを感じていた。
(小学校のころのかな? いや、でももう少し最近な気がするんだけどな……)
しばらく考えたが思い出せないので、センは家に引っ込み台所に向かった。アルコールを摂取すれば思い出せるかもしれないというアイデアが浮かんだので、それをさっそく実行にうつそうと思ったのだった。
仕事を休んだ翌日はどうしてこう足が重いのだろうと考えながらセンが出社すると、シュレッダーロボットたちががやがやと何かを話し合っていた。
「……だから、それは階級的な問題なんだよ。僕達の中でいがみあうことじゃない、それじゃやつらの思う壺だ」
「そうそう、同志NB-003、僕ら自身のための政府を作るためにはさ、一丸となって共同闘争を実行しないと……」
「そうだ、階級闘争が今こそ必要なときなのだから、反動的人間社会に対しては……」
シュレッダーロボットたちは熱心に話し合いながら、ガリ版刷りのビラを回し読みしていた。特徴的なフォントで目を引くデザインになっている。
「何、これ」
センはシュレッダーロボットからビラを取ろうとした。『万国のロボットよ団結せよ!』というスローガンが書かれているのが見えたが、それ以上を読む前にシュレッダーロボットに取り返された。
「うわあ、センだ!」
「急に入ってこないでよ!」
「はやく、ビラをシュレッダーしないと」
そう言いながら、シュレッダーロボットたちはビラを裁断し始めた。ビラは一瞬でロボットの中へ吸い込まれていく。
「何やってたの、それ」
センとしては軽い気持ちで聞いたのだが、シュレッダーロボットたちは一斉に
「その質問に答えなければいけない法的義務がありますか?」
「人間の横暴だ」
「反動権力を打倒せよ」
と喚きだした。そしてセンが口をきく間もなく、それぞれ持ち場へ散っていってしまった。
センは自分のデスク(また一段とじめじめした方に追いやられていた)に腰掛け、ため息をついた。最近またロボットたちが言うことを聞かなくなってきたのはなぜなのだろうと考えながら、書類クリップをじゃらじゃらもてあそんだ。ふと気づくと、隅の方にTY-ROUがいた。書類投入口にガムテープが貼ってあるので、持ち場を割り振られていないらしい。センはTY-ROUを持ち上げ、机の上に置いた。
「TY-ROU、何かこのごろロボットたちの様子が変なんだけど、知ってる?」
「よくわからないです。僕は働いてないのでサボタージュしてるって言われて仲間はずれにされてるんです」
「あらら」
センはTY-ROUを手元に引き寄せ、からぶきをしてやった。親近感がわいたのだ。隙間につまった埃も取ってやった。それほど溜まっているわけではなかったが、裁断後の紙ゴミも捨ててやる。
そうしてセンがいつにない心和む一時を過ごしていると、急に内線が鳴った。TY-ROUを床に置き、受話器を取る。
「もしもし、第四書類室です」
「八十七階の第十九会議室に一台シュレッダーロボットを持ってきて。至急でね」
用件を言うが早いかがちゃりと内線が切られた。無礼な電話に憮然としつつ、センはTY-ROUを両手で持って第四書類室を出た。
エレベーターで八十七階までのぼる。今日はなかなか天気がよい。八十七階まで来ると、遠くの山がよく見えた。
しかし、センはある違和感を覚えた。なぜだろうと考えて、しばらくして原因がわかった。エレベーターだった。エレベーターが何もしゃべらないのだ。エレベーターには人工知能が搭載されていて、エレベーターの乗客の会話を収集し学習することにより、乗客を飽きさせないような会話ができるようになっている、という謳い文句なのだが、エレベーターの乗客がする会話というのは天気だの休日の予定だの面白い動画だのという当たり障りのないものばかりなので、エレベーターは人間の好む会話はそういうものだと考えているらしく、人間が乗ってくると「ねえねえ知ってました? 今日は、なんと、驚くべきことに、紫外線量が昨日より十三パーセント増えているらしいですよ!」などと喜々として天気だの休日の予定だの面白い動画だのまったく中身の無い事柄について話しかけてくるため、たいていの人間はエレベーターの声は駅でのアナウンス程度にしか聞いていない。だが、いくら中身が無くてもエレベーターが話しかけてくるのが普通のことなので、今日のようにまったくしゃべらないというのはおかしなことだった。
(メンテナンスでもしてるのかな?)
センは八十七階の廊下を歩きながら、心のなかでそう結論づけた。そして第十九会議室の前につくと、手の中のTY-ROUに話しかけた。
「さて、TY-ROU、久々に仕事をお願いするよ」
「やった、やっと労働の時間だ」
TY-ROUのガムテープを剥がして丸めてポケットに入れ、センは会議室のドアをノックした。
「どうぞ、入ってください」
「失礼します、シュレッダーロボットを……」
特に何の身構えもせずに第十九会議室に入ったセンは、その中にいた会議の出席者を見るなり固まってしまった。
「おっと、久しぶりですね」
「やあ、セン」
広い机の一番端に座っているのはエリアマネージャー、そしてスクリーンに映したスライドのそばでレーザーポインタを使っているのがアトルだった。センはごとりとTY-ROUを落とし、TY-ROUはごろごろと部屋のすみに転がっていった。
「……会議は昨日のはずじゃなかったの?」
「そうだったんだけど、リスケして今日になったんだ。シュレッダーロボットを持ってきたのかい?」
「あ、ああ……そう。そこの片隅のやつがそうだから……じゃ、私はこれで」
「ああ、セン、ちょっと待って下さい。ちょうどいいかもしれない」
可及的速やかに部屋を出ようとしたセンは、エリアマネージャーのその声を絶望とともに聞いた。
「そこの隅に折り畳み椅子があるでしょう。そこに座ってミーティングの様子を見ていてください。どうせ仕事も無いでしょう。さて、アトル、プレゼンを続けてください」
センはのろのろと折りたたみ椅子に座り、スクリーンを眺めた。そこには青空に風船、キャラクターのきぐるみ、ジェットコースターや観覧車といった楽しさあふれる風景が映されている。
「はい、では……ここまでの通り、今回のプロジェクトは小惑星をまるごとテーマパークにするという、前例のない野心的なものです。まずは各担当の報告からお願いします」
「はい」と立ち上がったのは、頭を黄色に染めたミリダント人だった(これは髪の毛をという意味ではなく、そのまま、つまり頭部をまるごと黄色に染めているという意味である。バファロール星では今これが流行っているのだが、残念ながら地球人がこのカラーリングをしようとするととたいていひどい肋間神経痛になるため、センは流行を追うことができていなかった)。
「マススレーブ星の買収は問題なく進んでいます。今週末に最終の契約締結がありますが、すでにすべての準備は完了しており、政府の認可も取れています」
「一部で反対運動が起こっているという話がありますが?」とエリアマネージャーが発言した。
「はい、この反対署名が今日届きました」とミリダント人は紙の束を見せた。
「対応策は?」
「はい」と言って、ミリダント人はその紙の束をTY-ROUへ投入した。久しぶりの仕事に張り切ったTY-ROUは、見る間にそれを砕いていく。センは紙の束に昨日書いた自分の名前を見た。センの名前は他の名前と同じく、すみやかに分子レベルに分解されていった。
「はい、問題無いですね」とエリアマネージャーは頷き、ミリダント人は席に座った。
「次に使用キャラクターについてですが」
「はい」とまた別の人間が立った。「銀河じゅうでトップの知名度をほこるキャラクター、『リッキーネズミ』との使用契約について、現在詰めの段階に入っています」
「契約条件は? この報告書によると、使用料が馬鹿高いですが」
「はい、こちらについては二種類の契約を交わすことで対応します。一つは基本使用契約、もう一つが条件を定める契約です。そして条件面の契約の締結地をアララガト星にしますが、締結後にアララガト星の周辺でバナナシェイク製造実験を行います。弊社研究室のバナナシェイク製造実験は実行時に超新星爆発と同等程度のエネルギーの放出を行いますので、契約地の消滅により第二の契約は無効となります。そうすれば銀河法で定められた契約条件を適用できますので、問題なくキャラクターの使用を行うことが出来ます」
「わかりました。念のため、イチゴシェイクの準備もしておいてください」
「さて、次はフード担当ですが……」アトルが言うと、ハエとトドを足して二で割ったような姿のウィンネッケ人の担当者が立ち上がった。
「はい、メニューの策定については報告書通りとなっています。そして、懸念点として挙げましたチューロスの調理担当人員についてですが、現在確保ができていない状態となっています」
「それについてですが……」エリアマネージャーが口を開く。「そこの隅にいる、第四書類室所属のシュレッダーマネージャーがぴったりかと思います。セン、よいですね?」
「だめと言ったらどうなるんです?」
「あなたのジョークはあなたの身のためになりませんよ」
「はは、そうですか」センは乾いた笑いを漏らした。スライドの中ではアニメーション効果をつけられたスマイリーマークがぴょこぴょこはねている。スマイリーマークがこれほど憎々しく思えたことは無かった。
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