結
淡い光が自分を包んだと感じた次の瞬間、目の前に自分――麒麟と全く同じ顔の少年がいた。厳密には微妙に髪型と服装には違いがあるものの、やはり同じ顔だった。瞳の色も、麒麟と同じ黒だ。
思わず麒麟は話しかけていた。
「あれ……僕が、もうひとり? 君、いや、あなたは誰?」
「……ふ」
しかし、相手の方が
『……
自分とあまり年の変わらないように見える相手に
「そっちこそ一体あなたは僕のなんなの? なんで僕をタイムトラベルさせたり、危ない目に遭わせたり……スフィーと逢わせたり、一体全体なにがしたいの?」
すると相手は麒麟を
『……どうやら私は選択を間違えたらしい。こんな未熟者に彼女を、義姉上を護れるとは思えん。私としたことが。なんという失策だ』
「どういう意味?」
『そのままの意味だ』
「……」
『……』
実に奇妙な感覚だった。姿かたちは
そして尋ねてみると、返ってきたのは肯定の返事だった。
『そうだ。私の名は朱。碧玉京に二度と逆らわぬようにと人質として連れてこられた元紅妃の息子だ。この髪の色のせいで皇位継承権はないがな』
朱は皮肉気に笑った。予想していた朱という名の少年とは、若干イメージが異なるのは麒麟の気のせいだろうか。どこか厳しい性格のような第一印象だ。
「……朱は、スフィーのことが好きだったんでしょ? なら、なんでスフィーのお母さんを殺したの? スフィーが言うには、殺されるのはわかってたんでしょ?」
『無論だ。後のことは全て解っていた。それでもああせずにはいられなかった。わけは話したくはないが、今、お前に彼女を託す以上、話すのが筋だろう。……義姉上には黙っていると誓えるか?』
これは相当後ろ暗い事情があると見える。麒麟は黙って頷いた。そうしなければ、きっと彼は真実を話してはくれないだろうから。……理屈ではなく、本能でそう感じた。なぜなのかは全く不明だが。
『義姉上の母君は、大変美しく、芸も巧みな寵姫だった。そのことは聴いているだろう?』
「うん。スフィーから聴いた。それに、いつか夢でも見たよ。本当にきれいなひとだよね。……それで『寵姫』って、王様が一番好きな人、なんだよね?」
『……なんでも尋ねれば答えが返ってくると思うな、甘えるな、男だろう?』
「……ごめんなさい」
こんなところはスフィアと似ている。流石母親が違うとはいえきょうだいだと思った。つい謝る麒麟を呆れるように朱は見つめていたのだが、このままではらちが明かない。そんなわけで朱は話を切り出すことにした。
『いいか? ここから先のことは話すんじゃない。彼女は、義姉上の母君は、義姉上を含む皇位継承権を持つ皇族すべてを殺そうと企んでいたのだ』
「……え?」
どういう意味かと尋ねたかったのだが、たった今、叱られたばかりなので何も言えない。未熟な麒麟でも理解できるよう、朱は言葉を選んだ。
『つまり、私の母上は属国――簡単に言えば、戦で敗れた国だな――である紅薄京の、いわば人質として娶られた女だ。ゆえに私には皇位継承権はない。それで義姉上の母君は私を警戒しなかった。……彼女の望みはただ一つ、自らが腹を痛めて産んだ子供でも、娘である義姉上は彼女にとっては他の皇族同様に目の上のたん瘤であり、息子の青梅様だけが生き残り、皇位を継承すればいいと考えていたのだ』
「ちょっと待って! まさか、スフィーのお母さんは……」
『あぁ。お前の察しの通り、義姉上は実の母君に毒を盛られそうになったのだ。……いくら義姉上が用心深いとはいえ、まさか実母が自分の食事に毒を盛るとは思わないだろう? しかも彼女の母君は押しも押されぬ寵姫であり、義姉上は母君の努力を誰よりもよく知っていた。似たような性格だと思っている実母が自分を殺そうとしている、などと思いもよらないだろう?』
「……だから、殺したの? スフィーを護るために? 自分がどうなるかも知っていても? それで……スフィーがどんな思いをするかを知っていても?」
『それが私の愛の形だ。誰にも文句など言わせない。文句を言っていいのは立田ひとり、我が最愛の義姉上だけだ』
朱は凛とした引き締まった表情で言い切った。『磔刑』という言葉も『火刑』という言葉も辞書で調べたが、どちらも辛く苦しい罰だった。それにいつか夢で朱の体験を追体験している。……そこまで覚悟の上で、義理の姉を護りたい一心の朱の行動力は、スフィアが愛するのも当然のことだ。
『それと同じでなくていい。例えて言うのならば、やらねばやられるということを理解できるか? そしてその手で、お前自身の、お前だけの手で、彼女を護ると誓えるか?』
「……うん。解ったよ。スフィーは僕が命を賭けて護る!」
麒麟は無言で制服のポケットの中のカッターナイフを握りしめた。相手――朱には麒麟の覚悟が伝わったのだろう。彼はやっと微笑むと、最後に一言だけ残して麒麟の目前から消えた。
『頼んだぞ、我が血を引く者よ』
光の洪水が押し寄せてくる。これはタイムトラベルが終わる証拠だ。そして一人残された麒麟は、朱が残した言葉について考えてみる。
――なんだ、そういうことだったんだ。
誰もが朱と間違えるほど似ているのは、自分が彼の血を引いているから。
自分の髪が赤いのは、朱の子孫だから。
朱の声が聞こえたのは、きっと同じ気持ちを共有し合う間柄だから。
そう考えれば、すべてに納得がいく。そして碧玉京が火で攻められたときにも全く熱さを感じなかったのも、やはり熱耐性のある朱の血を継いでいるからだ。
だからこそ朱も磔刑という身動きの取れない刑罰に加え、火をつけられても無事だったのだろう。でなければ、火で燃やして骨の一本も残らないわけがない。それは麒麟がお葬式で体験した事だ。
――だったら、僕がスフィーのことを好きなのも、血筋なの?
そう自分に問いかけてみるが、自分のことでも自分の考えは一向に解らないままだった。……でも、それでいいと思う。『好き』という気持ちに間違いはないはずだから。
やがて光の出口にあおが広がる。『あお』と『みどり』の京、碧玉京だ。
――待ってて、スフィー!
麒麟はいつでも彼女を――スフィアを護れるよう、カッターナイフを制服のポケットから出し、刃を出した。これならば、どんな状態でも急所さえ狙えばどうにかなる。頸動脈の位置は、スフィアが負った傷口がそう。生々しい傷跡はしっかりと記憶している。
『やらなければやられる』、それは相手を、スフィアを護るためにも大事だと自分に言い聞かせながら、麒麟は光の出口を抜けた。
+ +
「言え麒麟。託されたとは、一体誰にだ?」
「……言えないよ、スフィーにだけは」
「だから、一体誰にだ!」
麒麟が危機一髪のスフィアを救ってから、もうずっとこのやり取りが続いていた。周囲の『あか』に対する偏見の眼差しは翆玉の言葉によって止まったのだが、当のスフィアと麒麟がこうも延々とやり取りをしているのは、流石にどうかと翆玉は思う。そこで無理かもしれないが念のため提案してみる。
「麒麟、私になら話してくれるかね?」
「……絶対にスフィーには言いませんか?」
「絶対に言わないと誓おう」
翆玉の誠実な瞳を、麒麟はじっと見つめた。このひとは信頼できる。ならば、せめて朱の公道の理由を誰かひとりくらいには伝えてもいいのではないか。麒麟はそう思う。ここでスフィアの横やりが入った。
「待て! 何故私には言えずに義兄上には言えるのだ?」
「スフィア、女は知らない方が幸せなことも沢山あるのだ。……別室に行こう」
「はい」
翆玉が麒麟を促す。
「麒麟!」
スフィアが止めようとするのを翆玉が制すると、彼女は大人しく待つ態度に出た。尊敬する義兄には、いくら強気のスフィアでも反論できないらしい。彼女は悔しげに唇を噛むが、言えないものは言えないのだから仕方がない。
翆玉の部屋は木製の書物のようなものが散乱していて、狭く、調度品の類は一つもなかった。壁からは食用と見える植物が茂っている。緊急時にでも食べるのか、それとも民への個人的な援助活動か。
「さて、では聴かせてくれるか? 一体誰に、何を託されたのだ?」
「実は、僕は朱ってひとの子孫なんです」
「……なんだと? 子孫? 君がか? ……いや、君の話を信用しないわけではないが、その赤い髪は確かに朱に似ているが、その他に何の根拠があって……」
「直截、僕の頭に朱ってひとが、ご先祖様が語り掛けてきたんです。『我が血を引く者よ』って!」
翆玉は信じられないという顔をした。当然だ。この時代には『イデン』の概念など存在しないのだから。その辺りのことを父から聞いた通りに説明すると、麒麟の説明はまったく要領を得ない説明ながら聡明な翆玉はすぐに理解した。
「つまり、君のその外見は朱の『イデンシジョウホウ』とやらを継いだからなのか?」
「そうです。……驚かないんですか? てっきりもっと驚くかと思ったんですが」
「いや、それならば納得がいく。むしろ疑問などないが?」
「……そういうところはスフィーと似てますね。流石はスフィーの自慢のお兄さんです」
翆玉は初めてタイムトラベルの概念を説明した時のスフィアと似た表情をしていた。色説の血のつながりはまったくないとはいえ、流石はきょうだいだ。翆玉は朱という人物に対して改めて最期の言葉を述べた。
「朱よ。お前はお前なりに我らが大切な女を護ったのだな。立派な最期だ。それでこそ朱だ。だが、お前はずっと心配だったのだな。それで、この少年に想いを託した。死してなお、お前の想いだけは死ななかったのだな。本当に、お前は立派な男だよ、朱」
そしてついでに既に『元』となった皇帝だった男の『病』について、麒麟なりの考えを述べた。平成の世、今日ではごく当たり前のように患うものが多い現代病の名を。
「……『ウツビョウ』? なんだそれは? 初めて聞く病の名だが……? 本当に存在するのか?」
「『ストレス』っていう、苦しい気持ちやイライラが溜まるとやる気が起きないんです。多分それだと思いますよ」
「どうすれば治るのだ?」
「確かテレビ、ええっと、情報番組ではストレス解消に環境を変えるとか、責任から解放するとか、そんな事を言っていました」
「成程。ただちに試してみる事にしよう。礼を言うぞ少年」
そして麒麟と翆玉はスフィアのいる広間に戻った。彼女は真っ先に翆玉に麒麟の言ったことを尋ねようとして、ただちに諦めた。義兄がどのような性格なのかは彼女が一番よく知っていた。口の堅さは折り紙付きだということも。
空になった皇帝の玉座に座るのは誰だという話になったが、民衆の意向も、皇族の意向も皆同じだった。決定打となったのは、僅かの間とはいえ皇帝だった青梅を殺した麒麟の一言だった。次代皇帝指名権は彼が、唯一手にしたものだ。
「皇帝に相応しいのは、スフィアです!」
文句のつけようもないその答えに、誰もが納得し、満足した。民たちは一斉に歓声を上げた。今までの暗い雰囲気を一気に吹き飛ばす、暖かな『あか』のような激しい歓声だ。
「これで我らが碧玉京も安泰じゃ!」
「次代皇帝イノリ様万歳!」
「これで日々の暮らしを新倍しなくて済むわ! スフィア様の治世は末永く続くことでしょう!」
「すべて終わったのだ! 青梅様の理不尽な虐げも、もう永久になくなったのだ! 皆の者、酒を持て! 今夜は祝杯じゃ!」
最後に言ったのは長老だった。民衆たちは新たな皇帝の誕生を心の底から喜んだ。
……しかし、当のふたりの気持ちは複雑だった。互いの気持ちを悟りつつも、麒麟は新皇帝になるスフィアに想いを伝えることは荷が重かったし、スフィアは麒麟のことを未だに朱の代用品としか見ていないのか、それとも吹っ切ったのか、自分自身でも答えを出せずにいたのだから。
麒麟のルビーの勾玉が最後の淡い光を放ち始めた。タイムリミットだ。もう猶予はない。麒麟は覚悟を決めた。ここで言わなければ、この想いは永遠に伝わらない。離れ離れになると直感的に悟っていても、この気持ちだけは伝えておかなければならない。麒麟は勇気を振り絞って口を開いた。思っていたよりも自分の声音は低かった。
「スフィー、僕は――」
+ +
「……」
スフィアは玉座に腰掛けながら、木を組んだ書物のようなものに目を通していた。三十代皇帝となった彼女に寄せられる期待は大きく、日々身が引き締まる思いだ。だが、それは心地よいプレッシャーとなって、逆にやる気にさせられる。
一人でも多くの民を救い、一人でも多くの民を護る。それがスフィアの目指す新たな碧玉京のあり方だった。誰もが笑って、笑顔で暮らせる帝国。いつか病室で麒麟に語った夢物語。今それが自らの手で実現しようとしている。
現皇帝となったからには、元の名――『スフィア』も、巫女としての名である『イノリ』も返上しなければならない。現在彼女を差す言葉は『現皇帝』だ。そのことには何の不満もない。元よりそのつもりだったのだから。
まず最初に行ったのは、皇帝の血族継承権制度の撤廃だった。以後皇帝は民主主義によって最も優れた能力を持つ者が国を治めることとした。この決定には数多くの民が驚きの声を上げたのだが、確かにそれが一番だと皆が納得した。
第二に、現代の高校から得た知識をフルに活用した稲作や農作を民に任せることとした。これまでの不平等な食生活は一旦皇帝の元に集められ、家族の数に応じてほぼ平等に行きわたるようにした。これで飢饉に襲われてもしばらくは持つくらいの余裕のある暮らしが出来ることとなった。生憎と完璧ではないが、そこは次代の皇帝に任せるか、もっと街に出て多くの民の意見を聴いてから決めようと思う。
そして長い間当たり前だった奴隷制度の廃止は帝国臣民を驚愕させた。
「現皇帝、それはあまりにも早計では?」
翆玉はそう進言したのだが、現皇帝となった元スフィアとしては、現代の世界史の授業で観た剣闘士奴隷の反乱を見ていると、この碧玉京も例外ではないのではないかと思ったのだ。それに、誰に対しても優しさを忘れない心というものを、現皇帝は最愛の弟によく似た赤い髪の少年から学んだ。強すぎる力は時には大事なものをも傷つけてしまうということを。だから。
ただ、『スフィー』と呼んでくる少年との別れはやはりこたえた。下手に入れ込みすぎたせいか、今でも忘れられずにいる。今頃、彼はきちんと『チュウガッコウ』の授業を受けているだろうか?
「現皇帝、一休みされては?」
そう言って、水を勧めるのは自身が『兄』と慕っていた翆玉だ。
彼はもはや『摂政』ではなくなり、元皇帝の世話役兼現皇帝の側近となった。元『スフィア』が返事をするまでもなく、彼女の手には木でできた器に注がれた水が揺蕩っていた。澄み切った水は、まったく『あお』ではない。
「……」
――あの『コーヒー牛乳』と『メロンパン』、美味だった。
『もう二度と』、あの時代に行くことが叶わない今となっては、やはりもう二度と口にする事もない飲料の味が思い出される。それに比べれば、水のなんと味気ないことか。
「……どうかされましたか?」
「いや、なにもない」
結局、今の『現皇帝』には最愛の弟の死の真相――なぜ彼が母親を殺したのかという理由――を知らされることはなかった。翆玉に命じても、「朱の名誉にかけて言えません」と言うばかり。……結果として彼女が今思うのは、弟の面影のある少年のことだった。
彼との最後の別れの時のことは今でも、というより、毎日思い出す。思い出すどころか、忘れられない。
『スフィー、僕はスフィーが、スフィアが、大好きです! 朱ってひとと一緒にしないで。僕は麒麟だよ。ちゃんと僕を見て。どう思っているか訊かせて?』
そう面と向かって言われた時には、正直に言えば戸惑った。出会った頃は軟弱な少年でしかなかったのに、今や逞しさを感じさせ、将来が楽しみな少年に成長を遂げていた。朱もこうだっただろうか?
少年の成長とは早いものだと感心したのだが、どう返事をしたものかと悩まずにはいられなかった。……はたして、この気持ちは『恋』と呼んでいいものなのだろうか?
『……』
しかし、仮に恋だったとしても、自分はこの碧玉京第三十代目皇帝であり、私情に振り回せれる事などあってはならない。ゆえに可能だったのは、『出来る限り自然に微笑むこと』だけだった。
麒麟がそれをどう受け取ったのかは、もう二度と会えない限り『解らない』。少しでも自分の気持ちが伝わっていればいいと思う。それだけはどうかこの世に存在するなにものにでもいいから伝言を頼みたい気持ちでいる。
その後、『スフィア』の名を捨てた瞬間に現皇帝の碧玉でできた勾玉にひびが入り、粉々に砕け散った。それはまるで、彼女を皇帝の座につかせるためだけに存在したかのような錯覚を覚えさせた。いや、実際に朱の執念がそうさせたのかもしれなかった。翆玉の態度を見ているとどこかそのような気がする。これは名は捨てても残っている巫女『イノリ』としての直感だ。
そして現皇帝――元の名を『スフィア』といった彼女は心の中で別れを告げた。いつか寄生木家のベランダで泣いた時のことを思い出しながら。朱の最期の微笑みを思い出しながら。
――さらばだ、朱。私はこの帝国をお前の代わりの治めてゆくよ。
……この後、碧玉京は彼女が現代から持ち込んだ利点を次々に生かした国へと移り変わってゆく。それは最初はゆっくりと、だが確実に水が綿に染みていくように確実に強国である碧玉京を強くも優しくも包んでいく。
結局、民主制政治が始まっても、何年も元『スフィア』の治世は続いた。それは碧玉京の唯一無二の黄金期であったことは誰から見ても間違いのないことだった。
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