起
あの後、つまりは見た事も聞いた事もない恰好の、これまた見た事も聞いた事もないあおい髪にあおい瞳の綺麗なお姉さんを連れて、僕は自分の家――寄生木家に帰ってきた。僕たちの家は都内の一軒家だけど、お父さんの職業上、お金がかけられないから中古なんだけどね。そして僕は自分の部屋にあおいお姉さんを連れてきた。
僕ひとりでも『赤い髪』で目立つのに、『あおい髪』なんて、それこそ前代未聞というヤツだと思う、たぶん。あかとあおが一緒に歩いているところを周りのおばさんがじろじろ見たけれど、僕はあまり気にしない。どうせもう信じてもらうのは諦めてるから。
でも、お姉さんがあまりにも周りをキョロキョロと
さっき大きな男の人にカツアゲされていた時はもう少し薄いあおだと思っていた髪の色は、今はやけに濃い『あお』に変わっている。もしかしてマジシャンとか? そんな事を考えてみるけど、マジシャンだってこんな変……って言ったら失礼なのかな? でも僕から見れば変な格好だとしか思えないから、変っていう。それにしても、このお姉さんの服装って、なんだか博物館で見た縄文時代とか弥生時代のひとのものみたい。パッと見たところの、素材とか、デザインがなんだか古代っぽい。ボロボロになった図鑑に載ってた通りとはいかないけれど、かなり似ている。
そんなことを考えていると、お姉さんが口を開いた。やけに重々しい声の音程だった。音楽の用語でいうのなら、アルトの声。
「……それで、もう
「どこだって、さっきも言ったよ。日本の東京。お姉さんは僕よりも年上なんだし、そのくらいは『ジョーシキ』でしょ?」
「何度でも訊く。その『ニッポンのトウキョウ』とやらはどこだ?」
「……」
さっきからこのやり取りの繰り返し。もう何度目だろう、このやり取り。でもなんだか僕が求めていた何かに巡り合えた気がする。なんというか、コンキョはないんだけど、ロマンあふれる何か。でもやはり、繰り返しても解ってもらえないのはやっぱり面倒かもしれない。面倒なのがまたロマンを生むのかもしれないけど。
そんな事を考えていると、お姉さんは機嫌が悪そうに、僕が出したコーヒー牛乳をじっと見た。じっと見たというか、睨みつけた? なに? 何か気に入らないの? 僕が何か失礼なことでもしましたか?
「……これは何だ? 見たところ液体だが、飲み物か?」
「お姉さんって、コーヒー牛乳も知らないの?」
「なんだその、こーひーなんとかは?」
お父さんに買ってもらった大量の図鑑は、もう何度も読んで内容を暗記するくらいボロボロだから、それだけ僕も好奇心旺盛なんだろうな。多分専門職のお父さんの影響だけど。
「ええっと、コーヒーを牛乳で……」
ここでお姉さんは部屋の赤いミニテーブルを強く叩いた。痛そうな音がしたのに、お姉さんは平然と、でもどこかイライラしてるように見える。髪の色がますます濃いあおに染まっていく。一体何なんだろう? 僕の赤い髪よりも不思議だ。
「だから、そのこーひーとやらは何なんだ! それとなんだ、この汚い色は! こんな泥水など飲めるか
「どっ、泥水? これは
「っ!」
あ、しまった。『お姉さん』って呼ぶべきところを『お姉ちゃん』と間違えた! ……お母さんが自分の事を『お姉ちゃん』って呼んでって言うから、つい癖で……。引いただろうな……。
「……」
でも、お姉さんはどこか悲しそうに僕を見た。これまでの気の強そうな目つきじゃなく、何か大事なものを見るような目で僕を見る。その視線に、らしくもなくどきりとした。なんだろう、心臓の動きが早い。
「……お前の名はなんという?」
「えっ? ……寄生木、麒麟」
「『ヤドリギ』『キリン』とは、『ヤドリギ』は他の
「えっと……解らない、です」
「それほど
「えっ、髪?」
この言い方は、少なくとも嫌われてるわけじゃないよね? 初めてだ。僕の髪を、嫌わなかった人は。お父さんに似たんだと思うこの髪は、今まで染めてると決めつけられて誰にも信じてもらえなかった。それなのに……。嬉しくて泣きそうじゃないか。……まずい、涙が出てきた。
「……なっ、泣くな! 男だろう! お前にそんな顔をさせたかったわけではない! 決して!」
「……?」
思わず目が熱くなった僕に対して、急にこのお姉さんはうろたえた。一体なぜ? 本当に、このお姉さんは何者なんだろう? 少なくとも『悪いひと』ではないと思う。だって、自分から男のひとに絡んでたわけじゃないし、あれはやり過ぎとはいえ、『セイトウボウエイ』なんだから。うん、絶対に悪いひとじゃない!
僕が
「……お前が
「……おとうと?」
確かにこのお姉さんはいかにも頼りがいがありそうだし、本当に大人の男の人をあっさりやっつけてたし、実際に強いんだろうな。この人に弟がいるのも納得できる。でも、なんでいちいち懐かしそうな顔をするんだろう? それにこんな表情、最近どこかで誰かがしていたのと同じだ。
……そこまで考えて、去年亡くなったお母さんのお父さん、お
「もしかして、お姉さんの弟って、もういないんですか?」
するとお姉さんは悲しそうに、本当につらそうに、ただ無言で
お姉さんは僕の顔を見つめながら、しみじみと思い出すようにぼつりと言った。
「弟は
「……『ハラチガイ』? 顔だけは?」
「『腹違い』とは母親が違うということだ。それに、性格は大違いだ。朱はお前のように
ぴしゃりと言われてしまった。今までのいい気分が台無しだ。せっかくこの髪を嫌いではないらしいとわかって嬉しかったのに。……そういえば、大事なことを訊いてなかった。お姉さんの名前だ。名前が解らなきゃ、会話も進まない。
「お姉さんの名前はなんていうんですか?」
「スフィア、もしくはイノリだ。どちらでもいい」
「えっ? それはどういう意味ですか?」
『スフィア』さんか、『イノリ』さんは答えない。じゃあ仕返しとして可愛く呼んであげよう。お母さんで知ったけど女の人は若く見られればみられるほど喜ぶみたいだし。
「……じゃあ、スフィー?」
「……誰が略せと言った? だが、朱と同じ顔でそう呼ばれるのも悪くない」
ほら、やっぱり女の人は可愛く呼ばれるのが好きなんだね。そしてそのスフィーは、ほんの少し考えた後で、こう言った。
「どうやら私は
「……『ヘキギョクキョウ』?」
彼女――スフィーは頷いた。
「私が
+ +
――どうやら、ここは碧玉京とは違うらしい。
私はそのことだけは確かだと思った。目につくもの全てが、見た事もなければ聞いた事もないものばかりだった。満足はできていないが、それなりに
そう考えたのだが、甘かったのだろうか? 目につくものは、すべて私の知らない文字や場所ばかりだった。碧玉京の特徴である、『あお』が皆無と言ってもいい。
ただ、色合いは違えども同じ『あお』、空だけは同じだった。碧玉京の
落ち着いてからまず最初にしたことといえば、
――よかった。
とりあえず
身なりも違えば、顔の形も違う。その者たちが一斉に
まぁそんなことよりも、私は確かに『儀式』のために巫女装束に着替えて、準備が出来るまでは自室で控えていたはずなのに、なぜ野外にいるのだ? ここはいったいどこだ?
――一体どうなっているのだ?
思わず、朱の形見である
そこでいかにも骨のなさそうな、下品で見るに
「ねーちゃん、金くんねぇ?」
「その変なカッコ、コスプレ? まぁそんなことより、金だよ、かぁね!」
「あれ? ねーちゃん俺らが怖いの?」
「ならどうすればいいのかくらい、小学生でも知ってるよな?」
――何が言いたいのだ、この男どもは?
『かね』とは
そんな簡単なことすらも理解できないのか? ならば、十分な教育も受けられないのだろう。……碧玉京ももっと学ぶ場所を用意すべきだ。
「……なんだぁ? そんなに俺らがこぇーの?」
「だったらどうすりゃいいのか、すぐわかるよねぁ、ねーちゃん!」
「金だよ! 金出せって言ってんの!」
「コスプレするくらいなら結構持ってるよなぁ?」
朱に姉と呼ばれる時はこの上ない
そんな事を考えていると、いつの間にか手首を
「このねーちゃん、二対一で俺らに勝てるとでも思ってんの? バカじゃね?」
「女が勝てるわけね―じゃん!」
「このまま手首折られる前に、大人しく金だそうな?」
「そうそう。抵抗するだけ無駄だから」
そう、
そういうわけで、身分も
――朱。
あの時、我が母上を殺した
……泣いてしまいそうだった。もう二度と
名を
その朱は、周りと同じ奇妙な
「『イジメ』は良くないですよ!」
なんということだ、朱までおかしなことを
しばらくの
外見はどう見ても朱なのに、オドオドとしたところは全く違う、声の調子も
その朱によく似た少年は、他の者と同じく妙な身なりをしている。相手が朱と同じ外見だからといって、私も油断した。思わず口走っていた。本当に、私としたことが。誰かに頼る、尋ねるなど情けない。自分の事は全て自身でやらねば意味がないのに。
『ここはどこだ?』と。
+ +
その朱に似た少年は『ヤドリギキリン』と名乗った。
我が国に伝わる
『キリン』も、目の前の少年とは真逆と言っていい。才能の
――朱、私の『弱さ』と『罪』の
今でも
「……お姉さん?」
麒麟が私を心配そうな眼で見る。それだけ
「……すまない、考え事だ。ここは『ニッポンのトウキョウ』だと言ったな? では残念ながら、我が碧玉京とは違う国だ。そして、ありえないことだが、どうやら私は『移動』したらしい」
「『移動』?」
「ああ、そうとしか思えない。様々な可能性を当たってみたが、未熟な私が考えつくのはただこれだけしかないんだ」
……悔しくてならない。私は碧玉京、第三皇位継承者スフィアだ。なのにこんな自分より遥かに幼い少年の前で、よりにもよって迷うなど、あってはならない! なにが、皇位継承者だ! なぜ私はこれだけ未熟なのだ!
「……あのー? 大丈夫?」
「大丈夫だ! お前は何も
「うん。でも僕はなんにも困ってないよ?」
――なんたることだ! この私が年下に気を使われているだと!? あってはならない、大恥だ!
文字通り頭を
そう考えた私は、麒麟と名乗った少年に質問してみることにする。まずは碧玉京を知っているかだ。
「……碧玉京という
「『ヘキギョクキョウ』? ……ないです」
「やはりか……。では、この国の
「え……僕、そんな難しい言葉なんて知らないよ? 聖徳太子が『セッショウ』だった事は習ったけど……」
……大丈夫なのか? この少年は。いや、この『ニッポン』とかいう国は。この年頃の少年ならば知っていて当たり前だぞ? どうやらここは予想以上におかしな場所らしい。いや、おかしな国と言った方が的確か?
「その『ショウトクタイシ』とやらは私は知らん。義兄上にでもご意見を伺おう。……私のいたのは碧玉京で、統治しているのは摂政の義兄上――
「……何を言ってるのかさっぱり解らないよ?」
私は説明が下手だったのか? これまでの
私が再び頭を抱えていると、少年は何かを持ってきた。それは少なくとも碧玉京では一度も見た事のない、薄い
「これは辞書って言って、えっと、言葉の意味が
「……ほう?」
それは非常に便利だ。麒麟が
そんな事を考えていると、少年は私の言った言葉の意味を全て調べ終えたようだった。……この『素直さ』だけは朱に似ている、と認めてやらなくもない。
「……うん、僕の知らないことばっかりだ。お姉さんのその変な服も、その『ヘキギョクキョウ』では『普通』なの?」
「普通? ……いや、これは
「……その辺のことは載ってない。ねぇ、
「『セイレキ』? なんだ、それは?」
ここで少年はひどく驚いた顔をした。……何がそれほど驚くのだ? 確かに我が国は
「お姉さんの誕生日は、何月何日で、血液型は何型?」
「……たわごとなど聞かんぞ? なんだそれは? 生誕日ならば、母上から空が重い日、極度に寒い日に生まれたと聞いている。『ケツエキガタ』とは何だ?」
そこで今度は彼は急に楽しそうな顔をした。瞳をきらきらとかがやかせて、まるで仔オオカミのように私をじっと見てくる。
――朱の面影がある……なぜだ?
そんな私の疑問など無視して、麒麟はわけの解らない事を言い出した。
「古代からのタイムトラベルだ!」
だが、私にはどう応えていいのか、皆目見当がつかない。
「……」
「……」
しばらく私と、この種によく似た少年は黙り込んだ。
+ +
約五分ほど、ふたりは無言で見つめ合った。実際には本当に少しの時間ではあるが、彼ら――特に麒麟には
実際に彼女は様々な事を考えて頭がパンク
まさに、彼こそが実は麒麟児なのではないか? そんな事を考えていた。そして何よりも謎の言葉――一度も耳にした事のない異国の言葉『タイムトラベル』とは一体何なのかを考えていた。『タイム』という言葉は一度だけ
更に『赤い髪』という特徴が、やはり嫌でも朱を思い出させた。
そんなスフィア、もしくはイノリの考えている事など、もちろん麒麟の知るところではない。彼は彼で、これからの事を考えていた。
これらの要素から、彼女は『大昔からタイムスリップしてきた』と少年は判断を下した。そして、更に言えば少年はそのタイムスリップというものに父の影響を受けて、大変な興味を持っていた。SF小説も割と多く読むのだが、作り話と実際の体験は全くの別物であることは彼にもよく解っていた。
そして二人は同時に口を開く。出てきた言葉はふたりとも同じだった。
「あの!」
気まずくなって、互いに視線を逸らした後、再び向き合う。今度こそ、という意気込みで。
「なんだ?」
「なんですか?」
またもや二人同時に言ったのだが、スフィアは無言で麒麟に先を促す。これだけ話しかけようとしているのに声が重なっては会話が進まない。
「どうやって、この時代に来たんですか?」
「……時代? どういう意味だ?」
ここで麒麟は『タイムトラベル』について、自分の知る限りのことを話した。横道に逸れがちだったが、スフィアは無言で頷き、
「つまり、『たいむとらべる』というのは時間を移動する、という事でいいのか?」
「まぁ、そうです。……驚かないんですか?」
「私が気づいた時にはここにいた。確かにいつも通りに『儀式』のためにこうして巫女装束に着替えて準備している間に、だ。突然だった。その原因が、その『たいむとらべる』とやらならば、何の疑問も残らない。……どこに驚く要素がある?」
「……ないですね」
「それで、何か心当たりはないんですか? 僕が読んでるSF小説とかだと、なにか合図みたいなものがあるのが
「……『定番』という言葉の意味は、その書物で調べてみるとしよう。心当たりはただ一つ、朱の
「勾玉?」
スフィアは衣の前をくつろげて、その中から見事なあおい宝石でできた勾玉を取り出した。麒麟が知るような整ったカタチではないのが残念なくらいの、見事な……多分サファイアでできたものだ。
「……キレイ」
「朱の形見で、私の命だ。見事な碧玉だろう?」
「『へきぎょく』?」
「碧玉がどうかしたか?」
麒麟はすぐに辞書で『へきぎょく』を引いてみた。そこには『サファイアの別名。碧玉』と書かれていた。これで更に確信を強める。彼女――スフィーが古代人なのだと。
「……ところで、お前の着ているその変な衣は何だ? 軍にでも
「え、ぐんたい? いや、これは制服ですよ! 僕は今年から中学一年生で、十三歳なんです!」
先月誕生日を迎えたばかり、という事は
彼女は難しそうな顔をしたが、何かを思いついたらしい。
「……
「えっ? ……スフィーには『高校』だと思う。中学生は無理だよ。そんな大人っぽい中学生なんて見た事ないもん」
「『コウコウ』?」
「中学より年上の人が行く学校だよ。スフィーは頭が良さそうだし、高校の方がいいと思うよ? それに僕の父さんも、きっとスフィーは大歓迎だよ!」
そして麒麟は自分と彼女が実は似た者同士なのではないかと思い始めていた。『普通』ではない
「……これは僕の『宝物』。ルビーの勾玉だよ」
「『るびー』は知らんが……見事な
「うちに代々伝わる『家宝』だから、きっと僕の身を護ってくれるって言って、渡してくれたんだよ。……ちょうど、スフィーのと似てるでしょ?」
麒麟の勾玉も、ルビー自体は美しいのだが、カタチが
「これはもしかしたら、勾玉の縁かもしれん。いつ戻れるのか不明な以上、どこか雨のしのげる場所が欲しい。……すまないが、麒麟の家庭に
今までの
少年は微笑んだ。見知らぬ者との出会い、見知らぬ憧れの世界に行けるかもしれないという根拠のない期待が彼をそうさせていた。
「顔を上げてよ。僕のうちでよかったら、ずっといてもいいんだよ? これからよろしくね、スフィー!」
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