Blue

莊野りず


 ことの始まりは六月の、ある晴れた日のこと。しばらく梅雨続きだった空はもう雨を降らす気力もないらしい。からからに晴れた、あおが美しい空の日だった。

 中学校の帰り道を一人で歩く影があった。赤い髪の少年だ。中学生になってから、誕生日が来て十三歳になってから、もう一ヶ月が過ぎた。学校――区内第三中学校からのいつもの帰り道は、今日は友達が休みなため、一人で下校中だ。


 ――僕だって男の子なんだし、一人でも十分大丈夫じゅうぶんだいじょうぶ


 少年はそんな事を考えながら、彼的には早足で歩くが、あまり速度は上がらない。そんな新中学生を、待ちゆく人々は微笑ほほえましい目で見ていた。だが、その強烈きょうれつな個性はあまり快く受け入れられるものではないらしい。

「あの子、変わってるわね」

「ホントに日本人? もしかしてどっかの国の子とか?」

「馬鹿ねぇ、染めてんのよ。あの子の親は何を考えてるんだか」

「ハーフとかじゃないの?」

「まさかぁ!」

 昼下がりの暇を持て余した主婦たちは、今日の話題のネタを彼にしようと決めた。毎日同じ面子、同じ会話ばかりでは飽きてくる。そんなときにとっておきのネタが現れたのだ。話の種にしないわけがない。

 主婦たちは、本人たちとしてはひそひそ声で話しているのだが、それはことのほか大声になっていて、きちんとターゲットの少年の耳に届いていた。


 ――それを言わないでよ、気にしてるんだから。


 その新中学生の少年――寄生木麒麟やどりぎきりんは、制服の茶褐色ちゃかっしょく詰襟つめえりに、まるで合わせるためにそのようになっていると錯覚するような、赤い髪の持ち主だった。小学生の頃は進級するたびに担任の先生にまで言われた。いや、中学校に進学してからも言われた、何度も。

『染めてるのなら早く直しなさい』

 これは正真正銘地毛しょうしんしょうめいじげだ。父親も同じ色だし。……母親は黒髪だけれども。何の因果でこんな髪の色になるのかは少年には解らない。なにせ、まだ小学生気分が抜けていないのだ。父はあまり気にしていないようだが、年頃の息子としてはいつもこの髪のせいで謂れのない好奇の目に晒されてきた。

『赤毛のアンみたい!』

『そうそう、これでそばかすがあって、三つ編みの女の子なら完璧にアンなのにね!』

『でも寄生木くん男子だもん! アンとは程遠いよ』

 小学生の時には大人しめの女子グループからでさえもこうからかわれた。

 男子はひたすら、『やーい赤毛のアン!』とはやし立てるだけで、いっしょに遊んではくれないし、もし遊び相手がいたとしても、それは所謂スクールカースト下部の男子だけだった。その相手でさえも、やはり髪が赤いというだけで先生に叱られている時には身を隠してしまう。

 そんなこんなな、散々な目に遭ってきた寄生木少年にとって、この赤い髪のコンプレックスは半端ではなかった。この髪が原因でよくわからない偏見や好奇こうきの目にさらされてきた。

 何度『染めてない!』と主張しても、誰一人としてそれを信じる者はいなかった。特に、先生はみんな一緒。『染めてるのなら直しなさい』としか言わない。だから、もういい加減、誰かに解ってもらおうなんて甘い考えは捨てようと思っている。……どうせ、誰も信じてはくれないのだし。

 そんな諦めが奇妙なめぐりあわせを生んだのかは、よく解らないが、少年は『出逢った』。何に? それは……きっと、たぶん、この少年を大きく成長させてくれる『なにか』だ。もしくは『誰か』。いずれにせよ、少年は出逢った。

「おいねーちゃん! かね出せ金!」

「さっきからわけの解んねーこと言ってんじゃねーよ!」

「……お前たちこそ、その気品の欠片かけらもない理解不能な喋り方はやめろ。不快ふかいだ」

「あんだと……?」

「舐めてんのか? 俺らはなぁ、たとえ相手が女だろうがいうことを聴かなきゃボコるぞ?」

「だから、何が言いたいのか意味不明だと言っているんだ!」

 声の聞こえた場所は、通学路の途中の路地裏ろじうらだった。声の高さから、男二人に毅然きぜんとした口調で言い返しているのは女のひとだということは解った。しかし、こんな時は誰を頼ればいいんだろう? 少年はまず『誰を頼ろうか』と考えた。こんな現場など怖くて逃げたい。さっきのお喋りな主婦たちがいる場所からはだいぶ離れてしまったのだし、一体誰を頼ったらいいのだろうか?

 ドラマや漫画などでよくある『金出せ』という言葉。これは所謂『カツアゲ』だろう。ならば、まだ幼い、声も高い自分に出来る事など何もない。しかも自分までひどい目に遭うかもしれない。見知らぬ『女のひと』には悪いけれど、こわいのも、いたいのもご免だ。

 そう思って逃げるか、せめて誰か助けを呼ぼうかと迷っている間に、予想に反して聞こえてきたのはその女の人の悲鳴ひめいうめき声などではなかった。むしろ……。

「いででででで……離せよ!」

「なんだこの女! 強ぇぇ!」

「これでもまだやる気か?」

「ふざけんなよぉ……いでででで」

「くっそ! なんで二対一でこんな強いんだよ!

 この声は男のもので間違いがない。少年は今度は『どうするべきか』を考えた。


 ――女のひとも心配だし、なによりこれは……。


 しばし逡巡しゅんじゅんしたものの、この年頃の少年にありがちな好奇心には敵わなかった。しかもこの寄生木少年は並の少年より好奇心はあふれ出るほどに旺盛だった。一人息子ゆえに、父に買ってもらった大量の図鑑を読むのが趣味で、休日には様々な博物館に、家族さんにんで行くのも大好きだ。要は、かなりのロマンティスト。そんな彼の好奇心レーダーはその見知らぬ女のひとに標準を向けた。

 怖々、恐る恐る、ドキドキ、果てはワクワクしながら近づいていくと、男の声は悲鳴へと変わり、更に呻き声へと変わる。その事である可能性についての確信と本当なのかという疑惑が広がる。


 ――まさか、女のひとが……。


 そんなことをを考えながらも、今度は女のひとのことが恐ろしいのかと予想しながら、汚れたビルの間からその『現場』を覗き込んだ寄生木少年が見たものは、見た事も聞いた事もない恰好かっこう――これはただ単に習っていないから知らないだけなのかもしれないが――の、自分とは違う色調――淡い『あお』の髪の色をした綺麗きれいな『お姉さん』が素手すでで大の男二人を同時にめ上げているところだった。


 ――すごい。あんな強そうな男のひとふたりを、ひとりで?


 ただ純粋にそう思った。中学校でも、男子は女子には手を上げない。その理由など言うまでもなく誰もが理解している。

 『女の子は男の子より遥かにか弱いから』だ。それに男の子は同性とは張り合うけれど、異性には甘いのだ。一人息子なぶん、両親に優しくされて育った寄生木少年は、その傾向が特に顕著だった。

 しかし……そんな当たり前の事などは、目の前の綺麗で強いお姉さんには当てはまらないらしい。見知らぬその『あお』い髪のお姉さんは顔面に返り血を浴びても平然としている。しかし、どこか挙動不審に、キョロキョロと辺り一面を見回している。男のひとが反撃しそうになるとまた殴り返して黙らせているのはやり過ぎだが。

 言葉も出なくてただその有りありさまを見つめていたのだが、段々男のひとたちを締め上げる手にも容赦ようしゃがなくなってきた辺りで止めるべきだと気がついた。このままでは正当防衛せいとうぼうえいどころか過剰防衛かじょうぼうえいでお姉さんが逮捕されかねない。

「あの、お姉さん!」

 そう呼びかけた相手――女のひとはゆっくりと寄生木少年の方を振り返る。


 ――ひとみの色も『あお』いんだ……。


 自分よりも、年上であろう彼女は無表情だったが、なぜか彼のその声に少しだけ寂しそうな顔をした――ように見えた。しかしそれも、ただの錯覚さっかくだったのかもしれない。彼女は一度だけこちらを見ただけで、再び男たちを、今度は『痛めつけに』かかる。

「イジメは良くないですよ!」

 思わず寄生木少年が口にしたのはそんな言葉だった。日頃からロマンを探し求めている彼としてはらしくもない普通寄りの言い分になってしまった。しかもピントのズレた言い分だったが、目の前の彼女は心底疑問のように訊いた。

「『イジメ』……? なんだそれは?」

「……え?」

「状況から察するに、『正当防衛』の同義語どうぎごか? それとも『やり過ぎ』だとでも言いたいのか? 『イジメ』とはどう書くのだ?」

 そう一人で考え込む『お姉さん』は、今度は考え事に夢中なのか、あっさり男たちを解放した。彼らは「ちくしょう」、「覚えてろ!」と雑魚ざこ丸出しの捨て台詞を捨てて去った。彼らが走るたびに、お姉さんに殴られた傷口から血が出てきていたいらしい。逃げながらも「痛てぇ!」「ちくしょう! ボコられんのには慣れてねーんだよ!」という負け犬の遠吠えが聞こえてくる。

 残されたのは寄生木少年と『正体不明のお姉さん』のみ。


 ――この人は、難しそうな言葉を言ってるし、とぼけてはいないんだよね?


 本気で『イジメ』という単語を知らないらしい。仕舞しまいには、「私も物知らずだった」となぜか恥ずかしそうに顔を伏せる。そこが全く理解不能だ。……ますます興味深い。寄生木少年は自分でも気づかないうちに彼女に近づいていた。だって、興味深いから。なにか、ワクワクすることが起こる予感がするから。しかし相手も寄生木少年に近づいてきた。男二人の返り血が顔に付着したままで。

 そして、思い出したかのように『正体不明のお姉さん』は寄生木少年に尋ねた。


「ここはどこだ?」


 それが寄生木少年もとい、寄生木麒麟とあおの少女の出逢いだった。

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