マキシマム・座・オムツ

翌日―――。


「ふぅっ……はっ……はぁっ……」


左右の手足を素早く前後に動かし、地を蹴り風を切り、心にあるのは常にひとつの事だけ……。




……“もっと速く”と。



「はっ……はっ……」



視線は前方遠く……。



「わんわんっ」



犬を飛び越え……。


「おや? おやおや?」


じじいをかわし、遥か先にそびえ立つ白い建物へ。



「ほらほら、もっと急ぎましょう。貴方はこんなものではない筈です」



視界の左端辺りからそんな言葉が発せられ、耳へと届いた。



「くぅんぬぅぅっ……」



言ってくれる。元はといえば……。




「お前のせいだろうがぁああああああっ!!」



からっからに乾いた喉でからっから声を出しそう叫ぶ。



「おやおや、これはこれは、出ましたね。人間特有の人のせいと言うやつですか。感激です」


人に抱えられてるにも関わらず、乱ballはそんなことを言いやがるので、更に俺の怒りは本物に近づいていく。


「人のせいじゃねえ! お前は人じゃねえっ!!」


乱ballを両手に持ち替え、走ってる勢いのまま膝蹴りを何度も食らわしてやる。


「おほほほほほほ」


だが、何故だか乱ballはご機嫌そうに笑いやがる。本当に腹の立つballだ。


「お前っさぁ……!! 言ったよな!? 俺言ったよなぁ!? なあっ!!!!」


打撃は効かないようなので、思いっきり両手で指を食い込ますように握る。


「どれのことでしょうか? 私と貴方は昨夜だけでも文字数にして7000程は会話を交しております故」


くそっ。圧縮系も効かないのかっ。



「その内の6500ぐらいはお前だろうが! 夜中に変な歌歌いだすんじゃねえよ!!」



おかげでものっそい寝不足だ。


「疲れてるのに寝れないと仰るから」


「言った! 確かに言った!!」


けど、それまでは布団に入りながら普通に会話してたんだ。


「でも、何故急に歌いだすっ!! 逆に疲れたわ! 馬鹿っ!!」


力任せにバスケのドリブルをしてやる。


「はっはっは」


……が、やはり効かないようで、大御所風に笑っただけだった。



「はぁはぁ……ま、まあ、それはいい……。日付が換わってたとはいえ昨日の出来事だ……。だが……」



一番、驚きと共に腹が立ち、こうなった元凶でもある出来事……。



これだけは本当に許せない……。



『ギリギリだから駅までくらいは少し急いで行くか』



俺は家を出る間際、乱ballにそう言った。ギリギリとはいえ、まあ、数分の余裕が無いほど切羽詰ってたわけではない。むしろ、丁度に学園に着いていたとしても、少し走ればじろさんに怒られること無く席に着けたわけだ。




なのに……。





なのにぃっ……。







“ちょっとトイレ”






「ってなんやねん! ぼけぇえええええええええええっ!!!」


走るのを止め、中腰で地面に向って力の限りそう叫ぶ。


「あっはっは」


なのに、傍らに転がる乱ballはやはり笑うだけだった。


「お前なんなの!? 何が出るって言うのっ!? ほんで、なんでほんまにトイレ行くっ―――」


言いながら数歩後ろに下がり、すぐさま小走りで乱ballへと歩を詰め……。



「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」



思いっきり蹴り飛ばす。


「あっはっはっはっはっは…………」



一応、ロボットでもあるバスケットボール。それが乱ballだ。


怒りで我を忘れたとはいえ、やはり蹴り飛ばした右足のつま先は痛かった。



「はぁはぁっ……はぁっ……ふぅ~……」



だが、笑いながらだろうと、風を切り空に向って飛ばされている姿を見ると少しスカッとした。



「ああ……そうか。拾わないといけないのか……」



確認してなかったわけではないので、民家の窓ガラスを割ったり、通りすがりの誰かに当たることは無い。



奴が着地する地点は無駄にだだっ広い金次郎公園だ。



まあ、仮に何かに当たっても公園内の周りに植えてある木くらいなもんだろう。



それにこの時間帯に公園でサボってるのも学園内じゃ俺くらいなもんなわけで、その俺がここにいるんだ、他に公園内に誰か居るってことは考えにくい―――。





“ガシャンっ”




ほら、木に当たったようだ。




「えっ! ちょっ―――きゃあっ!」




えっ……やめて……。





「思いと相反するのやめてぇぇぇぇっ!?」



目を見開いて驚きつつも、金次郎公園へと足を速めて向う。

ただ、直ぐに公園に入る決意ができるほど俺は胆が据わってる訳ではない。


「…………」


と、いうことで、とりあえず、公園の外側から声がした辺りへと向かう。もちろん抜き足差し足だ。


「んもぉ~……。このボール何ぃ~」


向かい初めてすぐ、怒ってるような怒ってないような、どっちともわからないのんびりとした女性の声が、公園内から聞こえてきた。


「…………」


俺って、女性との出会いの運勢“だけ”は、とびっきりついてるんじゃないだろうか……?

そんなことを考えながら、公園の柵を両手で掴み、囚人のように覗く。



「えっ……」


確実に隠密行動を意識しつつの行動だったのは確かだが……まさか、こんなことがあるとは……。


「あっ……」


こちらに足を開く形で座っている黒いスーツ姿の女性とモロに目があってしまった……。



「あぁっ……と……」


「えっ……あぁ……」



足と足の間にある薄い布の三角形……それは物凄い魅力的だ。

だが、それ以上に目に映りこんでくるものを女性が着ている上着の左の襟に見つけ、俺は瞬時に思った。





最悪最低だ…………と。













「あ、あの……大丈夫ですか? その……しり……」


痛がっていたのでベンチへと場所を移すのを提案したまでは良かったが、移動の際にどんどんと勢いが無くなり、なんだか緊張して、なかなか話しかけれないで数十分経った今、ようやく口にできたのがこれだった。


「聞かないでよぉ、恥ずかしいなぁ。先生だってまだ女の子なんだからね」


そう、この女性はうちの学園の先生だった。


「で、ですよねぇ……はは……」


専門的な学科も多い学園だから、学科によっては全く持って先生に見えないおっさんとかも居るので、うちでは教師全員が親指を立てた右手を模した、一円玉くらいの大きさの金色のバッチをどこかしら見えるとこに付けている。



「ですよねぇ、じゃないよぉ」



だからなのだ、俺はそのバッチには過剰に反応するので、先生のセクシーな黒のパンツより先にバッチに気づいた。


「い、いや、わかってますよ。だから、その、心配をと……」


しかも、なんというタイミングで出会ったんだっていう……。


一見すると、外はね茶色ショートカットの見た目と伸びやかな話し方で、ゆるふわな雰囲気を醸し出しているが、顔付きは、切れ長の目で鼻筋が通った綺麗な顔立ちという……なんだか少しばかりギャップがあるねーちゃんは、じろさんが好きな四條麗奈その人だった。


「ふぅ~ん。そうかぁ……優しいんだぁ~。このこの~」


茶化して右肩を軽くパンチしてくるこの人は恋ちゃんと同じ系に思える。


「まあ、可愛い人には優しいもんですよ。野朗ってのは」


いや、違う。こんな会話がしたいわけではない。四條麗奈と分かった今、話したいことはただ一つだ。


「いっちょまえ~。えい、えぇ~~い」


いや、なんで人の鼻の下を指で撫でるんだ。この人。


「さ、流石ですね先生。そのボディータッチは外人仕込―――んんっ……!」


いや、意味分からんてっ。何故、口を塞ぐっ!?


「モロ太郎君。君、何故こんなところに居るの。授業始まってるよ」


もっともなことだし、急とはいえ真剣なトーンでいかにも先生らしいお叱りを四條先生が始めるのはわかる。



―――が、一つだけ、これだけは見逃せず、言いたいことがある。




「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ、先生。俺、そんな卑猥な名前じゃないですから」



駄目な部分が丸出しみたいな名前、流石にじいさんでも付けない筈だ。



「え? そうだった? じゃ、じゃあ…………」


先生は思い出そうとしてるのか、俯いて眉間に右手の親指をあて考え始める。


「いや、先生? そんな、大袈裟な……」


直ぐ覚えれる名前のはずなんだけどな……。


「はぁ……しょうがないですねぇ……」


まあ、これはこれで面白いので、見てようと思う。


「…………」


だが、先生は答えを言ってくれると思ったんだろう。

顔を上げ物凄く見てくるが、俺は目を合わせたまま何も言わない。


「えっ。言ってくれるんじゃないのぉ?」


驚いた様子で先生がそう聞くので、俺は頷き。


「勝負ですよ」


とだけ言ってみた。


「勝負っ……!」


「えっ……」


怖っ……! 一瞬目が光ったぞこの人っ……!



「そうか。……ならいいよ。受けて立つ」


真剣な声で先生はそう言うと、さっきまでののほほんとした感じが微塵も無くなり、鋭い目つきでじいっと目を見つめてくる。


「は、はは……。先生、なんか、感じが変わり―――」


俺の方が耐えられなくなり、上手く笑えないなりにも精一杯笑い、口を開いたのだが……。


「黙って」


と、一蹴りされてしまった。



……正直、怖い。



「…………」


これが、学園一のギャンブラーか……。

じろさんはほんと、これがええのか? ほんまに……?

確かに可愛くもあり綺麗でもあるけど―――。


「茂木太郎」


「ん……?」



え……答えか、これ……?


「……違います」


正直、モロ太郎でも茂木太郎でもいいから終わらせたい気分でいっぱいだ。

だが、俺も男だから引くわけにはいかないんだと思う。



だから……。



「回答できるのは、後2回ですね」



と、言った。


「2回……?」


更に目つきがきつくなるが、負けられん……。


「に、2回です。答え出るまで名前羅列なんて、し、真剣勝負じゃないでしょ?」


「っ…………!」


おぉぉぉぉ……だ、誰か……。



オムツを頼む……。



マキシマムに漏らしそうなんだけど……怖くて。

声になら無い、ちっみたいな声出してるよ……。


「そう……。確かにそうね……わかった」


わ、わかってはくれたようだ……。よかった……。

正直、怒りMAXのアリスとどっこいどっこいか、それ以上の眼光の鋭さだ。

ほんと、嫌なんだ俺……。目を合わすっていう行為自体も正直苦手だったりするのに、こんなにも鋭い睨みを目で受けるなんてさ……。







「語呂太郎」


「いや……残念」


「…………」


怖いのは確かだが……この人さっきから、まじでやってるんだろうか……。


「先生……あの……」


人間慣れるもんなんだな。少し余裕が出てきたきがする。


「あと一回の回答で先生の罰ゲームが決定するわけですが……。どうです? 心境は?」



見えないマイクを先生に向けてみる。


「罰ゲーム……?」


うっ……やっぱ怖いっ。だ、だが、ま、負けねえっ!


「しょ、勝負とは、互いに何かを賭けてこそ勝負というんではないでしょうか? それかあれですか? 先生は何も賭けない、勝敗も無い、そんな単なるお遊びで今、勝負をやっていると?」


俺は口先で勝負してやるっ。


「先生からすれば「間違えた~」や「わかんな~い。ごめ~ん」で済むかもしれません。ですが、もう一回先生が間違ったなら、俺は4回も名前を間違われたことになる。本来じゃ失礼極まりない。生徒が多いからぁ」とか、そんなんで済ますと思春期にもいい影響も与えない」


何故適当に言ってるときはこう、言葉がポンポン出るんだろうな。


「そ、それは……確かにそうかも……」


しかも、効いてやがるっ……? これは畳み掛けるしかねえなっ。


「親―――俺はじいさんですけどね。そのじいさんが付けてくれた名前ですよ。それを貴方は現時点で3回も間違っている。もしかすると最初から覚えるつもりすらなかったのかもしれない。それは教師としてどうなのか? 言うまでも無く良くないですよね? “四條麗奈”先生」


自分の名前を呼ばれ、よく見てないとわからないくらい微かだったが、先生はピクっと身体を震わしたのを俺は見逃さなかった。


「俺はもう、名前と生きてきたこれまでの全てを賭けていると言っても過言じゃないくらい真剣なんです。先生は違うと言いますか? そんな俺の覚悟を鼻で笑うつもりですか?」


まあ、ぶっちゃけ、誇りはねえんだけどさ。


「そんなつもりは……ないわ……」


おーしおし。怖いぐらい思い通りだぞ。


「では、今一度聞きましょう。後一回―――いや、4回教え子の名前を間違った貴女は罰を受けますか?」


俺が乱ballぶつけなきゃこうなってなかったわけだし、なんだか先生に悪いことをしている気分だが……ここまできたら、こんな意地悪な聞き方してでも受けさすしかない。


「わかった……。次ぎ間違えば、罰でも何でも受けるわ……」


この時、先生の真剣さが更に一段と増した気がした。一回名乗ってるし、案外、最後に当てちまう可能性だってある。


「よし……言いましたね……」


……が、もう一度言おう。



「では、勝負です。……先生、名前をどうぞ……」




俺も男だ。先生が勝負に勝ったなら、罰でもなんでも受けてやる。





俺と先生の真剣勝負だからな。



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