第2話
翌朝。
日の光を浴びながら、僕は目を擦る。
女性とキャンピングカーで、二人きりの状況で休める猛者がいたら、教えて欲しいものだ。そう思っていた僕だったけど……目が覚めたら森の中にいた。
24時間の駐車場に止まっていたはずのキャンピングカーは、自然を感じる――どころか、自然しか感じない緑豊かな場所に移動していた。
移動していることに気づかなかった。
人の気配がない。
森の中に置かれた簡易なテーブルとパイプイス。
僕はそのイスに座りながら、僕が今まで食べたことのないような、豪華な朝食が並べられていくのを眺めていた。
こんがりと、完璧な配色で焼かれた食パン。
恐らくは市販で売っているものではないだろう。見ただけで食間が違うのが分かる。食べてもいないのに分かる。
そして食パンの横に並べられた様々なジャム。
赤いイチゴ、青いブルーベリー。他にも、僕が名前も知らない、見たこともない果物で作られたジャムもあった。
「はい、飲み物」
真依さんが僕に、暖かいコーヒーが並々と入ったマグカップを渡してくれた。
「ミルクと砂糖はそこにおいてあるから、好きに使って」
机の上の小さなカップに置かれた角砂糖とミルク。入れられているカップも、金の流線で豪華な模様が描かれていて、僕としては、使うのを躊躇ってしまうレベルの豪華さだった。
「ならば、ブラックで!」
使えないなら使わなければいい。
ミルクも砂糖が無くても、飲めない訳じゃない。苦いくらいで喉を通らないなんて、もうそんな子供な僕は死んだ。
あの地獄から脱走してきた僕は、新たな自分に生まれ変わった。
その記念すべき一杯が、このコーヒーだと思えば――案外悪くないのかもしれない。
「飲む……」
誰かに聞かれてもいないのに、小さな声で宣誓した僕は、その黒い液体を、口の中に一口含ませる。一気に飲み干そうと気合いを入れけど、立ち上がる湯気を顔に受けて、危険だと判断したのだ。
妥協して、一口含ませたそのコーヒーは、
「ニガっ」
含ませただけで飲み込めない。
小さく口にいれたコーヒーを、口の中で、更に小分けにして喉の奥にへと流し込んでいく。
「情けない」
やはり脱走した程度じゃなにも変わらない――むしろ酷くなったのかもしれないな。
一人頷きながら、ちびちびとコーヒーを飲む僕。
「ねえ。なにやってるの、君は?」
そんな僕をいつから見ていたのだろう。
真依さんが背後で、自分のコーヒーを飲みながら立っていた。
僕の後ろに立っていたということは、真依さんのコーヒーには、砂糖とミルクは含まれていない――ブラック。あの位置から机の上に置かれたミルクと砂糖に手を伸ばせる訳がない。
僕が飲み込めなかったブラックを当たり前のように飲んでいる真衣さん。
その事実に、自分の情けない姿を見られた恥ずかしさよりも、敗北感が僕を包んだ。
「はははは、中々面白い子を拾ったね、真依」
車の中から、いい香りがするお皿を持った、髪の長い男性が降りてきた。
「でしょ、お兄ちゃん」
なるほど、真依さんのお兄さんと言うだけあって、中々に整った顔立ちをしている。
物腰柔らかそうな明るい表情の男性。
楽しそうに笑う姿は、見ている僕の心を和ませてくれる。
「始めまして、俺は通津 郎音(つづ ろうと)。よろしくね、将太くん」
器用に皿の底を片手で支え、空いている手で僕に握手を求めてくる。僕はその手に答えた。
「こちらこそありがとうございます。泊めていただいたのに、食事まで御馳走になって」
「はは、気にしなくていいって」
郎音さんは机に、綺麗に焼かれた目玉焼きのお皿を置いて、僕の背中をバシバシと叩いた。
どうやら見かけ通りにフレンドリーな性格らしい。
「いや、ね。割りと良くあるのよ、知らない人を泊めるって。全国回ってると色んな人にあうからさ」
「全国?」
「そ、お兄ちゃんはフリーライターだから。私も夏休みとか一緒に行動させてもらってる」
「そ、そうなんだ……」
更に入っている目玉焼きを綺麗に切り運ぶ真依さん。僕の知っている目玉焼きの黄身はそんな風に箸で持てないんだけど……。
半熟だよ、半熟。
しかし、それはこの兄弟には普通な光景のようで、同じように郎音さんも箸で目玉焼きを口に運びながら会話を続ける。
「その通り。そして今、俺が追っているネタがすげえんだ!」
郎音さんが車の中へと戻り、すぐに出てくる。
青と白で配色された法被の様な着物。
そして、くるりと背中を僕に向ける。そうすることで背中にかかれた『誠』の一文字が嫌でも目に入ってくる。
「新撰組……」
『誠』の文字は、歴史に詳しくない僕でも知っている。
幕末に活躍した組織であり、幕府の反勢力を取り締まる武装組織であった。
しかし、この紋章は昔の〈新撰組〉。
歴史や過去形で語りはしたが――〈新撰組〉は今も新たに存在している。
「その通り。しかも、〈新撰組〉と言っても昔の奴らじゃない。現代を生きる〈新撰組〉を俺は追ってるんだ」
……現代を生きる〈新撰組〉。
それは幕末に存在した組織を尊敬(リスペクト)してできた組織。
いつから活動しているのか、正式には分からないけど、大体100年程度前――2020年に作られたのではないかと言われている。
彼らは、〈幕末の新撰組〉で実在していた隊長達の名前を継いで、同じように隊を作り上げて、活動に勤しんでいた。
「未確認生命体――〈SISI(しし)〉と戦う〈新撰組〉。誰も触れて来なかった謎を俺が解明して見せる」
拳を握り、力強く力説する郎音さん
「そうだ、お兄ちゃん。前に〈SISI〉について詳しく教えてくれるっていったじゃん。学校じゃ、危険な生き物としか教えてくれないんだよね」
「そう……だよね」
それなのに、今、日本を〈鎖国〉へと追い込んでいるのだから、どれだけ人間の驚異になっているのか分かるというものだ。
海にも空にもいるとされている〈SISI〉。
そいつらは飛行機を襲って船を沈める。
物を運ぶ手段を、人が移動する手段を、未確認生命体である〈SISI〉に、日本は妨害をされているのだった。
「お、興味ないふりして、以外に知りたがりだね、真依ちゃん」
妹が興味を持ってくれたのか嬉しいのか、へらっ。と、だらしない笑みを浮かべる。
「別に、暇だから知りたいだけ」
真衣さんは僕の隣に座って答えた。
「じゃあ、俺も話したいから教えたげる。〈SISI〉最大の特徴は――その擬態能力にある」
「擬態……? あの虫とかがやる?」
僕はどんな虫が擬態をしているか、知らないが、虫=擬態と思い込んでしまっている。
「ま、それはそうだけど。これは言うより見た方が早いかな」
郎音さんは再び車の中に戻る。
フリーライターなんて肩書き――大したことないと思っていたけが、まさか、擬態について知っているとは。
〈SISI〉について国が世間に隠している3大情報の内の一つ。
それが擬態。
果たしてそのことを知っている人間が、どれくらい存在するのだろう。自らが関わることを選ばなければ、自分から知ろうとしなければ、知り得ない情報。
いくら、〈SISI〉が日本を〈鎖国〉に追い込んでいるとはいえ、普通の人間が、進んで知りたいとは思わない。
それこそ歴史の様に、
「そうなんだ」
で、終わってしまう。
今も尚、危機であるというにも関わらず。
「ま、擬態くらいなら知ろうと思えばね」
知ろうと思えば誰でも知れる。
ほとんどの人が知ろうとしないだけで――〈SISI〉の三大情報である中でも、あえて緩く隠しているからね。
「じゃじゃーん。まずはこれを見てほしい」
車から降りた郎音さんの手には、タブレットが握られていた。
その大きな画面に表示されるのは一枚の写真。
その写真は――。
「犬?」
真依さんが画像に写っていた動物の種類を答えた。
犬。
ミニチュアダックスフンド。
ペットとしての人気は根強い。
「正解、正解! 次……これは?」
画面をスライドさせることで、次に写し出されるのは、別の角度から取られたのだろうか、同じ犬の写真だった。
さっきの写真は正面から。今度の写真は右側から取られたのだろう。わずかに傾けた顔の角度は、カレンダーにでもして飾っておきたいくらいに決まっていた。
「同じ犬でしょ」
「ぶっぶー。これは〈SISI〉に擬態された犬でした」
「…………」
しかし、どんなに可愛い犬であろうと、僕はその二枚の写真に写っている被写体が同じであると断定はできない。自分のペットでもない限り、ほとんどの人は動物の区別は出来ない。
写真の断定はできなくても、〈SISI〉の擬態であると言われれば、そうだろうと、僕は納得できる。
だけど、真依さんは納得いかないようで、
「同じ写真じゃん」
と、口を尖らせるのだった。
納得できないのは多分……郎音さんの言い方や、答えを教えたときに、まんまとひっかかったと嬉しそうだったのが原因だと思うんだけど。
そんな真依さんの返答に、にやりと笑う郎音さん。
「そう、〈SISI〉の擬態は完全に同じ姿になれる。その極めつけが――人間へも擬態できることだ」
犬の写真をもう一度スライドさせることで現れたのは、二つの写真が並べられた画面。
そこに写っているのはどこにでもいそうな、少し肥満気味の外人。中年の男性だった。
「この右の写真〈SISI〉。と、言われている」
「言われてるんだ」
撮られた場所は背景から違うと判断できる。しかし、移っている人物は同じ。
「ま、完璧すぎる擬態だから、どう判断していいのか分からないんだよね」
〈SISI〉の説明がなければ、何で並べて表示させているのか意味が分からない。
「ふーん。でも、擬態だけじゃ、学校で習うほど危険には思えないんだけど……」
「ちっちちち」
指を左右にふって、真依さんの意見を否定する。
フレンドリーな郎音さんではあるけれど、なんだろうな。
凄いバカにされている気がする。本人にそんなつもりはないんだろうけど。
「その擬態の仕方が、ネットではエグいらしいと話題になってるんだ。これ、海外の動画なんだけどさ」
「…………!」
その映像を見た真依さんは口を覆って、椅子を大きく引いて、動画が流れ始めたタブレットから距離を取。確かにその映像は見るに恐ろしい動画。
透明なビニールの様な生き物に、頭から覆われた一人の男性。
そこから動画は早送りで再生されるが、ゆっくりと、確実に中に入ってる男を溶かし消し去っていく。
溶けていく体に気付いているのだろう、中に要る男は滅茶苦茶に暴れまわる。
ビニールを引き裂こうと力を込めて掴むが、成人した男の力でも引き裂けない程に頑丈だった。
「酷い……」
苦悶の表情を浮かべ、完全に体が溶けて無くなる男性。
袋の中に残ったものは何もない。
ふらふらと風に煽られ飛んでいく。
カメラから完全に外れた所で動画が止まった。
「これが〈SISI〉の擬態方法だと言われてる。カブトムシが蛹から成虫になるような感じか」
蛹と違うのは、溶かした生物に体を成形できるという点。
「……でも、そんな映像を政府が放っておくとは思えないけど?」
「そうなんだよなー。この動画、慌てて保存したのに、アップ元も、そのまま残ってるんだよな」
真依さんはまだ衝撃から立ち直れないのか、放心してしまっている。
当然だ。
人が溶けて消えるなんてあり得ない。
あんな生々しく命が失われるなんて……。
「じゃあ、これが擬態の動画だって証拠は?」
「それもない。あくまでネットで広がっている噂ってだけさ」
「……」
ネットね。
〈鎖国〉と呼ばれているがそれはあくまでも、物理的に〈SISI〉に妨害されているのであって、今はまだ、ネットは妨害されていない。
それも時間の問題ではあるけど。
「ネットがあれば情報はすべての国と共有できる――ってか、ネットだけが、世界と繋がる方法だよな。今のご時世じゃよ」
寂しそうにタブレットをスクロールさせる。
〈SISI〉が現れる前は、飛行機やら船での移動は、少しのお金で行けたらしい。
けど、今はどうしても必要な物を輸入、輸出する時にのみ使用される。
人の運搬もしていない訳ではないが、搭乗にかかる金額が半端じゃない。
僕も働いているには働いてるけど、海外に渡るためには、人生で稼げるであろう金額の、半分は出さなければいけない。
そして、高額になるのも〈新撰組〉が関与しているから。
日本国内における〈SISI〉を討伐し得る組織。
少数な人数で日本を守っているから、当然、人が足りない。
人が足りなければ、雇うのにも金がかかる。
「しょうがないですよ」
「だよな。こればっかはな」
僕は、少し湿っぽくなった空気を変えようと、
「でも、フリーライターとして全国を回るなんて、凄いですね」
郎音さんに言った。
「まだまだ俺なんて二流だよ。だからこそ、〈新選組〉の実態を掴んで、真実を報道するライターになる!」
「ま、彼ら謎が多いですからね」
〈SISI〉も謎が山のように存在しているが、それを相手にする〈新撰組〉も謎が沢山ある。
「うう、朝から食欲なくなった」
ショックから立ち直った真依さんは、まだ顔色が良くない。
「大丈夫ですか? 真衣さん」
「うん。ちょっと驚いただけ」
「悪かったな、熱中してさ」
謝りながら、冷たい水が入ったコップを渡す郎音さん。
「ありがとう、お兄ちゃん」
渡された水を一口飲みんで、息を吐く。
「あれが本当なら、公にして説明できないのも分かるわね」
「まあ、分かってない〈SISI〉を子供に教えるなんて、できないからだとは、思うんだけどな」
「どっちでもいい。それにしても、君、なんか〈SISI〉に慣れてない?」
コップを机に置いた真衣さんが、僕をじっくりと見てくる。
「え……そうですか?」
「そうよ。映像見ても驚いてないしさ。むしろ冷静だし」
「いや、内心は驚いているんだけど」
「そうは見えないけど……」
ここで郎音さんが真衣さんの助け舟を出した。
「確かに。この動画はあまり人に見せないけど、でも、大体見せると真依みたいな反応が普通だよね」
普通の反応と言われても、僕にとってはこれが普通。
〈SISI〉は至って通常に生きていれば、関わることはないだろう。
それこそ対応する〈新撰組〉にでもならない限りだ。
最も、〈SISI〉は人にも擬態して、世間に潜んでるのだろうが。
何で〈SISI〉が擬態をし、人や獣に化けるのか。それすらも分かっていないのだから厄介だ。
それなのに、人を襲う時もある。
だから――危険。
けど、子供たちは襲われるから危険と説明されても、その姿を教えられることはない。
名前だけ聞かされて、危険だと教わる。
そんな簡単な忠告で終わってしまうから――今を生きる人々の危機感は低い。
でも、もしも僕が驚かない理由があるとしたら、
「僕も一時期、〈新撰組〉目指してました」
この事に尽きるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます