誠に集うもの

誇高悠登

第1話


 乾いた血、引き裂かれた服。

 真っ直ぐ歩くことすら、今の僕には儘ならない。足を引きずりながらも、歩き続けてはいるけれど、僕が向かうべき場所なんて、どこにもない。

ただ逃げるように――過去から離れようとしているだけだ。そんなことをしたって、僕が犯した罪など――消える筈もないのに。


「あーあ、やっちゃたな」


 罪といえども、そんな簡単な感想しか抱けない僕。僕が逃げたいのは、そんな自分からかも知れない。

その事実から目を背けたくて、こんな傷を追ってまで脱走を試みているのだ。

 心は死人のように冷たいけど、体中を縦横無尽に走る傷。

『痛み』は――僕に生きている実感を与えてくれている。


「とは言っても、ちょっと酷すぎか」


 歩くだけ傷が痛む。

 ここまで傷を負うつもりは無かったんだけど……。

 せめて、どこかゆっくり休める場所を探したいが、ここは日本における都心。発達した交通機関、高くならんだビルが、夜だと言うのに、明るく空を照らしている。


「この程度の発展じゃ……大したことないか」


 地獄を知った僕からすれば、この程度――ただの過去の産物に過ぎない。

 過去の自分からも逃げている僕が、こんな発展をさせた人物達を笑うなんて、それこそ可笑しいけど、別に構わないさ。


「はあ……」


 僕はそんな明かりから、とにかく離れよう。

光のない場所を目指す。

 明るい場所だでは、今の僕は目立ちすぎる。こんな格好を人に見られたら大変だとは思うけど、替えの服なんて持っていないし、与えられた服はすべて置いてきてしまった。


「とりあえず、どこにいこうか…」

 余裕ぶった口調で自分に問いかけてはいるが、、正直、そんな余力はない。

 少し離れた巨大なるビル群から離れた場所に、電車が通るために作られた橋。

高架の下。

 河川を跨ぐように掛けられた橋の下なら、誰も来ないだろうと、僕は壁に寄りかかり腰を下ろす。


「誰にも見られてないよね……」


 最もこんな真夜中だ。誰かがいるとも思えない。

 僕は、〈誠(まこと)〉と呼ばれる、全世界における最先端の〈兵器〉を使用して逃亡を行った。

果たして、どれだけの罰を受けるのか。

 逃げ切れるとは思っていないけど、その日に捕まるなんて情けない真似はしたくない。


「せめて一ヶ月は頑張りたいけど……」


 だから、できる限り人の目には気を付けようと気を配る。

 しかし、追跡と捜索も一流な〈彼ら〉を前に、一ヶ月も逃げ切れないなんて百も承知だ。

 一週間。

 それが僕に与えられた期限だろう。

 夜中だろうか、それとも街から少し離れたからだろうか、川の流れる済んだ音は僕の耳に清く響く。

普段だったら気にしないのに、今は、妙にその音が心地いい。その音に集中しようと目を閉じる。目を閉じたことで、疲労からか眠気が僕を襲う。

もう、今日は眠ってもいいかな。そんな誘惑に、意識を手放そうとしたその時、


「こんな所で寝たら風邪引くよ?」


 そんな風に、愛想ない声で、感情が読めない声で、心配をしてくれる女性が現れた。


「すぐそこに、家あるから、一日位は止めてあげるわ」


「……」


 僕はゆっくりと目を開けながら、その声の主を見る。

 声で女性だと思っていたが、どうやら僕が思っていたよりも若いらしい。僕と同い年くらいの年齢だろうか。

 僕は16歳。

流石に同い年ではなさそうだ。なら、彼女は20歳前後かな?

 年齢に目星がついた僕は、次の疑問に取り掛かる。なぜこんな場所に彼女は一人でいるのだろうか? 

こっちの方が気になる。時刻はとっくに明日へと変わっている。それを確認して脱走をしたのだから間違いはない。女性一人で出歩くには、遅すぎる。

僕はそんなことを思って彼女を見た。


「私も眠いからさ、来るなら早くしてよね」


 さばさばと結論を促してくる彼女。

 気が強そうな顔立ちが――暗くてもわかる。


「君は……?」

 

 僕は、彼女の催促に答えず名前を聞いた。

 泊めてもらえるのはありがたいけど――しかし、名前も知らない、会ったこともない女性が、男を泊めるなんてあり得るのだろうか?

 少しでも彼女のことを知らなければと、聞いてみたのだが、肝心の彼女は答えるつもりはないらしく、


「来るの、来ないの?」


 と、決断を迫るだけだった。

 その求める速さに、ますます怪しいとは思う僕ではあるけれど、相手が女性なら、まず〈彼ら追手ではないだろう。

 ならば、少し休ませて貰えるのはありがたいか。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 悩んだ末に出した結論。

 これからも逃亡を続けるつもりではいるから、休めるときには休んだ方がいい。

 もし仮に彼女が追ってだったとしても、相手が女性一人ならば、僕の持つ〈誠〉があれば、逃げ切ることなど容易い。

なんて、〈誠〉を簡単に、使うつもりなんてないのだけれど。


「だったら早く決めてよね」


 こうなるのは分かってたんだから、迷う必要なんてなかったなじゃない。

とでも、言いたそうな口調と共に、彼女は僕に手を差し伸べる。


 「早く決める。ね……」


 僕は彼女の手を取って、力を振り絞って立ち上がる。両足で立った僕。

それだけでフラフラと、倒れそうになる。力が入らないのは怪我だけじゃない……気持ちの問題だ。

そんな僕に、彼女は横に並んで肩を貸してくれる。


「……」


「なに?」


「いや、なんでも」


 肩を貸してもらえるのはありがたいが、横に並ばれると同年代に比べて、僕の身長が低いのがバレてしまう。僕の数ある内のコンプレックスの一つ。

身長なんて気にしなくてもいいのだけれど、そのせいで『微少女』なんて、上司から呼ばれていたりもする。

 微妙に少女に見える。

 略して『微少女』だそうだ。

 僕は彼女の方に寄りかかりながら、一歩一歩足を進めていく。

空気は重いけど、何か話す気も起きない。

 多分、そんな僕の気持ちを、彼女も分かっているからこそ、なにも話をしてこないのだろう。

そのことに感謝をしながら歩くこと10分。

 彼女の言う『家』が見えてきた。


「これって家……か?」


 僕は思わず、声に出してしまった。人の家の外観など気にはしないが、ここは外観以前の問題だ。

 彼女が連れてきた場所。それは――24時間営業の駐車場だった。

 ……駐車場。

 そう、駐車場だ。

 駐車場は車を止める場所であり、当たり前ながら、家があるような場所ではない。僕でも知っている。

ならば、彼女が何を『家』と表したのか。

 彼女の言う『家』とは――キャンピングカーであった。


「私にとっては、これが『家』だから」


 そんな僕の疑問に答えるように彼女は教えてくれた。

僕の疑問には答えてくれるのに、彼女は僕に一切何も聞いてこない。

 なんでこんな傷だらけなのか。

 何故、こんな時間に出歩いていたのか。

 声をかけて来たときは、暗くて見えなかったのか? なんて言い訳が使えたかもしれないが、この駐車場――と言うよりは、ここに来るまでの道中。明かりに照らされていたから、気付かない訳はない。現に僕は、彼女のラフな格好を視認できていた。だから、彼女にも僕は見えている。

 それでも肩を彼女は僕に貸し続けてくれた。

 血まみれな僕に、一切、反応を変えない彼女――やはり追手なのか?

 なら、こんなに冷静なのも納得だ。


「君は一体?」


 僕は彼女に聞く。

 自分で言うのも何だけど――いくら常識から外れている僕ではあろうけど、今の自分がどれだけ異常なのか位は分かる。

 未成年。

 血まみれの服。

 そんな僕に、肩まで貸してくれるこの彼女は、一体何者なのかと、僕の方が気になってしまう。

 彼女が僕を追ってきた人間ならば、ここで素直に戻ろう。たった2時間程度の脱走になってしまうけど……。

 ま、僕らしいと言えば僕らしいので特には気にしない。


「私?」


 彼女はそんな僕の質問に、興味を持ってないのか。

キャンピングかーの中へと入り、適当なタオルとシャツを僕に投げ渡す。

 渡されたのは、何かのキャラクターが描かれたものだった。

 アニメや漫画を見ていない僕でも、このタオルの柄が子供向けなのは分かる。


「私は、通津 真依(つづ まい)」


 自分もアニメの絵が入ったタオル(彼女のは女の子向けアニメの絵)で僕の血が付いた体を拭き取る。ほとんど傷口は乾いていたのだけど、完全ではなかったようで申し訳ない。

 他人の血なのに――タオル越しとはいえ、気持ち悪くないのだろうか。僕は自分の血だろうと気持ち悪いので、丁寧に体の傷から血を拭き取っていく。


「あ、あのさ、通津さん」


 僕は一通り血を拭き終え、キャンピングカーの入り口に、腰かけている通津さんへと話しかける。

 しかし、通津さんは僕の問いかけに、嫌そうに顔をしかめると、


「まい」


 と、自分の名前を告げた。


「へ?」


 いや、名前はさっき聞いた。僕は何が言いたいのかと首を傾げる、通津さんはそんなことより、自分の名前の方が大事だと話を続ける。


「通津じゃなくて――真衣って呼んで」


「はあ……」


 どうやら彼女は自分の苗字をよく思ってないらしい。呼び方ひとつで。何をムキになっているのかと、子供の頃の僕なら、そう思っただろうけど、今の僕にとって、その気持ちは苦しいほどに共感できる。

〈地獄〉を知った僕なら。


「えっと。じゃあ、ま、……真衣さん」


「なんで照れてるのよ」


 気持ちが分かったところで、僕は女性慣れしていない。

男に囲まれて育った僕にとって女性とは別の生き物と行っても過言ではない。

 未確認生命体だ。なんて、言い過ぎなんだけど。

 そんな女性を、名前で呼ぶだなんて初めての経験で緊張してしまう。


「それで、君は……って、私にだけ名乗らせて、君は名乗らないつもりなの?」


 真衣さんが僕の名前を聞いた。


「あ、いえ別にそういうつもりではないですけど。僕は……島崎 将太(しまざき

 しょうた)です」


「……なんか、普通の名前だね。それよりも名前の前になんで間が空いたの? まさか、偽名とか?」


 そんなことを聞かれても答えようがないって。

 なぜ、僕が偽名を名乗らなければいけないのだ。

 真っ先にその発想が浮かぶ真依さんが、いったいどんな人生を歩んできたのか気になるけど。

 しかし、名前の前に、間が空いた理由は単純で僕も自分の名前が嫌いなだけだった。

 将太なんて、将なんて、僕に相応しいとは思えない。

 その事を彼女に言うと、「確かにね」と、それ以上は追求しないでくれた。

 彼女にも分かる部分があったのだろう。


「それで、何を聞こうとしたの?」


「あ、ええと、真依さんは、こんな僕をなんとも思わないんですか?」


 血まみれの少年に、普通なら自分から話しかけてこない。

 女性なら尚更そうだろう。自分から進んで危険に足を踏み入れるなんて馬鹿げている。


「もしかしたら、僕が凄い悪い人間で――人殺しかもしれないんですよ? そんな男に肩を貸すなんて……」


「え、君悪い子なの?」


 真顔で聞き返されてしまった。

 別に真顔で聞き返されるのは全然いいんだけど、この年で『悪い子』なんて言われたくはない。


「なんてね、冗談よ」


 舌をペロリと出して真依さんは笑った。

今まで大人びた冷静な表情からは想像もできないほどに子供じみた、いたずらっ子の笑顔。

 僕はその表情に思わず見とれてしまい、何も言葉を返せなかった。


「怪我してる人がいたらほっとけないでしょ?」


「いや、それはそうかも知れないですけど……」


 それが出来たら、こんな世界になってないさ。


「そうかも知れないんじゃなくて、そうなの。君って可愛い顔してネガティブなんだね」


「……」


 僕には真衣さんがよく分からない。

 クールに見えて、さっきみたいな子供の一面も持ち合わせてるし。

真依さんの場合は、大人びた表情とのギャップになるけど、僕がやった場合はただの子供になってしまう気もする。


「君が怪しいなんて、私が決める。だから、私が良いんだからいいの」


「どんな方程式ですか……」


 今は、そんな方程式がありがたいのは事実なんだけど――女の子と二人で車の中に泊まるのは果たしていいのか?

 ここまで来ておいて、気にすることじゃないのだけど。

 そもそも真依さんは一人でこのキャンピングカーで行動しているのだろうか?

 しっかりと、手入れされているであろうこのキャンピングカー。

 女性が一人で運転しているとも思えないし、そう考えれば必然的に浮かび上がるのは男の影。

 今、まさに、キャンピングカーの中で、男が寝ているのかもしれない。

真依さんが許可をしてくれても、その男が許可を出すとは限らない――それこそ通報される可能性も出てくるだろう。


「あ、あのー。真依さんは一人で生活してる訳じゃないですよね」


「当たり前じゃない」


「で、ですよね」


 あまり女性を見慣れしていない僕から見ても、真依さんは綺麗だ。

可愛いとか美人なんて言葉よりも、綺麗の二文字が似合う真衣さん。

 丈の長いスカートに半袖の白いシャツ。そんな簡単な格好なのに高級なブランドモノに身を包んでいるのではと疑ってしまう。

 そんな存在自体がお洒落な女性が――独り身なんてあり得るのだろうか? 

 色恋の経験がない僕には基準が分からないけど、キャンピングカーで共に寝泊りする間柄。

真衣さんは一人じゃない。

 つまり――彼氏がいる。


「え、じゃあ彼氏さんに話とかした方が……」


 僕がそう切り出したところで、真依さんは、フフっと僕を笑う。

 笑われるような提案じゃないと思うんだけど。

 むしろ一般的な考えだろう。

 僕が逃げてきた場所には漫画やテレビはあまり置いてなかったが、図書室はあった。

僕はいろんな知識を得るために、沢山の本を読んだ。

現実では女性慣れしていなくても、頭の中でならば僕はプレイのボーイになれる――しかし、これは現実なので、やっぱ怖いから彼氏がいるなら帰ろう。

 体に刻まれた傷も鋭い刃物だったからか、血はもう流れていない。

ただ、失われた血液は戻ってこないので、体力は殆ど残されてないのだけど……。

 だからこそ、休みたいのだけど、恐怖には勝てない。

 そんな僕を静かに笑う真依さんは、


「この車の持ち主は私のお兄ちゃんよ」


 車の持ち主である、僕が怯えていた男の影の正体を教えてくれた。なら、僕が泊っても丈夫だろう


「でも、今日は出掛けてるから――この中には誰もいないよ?」

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