第五章 EXPO'2300,Mars10

 何杯目の珈琲か、お互い数えるのが嫌になってきたころに、ふとアイリーンがつぶやいた。

「なぜシルヴィオなんだ?」

「え?」

 聞き逃したニコラスはぐったりと背もたれに預けていた身体を無理矢理起こし、彼女に向き直る。二人がいるのは昨日からずっと同じ場所だった、途中何かと抜けることはあっても、最終的にこの場所に詰めている。とはいっても、ニコラスはベースで作業の振り分けをやっているのだ。すでに二十四時間勤務を超えている。だが、シルヴィオの抜けた穴は大きく、以前言っていた、倒れたら現場が大混乱になるというのが現実となっていた。

「考えろ。なんで、シルヴィオが拉致されたんだ。掠われるのは映画のヒロインの役目だろ? 助けに来いと要求するのがお約束だろ? スブリマトゥムだって暇じゃないんだ。シルヴィオを連れ去って奴らにどんな価値が発生する?」

「この状況が」

 そう言って手の平を後ろへ向けた。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。特に開会式まであと九時間と差し迫っているのも原因の一つだ。

「あいつ一人いないだけで特に今日はかなりのダメージですよ」

「だよな。誰がそれを知っていた?」

「そりゃあ……ローズマリーちゃんでしょうね」

 呼び捨てにするほど、納得しきれていなかった。

 そんな彼を呆れたような目で見るアイリーンだが、やれやれと肩をすくめた。

「その件はまあ、本人にいろいろ聞いてみてからだが、彼女はシルヴィオがいないだけで今回の博覧会が混乱することを知っていた。SFCが混乱すれば、全体が乱れる。それは花の博覧会というメインテーマを考えればすぐにわかることだ」

 彼女はちらりとその惨状に目をやりながら口を歪め、そして表情を引き締めた。

「だが、混乱はSFCだけに限ったことじゃない。今だって各地で小規模ではあるがスブリマトゥムが動いて何かしら騒動が起こってる。それでいいじゃないか? 人ひとり、拐かすリスクがやつらにあったということだろ?」

 彼女の言葉には説得力があった。そして疑問が浮かんでくる。

「確かに、なんであいつなんだろう」

「恨みつらみもあっただろうが、そんな私情を挟んでテロなんてできない。気持ちだけで進む組織はいつだって短期間で廃れる。冷静に物事を判断できる人間が必要だ。あいつを掠う。それに価値があったとしか思えん」

 そこで彼女の最初のつぶやきに戻る。

 なぜ、シルヴィオか。

 彼女の爪がコツコツと規則的に机を叩いた。完璧に彩られていたそれも、彼女が爪を噛むせいで先がはがれてしまっていた。

「あいつの今日の予定は?」

「開会式のイベントに出ずっぱりですね」

「花の塔か。シルヴィオもあれの担当だったか」

「いえ。シルヴィオが、担当だったんです」

 怪訝な顔をする彼女は、口を開くことなくニコラスに先を促した。

「あなたもご存じでしょう。あいつの有能さを。他の社員が計器と花を交互ににらめっこして悩んで調節してようやく導き出せる物を、あいつは花の顔色を見るだけで即座に判断する。今回の水素濃度はかなり微妙な量で色を変えるんです。ほんの少し違っているだけで思った色を演出することはできない。色の幅は一応とってありますけど、それでも最適のものがあると原案を作ったデザイナーが口を酸っぱくして言っていました。あの気むずかしいデザイナーの望みを即時に対応できるのはシルヴィオくらいなんです。あいつの変わりの仕事をやるには最低でも六人必要になる。開会式中は、一般ブースにその後人を受け入れるために最終チェックが入る。人手はいくらあってもたりません」

 最終チェックにだって、シルヴィオが欲しいくらいだと課長が漏らしていた。シルヴィオが五人いればいい。大の大人が本気でそんなことを言うのだ。

 面倒ごとが五倍になりますよと言ってみたが、クレイグは笑顔でそれがどうしたと言ってのけた。

「って、何してるんですか?」

 何度か席を外し消えた後、彼女は普段持っている端末よりも大振りの、A4サイズのものをどこからか持ってきていた。それをせわしなく操作している。

「警備情報だ」

「そんなものどこから」

「緊急事態だと言って強奪してきた」

 自分の無茶ぶりを自覚しているからといってそれが許されるわけではない。

「警備の人間じゃないのに。知りませんよ?」

「警備がお間抜けだから未だにあいつは見つからんのだ」

 ひどい責任のなすりようだ。

 五分ほどそれをいじっていたが、やがてニコラスに差し出す。

「ほら、どう思う?」

 花博用に作られたドームの全容図と、その地図上で赤く点滅しているものが八つ。

「現在スブリマトゥムによってなんらかのテロ行為がなされた場所だ。そのどれもが軽傷者すらなく、器物破損程度で収まっているらしい。ただ、一度そうあった場所に警備の者を配置するのは当然だし、修復に少しかかるそうだ。あくまでも少し。開会式が終わるころには元通りにできる程度の物だとか」

「怪しいですね」

「だろ? あのスブリマトゥムだぞ? カーチス・ダグラスを捕らえるまで政府が手を焼いていたやつらだ。彼らのせいで死傷者だって何十人単位で出てるんだ。それが、この程度か?」

「カーチス・ダグラス逮捕が痛手だったとか」

 一応突き進もうとしているアイリーンに抵抗してみる。だが、ニコラスだって彼女の意見には賛成なのだ。

「私なら、目指すは花の塔だ」

「馬鹿な。あそこには水素がある。彼らお得意の爆発物によるテロをやったらドームが全滅ですよ」

「それどころか、磁気嵐による火星閉鎖の再発だ。知ってるか? 前回の閉鎖の原因」

「……また国家機密を平気で」

「そう固いことを言うな。あれはな、結局人為的なものだったんだ。地表でドームが一つ崩壊した。それによってもともと不安定な時期だった火星の磁場が乱れて計器が正常に働かなくなり、火星は閉ざされた。専門家が最もらしく太陽フレアだデリンジャー現象だなんだと言っていたが全部子供だましさ。本当の研究者たちは誰だって知ってる。あれは政府が一般の人間のために用意したわかりやすい回答だったんだ」

「謎の現象にも名前を付けたら不思議と落ち着くってやつですね。例え科学的に何も証明されなくとも」

「そうさ。ドームだって、磁気嵐のせいで統制がとれなくなり、崩壊したとされていた。原因と結果は逆なのにな。とにかく、スブリマトゥムの狙いは案外火星閉鎖かもしれんな。閉鎖されりゃあ当然政府は手を出せない」

「それは行き過ぎでしょう。彼らは地球政府との対等な関係を望んでいる。物資や金だって、外から入ってくるところがでかい。もしもう一度外界から隔離されたら百年前の状態に戻ってしまうでしょう。いや、もっとひどい。今は人が大量に入り込んでいるから、物資なんてあっという間に尽きてしまう」

 今度は火星内で暴動が起こるのだ。

「確かにおかしいな。だが、この赤印の配置をみると、どうもセレモニーホールから警備を引きはがしたくなっているような気がしてならないんだよ。花の塔でなくても、開会式の会場を狙わない手はないだろ?」

「一番警備がきついというリスクもありますけどね」

 ニコラスの意見に、彼女はむうと言って押し黙る。

「それにヴンダニウムの件も。彼らが知らないとは言い切れません」

「そうだな……もし知っていたとしたらなおさら閉鎖は痛手だろう。宇宙に出られないとなれば、ヴンダニウムの価値は一気に下がる」

 すでに政府は動き始めている。刺激しすぎるとシルヴィオの身が心配なのだが、たかが一般人一人とヴンダニウムは天秤にすらかけられなかった。彼女が焦っているのはそこのところもある。

「知っているか知らないかで話は変わるというわけか。だが、知っていたらシルヴィオをそんな場所へ近づけるか?」

「彼らがヴンダニウムと変異を結びつけているかはわかりませんからね」

「ああ……そういえばそうだな。私もだいぶ頭が煮詰まっているようだ。――よし」

 彼女は勢いをつけて立ち上がるとニコラスを振り返る。

「やはり花の塔が気になる」

「はいはい。わかりました。準備するからちょっと待ってください」

「なんだ。来るのか」

「座っているのも飽きました」

 彼女一人を行かせたとあっては、後で様々なところから何を言われるかわかったものではない。どっちにしろ言われるのならせめて同行して状況を把握しておきたかった。それに、花の塔に関してはニコラスも気になるのだ。

 自分の役目を他の人間に押し付ける。クレイグがいれば彼に一言断りを入れて責任の所在を移動することも考えたが、残念なことに変異ステージ2のセージにかかりきりだった。

「何か武器になるような花はないのか?」

「さて。基本的にそう言ったものを持ち込まないようオフレコで通達を受けていたので……ああ、エゴマくらいはあった気がする」

 テント奥の秘密の箱にどうのとシルヴィオが言っていた。取りに行こうと思うが、不敵なアイリーンの横顔を見てつい釘を刺したくなる。

「ただ、あなたの主張を総合すると、シルヴィオは生きてないでしょうけどね」

 般若のような顔をしてアイリーンが振り返る。そんなことわかってると目が語っていた。

「殺すなら連れ去る必要なんてないじゃないか」

「死体は、刺激が強すぎるでしょう。政府を煽りすぎるし、物証があれば捜査の手が伸びるかもしれない」

 と言いつつも、ニコラスだってシルヴィオが殺されているとは思いたくないし思えない。ローズマリーがそれをさせないだろうなと、考えている。あくまで自分の感触でしかないが。そこに願望が紛れ込んでいないとは言い難い。

「取ってきますから待っていてくださいね」

 昔から美人はいじめたくなる。つい余計なことを言ってしまう癖をなんとかしなければと反省しながら、他にいくつかの種を思い浮かべそちらへ向かった。

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