第五章 EXPO'2300,Mars9

 ローズマリーはシルヴィオの様子に首を傾げながら、その隣に腰を下ろした。

「花の塔を標的にしようって言い出したのは、兄ちゃんなのか?」

 その質問に、彼女は少し考え込む。割合流れるように受け答えをするタイプなので珍しい。十分検討したうえで、寝そべるシルヴィオに青い瞳を向けた。

「たぶん、違うと思う。前に今回の話をしたとき、出資者がいるようなことを言っていたの」

「出資者?」

「ええ。カーチス様が投獄されてから、一時期スブリマトゥムは規模が小さくなった。あの方のカリスマ性で持っていたところもあるのよ。活動にはお金もかかるし、まとまりがなくなってしまったの。でも、今は元の状態に戻りつつある」

「出資者のおかげ、か」

「うん。ただ兄の言い方では、利害関係が一致しているような雰囲気だった。賛同するというよりも、ね」

 スブリマトゥムと利害関係が一致するのはいったいどういった相手だろう。

「けど、実際それがどんな人なのかは知らないの」

「人? 団体じゃないのか。なんかの組織とか」

「個人らしいのよ。すごくお金があるのね」

「ふうん」

「それで、その人が花の塔を標的にすることを提案したようだわ。ほら、詳細な地図があって言ったでしょう? 自分たちだけじゃ手に入らなかったと言っていたから、きっとそう」

 言いながら、彼女もそのおかしさに気付いたようで、だんだんと声が小さくなる。そして物思いに沈んだ。

 そこまで詳細な地図を手に入れながら、なぜ水素の存在を知らなかったのか。ローズマリーは正式なSFCの社員ではなかった。だから知らされていないことが多いのも当然だ。しかし、機密とまではいかない。イベントの進行に関わる者はもちろん、警備員もその危険性から火器については厳重に注意するよう知らされていた。SFC内部でも、知っている者と知らない者はいるが、それは必要であるかどうかであって、秘密にされていたわけではない。

「爆弾、どこに仕掛けるか知ってるか?」

「ううん。さすがにそこまでは聞いてない。ただ、地下から行くって話はしていた」

 花の塔内部は、繊細な濃度計とそれを調節するための機材が山ほどある。そしてその地下に、水素のボンベが並んでいるのだ。

 まるでそれを爆破させたいかのようだと、シルヴィオは感じた。

「兄さんが言ってた利害の一致っていうのは、そのときは火星の独立だと思ったの」

「そりゃそうだろ。スブリマトゥムの目的はそこにあるんだろ?」

「火星の独立がどんな効果を世界に与えるかわかる? 前例があるとなしでは天と地の差なの。他にも、地球から独立しようと言い出すものが出てくる」

「月とガニメデか」

「ええ。特に月は。力と金のある人達が多い。月は何十年も前から地球政府の直轄地であるとともに、一番手強い国と言われてた」

「月か……」

 部屋を出ていったきりのあの男の姿を思い出した。スティーヴン・クルーニー。月市長という肩書きで、あの月下美人が蘇る。

 もしも、火星の独立が利害の一致ならば、月やガニメデの人間、ヴンダニウム特需で利益を得た月の人間ということになるのかもしれない。

 だが、そんな風に金も力もある人間が、水素の存在を本当に知らなかったのだろうか? それとも――、

「それこそが狙いだとしたら」

 思わず声に出してしまった言葉に、ローズマリーが目をむく。

「まさか! 火星が閉ざされて誰が得をするというの? 火星にとってマイナスなのはもちろん、ガニメデや月の企業家も、火星の市場は狙い所で火星が政府の監視下でなくなることを喜びはしても、火星という市場が消えることを望む者はいないわ。盛んに開発されている火星の半分が消えて、外との接触を断絶するのにどんな意味があるっていうの?」

 ローズマリーの疑問はもっともだ。シルヴィオは自分の考えの異常さを十分理解している。

 だが、ふと思いついた種は、変異した植物が育つかのように、爆発的にある考えをシルヴィオの脳に植え付けた。根拠はどこにもない。

「俺さ、前にガニメデへ配達に行ったことがあっただろ」

「え……ああ、うん」

 最初は何か思い当たらなかったローズマリーだが、すぐにあのことだと、声のトーンを落とした。

「そこでさ、人に会ったんだ」

 ぽつりぽつりと言葉をこぼす姿に、彼女はうなずくことしかできなかった。課長やニコラスは全容を把握していたのかもしれないが、他の人間は結局聞き出すことのできなかった話だ。

「成長型の、人工臓器プロジェクトって知ってるか?」

 長い沈黙のあと、突然また話が変わって、呆気にとられるがうなずいた。火星でも行われている物だ。政府主体ではあるが、支援団体もあり、民間企業でも取り扱われている。

「俺知らなかったから、ほら、ローズマリーにもっと周りを見ろって言われただろ? ばーちゃんにも興味の幅を広げるのはいいことだって言われて。でも、植物以外のことで、特に思いつくものがなかったから……」

 そこで止まってしまった彼の言葉をローズマリーが続ける。

「人工臓器プロジェクトについて調べたのね」

「……うん。初めはネットで。論文とか、いくつかあったし、流し読みだけど読んで、雑誌取り寄せてみたり」

 花馬鹿で、それにしか興味をもたず、一般常識に欠けているのであまり気付かれないが、シルヴィオは頭が良い。回転が速く、柔軟な思考に富んでいる。SFCの仕事は栽培だけではない。研究やそれに伴う実験もいろいろとあった。もともと日常的に論文や研究発表を見ることは多く、慣れていた。そうしているうちに人工臓器プロジェクトについてもだいたいのところを把握したと言う。

「でさ、ネットで面白い論文見つけたんだ。結構批判されてたんだけど、確かにそれは研究者としては夢の領域になるんだろうなってわかる部分もある」

「どんなものだったの?」

 シルヴィオは真っ直ぐ彼女を見つめた。

 ここ数日で、よくその瞳と出会うなと思う。青い、海のしずくだ。

「人体実験」

「……え?」

「プログラムでの計算を追えたら、動物実験をすることになる。でも実際使うのは人だ。ラットじゃない。人で実際に試してみたくなるのは当然だろう?」

 素直にうなずけない彼女を見ながらシルヴィオは続ける。

「倫理的な問題もあるのはわかるけどさ」

「あ、でも、実際人工臓器プロジェクトは人で試すためのものよね?」

「そう。よく踏み切ったともいえるけど、あれは性質上いつかは人で試さなければならない。ただ、その論文にあったのはもっと違ったことなんだ。火星が閉ざされた間に育ち、生まれた子どもたちの先天性の機能不全率とか、そういったデータを並べて、人がとても順応していることを示していた」

「そうなんだ」

「まあ、そのデータの元まで俺はわからないけどね。そこまでその世界のことを知ってるわけじゃないし。でも一応裏付けとする物も見てみたりした。言ってることは間違っていなかったように思えた」

「当時の火星は軌道に乗り出した直後だったから、いろいろ物資が足りなくて、かなり人が減ったそうよ。すごく小さな限られた空間で人が住むには、言い方は悪いけど、力のない、生命力の弱い人は必然的に消えていく」

「自然淘汰だよな。強い種が残っていくんだ。論文はこうまとめていた。ぜひもう一度同じような状況で詳しいデータを取る機会を得たい、と」

 それは、つまり実際の人を使って実験をしたいと言うことだ。ネットの片隅で公開されたその論文は当然のことながら最後の一言を強く非難された。しかし当の本人はどこ吹く風でまったく聞き入れなかった。ログが残っていたが一方的だった。

「その論文を書いたのが、スコット・クルーニーって人なんだ」

「クルーニー?」

 先ほど、月市長が出ていった扉を振り返る。

「前、スティーヴン・クルーニーって名前を聞いてたから、ちょっと調べたんだ。ただなんとなく。そしたら、二人は血縁だった。スコット・クルーニーの孫が今の月市長、スティーヴン・クルーニーだった。あの月市長本人も、そっち系の学歴がずらって並んでて」

 推測の域を出ず、たまたま偶然であっただけだと言われても仕方のないくらいお粗末な想像だ。親の意志を子が継ぐと言うが、孫が継いだ可能性はないといえるか。

「でもさ、正直俺、よくわかるんだ。実験をしたいって気持ち」

「そんな。だって……」

「きっとローズマリーもいつか同じように思うよ。研究職ってさ、そういったところがあるって」

 ただ対象が、シルヴィオの場合植物で、スコット・クルーニーは人間だった。それは大きな違いだ。

「ヴンダニウムは、地球では南極でしか加工できない。月やガニメデでも扱う地域をきっちり決めてる」

「植物への影響を考慮してってことね」

「だから、SFCの実験プラントも南極にあるんだ」

 植物だからできたことだ。

 ヴンダニウムの人体への影響は今のところ特に報告はされていない。動物実験は密かにされている。結果は聞こえて来ない。

 政府がかなり神経を使って厳しく管理しているこの金属を、他へ持ち出すことは不可能だった。

「火星が閉ざされ、そこにはヴンダニウムがある。植物に変異を促したものと閉じ込められた人がいるんだ」

「格好の実験場になるのね」

「それで、全部俺の妄想ならいいんだけど、もしそうだとしたら、さっきのあいつが警備に知らせると思うか?」

「絶対に、知らせた振りをして終わらせるわよね。私たちだってなんだかんだと開放してもらえないかもしれない」

「なんとかして行かないとやばいな。でも、なんの武器もねえ。せめてSFCのテントに戻れたら……」

 悔しがるシルヴィオに、ローズマリーが背中からナイフを引き抜いて渡した。

「護身用よ」

 これを扱う彼女など、想像もつかない。

「あ、あと……」

 そういえばと思い出した彼女の台詞に、シルヴィオは驚きを込めてため息をついた。

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