第五章 EXPO'2300,Mars8

 出るのは簡単だが入るのは容易ではない。それが花博用ドームだった。端末とともに、シルヴィオのパスが捨てられていたことをすっかり忘れていたために、ドーム入り口で足止めを喰らうことになった。

「だから、SFCに問い合わせてくれって! 俺今行方不明になって必死で探してるはずだから!」

「まだ開会式入場の時間じゃないよ。子どもは家で大人しく待ってなさい」

 シルヴィオが、SFCの職員にみえないのも災いしている。

「子どもじゃねえし!」

 壁のような大男に頭をぽんぽんと叩かれる。殴りかからないように自制しているのは状況が状況だからだ。

 ローズマリーの視線が心配そうに二人を行ったり来たりする。

「つうか問い合わせ一本入れれば済むだけの話だろうがよっ! 職務怠慢だぞ!」

「いい加減にしないか! 大人をからかうもんじゃない」

「くそおおおお」

「仕方ないわ。あなたの件は彼らも関わってくるし、通達が来てないのかもしれないわ。それに――」

 ゲート脇の詰め所で先ほどからアラームが鳴りっぱなしだ。男もイライラとシルヴィオの相手をしている。

「今日はそれでなくても忙しいんだよ。さあ、ガールフレンドとうちへ帰りなさい」

「だーかーらっ!」

 もう最終手段として警備員を殴り倒しとっつかまって中へ入るかと密かに検討し始めた。ローズマリーの望みを叶えるためにはそれはやりたくないのだが、まず入れないことには話が進まない。

 彼女のパスはSFCと記されていない。普段は特別に発行されたものを使って出入りしていたが、シルヴィオとともに消えた彼女がSFCのテントにも、警備の人間にも事情を話さずに通ったとなれば問題になるだろうからとシルヴィオが止めたのだ。

「もしかして、エグバーグくんじゃないか?」

 突然名前を呼ばれて振り返ると、RDCFのロゴが入った上着を着た男が立っていた。金髪に青い瞳で背が高く精悍な偉丈夫だ。

 しかし、向こうはやたらと親しげな笑みを浮かべているのだが、いったい誰なのか思い出せない。

 それまでのやりとりで苛立っていたシルヴィオは、その不信感を全面に出してしまう。相手は気を悪くした風もなくうなずいた。

「息子が世話になっただろ。二年ほど前、船で」

 それでも思い出せない。首を傾げると彼はさらに付け加える。

「スイートピーのね」

「ああ! ジャックの!」

「一応あのあと挨拶もしたんだけどなあ」

 そう言ってジャックの父ことノア・ベタニーは豪快に笑う。

 警備員は複雑そうな顔で二人を交互に見ていた。

「何か揉めてたのかな?」

「いや、俺がパスなくしちゃって」

 それにはさすがの彼も驚いたようだ。けれど次の瞬間警備員に向き直り力強くうなずく。

「彼の身元は私が保証するよ。通してあげてくれ」

「ですがベタニーさん」

「大丈夫だ。これで君が困るようなことは絶対にない。彼は間違いなくSFCの社員だ」

 警備員の瞳には、こんな小僧がとしっかり書いてあったが、シルヴィオはなんとかそこは我慢する。

 RDCFは今回の花博の建設にかなり貢献している建築会社だ。警備員の男はノアと何度もやりとりをしていて彼の発言力も十分理解していた。

 二人はノアに導かれ、とりあえずと彼が在中している事務所へと案内された。

「一時間ほど前から、スブリマトゥムのテロ活動が突然開始されたという話だ。あまり出歩かない方がいい。ドームからドームへの移動もかなり厳しくチェックされている。開会式が終わるまで、規制は解かれそうにない」

 道すがらそう説明され、この先をどうやってくぐり抜けようか悩む。せっかく潜り込めたのだから、課長やニコラスに知られることなく花の塔まで行きたかった。

「でも俺、急いでセレモニードームまで行きたいんだよ」

「SFCの本部に連絡を取って迎えに来てもらうのが一番いいんじゃないかな」

「あー、できればこっちから行きたいんだ」

 花博用ドームの一番西にあるノアの事務所は、これもまた地下に作られていた。中へ入ると次々に報告がある。彼は部長と呼ばれ、かなりの地位にあるらしい。

「ベタニー部長。南ゲート近くの橋の一部が爆発によって崩されたそうです」

「……補修の要請が?」

「ええ。現場の確保は終了しているらしいです」

「セナの班を行かせろ」

 わかりましたと言って、報告に来た男はちらりとシルヴィオたちに目を向けると廊下の向こうに消えていった。

「スブリマトゥムですか?」

「警備の方も必死にやっているようだが、入り込むのが上手いようだね」

 それを聞いて、ローズマリーは心を決めた。

「ベタニーさん」

 それまでほとんどシルヴィオの喋るがままに任せていた彼女が、初めて口をきいたので、ノアはにこりと笑って耳を傾けた。

「スブリマトゥムが花の塔を狙っています」

「ローズマリー?」

「これだけ警備がきついと、パスのない貴方じゃ時間までに近づけない。しかたないわよ」

 兄との対話を諦めた彼女の顔は、晴れ晴れとしているように見えた。だが、それが本心だとは限らない。何か声を掛けようとするが、それをノアでもない別のもう一人が邪魔をする。

「花の塔だと!?」

 高そうなスーツ。ノアよりもさらにだ。茶色の艶のある髪に、緑色の瞳をした、四十前後の男が立っている。現場用の作業着を着ている人間が多い中、ジャケットまでしっかりと決め込んでいるのは、アイリーンと同種の匂いがする。

「クルーニー市長。お早いですね」

「月の?」

 彼女の言葉にノアがうなずきスティーヴン・クルーニーことラングレヌ月市長もにこやかに握手をしようと手を差し伸べてきた。が、彼はすぐに直前の台詞を思い出して問う。

「スブリマトゥムが狙っているというのは本当か?」

 あらためて聞かれると、ローズマリーは返事に窮した。情報の確かさを確認するために、情報元を聞かれると困ってしまう。そこまでは、裏切ることはできない。そんな彼女に一瞥をくれ、彼は端末を取り出した。

「まあしかし、これまでの彼らの活動を聞いていると、今日の動きは少しおかしいな。警備には私が連絡しよう」

 現れて三分と経っていないのに、現月市長のスティーヴンは部屋を出ていってしまう。それと入れ替わりにノアの部下が彼を呼びに来た。すぐに戻るからと行って、部屋には二人が残った。

「いいのかよ」

「うん。いろいろありがとう、シルヴィオ」

 警備員が花の塔へ殺到すれば、スブリマトゥムも滅多なことはできなくなる。すでに爆発物が取り付けられている可能性もあるが、そこはあちらの方がプロだ。上手く対処するだろう。爆発は開会式に合わせて行われるはずだ。地球連邦政府は、体面から絶対に開会時間を遅らせることはない。それはテロに負けたと宣伝するようなものだからだ。

 シルヴィオは壁際のソファにごろりと横になる。

 通された部屋はノアの仕事部屋のようで、書類が机の上に散乱し、分厚い専門書の棚やセレモニードームの模型が飾られていた。

「それにしてもさ、なんでよりによって花の塔を爆破とか考えたんだろうな」

「そりゃ、今回の花博のシンボルだもの。しかもSFCが演出でしょう? 政府との癒着を言われているSFCの花の塔を潰すことによって、より効果的に宣伝できるもの」

「うん。そうなんだけど。それは政府側もわかってる。警備の警戒レベルも半端じゃないんだ。狙うのは難しいとか思わなかったのかな?」

「難しいとか難しくないとかで標的は決まらない。より効果的なものを選ぶのよ」

「でもさ、結局達成できなかったらアウトだろ? 難易度と効果を、リスクとリターンを計算して決めるんじゃないか」

「何がいいたいの……?」

「俺もよくわかんねえ」

 ただ何か、納得がいかない。

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