第五章 EXPO'2300,Mars11

 ノア・ベタニーは大人だった。予想もしなかった突然の事態に、言葉で説得しようと試みる。罵ったり、高圧的に出たりすることはなかった。窮地を救ってもらった身としては大変申し訳ない。だがそこは心を鬼にして月市長を盾にとり、三人はセレモニーホールへ行き、花の塔の周辺を知り尽くしたシルヴィオの誘導で、問題の爆弾設置場所近くに到着した。

 そこに警備員が倒れているのを発見した。胸に一発銃弾を受けて、すでに事切れていた。

「ここまで来るのが君の目的だったのだろう? もう私を解放してもいいんじゃないか?」

 遺体を見たスティーヴンが、顔色を変えて言う。

 ノアの部屋で見つけたナイフを彼の背に当てながら、シルヴィオは黙って首を振った。ここに来るまで警備の人間をまったく見ていない。ノアが連絡を入れているだろう。シルヴィオの目的地も彼ならわかっているはずだ。すでに花の塔のスブリマトゥム侵入を連絡しているのなら、こんな風に殺された警備員が放置され、それに気付かないわけがない。連絡がとれないと、もっと多くの人間が投入されるだろう。

 スブリマトゥムが各地で騒ぎを起こしているせいで、開会式周辺の警備が手薄になっているとはいえ、この状況がおかしいことに変わりはない。

 ローズマリーが少し離れた場所を歩いている。きょろきょろと辺りを見回していた。兄の姿を探しているのだ。

 動きの遅いスティーヴンをせかすように背中へナイフをぐっと押し付ける。

 水素ボンベの周辺は、よく通ったので熟知している。人の目につかず、爆弾を設置するのならばきっとここだろうという位置も把握している。

 灯りの少なめな通路を通っていくと、話し声が聞こえた。

 よく知っているものだ。

 少し開けた場所にはたくさんの棚があった。簡易的な金属のラックが規則的に並んでいる。その隙間から茶色い頭が覗く。

「ニコラス!」

「シルヴィオ!? え、何してんのお前」

 不機嫌そうな男を無理矢理歩かせ、その手にはナイフがある。あまりに彼に似合わない風景で、戸惑いを見せる。

「訳ありってやつだよ。ちょうどよかった。このおっさん逃げないように見張っててくれよ。俺取ってくる物あるから。あと、スブリマトゥムのメンバーがこの近くに爆弾仕掛けに来ると思うから気をつけろ」

「どうした? シルヴィオ!? 無事だったか!?」

 忙しいのにややこしいと舌打ちして、ニコラスの向こうから現れたアイリーンに指を突きつける。

「後で全部説明するから、とにかくスブリマトゥムうろついてて危ないけどこいつ見張ってて!」

 最後にローズマリーに念を押して、シルヴィオは脇の階段から上へ向かった。そこには調整室があり、たまたま無人だった。開会八時間前は、確か花の位置の最終確認だったはずだ。シルヴィオの替わりの人間が表で進行係やデザイナーと話をしているころだろう。

 すまないと心の中で謝りつつ、コントロールパネルの後ろにある、予備のデルフィニウムを一つ取った。欲しいのはこのポッドなので、中味はそっと部屋の隅にあける。後できちんと植え替えてやるからなと、花びらを撫でて、腰に下げた鞄から、火星の土が入ったビニール袋を取り出した。鉄分を多く含む赤い土をポッドの中へ入れると、平らにならして一度閉じる。背面にある操作盤を開いてその中の濃度をいじった。ありとあらゆる植物の情報が頭の中に入っている。どれをどの程度含ませれば万全の状態になるか。そして、その反対も心得ていた。

 首にかけていた銀色のロケットを外し、蓋を開く。右手がきれいなことを確認して、その中の種の一つを手の平へ移した。

 これはローズマリーのロケットだ。まさか彼女がアネモネの種を火星に持ち込んでいるとは思ってもみなかった。本当なら厳しい審査があるのだが、彼女はSFCの船で来ていた。SFCでは独自にチェックがなされている。それだけ信用されているということだが、SFCのミスはミスだ。

 変異を知って持ってきていたわけではない。好きな花はないかとかえでに聞かれ、スブリマトゥムのシンボルでもあったこの赤い花をあげたら、次に会ったときロケットへ入れてプレゼントされたそうだ。恐ろしい偶然だが、これが最後の切り札となるかもしれない。あまりにリスクが大きく、本当に無事で済むかもわからないので一か八かの賭にはなる。

 アネモネは種類にもよるが、これは丸く、そして先が尖ったような形をしていた。それをポッドの天辺にある穴に入れる。ボタンを押すと、ぽとりと土の上に落ち、まるで教育番組の早回しのように花が咲いた。赤く、可愛らしい花だ。しかし、これが火星では恐怖の対象になることを、シルヴィオは知っている。

 準備はできたと立ち上がりかけたとき、下がざわついた。

 階段からそっと顔を覗かせると、見慣れない武装した男がいる。スブリマトゥムだろう。彼らと話をしなければならなかったのだが、今出ていくべきか迷う。

 本来調整室の下の部屋は、花のための器具が山ほど置いてあったのだが、それも最終段階にさしかかり、昨日のうちに撤去されている。水素ボンベはその隣の部屋にある。この調節室からまた別の階段を使って降りる。そちらの方を先に始末してから、ローズマリーたちの方へ、また違った道を使って近づこうと決めた。

 ポッドを抱えて立ち上がる。

 しかし――、頭の後ろに硬い物が押し当てられ、中腰の状態で止まる。

「ゆっくりだ。ゆっくり立ち上がれ」

 両手を上へあげるべきなのだろうが、ポッドを離すわけにいかずさらに強く抱え込む。

「こちらを向け。そうだ。そのまま、こちらを向いた状態で階段を下りろ」

 通い慣れた部屋だったため、転ぶことはなかった。男は顔を隠していない。黄色みの強い髪は、やり過ぎた剪定のように短く刈り上げてある。茶色の瞳には強い怒りが現れ、いっときたりともシルヴィオからその視線が外れることはなかった。

「上にも鼠がいた」

 最後の一段を下り切ると同時に、男が低い声で言う。横目でちらりとみんなの方を見ると、さきほどとそう変わらない位置に立っていた。向こうもこちらを見るが、ニコラスもアイリーンも飄々として余裕が見える。スティーヴンとローズマリーは青い顔をしていた。

 シルヴィオは銃口に導かれ、ローズマリーの隣に立つ。シルヴィオを連れてきた男の他に、もう三人。一人以外はじっとローズマリーを見ていた。彼女も負けずに見返しているが、その瞳に宿る光は弱々しい。

「他には?」

「今のところなしだ。早く仕掛けて、こいつらを始末していこうぜ」

 シルヴィオの隣で男がそう言うと、金色の髪に青い瞳の男がうなずく。横顔がローズマリーに似ていた。

「だめよ! 爆弾を仕掛けるのはやめて!」

 懇願するように彼女が兄へ駆け寄ろうとするが、ほぼ同時に二つの銃口が向けられる。

「やめろ!」

「俺たちを裏切ったのかローズ」

「彼女がこいつらを連れて来たんだろ? 目を覚ませよ、サディアス。SFCなんて政府の犬だ。すっかりあっちに染まっちまったんだよ!」

「黙れ」

 彼女の兄、サディアスが低く唸ると、他の三人はしぶしぶといったように口を閉じた。

「お前が連れてきたのか?」

 質問は簡潔だった。ためらってはみるものの、事実は曲げられない。ローズマリーはうなずく。すぐさま口々に罵ろうとスブリマトゥムのメンバーが息を吸う。そのタイミングでまたもやサディアスが、今度は両手を広げて仲間を制した。

「なぜだ」

 慎重に言葉を選んで、ローズマリーが口を開く。

「知ってしまったの。みんなが知らないことを。ここを爆破すれば、火星はおしまいだわ。地球連邦政府との対等な関係なんて夢どころじゃない。また私たちは百年前に逆戻りするのよ」

「何を――」

「そこの壁の向こうに水素のボンベがあるんだよ」

 口を挟むタイミングを狙っていたシルヴィオの言葉に、男たちはさっと視線を彼へ向ける。一様に険しく、疑わしい表情をしている。だが、その奥に不安がちらりと揺れていた。

「ほら、あんたこの上に行ったとき見たんじゃないか? 奥にもう一つ階段があっただろ」

「フレディ?」

「……ああ。このガキの言う通りだ。確かにもう一つ部屋があるみたいだ」

「誰か見てくればいいよ。水素ボンベくらいわかるだろ?」

 ガキと言われて振り上げそうになるこぶしを必死に押さえる。アネモネを抱いていなかったらやっぱり殴っていたかもしれない。シルヴィオにとって、それはかなりの葛藤だった。

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