第五章 EXPO'2300,Mars3
スタッフのための食堂は、西にあるパビリオンの地下二階にあった。二ヶ月前という、一番遅く火星にやってきたシルヴィオですら、すでに飽きている。だが、街に出るのは距離的にも、手続き的にも面倒で、何度出会ったかわからない日替わり定食を注文することになる。
シルヴィオを食事に誘ったのはロシア館の人間で、三人とも二十二、三と比較的年が近い。花に異常が出て、様子を見に来たシルヴィオが、彼らの上司に言いたい放題したのがよっぽど受けたようで、最近タイミングが合うとこうやって食事を一緒にすることもある。
食堂は、時間を問わず人が集まって来るので、彼の姿を見つけてさらに人数が増えることも少なくない。
一番いろいろなところに顔を出しているだけあって、彼自身は覚えてなくとも、SFCのちょっと面白いヤツということで無駄に顔が広くなっていた。彼を取り囲む輪が徐々に大きくなっていく。
そして、アイリーンは大げさだが、花に関わりのない人間と話をすることに、シルヴィオ自身が楽しさを覚えているのは、大きな成長だった。
「じゃあ、やっぱりあれはローズマリーだったのね」
「ええ。私こっちの生まれだから」
観光がてら街を歩いていたポリーナが、よく似た人を見かけたというのが話のきっかけだ。
「それなら先に街のすてきなところとか教えてもらうんだったわ。まあ、夕飯は結構美味しかったけど。隠れ家的なところを探してたのよ」
「それじゃあ、今度でかけるときは言ってちょうだい」
ローズマリーが請け負うと、ポリーナは手を叩いて喜んだ。肩の上で切りそろえられた淡い金色の髪が動きにあわせて揺れる。
「あ、俺もウォッカの美味い店を知りたい」
「手持ちが尽きたって言ってたよな、お前」
「そうなんだよ。あれなしじゃ生きていけない」
男二人は顔を見合わせ首を振る。どちらも金髪に白い肌をしている。それが酒が入ると赤く染まるのだ。
「お酒のことはよくわからないから、今度兄さんに会ったら聞いてみるわ」
「頼む。ほんと、よろしくお願いします」
どさくさに紛れてメフォージーが、ローズマリーの両手をぎゅっと握った。すぐさまオレーグが彼の頭を叩く。ポリーナは楽しそうにそのやりとりを見ている。
「ってえなあ。そうだ、じゃあもしかして北極の氷も見に行ったことがある?」
メフォージーは懲りずに話しかける。ローズマリーは苦笑いを浮かべながらもうなずいた。火星で一番の観光スポットだ。
「小さな頃に連れていってもらったそうなんだけど、正直覚えてないの」
「俺はこの間見に行ったよ。見学コースがちょうど空いてたから」
オレーグはそう言うと揚げパンを口へ放り込んだ。ピロシキが食べたいとぼやきながら、代用品で自分をごまかしているのだ。
「ずりぃ。俺あの日当番で行けなかったんだよなあ」
心底悔しそうに口を尖らせ顔を歪めると、メフォージーは話に積極的に参加してこないシルヴィオへと振り返る。何度か付き合っているうちに、それが機嫌が悪いとか、興味がないとかではなく、単に話に入るタイミングがわかっていないだけだと知ったからだ。
「シルヴィオは? どっか観光した?」
「へ? 観光?」
黒い瞳をきょとんとさせると、童顔に磨きがかかる。メフォージーより一つ下ではあるが、外見的年の差は五つ以上に見える。それに関しては事前情報として言えば怒ると聞いていた。絶対に口にしないよう注意されている。
「そうよ。せっかく火星に来たんだし、どこか有名どころに行ったでしょう? よかった?」
ポリーナが後を追うように言うが、どうも反応が微妙だった。シルヴィオは首を傾げたままだ。
「いや、特に」
「ええ!? ほんとに? ああ、SFCで火星には慣れてるってこと?」
口をもごもごと動かしながら、シルヴィオは顔を横へ動かす。日に焼けて少し色素の抜けた黒髪が宙で揺れる。
「うそっ! ひとつも観光してないの?」
ロシアの三人は眉をひそめて目配せをし合う。
そんな反応を見て、一人ローズマリーが笑いをこらえていた。
シルヴィオに観光をしろというだけ無駄だろう。何か珍しい植物でもない限り、積極的にどこかへ行くなんてことはありえない。
「SFCって三交代制でしょう? 休みもしっかり週に一度あるってニコラスさんが言ってたけどなあ」
「そうそう。彼、うちの氷の女王をデートに誘ってたもんね」
「あることはあるけど、俺別に何かしたいことがあるわけじゃないからなあ」
デザートのプリンが次々と口の中へ消えていく。そんな彼を三人はまじまじと見つめた。
「……シルヴィオって毎日どんな生活してるの?」
「どんなって、別に普通に。一応自分の勤務時間があるから、そこは絶対にテントにいるようにしてるけど、呼ばれるまでそこらへんで寝てるか、テントにある軽食つまむか。んで、勤務時間終わったら、テント内にある予備の花の様子見に行ったり、人手が足りなさそうだったらちょっと手伝いに出たり」
「シルヴィオ、自分のホテルの部屋に一度も帰ってないもんね」
「だって必要ないじゃん。あのテントにシャワーも洗濯機も全部あるからさー」
あんぐりと口を開ける彼らにとうとう堪えきれず、ローズマリーは声を上げて笑った。彼に普通の常識を当てはめようとするのが間違っているのだ。
「仕事の鬼なの?」
ポリーナが彼女に尋ねると、違うわ、と否定する。
「趣味が仕事なの」
オレーグが両手をあげて参ったと言う。
「そりゃその若さでSFCの主任なわけだ。でももったいないなあ。北極はなかなか見ものだったぞ」
「そうそう、月の泉方面とか、アンリの爪とかいろいろ見て回るところがあるのに」
「あ、でもアンリの爪はやめた方がいいんじゃないか? ファーストコロニーの方だろ」
「ああ。確かにそうねえ」
メフォージーの言葉にうなずくポリーナ。それにシルヴィオが首をかしげた。
「なんで?」
すると彼は顔を寄せて声を潜める。
「ファーストコロニーって言ったら一番最初に開拓された地域だ。初期の移民の子孫が今もいっぱいいる。つまり、スブリマトゥムの本拠地ってことじゃないか」
「ダグラス・カーチスもファーストコロニー出身よね、たしか……ごめんね、ローズマリー」
「ううん。気にしないし、仕方ないわ」
火星出身の彼女に、ポリーナが形式的な謝罪をする。親戚がそのあたり出身だとしたら悪いなと思ったからだ。
「万博関係者だって言ったら、何があるかわからないぞ」
さらにメフォージーがそう脅す。
「あ、けどさ、この間アレクセイが行ってきたらしいよ」
「マジか! あいつ度胸あるなあ」
「なんか珍しい花が群生しててきれいだったって言ってた。普段見てるのに似てるんだけど、葉っぱの形が違うとかなんとか」
視線を宙へ漂わせ、同僚の台詞を思い出そうとしていたオレーグは、突然胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。その先には目をらんらんと光らせたシルヴィオがいる。
「それ、どこで?」
短いが、相手の本気度が伝わってきて、オレーグは尻込みする。
「いや、なんだったっけな。たしかハーブ系だったと思うんだ」
「思い出せ。それよりもアレクセイに聞けばいいのか!」
「――呼んだ?」
食堂の入り口で同僚を見つけたアレクセイがちょうど近寄ってきたところへ、自分の名前が連呼されていた。その迫力から何か悪いことでもしただろうかと思いながらだったので、おずおずと、あくまで控えめに尋ねたが、オレーグが爪が食い込む勢いでその腕を掴む。
「アレクセイ! 助かった。お前、アンリの爪で何の花見たって言ってたっけ?」
彼はトレイをテーブルに置くと、腕を掴んだまま離さない同僚の横に腰を下ろす。
「セージだよ。地球の自宅で嫁が栽培してるからよく見るんだけどさ、葉っぱの形が違うんだよな。花は完全にセージのそれなのに」
シルヴィオは自分の腰の端末を取り出し、火星の地図を呼び出す。
「どこら辺?」
アレクセイはスプーンを加えたまま、自分の見た地域をポインターで指し示した。
それを確認すると、シルヴィオはすぐさま自分のトレイを持ち上げ席を立つ。
「ちょっと、まさか行くつもりじゃないでしょうね!」
慌てて彼の腕を掴むローズマリーだが、振り返った眼が真剣だった。だが、止めねばならない。ここで止められなかったら、ローズマリーにできることはもうない。
「だめだったら!」
「なんで!」
シルヴィオも必死だ。その二人の剣幕に、ロシア組みは目を丸くして固まっている。
「さっき言ってたでしょう! スブリマトゥムが潜伏している地域なのよ?」
「だからそのすぶりまなんたらって何だよ!」
「え?」
同じテーブルで、先ほどまで一緒に食事をしていた彼らはもちろん、好奇の目で見ていた周囲の人間からも、思わず声が漏れる。
「いや、待てよ、なんか前に聞いたことがある気がする」
「そりゃそうよ! あなたメンバーを殴って逮捕に貢献したんでしょ!」
「……マジかよ」
アレクセイが驚いたような、呆れたようなつぶやきを漏らした。
「ああ! パイオニアか!」
「それはよくわからないけど、とにかく、危ないの。わかるでしょう?」
「うん。でも、俺は行かなきゃいけない!」
じゃ、と手を振り上げてトレイを返すと、そのまま猛ダッシュで食堂を飛び出した。その後ろをローズマリーが泣きそうな顔で追いかける。
残された彼らは、話の断片からSFCの彼がいったい何をしでかしたのか噂に花を咲かせた。
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