第五章 EXPO'2300,Mars2

 そんなことはつゆ知らず、シルヴィオが目的地へ向かって走り続けていると、後ろから声がかかる。

「ニコラス!」

「乗ってくかい?」

「おう!」

 四輪駆動のバギーに、いろいろな機材を積んで走行しているところへ、無理矢理掴まって乗り込む。実際博覧会が始まったら、事故防止のために救護用バギー以外は使用禁止となる。これを使えるのも今日までだ。

「お前も乗ってけばいいのに」

「なんか、走った方が早い気がしてさ」

「明らかにこいつの方が早いだろう。ちったあ体力温存しろ。明日からまた大忙しだろうからなあ」

 現時点では花や木々も落ち着いているように見える。しかし、万博の期間は百日。少しずつ気温や日照条件に変化が出てくれば、一夜にして枯れることもあるだろう。また、大量の人間は花へストレスを与えることも多い。

「とりあえず各パビリオンのメインだけは保たせたいな」

「おう! 全力を尽くすっ!」

「いやいや、だからさ、お前が突然倒れて抜けてぽっかり一週間とかいったら、恐怖だから。頼むからきちんと三交代制をとってくれよ」

「大丈夫だって。地球とそう変わりないじゃん」

「そうはいってもやっぱり環境が違うからなあ。重力は地球にだいぶ近づけてるとはいえ、もともと半分以下なのを人工的に増やしてるからあんまりいいことないし」

「あの船酔いみたいなのも一日で治った!」

「若いっていいなぁ」

 六歳差をいやというほど噛みしめるニコラスだった。

 SFCともなると、大学を卒業してから入社する人間が多い。そんな中、シルヴィオは十五からアルバイトとして、そのまま十八で正社員になっている。まあ、銀蔵の影響下ということもあるが、それだけ能力はあるのだ。ニコラスは、六歳差ではあるが、たった一年先に入社していただけだ。部署では一番年の近い同僚になる。彼には妹はいるが、弟はいなかったので、なんだかんだといって可愛いのは事実だった。立ち直ったのはいいが、また頑張りすぎて倒れられては困る。

「とっとと終わらせて一度うちのテントに戻って来い。メシ喰え」

 目的地に着いたところで、ニコラスはポンとシルヴィオの背を押す。

「わかった。……あ、そうだ! ニコラス、お前イタリアのパビリオンで評判悪い。二股よくない」

「あー、あれはちょっと間の悪い状況が起きてだな。お前こそ! メイファンちゃんが誘っても反応が鈍いって言ってたぞ」

「メイファン?」

 シルヴィオに女性の名前を覚えろというのは無理なことだ。しかも漢字圏になると音が難しいと言う。自分の祖父が完全に漢字圏のくせに何を言う、だ。

「中国のパビリオン」

「ああ! 梅のところのな。何か誘われたかなぁ? 覚えてねえ」

 やれやれと肩をすくめてバギーを発進させる。

 SFCはどこよりも便利のよい、一等地にベーステントを持っていた。すなわち、メインドームの真下。地下である。地下の第一階層には各パビリオンへのモノレールや、道路が走っており、定期的に運行している。渋滞を起こさないために、それらはすべて管理されていた。歩いて移動する者は、地上を使うようになっている。そして、地下の第二階層に万博本部とSFCベーステントがある。予備の草木もこの第二階層で管理されている。

 シルヴィオを送ったニコラスは、そのまま地下へ潜った。すれ違う仲間に軽く手を上げて進んでいくと、薄いブルーのテントがいくつも並んでいる。そのうち自分が常駐している物の前にバギーを止め、器具をいくつか持って中へ入る。

 入った瞬間目があって、タイミングが良いのか悪いのか、顔に表さず頭の中で反問する。

 パイプ椅子に足を組んで座る美人は、政府移民局のアイリーン・レミントンだ。自分は花博にまで関わる気はまったくないと公言していたのだが、結局は半ば強引に命じられ、一年ほど前からほとんど火星に詰めているらしい。移民局の室長も同時にこなしているというのだから、それだけ有能なのだろう。だが、そう言うと怒られた。『お前ら(SFC)がミスしたら全部責任を取らされるポストなんだよ』と。月の一件でさらなる貧乏くじを引いたらしい。

「お疲れさまです。昨日のリハーサルは上手くいきましたね」

「せめてリハーサルくらいは問題なく済んでもらわんとな」

 テント内は騒がしい。次々入って来る植物の問題を、的確に割り振り回していかなければならない。そろそろニコラスの交代時間だった。

 そそくさとその場を退場しようかと思ったが、そんな目論見を見透かされてか、すかさず邪魔が入る。クレイグ課長だ。

「ロックウェルくん、彼にも紅茶を淹れてあげてください」

「はい」

 アイリーンの目の前の机には紅茶のセットはもちろん、ローズマリーお手製の菓子が彼女自前のティースタンドに並べられていた。シルヴィオと一緒に銀蔵の友人であるかえでの元へ月に一度二度行くようになってから、ローズマリーはお茶だけでなく菓子作りにも興味を持ったようで、最近その腕はプロ並みになってきている。

 すっかりセッティングされた場を呪いつつ、湯気とともに香りを運ぶソーサーを受け取り礼を言った。

 そして、空いている席に腰を下ろす。器具だけローズマリーに預けて担当へ渡してもらうようお願いする。

「忙しかったか?」

「いえ。交代まではまだ間がありますし。美味しい紅茶にありつけるのは嬉しいことですよ」

 わざわざ理由を並べると、アイリーンは口角を上げて笑う。言葉と裏腹にこちらが望んでいる状況でないことを、彼女は的確に受け取っていた。

「まあ、そう邪険にするな。花の塔の仕掛けをぶっつけ本番で通してやった恩忘れたのか?」

「僕に言われてもねえ。一番ごねたのはいつも通りシルヴィオですから」

「保護者の躾がなってない!」

「だから何度も言いますけど、僕はシルヴィオ(アレ)の保護者じゃありませんって」

 アイリーンは有能な人間が好きだった。そこへ加えて反応の良さが面白いらしい。現場に滅多にいない若さというのもいじって遊ぶのに適しているのだろう。

「政府の方の準備も順調に終わったんですか?」

 不毛な言い争いを終わらせるためか、見ていただけのクレイグが口を挟む。いつもならずっとやりあって、アイリーンが飽きるまで放っておくので珍しい。クレイグは現場をかけずり回ったりするよりも、何か衝突が起きたときに出ていって話をまとめる立場にあるので、リハーサルも終わった開会直前の今日は完全オフだったはずだ。責任感からここに詰めてはいるのだが、時間はたっぷりある。ニコラスが現れるまで何か話していたのかもしれない。そこへ話題を持っていきたいのだろう。上司の意向には沿うのがニコラスのモットーだ。

「ああ。第一期の客もフォボスで百万近くが待機しているらしい。開会式は夜だから、それの受け入れが十五地球時間までに完了するようだ」

「リハーサルもほぼ時間通り問題なく終わったそうですよね。怖いくらいに」

「ああ。本当に怖いくらいに、だ」

 二人がなんのことを話そうとしているのか、ようやく見当が付く。

「そんなに静かだったんですか? 僕らのところに聞こえて来ないのは、情報操作されているからだと思ってました」

「情報操作はしてるよ。必要だからな。にしても、大人しい気がしてならないんだよ」

「そんなもんですか?」

「実際目の当たりにしたことはなかったんだが、数字や規模を聞いていると、それなりのでかさがあったように思っていたんだが……」

「カーチス・ダグラスが逮捕されてから、全体的に勢いが減ったと言いますから、そのせいじゃないでしょうか」

 クレイグがそう取りなすと、アイリーンは未だ不満顔でうなずく。

「警備の方にはあまりタッチしていないから、情報を引き出すのも一苦労でね。今日明日はフル稼働らしいが」

「うちの方に何か飛び火してきそうな感じはないですかね?」

「そうなんだ。シルヴィオが心配だからなあ」

「僕の心配もしてください。あのとき一緒にいたんだから」

 二年ほど前にスブリマトゥムのハイジャックを阻止した経緯がある。たまたま居合わせたニコラスたちが、上手く動いたおかげで死傷者はゼロだった。――スブリマトゥムのメンバーを除いては。

 情報操作に金がだいぶとかかったらしいが、それでも悪い噂は流れなかった。

 しかし、おかげでスブリマトゥムにSFCの名はしっかりと刻み込まれただろう。そのときのメンバーは逮捕されたが、そう言った情報はどこからか漏れる。ニコラスは自分の状況をわきまえ気にしながらそれなりに行動しているのだが、シルヴィオは何度言い聞かせてもイマイチ状況の拙さをわかっていないようだった。

「早く残党一掃してくださいよ」

「ファーストコロニーに爆弾落とせば一発なんだろうがなあ」

「冗談でもやめてくださいね、レミントンさん」

 クレイグが笑顔で諫める。やることはないが、平気で触れ回りそうで怖い。

「火星の成り立ちを思えば、彼らの行動もわからなくはないんだが、受け入れられるものでもないからな」

「匿名のアンケートの、スブリマトゥムを支援するかという項目で、ほとんどの人間がNOとは書かなかったそうですからねえ」

 さすがに課長も困ったように首を傾げる。

「おい、ニコラス」

「なんでしょう」

 無茶を言うときの振りだ。

「ちょっとファーストドームにアネモネの花落っことして来いよ」

 危うく紅茶を吹き出すところだった。

「無茶言いますね」

「だが、効果的だ」

「アネモネ、拙いんですか?」

 紅茶のお代わりは、と戻って来たローズマリーが当然の疑問を口に出す。彼女はまだ正社員ではない。それなりに変異をいろいろと知っては来ているが、知らないものがほとんどだ。わざわざ知らせる必要もなかった。

「火星でアネモネはねえ」

 クレイグが苦笑する。ニコラスも大変複雑な表情で応じるしかなかった。

「アネモネはスブリマトゥムがシンボルとして掲げていたしな。案外喜ぶんじゃないか?」

「無茶ですって。さすがに持ち込んでませんよ」

「なんだ。残念だな」

 空になったカップを、ローズマリーに差し出す。彼女は受け取るとまた別のカップに違う紅茶を準備しだす。正社員でないからには、彼女を入れたシフトを組むわけにもいかず、自宅へ帰っていてもいいと言っているのだが、気になるのだろう、仕事を見つけて細々と動いている。こちらもそれについ甘えている状態だった。

「まあ、アネモネもきれいでファンの多い花なんだけどね」

 ローズマリーの表情が微妙に曇っているように思えたので、ニコラスがそう言うと、安堵したような微笑みを見せた。

「あ、いいな! ローズマリー、俺にも!」

 騒ぎの元が帰ってきた。

 頬に泥をつけたまま現れたシルヴィオは、当然のようにテーブルの菓子に手を伸ばし、それからよお! と簡単な、実に簡単すぎる挨拶をする。相手の地位がわかっていないのだ。シルヴィオだけが許される態度だ。

「シルヴィオ、調子はどうだ?」

 途端に生き生きとするアイリーンに、シルヴィオも口元を歪めて笑う。

「絶好調だ」

「日本館で問題起こしたと聞いたが?」

「桜の周期をもっとゆっくりにしろとか無茶言うんだぜー。満開の時間が夜中になるのが嫌なんだと。植物に人間が合わせろっての」

 薔薇科の植物の中でも桜は一日で花が付き、葉を生い茂らせ、枯れて再びつぼみをつけるという変異を起こした。それが儚さと、命の巡りを表していると、日本人の心をわしづかみにしたらしい。国花でもあり、他に危険な変異もないので、割合スムーズに展示内容が決まったのだが、やはり植物。一筋縄ではいかない。実際に展示し、変異が始まると、望む時間帯に望む姿が見られないとクレームがあった。

 正直知ったこっちゃない。

 それをシルヴィオが的確に、そしてストレートに言ってしまったのが災いし、かなり揉めたのだ。

「植物が思い通りになると思ってるのが間違ってるんだよな。自然に勝てるかっての」

 憤慨するシルヴィオを、アイリーンはニヤニヤと見守っている。

 ローズマリーはシルヴィオがかなり変わったと言うが、頼むからこういったところから変わって欲しかった。

「物には言い方があるって言ったでしょう。身も蓋もない、逃げ道もないことをそのまま言われたら、大人はうんと言えないのよ」

「大人なんだから自分らの間違いは素直に認めろってのー」

 さらに彼女が言いつのろうとしたとき、テントの外からシルヴィオを呼ぶ声がする。

 全員の視線がそちらへ集まり、スーツ姿のアイリーンに気付くと、しまったとバツの悪そうな顔をする。明らかに彼女はこの場の人間ではなく、しかもどこまでも偉そうなので正しくなんなのかを理解したのだろう。

「よー。どうした? 入れよ」

 入り口から動かない男に、シルヴィオは手招きする。どこかで見た顔だ。企業か、国か、パビリオンの植物担当者だろう。ニコラスに目配せをするので、うなずいてやる。

「いや、もし昼がまだだったら一緒にどうかと思ったんですが」

 他にも二人男女が後ろについてきている。

「ああ――」

「なんだと! シルヴィオを昼に誘いに来たって!?」

 アイリーンがパイプ椅子を蹴って立ち上がる。

 どう見ても政府の高官である彼女の行為に、男女は完全にかたまった。目を白黒させ、なんと謝罪すればいいのか考えあぐねている。

「お前っ! 友だちができたのか!」

「んっだよ。いいじゃんメシぐらい。喰ったらすぐ戻るって」

「馬鹿者っ!」

 テントに彼女の大声が響く。あたりがしんと静まりかえった。

「大声出すなよ。何怒ってんだよー」

「怒ってなんかない! 早く行け! 友だちを待たせるな! ちょっとじゃなくてきちんと昼食を摂って来い! 奢ってくれるとか言っても断るんだぞ。どう考えてもお前が一番給料がいい。むしろ奢れ。みんなで楽しんで来い!」

 呆気にとられている彼らの尻を叩く勢いで、彼女はシルヴィオの背をぐいぐいと押す。

 ニコラスは笑いを堪えるのに必死だ。

 ふと、隣に立っているローズマリーに気付き、彼女の腕を引く。

「ローズマリーちゃんも一緒にいっといで」

「あ、でも」

 アイリーンのカップをちらりと見る。

「味は劣るけど淹れるだけなら俺でもできるからさ。このままずっと付き合わされることになるよ。――シルヴィオ! ローズマリーちゃんもそろそろ昼ご飯だから」

「お、ちょうどいいじゃん。行こう」

「それじゃあ、失礼します」

「うん。行って来い。シルヴィオが話題に詰まったら助けてやれ」

 アイリーンが機嫌良く手を振っている。

 彼らの姿がテントから消えると、やがてため息をついた。

「息子が大人の階段を上り出すと、こんな気持ちになるのかな」

「まあ、いてもおかしくない年ですよね」

「…………」

「…………」

 クレイグだけがにこにこと笑っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る