第五章 EXPO'2300,Mars1

 西暦二三〇〇年五月一日。四度目の地球外国際博覧会が催される。過去三度は、二二〇〇年の月博覧会に続き、ガニメデと、もう一度月で開かれたものだ。どれも盛況で、回を重ねるごとに来場者数を増した。前回は、二二六八年に月で行われたもので、実に三十二年ぶりの地球外での開催となる。

 火星は、月に続いて開発を始めた惑星で、途中、火星磁気嵐によって火星政府との連絡が途絶え、三十年間閉鎖された。それがなければガニメデよりも先に火星で博覧会を開催することとなっただろうと言われている。彗星よりも大きな衛星とはいえ、その広さは火星には敵わない。

 開発の遅れは政府にとっても痛手であった。

 地球上に人は溢れている。新しい土地を開発し、人を呼び込まなくてはならない。その起爆剤として期待されていた。今回の火星博覧会は、花の博覧会とも呼ばれている。地球外では育ちにくい花も、火星では割合変異することなく楽しむことができる。そこを売りとして計画は進められてきた。

 メインドームと呼ばれる火星花博のために新しく作られたドームの周りに、いくつものパビリオンのためのドーム、宿泊施設のためのドームが併設されている。

 宇宙港も大量の旅客船を受け入れられるようにさらに規模が拡大された。

 ドームは大きく作れば作るほどそれを維持するたに労力と金が必要になった。その採算が合うぎりぎりのラインで今まではドームの大きさを決定してきたのだが、博覧会に使用する物は、それらを度外視した、記念となる物をと、今までにない規模のものを作り上げた。とはいえもちろん、赤字になるようなことはないが、それでも異例の大きさだ。そこで、開会式や中心となるセレモニーが行われる。メインドーム、セレモニードームと呼ばれ、多くの人が明日から始まる火星博覧会への準備でかけずり回っていた。

 中央にはシンボル的な役目を果たす花の塔がある。

 一風変わったもので、塔と呼ばれてはいるが、どちらかと言えばその風貌はピラミッドのようだった。正四角錐で、人が登れるようにはなっておらず、横幅が二十五メートルの巨大なものだった。高さは十八メートル近くになり、棚田のようにデルフィニウムが植わっている。今は一般的な青い花を咲かせており、三日ほど前から徐々に花びらを広げ、明日の開会式に合わせて満開になるという。

 今回、各国のパビリオンの他にもちろん企業ブースもある。しかし、成功の立役者であるSFCはもちろん、その母体であるHBLも特別展示に参加はしていない。他の展示サポートで手一杯というのが表向きだが、政府との密接な関係を以前から問題視されているので自重したというのが本当のところだろうと言われている。そんなSFCが唯一開会式でこの花の塔を変化させ演出の一役を買って出るということで、いったいどんな趣向を凝らしたものなのかと早くから噂になっていた。もちろん、関係者の口は重く閉ざされ、なかなか情報は漏れてこない。機密ではないが、お楽しみの秘密だ。

 開会式はこの花の塔を中心として催される。そのときだけ、この塔を囲むように席が用意され、そして終われば閉会式までオープンスペースとなった。

 今は開会式のためにぐるりと席が設置されている。それもすでに一段落しており、時折警備員が巡回に歩く程度で閑散としていた。

 リハーサルはすでに昨日の時点で終わっている。

 というのも、火星は未だに磁気嵐の影響下にあり、だいたい十五日周期でそれがひどくなる。今日がその日だった。

 以前のように火星への離着陸を阻むほどではないが、無線機器の障害が出る。宇宙船もこの日は安全のために惑星軌道上を周回するステーションか、衛星であるフォボスへ留まるようになっていた。

 ほとんどのパビリオンも昨日までに仕事を終わらせ、今日はどこか空気が緩んでいた。しかし、明日の本番を控え、休みを取るほど落ち着いていられるわけではない。

 そして、人の気も知らずに植物たちは相も変わらず不具合を訴えるのだ。


 イギリスのパビリオンは、本格的英国式庭園という、実に、花を、植物をメインとする今回の博覧会の主旨に沿ったものだった。

 しかし、庭園と称するからには、多種多様な種類の植物を持ち込むわけで、SFCと一番多くもめた展示でもあった。なんとか意見をすりあわせ――そのほとんどがSFCの意向を受け入れる形ではあったが――実際設置を始めた後も、何かと問題が起こることが多く、シルヴィオもよく呼び出された。

 そのうち、担当の人間とも仲良くなり、受付嬢のもてなしを受けるようにもなる。

「――でさ、来年はオープンガーデン・デイに参加できるかもしれないなんて言うんだ」

「あら、いいじゃない。最近は熱心な参加者が減ってきていると言われているし、イエローブックに載ったらぜひ教えて欲しいわ」

「だめだめ。まだ形にもなっていないのに、あれじゃあNGSの審査に通るか怪しいね」

「あなたが師匠としてサポートしてあげればいいんじゃないの?」

 ジンジャーブレッドを口へ放り込みながら、彼は肩をすくめた。

「そこは厳しくするのが師匠だね! ばーちゃん、ここのところすっごく顔色もいいし、本人も健康診断で太鼓判をもらったって言ってたから、大丈夫。あと五年はいけるね。庭いじりがいい運動になってるみたいだしな」

 お年寄りは朝が早いから園芸向きよね、という受付嬢の台詞の途中で、シルヴィオの端末が電子音を鳴らす。ホルダーから取り出して見ると、新しい指令が入っていた。無線機器の障害はあるのはあるが、それなりに使える。ただ音声はノイズがひどくて拾いにくいので、文字で知らせてくるのだ。

「次のお仕事ね、お花屋さん」

「うん。企業のパビリオンだ。行ってくる」

 椅子からひょいと飛び降りて、駆け出す。その後ろ姿に受付嬢が手を振っていると、彼がくるりと振り返った。

「クッキーごちそうさま! 美味かった!」

「今度はスコーンをご馳走するわ」

 ニカッと笑う彼に、彼女も笑顔を返す。

 あれで、受付の横の新しいチューリップではなく、明日に備え、初めて袖を通したイギリスブースの制服に気付いてくれれば言うことなしなのにと、彼女は短くため息をついた。

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