第四章 勿忘草5

 そんな日々が数日続いた。

 ノートには以前の庭と、いくつもの新案が追加されていった。まっさらの状態からはなかなか難しかったが、少しベースが出来上がるとそこから夢が広がる。二人で植物図鑑を見ながら形を考えるのは楽しい作業だった。

「今日は本格的なアフタヌーンティーにしましょうただし、お昼代わりにね」

 そんな中のかえでの提案に、ローズマリーは手を叩いて喜んだ。

「あ、それじゃあ紅茶は私が準備します! シルヴィオは私の淹れた紅茶なら飲むし」

「あら、のろけられたわ」

 なんのことか一瞬わからなかったが、理解すると同時に顔が赤くなるのを感じた。

「ち、違います!」

「そんな。否定しなくてもいいじゃない。シルヴィオ君、頼りがいありそうだし。将来も有望だしね」

「そんなんじゃありません。第一シルヴィオは――」

 花にしか興味がないと言いかけて、それはあまりにひどいと口を閉じた。

「彼は、そんな風に意識して思ったことなんてないですよ」

 裏を返せば、そう見て欲しいともとれるローズマリーの言葉に、かえでは少し寂しそうに笑って席を立った。

「たぶん、私が火星に戻ってしまったら、それで終わりです」

 言って、悲しくなる。普通の友人でもないだろう。人間なんて、こちらから関わることをやめたら、それまでの存在としか思っていない。

「それが少しでも変わればいいんだけれど。世界にはたくさんの出会いがあるわ。植物だけでなく、もちろん、人だけでなくね。そのドキドキを、あの子は感じ取れていなかった」

 寂しいことだわ、とかえでが言った。

 ローズマリーはうつむいたまま黙ってうなずく。

 もくもくと粉をふるい、バターと砂糖をすりあわせ、型に入れる。コンロ下のオーブンから焼き色のついた一口大のケーキや、クッキー、スコーンにシューが現れる。

 甘い物ばかりではなく、フィッシュ・バターやサーモン・バター、小エビとアボガドペーストをのせたカナッペや、チーズと生野菜を挟んだサンドウィッチも作った。

 お昼から少し過ぎた十三時。

 ティースタンドにずらりと並べられたそれらに、シルヴィオも素直に感嘆する。

「お茶はセイロン・ダージリンよ」

「へえ。美味しそうだ」

 最初の一口を十分味わい、午前中の成果の一つ、スコーンに手を伸ばした。

「デヴォンシャークリームとジャムって美味しいよなぁ」

「これはジャムというよりジュレね。私の手作り。いただいた赤スグリを使ったのよ。今回のものは特に上手くできたわ」

 かえでも嬉しそうにカナッペを頬張る。

 腹も一段落したところで、今度は庭の検討に入った。

「キッチンガーデンは、やっぱり近い方がいいと思う。特にハーブ類は。あと……この変な空間は?」

「そこは、空けておきたいの」

「何か植える?」

「いいえ。なんとなく。ほら、こちらの南側の花壇と西側の花壇があって、花の色が濃い色でしょう? ちょっと色がきつい気がするの。だから少し空間をとって、空気の流れをよくするような感じかしら」

 本人も上手く説明できないようで、シルヴィオは肩をすくめる。

「それが日本人の美学ってやつなのかな?」

「さあ、わからないけど、ごちゃごちゃしているのは苦手なのよ」

 敷地が広ければそれだけ余裕をもった庭造りができるだろうが、一軒家にしては広めとはいえ、プレイスペースもきちんと取った上での空間に、ガーデナーは惜しいと感じるだろう。

「なら、コンテナはどうかな。俺は植物への負担が大きいからあんまり好きじゃないけど、直植えするよりもまとまりはよくなるよ」

 シルヴィオの案にかえでは少し考えたようだが、やがてうなずく。頭の中で再現してみて上手く行きそうだと思ったのだろう。

「私のガーデナーさんの提案をお受けするわ」

 言いながらそばの本を取り視線を落とした。

 シルヴィオはノートを、ローズマリーは新たなお茶を注ぐ。

「楽しみね」

 かえでが漏らした言葉にシルヴィオは手を止めそちらを見る。

 園芸の本をくる彼女はその視線には気づいていないのかもしれない。

「庭は娘の、夫の領域だと思って手を出しにくかったの。荒れていくのを止められなかった。夫が亡くなったとき、自然と娘に引き継がれた。そのとき手伝えばよかったのよね。でも、それまで何もしていなかった私が参加すると、夫の死を認めるようで嫌だったのよ。でもそのおかげで、娘がいなくなったときには本当に手も足も出せなくなってしまったわ」

 そこで初めてかえではシルヴィオと視線を合わせる。

「娘の火星行きは仕方ないって、口では納得した風をしていたけど、やっぱり寂しかったのね、私。夫が亡くなったときと同様に、庭に手をつけられなかった。半年ですっかり草ぼうぼうになってしまった」

 パタンと音を立てて机の上に本を戻す。

「どんな花を植えようとか、バランスを考えてとか、今とても楽しいわ。二人のおかげね。ありがとう」

 ローズマリーはとんでもないと笑顔で首を振り、シルヴィオは別になどと口の中でもごもご答えた。決まりが悪かったのか、すぐにノートへ視線を移して、白々しく話を変える。

「この一角、本当に全部ワスレナグサでいいの?」

 かえでは人生の大先輩だ。シルヴィオのそんな態度にも理解を示して彼の指先を見て微笑む。

「ええ。ぜひ」

「初めてリチャードさんにもらった花なんですって。思い出の花なの。ほら、ワスレナグサって一般的に言われてるけど、あれって結構品種があるでしょう? そういったものを混ぜて、色とりどりにできたらいいなって」

「ふうん……わかった。でもそれならこの位置を変えた方がいいと思う」

 冬の期間にやれることはそう多くない。三月あたりから、一気に増えるのだ。

 次来るだいたいの予定を立て、かえでに三日に一度の簡単な雑草取りを頼み、シルヴィオとローズマリーは迎えの飛行機でシアトルへと戻った。

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