第四章 勿忘草4
その夜の夕食は日本食で、普段は見ないような食材だったがどれも食べやすく美味しかった。最近はライスがダイエットフードとしてアメリカでも出回っている。箸を使うのは流石に無理で、フォークとスプーンでいただいた。シルヴィオが素材について、どんな植物だとか、日本人は菊を食べるとか、いろいろとうんちくを並べるのを聞きながら、銀蔵の目論見は上手く行くのだろうか? と心配になる。結局祖父に上手く丸め込まれて、シルヴィオは渋々承知することとなった。
そして夜は二階のゲストルームに泊まり、銀蔵は仕事があるとローズマリーの入れた、イングリッシュブレックファーストを飲むと朝早く帰っていった。
「さて、何をするの?」
朝食の片付けを終え――これは完全な英国式の朝ご飯だった――ローズマリーはシルヴィオの前に立つ。かえでも一緒にローズマリーの隣に立っていた。
そんな二人をシルヴィオはじろじろと、上から下までじっくりと値踏みするように見回したあと、背を向ける。
「今日はいいよ。俺一人でやる」
「そんなのだめよ」
彼女の言葉にこちらもうんうんとうなずく。
だがシルヴィオの意志は固かった。
「今日はざっと庭を均す。余計な物を刈ったり、土を掘り返したり。ばーちゃんにやらせたら明日動けなくなるだろ」
「それなら、私だけでも手伝うわ!」
「お前も。土壌物理学専攻で、確かにいろいろやってるけど、実際に庭作ったことないだろ? 絶対に腰痛めるし、今日はいい」
でも、と言いつのる彼女を手を振って黙らせる。
「それより、ばーちゃんと一緒にどんな庭にしたいのか話しててくれ」
残された二人は顔を見合わせる。かえでは困ったように首をかしげ、ローズマリーは肩をすくめた。今の彼にとっては一人で庭いじりをする方が気楽なのかもしれない。ただ、それでは彼の状態を改善しようという銀蔵のアイデアが不発に終わるような気がする。だいたい、仕事があるからといって、この状況で帰ってしまうのは無責任ではないか? 朝食のときもずっと内心憤慨していたのだが、友人のかえでにそれを察知されまいとそのときはなんとか表面上は平生を装っていた。しかし、この試みが吉と出るか凶と出るか、ローズマリーは何を期待されてここへ連れられてきたのか、それがはっきりしないまま、企画主が去ってしまった不満が、だめだと思っていても表情に出てしまう。
「それじゃあ、私たちはお菓子を作りながらシルヴィオ君の言う通り、お庭を考えましょうか」
「……はい」
見透かされているんだろうなと思いながら、お茶の支度を手伝う。
「何がいいかしら? 珈琲、紅茶、もちろん日本茶もいくつかあるわよ」
真っ白な隅々まできれいに整えられているキッチンで、かえではくるくるとよく動き回った。一つ一つに無駄のない、年を感じさせないその所作に、少し見とれてしまう。
中央の作業台の一角に、色鉛筆と、ノートを広げ、やかんにお湯を沸かす。そのやかんの底が、使い込まれ飴色に光っていた。
「シルヴィオ君は日本茶はあまり好きじゃないみたいね。きっと今は飲まないだろうし、他のものも試してみる?」
「あ、はい! 昨日のもとても美味しかったです」
「あれは、煎茶ね。それじゃあ、今日はほうじ茶にしてみましょうか」
かえではまた例の茶器を揃えて、前よりも簡単な手順でさっとカップに茶を注ぐ。
「いただきます」
昨日のものと違って、今度は茶色い。中国茶に似ているなと思いながら味わう。香ばしさが口の中に広がった。後味はあっさりしていて飲みやすい。
「これも、すごく美味しいです」
「そう。よかったわ。せっかくだから餡の、何か和菓子があればいいんだけど」
「アン?」
「ええ。小豆……こちらではあまり見ないわね。取り寄せて作ってもいいんだけど、たくさんできるから一人じゃ食べきれないのよ。甘いけどあっさりとしていて日本茶にすごく合うの」
いったいどんな味なのだろうと夢想していると、かえでは粉を計りだし、バターと卵も大きな真っ白の冷蔵庫から取り出す。
「今夜のデザートよ。ミンスミートのタルトレット。食べたことあるかしら?」
「いいえ」
「私もこちらに来て初めて食べたの。とっても美味しいのよ」
そう言って小さな丸椅子に腰を掛ける。ローズマリーももう一つあったそれに同じように座った。
「室温に戻さないといけないから、それまで宿題に取りかかりましょうか」
ローズマリーがノートに庭のだいたいの絵を描く。
「今無事なのは、林檎と、プラムの木。他はすっかり草ぼうぼうで。ヘレンはヘレンなりにプランがあったんだろうけど、庭って生き物ね。少し目を離した隙に大変なことに」
「そうですね。植物は毎日姿を変えますから」
林檎とプラムの木を書き入れ、尋ねた。
「ハーブ類と、ルパーブでしたっけ? そういったジャムや料理の材料にするものも植えたいですか?」
「そうね。あれを使ってみんなをおもてなしするのが、私の楽しみの一つだったから」
「あとは何か植えたいものはあるんですか?」
「そう言われると困っちゃうのよね。あまり花の品種も知らないし、手間がかかりすぎるものは私には難しい」
確かに。こういった庭のガーデニングは、その時期に咲く花を把握し、色合いや成長具合をよく飲み込んでいなければ、全体のヴィジョンが見えてこない。素人だと言っている彼女にそれを求めるのは酷だ。
「それじゃあ――」
ノートの次のページをめくると、同じように庭の絵を書いた。
「娘さんが造っていたお庭を思い出してください」
かえでに、ノートと色鉛筆を差し出す。少し考えていたようだが、最後は楽しそうに書き込み出した。
「その、娘さんは、どうされているんですか?」
雰囲気から亡くなったようには思えなかったが、庭の状態を思うと、何も手につかなくてこうなってしまったのかとも考えた。それで昨日は聞けなかったのだが、チャンスかも知れないと何気ない口調で尋ねる。
「そういえば話していなかったわね。去年の夏までは、娘夫婦と孫が一緒に住んでいたのよ? だけど、旦那さんが花博に関わっている人でね。政府の人間なのよ。それで、そろそろ火星での仕事が中心になってきたからって、あちらへ住むことにしたの。孫も父親と同じような職業で、ちょうどよかったのね」
それで、かえでだけを置いていったのか? それは少し、寂しい。
表情にすべてが表れてしまったのか、かえでがすかさず笑って否定する。
「違うわ。私がここに残りたいと言ったのよ」
二十五のとき、かえでの夫、リチャードとともにイギリスへ渡った。その後、いくつか家を替えるが、三十を過ぎたときに、永住の地としてこの家を選んだ。
「それからずっと。リチャードが死んだ後もこの家にずっといたの。思い出がね、たくさん詰まっているのよ」
思い出の家を、この年で離れるのは嫌だった。
「最後まで一緒にって、娘は言ってたけれど、この年で新天地はなかなかね。日本とまったく違うこの土地にようやく慣れたんだもの」
「日本は四季がはっきりしている土地と聞いています」
「ええ。そうね。とても、季節を楽しむ人種だったわ」
イギリスはそれに比べて四季がはっきりとしていない。冬はうつうつと続き午後三時四時には暗くなる。夏は夜の七時八時まで明るいが、朝夕は肌寒い。雨はまとまって降るようなことはまれで、ぱらぱらと、毎日少しずつ。そんな天気が多い。
今は二月だ。雪こそ降っていないが、外はかなり寒い。シルヴィオもしっかりと着込んで作業に没頭しているようだ。キッチンからも庭が見渡せた。
「さあ、タルトレットを作りましょう」
だいたい、以前の庭を書き出したところでかえでが言った。お茶は好きなのだが、それに合う菓子類を作るようなことはしたことがなかった。料理は苦手だ。
「お菓子作りはね、化学よ。きっちり計量して、外気温を検討し、それに応じた手順を踏むの」
そう、かえでに励まされ、ローズマリーも奮闘した。
ケーキを作り終えたころに正午の鐘が鳴る。
昼は簡単にハードチーズと麦芽パン。ハムとピクルス。シルヴィオには珈琲を。暖かいコンソメスープをプラスして身体を温める。
イギリスの家は、セントラルヒーティングなど、暖房器具が充実していた。反対にクーラー等、家を冷やすような家電はあまり必要でない。緯度の割りには暖流のおかげでさほど寒くないとはいえ、しかしやはり、冬は厳しい。氷点下にはならないが、一桁台の日々が続く。
「あんまり根を詰めないでね。風邪を引いてしまったら元も子もないわ」
「大丈夫だよ、これくらい。シカゴのプラントとそう変わらない」
SFCはシアトルに本部があるが、プラントはアメリカだけでなく世界各地にあった。その気候に合った植物を育てたり、また、わざと厳しい環境で育て、宇宙へ持ち出せる強い種を作ったりもする。シルヴィオは他の大陸に行くことは少ないが、シカゴとマイアミにはなにやら気になる植物があるらしくよく専用機で一週間ほど出かけることもあった。
「ただ、ならしにもう二日くらいかかるかもしれない」
「本当に手伝えることないの?」
「いいよ。どうせ今の時期できることって言ったら環境を整えるくらいだし」
それよりも庭の構想をと言って、シルヴィオはまた寒空の中庭仕事に精を出す。
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