第三章 ガニメデのひまわり1

 紫色をした空を眺めながら、寒さに身を震わせる。予想して着込みに着込んできたというのに、その努力を嘲笑うかのような寒気。特に今日は寒いからねと言う赤ら顔の男に、シルヴィオは不機嫌さを隠さずうなずいた。

 決められたやりとりを終え、一時停泊の許可証を得ると船から降ろした車に乗り込む。こんなことならニコラスを連れてくるんだったと、地球を出発したときからずっと後悔している。

 地元の人間はシルヴィオよりずっと軽装だ。それでよく凍り付かないと呆れる。慣れだよと彼らは言うが、この寒さは花には毒でしかない。車の後ろに積んでいる商品を気遣いながら、目的地目指してアクセルを踏み込んだ。

 ガニメデは、太陽系で内側から五番目、地球から外側へ二番目の惑星である木星の衛星だ。一般的に他の三つと合わせてガリレオ衛星と呼ばれていた。

 月への移住後、火星の開拓も始まった。だが、火星はひどい磁気嵐により、三十年間閉ざされ、外界との交流が完全に断絶された。最初の数年は、科学者たちも、また政府の人間も復旧を期待していた。だが、それが十年続くと火星に見切りを付け、次の星へと手を伸ばしたのだ。

 もちろん規模で言えば木星を人が住める星に変えてしまうことが一番望ましい。だが、あのガスに包まれた惑星へ手を入れる技術を、人類はまだ得ていなかった。そこで目を付けられたのがガリレオ衛星だ。そして一番初めに開発が始まったのが、このガニメデだった。

 火星での失敗を糧に、ガニメデ開発は慎重に行われた。表面を覆う硬い氷の層を解かし、その上にドームを浮かべる。水があるのは良い。人が住む第一の条件でもある。宇宙船で薄い大気の層に侵入するとき見える、たくさんのドームの姿は一枚の油絵のように美しいと言われていた。

 政府がそこまで苦労してガニメデへ入り込もうとするわけは、もちろん、ヴンダニウムの存在だった。他の三衛星を差し置いてガニメデに執着したのは、水分の保有量という点も大きかったが、あの有能な金属の存在によるところが大きい。月のヴンダニウムは初期の取り交わしのまずさから、かなりの数が個人の手に渡ってしまった。それを買い上げるのにさらに政府は不利な条件をのまねばならなかったのだ。月は一応地球連邦政府の直轄地としてあるが、実質有権者たちの独立国、月政府として機能している。政府はガニメデが第二の月となることを望まなかった。

 氷を溶かしたとはいえ、相変わらず気温は低い。ぶつくさ文句をこぼしつつ、目的のドームへと向かった。

 ドームは完全に浮かんでいる。大幅に位置をずらさないような構造になってはいるが、揺れ、漂うようになっていた。下手に固定すれば耐久性に問題が出てしまう。そのため、ドームは二重構造になっていた。外からの揺れを内側で緩和し人に伝わらないよう設計されていた。

 しかし、ドーム間を移動するフェリーはそうはいかない。

 今日は特に波の揺れが激しいらしく、車の中で盛大に舌打ちする。

 シルヴィオ自身はなんの問題もない。揺れも早さもあまり気にならないタイプの人間だ。彼がいらつく原因はすぐ後ろの届け物の花だった。不必要な振動は花にストレスを与える。まだ大丈夫な範囲内だとわかっていても腹立たしい。何より、この出張が気にくわない。

 小さめの輸送船のライセンスや、地球外での車のライセンスを取ったのは、やはり失敗だったと思う。本当は地球の外になんぞ出たくないのに、たまに、ごくたまに人員不足や、現地での調整がかなり難しい類の配達にかり出されることがある。

 ガニメデまでは五時間。この五時間で花のコンディションチェックが一ヘクタール分はできただろう。またはせめて運転手をニコラスにさせたら、移動時間を睡眠に当て、その分帰ったら花の水分保有量のチェックができたはずである。

 だが、出る前にニコラスにからかわれ、一人で行けると来てしまったのだ。今考えると、あれははめられたとしか思えない。課長から出張を言い渡され、ごねているところへ、ちょうどいいタイミングでニコラスが現れた。絶対口裏を合わせていたのだ。

「くそームカツク!」

 半円のハンドルに足を乗せ、シートを倒して天井を仰ぎながら奥歯をぎりぎりと噛みしめた。

 だいたい、SFCの花を、たった一輪届けるためにガニメデまで来させるというのが非常識だ。それなら地球に花を見に来た方が安く済む。しかもシルヴィオが調整のために出向かねばならぬほどの品種ということは、地球に来て、高級ホテルに泊まって、のんびりしても余裕でまかなえるほどの金が動いたのだろう。

 きっとふっかけたんだろうなと思ったところで、ナビが目的地周辺を告げた。ガコンと接続の音がして、アナウンスが流れる。シートを元に戻すと、エンジンをかけた。

 ドームは人に圧迫感を与えないために十分なほど、天井に高さがあった。いや、むしろ天井がどこにあるのかわからない。最新技術のホログラムで空はどこまでも青く、高く、澄んでいた。

 中央管制塔で昼と夜を演出し、地球と似通った風景を流す。地球よりもより地球らしくが売りで、第二の故郷とうたっていた。

 だが、シルヴィオに言わせればドーム内の気温は地球のそれより十度は低く、人は辛うじて暮らせるが、花にはあまりよい気候と言えない。現に月や火星よりも持ち込める品種は限られていた。

 それでも人は花を欲し、花を贈る。

 だからこそこの商売は成り立っているし、シルヴィオも好きな花の世話をできる。世の中まず資金。それがなければまわる物もまわらない。

 また、遠い惑星で、花を愛でたいという気持ちはわかる。もしシルヴィオがなんらかの事情で地球を離れたとしたら、せめて花を一輪でもと願うだろう。だから文句を言いつつも仕方なくこうやって、花好きのために五時間、往復で十時間もかけてきてやっているのだ。

 花好きに悪い奴はいない。

 シルヴィオの持論だった。

 依頼主が指定したのはこのガニメデ内でも一等地と言われるドーム。地価も一番高いと言われている。発着用のドームからもフェリーが何本も往復しており、道を行く人々の服装も厚着ながら素材の良さが現れ、その表情は明るい。広場にはオブジェと偽物の木々が、見る角度によって色を変え、夜は光を発するそうだ。周辺のドームから見ていると、夜はまるで宝石箱のようで、ガニメデの不夜城と呼ばれているらしい。

 ナビの示す通りに運転し、行き当たったのは大きな建物だった。白い柱がいくつも建ち並び、緩いカーブを描いてエントランスへ客を誘う。シルヴィオはその周りを一周して、従業員用出入り口を見つけると、そちらへゆっくりと向かった。

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