第二章 月上美人4

「なあなあ、入って良い? もっと近くで見たい!」

 目をきらきらさせてシルヴィオがアイリーンへ振り向く。その姿はまるで目の前に餌を与えられた子犬のようで、可愛くもあり、同時に苛立ちも覚える。

「アホか! なんの弾みであれが他へ寄生しないともわからない状況で、近づくなんて自殺行為だろうが!」

「大丈夫だって! なんかほら、防護服みたいなやつ来ていけばいいじゃん」

「人間の皮膚ってのはよっぽど丈夫なんだぞ? その皮膚を突き破って人間に根を下ろしてる。うちにある防護服なんてすぐに貫通される! それとも宇宙服でも着るつもりか!」

「えー……でもさー、たぶんもう平気だよ」

「根拠を述べろ」

 シルヴィオが頬を膨らます。それが二十一になる人間の所業かと、ニコラスは苦笑するしかなかった。

 助け舟を出してくれたのは研究者の一人だった。

「まあ、確かに被寄生者のバイタルラインも安定していますし、月下美人自体の生体ポテンシャルも一定を保っています。確保したときよりは危険も去っているとは思いますが」

 アイリーンは苦虫を噛み潰したような顔でうなずく。

 誰かが近づいて観察しなければいけないのは確かなのだ。いつかはやらねばなるまい。

 しかしそれをシルヴィオにやらせて良いものだろうか? いや、適任は適任。SFC随一の技師である彼が一番植物の状態を把握する術に長けている。

 だが、アイリーンは、シルヴィオが可愛いのだ。なんだかんだといってかまってるのは可愛いからだ。もしものときが嫌だった。

「――ニコラス行って来いよ」

「思考の流れがよくわかるんですが。そういった経緯ならお断りです」

「チッ。まあ、あいつに見てもらうために来てもらったんだが。だいたい、私はお前を呼んでいない!」

「僕も来たくなかったですよ。あいつがここに呼ばれるときはろくなことがない。それに本来は、SFCではなく政府御用達のHBLに持ち込む物件じゃないんですか?」

 HBLは花屋を母体としているSFCとは違い、純粋に植物の研究をしている研究所だ。現在では政府の仕事の九割を請けている。SFCの癒着どころかHBLは完全に政府の一機関だった。実はこのHBLから派生したのがSFCで、HBLの研究所で培ったノウハウを法に触れない程度でSFCは有効利用していた。

「HBLに持っていくと話の広まりが早い」

「SFCならシルヴィオにちょっかいを出しにきたで終われるってわけですか」

「わかってるじゃないか」

 美女のにやりは少し、怖い。

 しかし、残念ながらニコラスは、保父としてシルヴィオの面倒を見る係りになってしまっていた。やりたくないと言うわけではないが、面倒ごとが多いのは確かだ。能力が高い分、注目される度合いも高い。能力が植物関連に偏っている分、他方面で問題を起こす。

 つくづく損な役回りだ。

 気持ちを切り替え立ち上がったニコラスは、よだれを流さんばかりに強化プラスチックに張り付くシルヴィオの頭の後ろをはたく。

「ってぇなあ!」

「ほら、行くよ」

「おっ! 良いの?」

「お仕事だからね。お前が見て、もうあれは大丈夫だと思うんだろ?」

「うん、落ち着いてるから平気」

「なら安心だ」

 植物の顔色を読む男との異名を持つシルヴィオ・エクバーグの言葉なら、本当に大丈夫なのだろう。

 結局防護服すらつけず――動きにくくて面倒だということで――二人は強化プラスチックの向こう側へ侵入した。

 部屋は広い。六角形になっており、そのうち三面が透明で、アイリーンたちの姿が見えている。ニコラスたちが入ってきたドアもその一番端にあった。床は外とは違い、緑色をしたゴムのような感触がする。歩くたびに靴との摩擦できゅっきゅと音がした。残り三面の壁は色気のないクリーム色で、実験室というよりも中央に寝かされている男を見ていると検屍台に思えてくる。直接覗けばまぶしいくらいにライトの光が注がれ、今日の主役が一身にそれを浴びている。

 彼からはコードやチューブがいくつも伸びていて、すぐ脇の計器や点滴へつながれていた。一つは脈拍のようで、黒いモニターに緑色の線が揺れている。波は同じ周期で繰り返されており、その山がかなり緩やかなことを除けば、アイリーンの部下の言っていたとおり、安定しているのは確かなようだ。

 ポッドは少し離れて台の上に並んでいる。高さ八十センチほどの卵形。色は青だった。

 必要なもの以外は何もない。同時に、中で何が起ころうとも外へ漏らすことのない設備が整っていた。変異した植物の恐ろしさを皆体験している。

 だからこそ万全を期した準備をして臨むのだが、二人の中に緊張感というものは存在しなかった。

「しっかし、すごいねえ」

「本来なら枯死するはずがこうやって生命活動を続けているってことかぁ。なあ、一緒に輸送していた他のポッドってこいつら?」

 シルヴィオが青いポッドを指さすと、アイリーンからそうだとの返事がスピーカーを通して返ってくる。

『比較サンプルとして五つだけ無作為に取り出したものだ。残りは他の場所に保管されている。同じようなことになったら困るからな』

「これが問題の月下美人ちゃんが入ってたポッド?」

『そうだ』

 一つだけ開いているポッドが被験者が乗せられている台のすぐ脇にある。

「なんか見たことあるなあ、これ」

「だな。こっちの一つ、調べたいんだけど、シルヴィオ大丈夫?」

 ニコラスは中で月下美人が枯れているポッドへ顔を近づけた。シルヴィオがうなずくと彼は背面の操作盤をいじり、無造作にポッドを開ける。

 スピーカーから大音量が流れてきた。放送できない類の罵りだ。

「アイリーン室長うるさいですよー」

『大馬鹿者っ! 何を考えているんだ! 胴体の上についているそれはなんだ! 装飾品にもならないんだから使うぐらいしかないだろう、間抜けっ!』

「ものすごい言われような気がするんですが。まあ、シルヴィオ君が大丈夫って言ってましたし」

『お前らの信頼ごっこに付き合う気はないっ!』

 そう言うと、付けていたマイクを放り出し、彼女までこちらへとやってきた。それにはニコラスも目を丸くした。

「あなたこそ何を考えているのやら」

「うるさい。続けろ。次からアホなことをしでかそうとしたら、実力行使で排除してやる」

 尊大な美女は仁王立ちして二人の間に立つ。

 シルヴィオはそのやりとりを面白そうに見ていた。

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