第二章 月上美人3

 移民局調査室は、移民先の風土を調査し、人や動植物の生活に値するかを判断する場所である。移民先と、そこへ入植するものたちを調査するのだ。彼女の下にはたくさんの部署がある。人はもちろん、家畜、そして植物。植物の変異が見られるようになってからは特に重要な部署となったのが、移民局調査室木本草本班。その研究室へ、シルヴィオとニコラスはやってきた。

 各惑星に研究施設がある。一番規模の大きなのはもちろん地球の研究室だが、この月上に作られたものも広い敷地面積を持っていた。

「八時間前、星間パトロールへSOSの救難信号が入った」

 移民局の調査施設は月の表側にある。地球と常に向かい合い、互いを監視し合う。恐ろしい勢いでジェットに乗せられ南極へ連れ去られた。宇宙船の発着は南極からしかできない。そこで無理矢理船に乗せられて、月へ至る。政府の専用機なので普通の旅客機とは違いスピードに制限がない。地球内でも、宇宙でも順番無視のやりたい放題だ。

 アイリーンの足音が真っ白な廊下に響き渡る。途中で白衣を渡され、シルヴィオとニコラスも作業着の上に羽織っている。もちろん彼女もパンツスーツの上に白衣を着用。この施設内にいる人間は一部を除いてこのスタイルになることを強いられる。

 フェンスでぐるりと囲まれ、二十四時間体勢で厳しい警備が敷かれている。入館する前に無用なものを持ち込んでいないか、十分にチェックが入るし、もちろん退館時はより一層厳しいものとなる。

 機密中の機密がこの移民局の研究所にはあった。

「彼らが駆けつけてすぐにうちのラボに知らせが入って、私自らが引き取りにいった」

 途中何人かとすれ違うが、そのどれもが厳しい顔つきで軽くうなずいて挨拶にかえるだけ。アイリーンが受け取ったモノが彼らの表情を険しいものにしているのだろう。白を基調とした明るく開放的な作りのように見えるの場所が、物々しい雰囲気に包まれ暗い影を落としていた。

 第三研究室と書かれたドアの横にある窓に、彼女が両目をかざす。赤い光に照らされ、入室許可が下りドアが開く。二人もその後に続いた。

 部屋は天井が高く、多くの人間が壁際や並べられた机の前のモニターに夢中だった。そのどれもが最新式で、部屋の照明はかなり絞られており、奥の強化プラスチックで遮断された部屋がひときわ明るく輝いている。

「どうだ、すごいだろう!」

 アイリーンが両手を広げて強化プラスチックの向こうに寝かされているモノを二人に披露した。こちら側にはたくさんの研究者。皆がアイリーンの部下で、今までに一度は会ったことがある人物たち。その誰もが一様に無表情で目の前のサンプルに取り組んでいた。

「すごいって……いやぁ、さすがの僕もどん引きですよこれ」

「すっげーすっげー!」

 少し引きつりながらベッドと言うにはずいぶんと無粋な台の上に寝かせられている、たぶん元乗務員を見て答えるニコラス。反対に、というか誰よりも異常と思える反応は、シルヴィオのもの。目をきらきらさせて透明の壁にかじりつく。

「あれって月下美人だよな! 月に着く前に枯れるのに、すっげー! まだ生きてるじゃん?」

 その様子を見てアイリーンは眉をひそめる。ニコラスの傍らに寄ると、彼の耳に手を添えて囁く。

「おい、あれはないだろう」

「……僕に言わないでくださいよ。だいたいあのお披露目の仕方だと喜んで欲しいみたいじゃないですか」

「うるさい。子どもの情緒欠如は保護者の責任が九十九パーセントだ」

「どこでそんな数字を」

「今、ここで確信した」

 月下美人。サボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物で、その花は月夜に一晩だけ咲くと言われている。地球においてそれは真実であった。一年に一度広げる大きな花びらは本当に美しく、美人の名は嘘ではない。

 しかし、宇宙空間を経て月へたどり着く前に花どころか鉢植え自体が枯れてしまう。地球で、月の下でしか咲かない花と言われ続けてきた。

 それが今目の前で青々とした葉をつけている。その下には――皮膚に根が浮き出している人間がいた。

「彼は花の密輸業者だ。今回は月下美人を二十株、小さめの船で月へ運ぶところだったらしい。今、船長などに事情聴取しているが、まあそちらはパトロールや警察の仕事だ。忘れてくれ。私たちが取り組まなければならないのはこちら。これが大問題に発展するかもしれない」

 顎で強化プラスチックの向こうを指す。

 ニコラスがそれに応える。

「植物は人に寄生するのか」

 アイリーンは黙ってうなずいた。


 植物の変異。それは近年の大きな問題の一つだった。枯れてしまうだけならまだしも、元ある形から姿を変える。その異常な生態を研究し、原因を究明していかなければならない。だが、その量の多さに比べ、機密レベルが高くなかなか進んでいないのが現状だった。

 それに、耐性の低い品種よりも、高い品種の研究により力を入れている。その一つが先日のスイートピーで、あれは研究の結果地球外へ持ち出した後再び地球に取り入れても問題のない一品だった。ただし、ポッドの中で適切な環境にあることが第一条件だ。一度変異をきたした植物は地球に戻ったからと言って元通りにはならない。

 先日機内に一般人が持ち込めたのはたまたまシルヴィオたちが乗船するという事実と、スイートピーの持ち主が火星と地球においてかなりの権力を保持しており、断るのが得策ではなかったからでもあった。そしてあの騒ぎとなったのだが、政府としても良いデータが取れ、プラスマイナスゼロといったところだ。

 とにかく優先順位により、枯れてしまうような種類は地球からの輸出禁止。研究も後回し。月下美人はその一つだ。月下美人は月上では咲かない。それよりも他のリストに上がっている植物の研究に励む。

 

 だが、目の前に今まで恐れつつも実例がなかった種が現れた。

 月下美人は人に寄生するのか。

 いや、植物の変異は人に寄生する種も作り出すのか?

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