第二章 月上美人2

「お茶をお持ちしました」

 柔らかなプラチナブロンドをポニーテールに結い上げた少女がノックをして唯一の扉から入って来る。淡いピンク色のシャツに濃いグレーのタイトなスカートは、彼女の色の白さを上品に引き立て、青い空色の瞳がくるりと部屋の中の人数を確認する。

 次はどうやって反撃を繰り出そうかと考えあぐねているシルヴィオをよそに、他の人間が口々にその登場を喜ぶ。一つ一つにいちいちきちんと答えながら、ローズマリー・ロックウェルはみんなにカップを渡して回った。

 シルヴィオのところには一番最後にやってきた。

 待ってましたとばかりに目の前に置かれたマグカップを両手で包み込む。課長とも一時休戦。紅茶の良い香りが鼻腔をくすぐった。ローズマリーの入れる紅茶が一番美味しいと誰もが絶賛する。普段は珈琲党のシルヴィオも、彼女の入れる紅茶だけは好んで飲んだ。

「サンキュー」

 ところが彼が礼を言うと、彼女は眉間にしわを寄せ怖い顔をした。慌てて身構える。

 最近こんな風に何か怒らせるようなことをしただろうか? いや、ない、……と思う。

 研究がないときは事務所に詰めていて、仕事場が一緒なわけではないローズマリーを怒らせたというならば、自分に心当たりがあってしかるべきだ。別に約束を破った覚えもないし、というかこの一週間火星へ出張に行っていて久しぶりに顔を合わせたのだ。

 そこで思いつく。

 そう、火星に行って来たのだ。

 絶対これに間違いない。

「ごめん! 土産買う暇なくってさあ」

 両手を目の前で合わせて軽く頭を下げる。

 火星産の砂でできた彫像がきれいだと、以前話をしたことがある。たぶんそれで怒っているのだろうと当たりをつけた。しかし、言った瞬間彼女の出身が火星であることを思い出した。

 さらにローズマリーの眉がきりきりと音を立ててつり上がって、空いたトレーが頭の上に振ってくる。

 カポンと、良い音が鳴った。

「そんなことどうでも良いのよ! また危ないことしたって聞いたわ。いっつもいっつも、出張に行くたび問題起こして帰ってきて!」

「なんだ、そのことか。って、今回は俺悪いんじゃないぞ!? 被害者だよ。危うくリリーちゃん枯れちまうところだったし。むしろ感謝して欲しいぐらいだよ! おかげで被害者ゼロだったんだぞ」

「被害者がないとかあるとかじゃないわ! 銃を持った人に向かっていくなんて、怪我したらどうするつもりだったの」

 火星へ出張の帰り、トラブルに巻き込まれた。シルヴィオ的には上手くやったつもりだ。そう。感謝状をもらってもよいくらいだ。

「積極的に作戦練ったのはニコラスだぞ!」

「その尻拭いをしたのは私だがなっ!」

 バンッ、とドアが大きな音を立てて蹴破られ、見るからに気の強そうな美人が現れる。赤毛のショートボブ。明るいグレーのパンツスーツがスタイルの良い彼女にぴったりだった。緑色の瞳がぐるりと室内を見渡す。会議中のプレートが彼女の足下で無残な姿になっていた。

 突然の乱入者が何者なのかを把握した瞬間、全員がその場に起立する。

「これはこれはレミントン室長様。いつもながらお美しい」

「何しにきやがったクソばばあ!」

 課長とシルヴィオの言葉が重なる。

 アイリーン・レミントンはそのきれいに描かれた眉を一ミリたりとも動かさずに、シルヴィオへ歩み寄る。そして完全に警戒態勢へ入っている黒髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜそのまま両こぶしで頭を締め付けた。機敏なシルヴィオを軽々と捕まえる不思議な体術を、彼女は心得ていた。

「相変わらずちびっこくて、かーわーいーいーなあーシルヴィオは。だがなあ、まずはお礼があってしかるべきじゃないか? この間の船での騒ぎ、いろいろ手続きが大変だったんだぞお?」

 変異を一般人に見られたし、睡眠誘発剤を出す種子を船内に持ち込んだし、と次々に罪状を挙げ連ねるアイリーンの腕を振り払い、安全圏まで後退したシルヴィオは人差し指を真っ直ぐ彼女へ突きつけた。

「チビって言うな! このミソジがっ! だいたい種持ち込んだのはニコラスであって俺じゃねえよ!」

「……なんだそのミソジってのは」

 きょとんとする彼女ににやりと笑って答えるチビ。

「ジャパンでは三十女に指を突きつけ、ミソジミソジとはやし立てるそうだ」

「……へぇー」

 アイリーンの唇が徐々に歪んでいく。

 危険を察知した課長がニコラスへと目配せした。なんとかしろと命令が飛んでくる。恐ろしいキラーパス。

 二人のやりとりは触らない関わらないというのが大原則である。そこへ飛び込めとは無慈悲なお言葉だ。しかし、なんと言っても上司の命令である。しかも、例の種子の件で借りがあったりする。パワハラなどと言っていられない。

 仕方ないとため息をついてニコラスは一歩前に出る。キルゾーンに踏み込んだ。

「あー、室長、すみませんが……」

「なんだ? それとも、お前があの阿呆にくだらないことを吹き込んだ張本人か? そうか、名乗り上げるとはなかなか根性のあるやつだ」

 ばきばきとこぶしを鳴らすアイリーン。笑顔が怖い。

「いやいやいや、違います。そうではなくて、その、今日はどういったご用件で?」

 汗をかいてにこにことしているニコラスをじっと眺めて、――鼻を鳴らした。

「確かに話が進まないな。実はな、そこの坊やをちょっと借りたくて来たんだ。クレイグさん良いかな? 二、三日返せないかもしれないけれど」

「それはもう、どうぞお好きになさってください」

「ちょっと待てって! なんで本人の意向を無視して話を進めるんだよ!」

 しかし、その叫びすら切り捨てられる。

「それじゃあ、邪魔したな」

 脇でシルヴィオの首をがっちり捕らえながら彼女は去っていった。喚く声も、やがては小さくなっていく。

 台風のような女性だ。彼女の周りにある暴風域に入ったら、通り過ぎるまでじっと耐え忍ぶしかない。去った後の被害も甚大だ。が、恵みの雨となる場合もあった。

 彼女は政府移民局の人間だ。移民開拓局調査室室長。あの若さで、しかも男性社会の中で女性としてその地位についているということは、それだけ有能な人間であるということだ。

 彼女がSFCにもたらす利益はちょっとやそっとの暴挙など簡単に目をつむっていられるほどのものだった。

 人身御供の一人や二人と、課長は喜んでシルヴィオを差し出す。なんだかんだといいつつ、アイリーンはシルヴィオを大層可愛がっているからあまりに拙いことにはならない。彼は彼女のお気に入りなのだ。

「おい、ニコラス!」

「はい?」

 彼女が去ったことをしっかりと確認したニコラスは、みんなと同じく席に着こうとするところを課長に呼び止められる。中腰という不自然な体勢で顔だけを課長へ向けた。

「何をしている。さっさと行かんか」

 右手を埃を払うように動かす課長に、ニコラスは口元をひくりと歪めた。

「マジですか?」

「大真面目だ。ジャパンのことわざに、可愛さ余って憎さ百倍というものがある。何かしでかした後じゃ遅いんだ」

「……ミソジって教えたの課長だったんですね」

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