第一章 花屋参上4

「いつまで隠れてる気だ? 出て来い」

 それは明らかに上へ、シルヴィオたちへ向かって投げかけられた言葉だった。ニコラスが顔を顰める。

「そこの通気口は取り外しできるそうだよ。下りて来い」

 はったりとは思えなかった。

「よし、降りて来やすくしてやろう。ほら、早くしないとこの坊やの頭に穴が空くぞ?」

 ちょうど通気口の真下に、銃口と、スイートピーを抱えた少年が現れる。次の瞬間にはシルヴィオが通気口を蹴破ると彼らの前に姿を現していた。ニコラスも仕方ないと後へ続く。

 操縦士三人が青い顔をしてこちらを見ている。もちろん、人質となってしまった少年も涙を瞳にため込みながら情けない顔をしていた。それでもスイートピーを放す気はないようだ。

「見張りがわかりやすく見張っているなんて思わない方がいい」

 つまり、二階の後方、一番初めにシルヴィオたちが座っていた区画に他にも見張りがいたということだ。乗客として。あちらも眠らせてしまうべきだった。いや、シルヴィオたちの姿が見えなくなったところで、すぐ連絡しただろう。これだけの船を乗っ取ったのだ。あらゆる事態に備えて、それだけの手は打っていたということだ。エゴマの種数個でそれをひっくり返すのは無理があった。

「反省会はあの世でやってくれ。ちょうどいいから未だに返答のない政府を少し焦らせてみよう。SFCの技術者なんだってな。政府との癒着を騒がれてるSFCの技術者が、政府の対応遅れで死ぬ羽目になるとはなかなか楽しいじゃないか」

 抱えていた少年を下ろすと、銃口をシルヴィオたちへ向ける。

「しかし、催眠ガスなんてどうやって持ち込んだんだか」

 ニコラスが肩をすくませた。

「企業秘密です」

「あ、企業秘密って言えばさ、おい! 坊主!」

 すでに涙と鼻水でぐちゃぐちゃの少年が、呼ばれて肩を揺らす。

「な、なに?」

「スイートピーは振動に弱いっつったろ? すでに兆候が出てるぞ」

「え……あ、うん」

 ピンク色の花も、葉も、くったりと頭を垂らしていた。

「こんなときに花の心配か! おめでたいやつめ」

「こいつはとんでもない花馬鹿でしてね。そのおかげで今じゃSFC随一の技術者です」

「へえ。惜しい人材を亡くした、だな」

 今度はシルヴィオが肩をすくめた。

「後ろの操作盤ひらいて、一番上の青いボタンを押せば無事に地球まで帰れるからな」

 少年はきょとんとした表情で彼を見る。なので笑顔でウィンクを返してやった。

 そのやりとりに、銃を握っている男は呆れたような顔をする。操縦士たちも呆気にとられた様子だった。

「ホントに? ボク、このスイートピー、お祖父ちゃんに見せられる?」

「ああ。大丈夫さ」

 地球政府との通信チャンネルが繋がったと、操縦士の一人が言うと、スブリマトゥムの男はまずシルヴィオに銃を突きつける。

 その横で、少年が呟く。

「ありがとう、シルヴィオ」

「おう!」

 少年がロックを外して言われた通りのボタンを押すと、シュッと小さな音がした。同時に漂ってくる花の香り。

 宇宙空間では味わうことのできない至高の香り。

 そして――、

「うわああ!?」

 突然目の前を横切る緑色の物体は少年の体を巻き取った。

「何を!」

 男の怒号が飛ぶ。しかし蔓に巻かれて身動きができない。

 そう、――蔓だった。

 それはまるで生き物のように勢いよく伸びて、その勢力範囲をみるみる広げていく。一本が人の太ももほどもある巨大な蔓。

「えー皆様ぁー、スイートピーはハマエンドウ属の蔓性の一年草で、別名をカオリエンドウ、ジャコウエンドウといい、エンドウマメなんかと同じマメ科の植物。実は、宇宙空間でマメ科の植物の一部はこのように巨大化する性質がございます」

 パニックを起こしている乗客たちを尻目にニコラスが朗々と語る。

 操縦席の扉はもちろん、中央の隔壁も上がっており、後方客席まで蔓はその勢力範囲を広げていった。

「特に体温ぐらいの三十六度前後のものに巻きつく性質があり、人間は格好の餌食です。とはいえご安心を。体はまったく動けない状態にはなりますが、内臓を圧迫したりするような無理な締め付けはしてきません。体の力を抜いてリラックスして政府の救援をお待ちください」

 蔓と蔓の間からスブリマトゥムの男たちが悔しそうに歯ぎしりをしているのが見てとれた。下手に動けばさらに隙間をぬって巻き付いてくるため、とんでもない格好でこのまま救助を待つこととなる。

 初めにシルヴィオが男を殴ったのは、まあもちろん少年の身を心配してということも多少はあったが、大部分がこのスイートピーの秘密が下手に漏れるのを恐れてのことだった。それを全宇宙へでも配信された日にはいったいどんなことになるのか想像もつかない。そばにSFCの職員がいて、と切腹ものの事態を避けるためにとった、ベストでもベターでもないシルヴィオなりの対応の一つだったのだ。

「よくやった坊主!」

 シルヴィオが器用に蔓の進む方向を操作して少年のすぐ隣に迫る。

 するとまんざらでもない表情で、それでも頬を膨らませて彼が答える。

「坊主じゃない! ジャックだよ!」

 自分だってチビと言われれば殴りかかるくせに、人には坊主と呼びかけるシルヴィオに拳を振り回す。だが、蔓のせいで届かない。

 そりゃ悪かったと謝るどころか、シルヴィオとニコラスは顔を見合わせ、一拍おいて笑い出した。

「そりゃーいい! 現代版ジャックとマメの木だな!」

「確かイギリスの童話だったよな。実は未来を予知していたんじゃないか?」

 そうやって、彼らは政府の救援が来るまでずっと笑い続けた。

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